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政治の領域を超えた「最小不幸社会」の実現
2010/06/13 07:30
菅直人首相が目指す「最小不幸社会」というのは、どういうものなのか。なんとなくいわんとするところはわからないでもないが、具体的にはどういうことなのか、いまいちはっきりしない。
そもそも「不幸社会」というのは、かんたんなようでいてなかなか一般化しにくいところがある。なにが不幸か、人それぞれにちがうからでもある。
トルストイ『アンナ・カレニーナ』の有名な冒頭の一節も、不幸の多様性を最初に読者へ伝えている。
<幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である(中村白葉訳)>
ある人はおカネのないことを不幸と感じるだろう。とはいえ、おカネのない人すべてが不幸とはかぎらない。貧しくともいいから、健康でありたいと願う人もいれば、家庭の平穏を望む人もいる。
「最小不幸社会」の実現といっても、国民の希望や期待は限りなく細分化され、政治の力でどうのこうのできる話ではない。むしろ、貧困の追放などといったほうが、ずっとわかりやすい。
ついでにいえば、ことわざに、「不幸は幸福の元」というのがある。不幸から目をそらさず、積極的に立ち向かう先人の英知が感じられることばである。
そういえば、石川啄木は、「真の幸福は、不幸なる者にのみ与えられる。イヤ、真の幸福とは、清浄なる不幸それ自身の一異名である」と述べている。
だんだん頭がこんがらがってくるが、要するに、「人は、決して自分が考えているほどには幸福でも、不幸でもない」(F・ラ・ロシュフーコー)ということなのだろう。
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