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『小沢一郎に伝授した選挙必勝法』「元気が出る言葉 渡る世間の裏話2」早坂茂三
集英社文庫 2001年9月25日 第1刷より
小沢一郎に伝授した選挙必勝法
田中角栄さんは自民党の内外で “ 選挙の神様 ” と言われた人です。
議会制デモクラシーでは選挙に勝たなければ与党になれない。
真実の世論は各級選挙の結果しかありません。
昭和四十四年の春、何日だったか忘れましたけど、今、日本じゅうを騒がせている小沢一郎さんが初めて田中幹事長の前に立ったことがあります。
彼はもともと弁護士になりたかった。
岩手県出身の代議士だったお父さんの佐重喜(さえき)さんは岸元総理の盟友でしたけど、この方が急に亡くなって、結局、長男の一郎さんが、不本意ながら二世政治家の道を歩む結果になった。
そして、お母さんの勧めがあり、田中のところへ来たわけです。
まだ二十六、七の青年で、かわいい顔をしていた。今のような憎たらしい顔ではなかった(笑)。
そのときに、田中が小沢一郎さんに言ったことは、『一郎君、親の七光りを当てにするな、カネは使えばなくなる。
戸別訪問三万軒、辻説法五万回をやれ。
それをやり抜いて、初めて当選の可能性が生まれる。やり終えたら改めて俺のところへ来なさい』。
あの人は「弟子入りしたい」という若い政治家の卵には誰に対しても判子で押したようにこう言いました。
小沢さんは私の親方が言ったことを挙々服贋(けんけんふくよう)実行した。
あれから二十四年の月日がたちました。
彼は当選九回を重ねて、今、日本の政治を右にするか、左にするか、そのカギを握っています。
二日前に角栄さんが亡くなって、私は改めて当時の精悼な親方と若かった小沢さんの顔をだぶらせて、懐かしく思い出しています。
それと世間の人はあまり知らないようですが、角栄さんは戦後日本が生んだ “ 議会政治の申し子 ” でした。
人民の海から生まれた政治家だった。
衆議院、議会というところは、議員さんたちが集まって、選挙民、つまり国民から「あれをやってくれ」「これやってほしい」と言われたことを自分たちが責任を持って議論して、法律にまとめあげ、実施するのが本来の役目です。
だから、立法府と呼ばれる。
ところが今、国会に提出される法案の九割九分は霞が関の秀才たちが用意しています。
私の親方は違った。
政治家として七十三の議員立法を手がけました。
あの人は昭和二十二年四月、新憲法下第一回の総選挙で当選したんですが、三十九歳で郵政大臣になるまで無名時代の十年間に議員立法を二十二もつくった。
焼け跡の日本を再建、復興させ、田舎の人たちの暮らしもよくしなければならない。
これにまっしぐらに進んだ。
この時代にガソリン税を創設して、今の道路網の財源にしました。
今の政治家の皆さんは、役人におんぶに抱っこが目立ち、鼻先であしらわれて、本当は馬鹿にされている。
目線が現行法体系を越えられず、あと追い投資に終始する役人に使われるのではなく、角栄さんの実績に学び、議員立法に目を向けてほしい、としみじみ思っています。p-343
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