http://www.asyura2.com/10/senkyo88/msg/433.html
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─同じサイトから、二つの文章を転載─
ダブル辞任はどちらが仕掛けたのか? ── それはともかく、さあ、菅政権! (News Spiral) 高野孟
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/06/post_589.html
高野論説 高野孟
ダブル辞任を鳩山由紀夫前総理と小沢一郎幹事長のどちら側が仕掛けたのかの論議が、本サイトを含めて盛んである。真相はいずれ漏れてくるだろうが、今のところ主流をなすのは「鳩山が小沢を道連れにした」という見方で、新聞のほとんどや今週の『週刊現代』などがそれ。
(1)小沢は普天間問題で鳩山が完全に行き詰まったのを見て、
(2)鳩山を説得して自発的に辞任させるか、それに応じなければ両院議員総会で手下に党代表の解任動議を出してでも辞職させた上、
(3)内閣は官房長官を代えるくらいでほとんど居抜きで素早く菅直人前副総理に切り替えて、
(4)自分は引き続き幹事長に留まって参院選を何が何でも勝利に導くというシナリオを描いていたが、
(5)鳩山から「あなたも一緒に辞めてもらいたい。ついでに北教組事件の小林千代美議員にも辞めてもらって、この際、『政治とカネ』でマスコミから突き回される要因を全部除去して参院選を迎えたい」という風に切り替えされて、
(6)虚をつかれた小沢はダブル辞任を受け入れざるを得なかった......。
それに対して非主流的なのは「すべては小沢が仕組んだ」という見方で、典型は今週の『週刊ポスト』の「差し違え?抱き合い心中?とんでもない!新闇将軍小沢一郎、次なる謀略」。小沢は初めから、イザとなったら鳩山を抱きかかえて自分という爆弾を破裂させる作戦で「政治とカネ」批判を封じて菅政権に切り替え、参院選勝利を確実にした上で、9月代表選で菅が言うことを聞くようならそのままでいいし、そうでなければわずか3カ月で切って捨てて自分の思いのままになる総理を据える、と......。
平凡で申し訳ないが、私はどちらかというと主流的な見方が推測として正しいと思う。たぶん小沢には二重の誤算があった。彼は鳩山と菅の両方を甘く見ていて、鳩山がダブル辞任という逆襲をしてくるとは思わず、それをはね返す理屈を用意していなかったし、また菅はこの間ずっと小沢に対して恭順の意を示していたので思い通りに操れると思ったが、菅は意外にも素早く動いて(しかも恐らくは鳩山と気脈を通じて)2人が信頼を寄せる仙谷由人を軸とする独自の人事構想を進め出した。菅の昇格しか考えていなかった小沢は、自分で田中真紀子に電話を掛けて代表選出馬を働きかけて即座に断られ、また側近を通じて海江田万里や原口一博にも声をかけて断られるというドタバタを演じた。この国難の時に、外相もまともに務まらなかった真紀子を日本の総理にしようとするなど、ほとんど狂気の沙汰で、その慌てぶりに、この事態が小沢によって周到に準備された謀略などではないことが暗示されている。
●小沢はしてやられた
もちろん、ダブル辞任という自爆的シナリオを構想し仕掛けたのは小沢側で、鳩山を辞任に追い込んだまではよかったが、その瞬間に菅が"小沢離れ"の動きに出たのが想定外だったというケースもありえよう。その場合、小沢の誤算は二重でなく一重だったことになるが、それでも結論は同じで、小沢は菅にしてやられたということである。
もっとも、小沢のこうした政局の修羅場での判断はこれまでも大体において余り正しかった例(ためし)はない。(1)93年に細川政権を作って自民党長期政権を終わらせたのは見事だったが、同政権を支えることが出来ず、(奇しくも今回と同様)8カ月で崩壊させた。(2)その末期に自民党から渡辺美智雄を引っ張り出そうとして失敗した。(3)羽田孜政権を支えきれず2カ月で崩壊させた。(4)その末期に自民党から海部俊樹を引っ張り出して海部政権を作ろうとしたが亀井静香にしてやられ、村山=自社さ政権による自民党復権を許した。(5)94年12月に新進党を結成し「保守2大政党制」を標榜したが、自民党の切り崩しと旧民主党の結成に押されて3年間でバラバラに分解した。(6)99年1月に小渕恵三=自民党との自自連立、自自公連立に走ったが、自由党は分裂し、保守党が誕生したが後に自民党に吸収され、結局、自公連立による自民党政権の10年間延命に手を貸しただけとなった。(7)07年11月に福田康夫=自民党と民主党による「大連立」密謀に乗ったが一人芝居に終わった。(8)09年8月の総選挙で民主党=鳩山政権を実現したのは見事だったが、またもやこれを支えきれず、8カ月で潰した......。
私は、93年の彼の著書『日本改造計画』に代表される小沢の理念力は(細部での意見の違いは別として)極めて高く評価していて、彼が06年4月に民主党代表に就任した直後から何度も「小沢さん、『新・日本改造計画』を書いて、その小沢理念で政権交代を実現して下さい」と言い、その度に彼も「おお、そうしようと思っているんだ」とは言ったが、今に至るも実現していない。それでも私は「小沢政権を見てみたい!」という強烈な願望を抱き続けていて、今なお昨年5月の代表辞任を残念に思っている。しかし、その理念力とは裏腹に、理念をじっくりと党内にも世論にも滲透させ1つ1つ煉瓦を積み上げるように実現していく忍耐力、説得力、統合力に欠けているのは事実で、「こんなことも分からないのか、バカめ」という調子で出るべき時に出ず動くべき時に動かず、結局、状況が煮詰まってどうにもならなくなってから政局戦術的にバタバタして、潰さなくてもいいものを潰してしまうということの連続だった。
この小沢の欠陥については、内田樹『日本辺境論』(09年、新潮新書)で日本語の特殊性について語っている中の次の記述が参考になる。
▼自説への支持者を増やすためのいちばん正統的な方法は、「あなたが私と同じ情報を持ち、私と同じ程度の合理的推論ができるのであれば、私と同じ結論に達するはずである」というしかたで説得することです。私と聞き手の間に原理的には知的な位階差がないという擬制をもってこないと説得という仕事は始まらない。
▼けれども、私たちの政治風土で用いられているのは説得の言語ではありません。もっとも広範に用いられているのは、「私はあなたより多くの情報を有しており、あなたよりも合理的に推論することができるのであるから、あなたがどのような結論に達しようと、私の結論の方が常に正しい」という恫喝の語法です。自分の方が立場が上であるということを相手にまず認めさせさえすれば、メッセージの審議や当否はもう問われない。
▼「私はつねに正しい政策判断をすることのできる人間であり、あなたはそうではない」という立場の差を構築することが、政策そのものの吟味よりも優先する......。
よく言われるように、東北人特有の「口下手」などという問題ではなく、最初から「説得の言語」を持とうともせずに「恫喝の語法」に頼り、そしてさらに言えば、その恫喝の語法を貫徹するために、言語そのものを用いることさえも放棄して、組織や人事や選挙を通じて力をみせつけて、自分が「最高実力者」であり「闇将軍」であることを有無を言わせず認めさせ、「立場の差を構築」しようとするのが小沢流と言えるかもしれない。
本論説が3月以来繰り返してきたように、「政治とカネ」の問題も「普天間移設」の問題も、正面突破作戦を採らない限り、官僚とマスコミの連合軍が作り出す疑似世論に囲まれて政権が行き詰まることは目に見えていた。本来、こんなことで2人が揃って辞めなければならない論理的な理由などあるはずがなく、しかしだからと言って政治が相手にするのは大衆の情動であって、論理的に正しいとか説明など必要ないなどと言い張っていても通らない。鳩山と小沢は毎日でも会って状況を分析し方針を立て「説得の言語」を工夫して、内閣と党にそれを滲透させ、すべての力を結集して反革命的包囲網を切り裂いていく先頭に立たなければならなかったが、実際にはその反対で、2人の間には同志的な結束がないばかりか、危機が深まるほどますます他人行儀のようなことになってすべてが後手後手に回ることになった。2人それぞれの資質と能力の問題もあるが、「政策は内閣、選挙は党」という小沢式の二元論が極端がなおさら事態を悪化させた。
どちらが仕掛けたのかという政局次元の話はともかく、トップの2人が結束して血路を開くことが出来なかったことは事実で、こうなれば2人がダブル辞任すること以外に政権交代の果実を守る手立てはなかった、ということである。
●要は仙谷官房長官
菅直人総理が8日組閣後の会見で「内閣の一体性確保」を強調したのは、前政権の失敗の教訓を踏まえたことであるのは言うまでもない。彼は言った。
▼新たな私の内閣は、官房長官を軸とした内閣の一体性を考えて構成した。官房長官とはまさに内閣の番頭役であり、場合によっては総理大臣に対しても「ここはまずいですよ」と言える人物でなければならない。よく中曽根政権の下の後藤田(正晴)先生の名が出るが、そうした力を持った人でなければならない。
▼仙谷さんは長いつきあいだが、同時にある意味では私にとって煙たい存在。煙たいけれども力のある人に官房長官になっていただくことが、この政権の一体性を作っていく上での最初の一歩と考えた......。
鳩山の人事面での最大の失敗が、野党代表の秘書役としては便利だったかもしれないが、総理にモノ申すわけでもなく与党幹事長とのパイプ役を担えるわけでもない平野博文のような無能者を官房長官に据えたことにあったことは、衆目の一致するところで、それに比べて菅が真っ先に仙谷を要に組閣を考えたのは適切な判断だと思う。
菅と仙谷の本格的なつきあいは、政策集団「シリウス」が最初だと思う。仙谷は1990年2月の総選挙で社会党から初当選するや、直ちに同じ1年生の池田元久(現財務副大臣)、筒井信隆(現衆院農水委員長)、細川律夫(現厚労副大臣)らと「ニューウェーブの会」を結成、党執行部に対して改革案を突きつけるなど目覚ましい活動を始めた。やがて仙谷らは、当時「社民連」所属の菅と語らって92年11月、社会党ニューウェーブ21人、社民連2人、連合参議院4人で江田五月(現参院議長)を代表として政策集団シリウスを結成、私も仙谷や大学同期の筒井との付き合いから唯一の非議員メンバーとして参加したが、これは政策集団とは表向きで、実は社民連を社会党と合体させ江田を委員長に押し立てて社会党を乗っ取ろうという陰謀集団だった。が、結局は江田の優柔不断で決起が果たせず、大いに落胆した菅は、翌年、宮沢内閣崩壊、自民党分裂という大変動の中で「新党さきがけ」に合流した。
仙谷は、東大法学部在学中に司法試験に合格した秀才で、憲法論や行政法改革論はじめ制度論ばかりでなく、安全保障、経済戦略、医療などどんな政策分野でも自説を展開できる「説得の言語」を持つ民主党きっての論客であって、同じ論客タイプの菅が一目置く数少ない人物である。しかも、菅が論法鋭いあまりに同僚や若手を完膚無きまでに論破して傷つけてしまいやすく、結果、党内の信望が薄いという点では小沢に似ているのに対して、仙谷は逆で、党人派的な親分肌のところがあって、党内グループの壁を超えて中堅・若手の相談相手として信頼を集めている。マスコミが作るグループ分けの一覧表で、仙谷を「前原グループ」の一員であるかに分類しているのはとんでもない話で、彼は確かに同グループの後見役ではあるけれども、それに止まらず、小沢系と言われる一部を含めた中堅・若手のほぼ全体にとっての後見役である。
その仙谷が最も信用する弟分が枝野幸男で、この2人は一心同体と考えていい。それを幹事長に据えたのも菅の英断で、これによって内閣と党の奇妙な二元論は解消される。2人は1日に10回でも連絡を取り合って内閣と党をシンクロさせるだろう。加えて、これも小沢の二元論によって阻まれていた党政策調査会も復活させられ、その会長の玄葉光一郎が内閣にも入ることで、なおさら内閣と党の一体化は促されるだろう。
蓮舫を行政刷新大臣にしたのも菅のセンスのよさである。彼女が事業仕分けでテレビ的にも活躍し、選挙向けの"顔"として有用であるという戦術的理由もさることながら、事業仕分けは、公務員制度改革や天下り禁止、特殊法人改革などとも相まって、民主党政権の本源的な戦略である「中央集権体制の解体」=「地域主権国家への転換」を成し遂げるための地ならしであって、その作業は前政権下で、仙谷=行政刷新相、枝野=仕分け人主任、蓮舫=副主任で始まり、やがて仙谷=国家戦略相、枝野=行政刷新相、蓮舫=主任となって今春に継続された。蓮舫は仙谷と枝野を"兄"と慕っており、実はこの仙谷?枝野?蓮舫というラインが重用されたところにこの内閣の戦略性が表現されている。
加えて、この内閣・党人事の最大の特徴として「世代交代」がある。党に関して言えば、トップの枝野が42歳、幹事長代理の細野剛志は38歳で、その平均年齢が清新さを印象づけるというに止まらず、もはや68歳の小沢が何もかも取り仕切るという時代は戻ってこないという暗喩的なメッセージとなっている。もちろん、小沢がいなくて民主党は大丈夫なのかという不安は残る。が、小沢自身が理念力と「説得の言語」によって民主党を導くことを選ばず、自民党由来の権謀術策と「恫喝の語法」によって勝負をかけて失敗したのだとすれば、民主党は小沢を超えて前に進むしかない。福島瑞穂、小沢一郎、亀井静香と、良くも悪しくも「55年体制」的な要素が剥離していくことで民主党らしい政権が育って行くのでなければならない。
菅=民主党は、余程のことがない限り、参院選で改選議席54は確保し、巧く行けば60を奪って過半数を確保するだろう。そうなれば9月にもう一度、形ばかりの総裁選を実施する理由は何もなく、菅体制が継続する。国民としても、「もう短期でゴタゴタしないでじっくり政策に取り組んで貰いたい」というのが本音だろう。とすると、『週刊ポスト』が期待するような新闇将軍による「9月の陰謀」など起こる余地はなく、菅政権は長続きし、3年後の総選挙もしくは衆参ダブル選挙では、国内=地域主権国家への100年目の大転換、対外=東アジア共同体の形成とそれに見合った日米安保体制の見直しを2大テーマに掲げて国民の同意を求め、それに成功すれば、それから約10年かかって2025年頃までに日本の「脱発展途上国」の平成革命を成し遂げるだろう。その総仕上げは憲法の改正である。
私はそこまで生きているかどうか分からないが、それを夢見て、取り敢えずは菅=仙谷政権の健闘に期待をかけることにしよう。
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「動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し」 ── 孫子の兵法 (二見伸明の「誇り高き自由人として」)
http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/06/post_20.html
鳩山総理の辞任を後世の政党・政治家は反面教師にしたほうがいい。鳩山辞任の本源的原因・理由は、日本の政治家に共通する、利権獲得など、自分の利害に絡む低次元なものには知恵を働かせることはあっても、国益に関わる大きな目的を達成するための論理・戦略・戦術が欠如していたことである。(鳩山には利権など低次元の問題はない)。
政治を動かすのは「情」、言葉を換えれば「天をも焦がす大情熱」である。鳩山には「国外、県外」という思いはあった。しかし、「大情熱」はなかった。「大情熱」を支える強靭な論理も、戦略、戦術もなかった。だから、「綸言汗のごとし」を理解できず、発言が二転三転し、沖縄県民の不信を買った。国民、なかんずく沖縄県民は「国外、県外」が尋常ではない難題であることは、百も承知だった。それだけに、「戦略、戦術もないこと」に、国民は失望した。
昨年2月17日のクリントン米国務長官との会談で、小沢一郎代表(当時)は日米同盟の重要性を十分認識した上で、「一方が従属する関係ではなく、互いに主張し合い、議論して良い結果を得て初めて成り立つ。まず両国の間で世界戦略をきちんと話し合った上で、個別問題に取り組むべきだ。これまでそうしたことはなされてこなかった」と、自民党との根本的な違いを述べた。また、数日後、記者会見で「今の時代に米国が前線に部隊を駐留させるのは意味のないことではないか。極東地域における米軍のプレゼンスは(神奈川県横須賀基地を拠点とする)第七艦隊だけで十分ではないか」と発言した。これは、「日米同盟」の名のもとに、カレル・V・ウォルフレンに「例を見ない"宗主国と属国"の関係」と厳しく指摘された日米関係を「真の対等関係」に革命的に見直すものであり、「第七艦隊」発言は、「普天間移設・沖縄問題」解決のための、基本的な提言であった。このため、オバマ政権は小沢を「扱いにくいパートナー」と警戒したが、アメリカでは小沢評価が急上昇した。日本では、河村官房長官(当時)が「政権交代を目指す政党がこんなことで良いのか」と、外交・防衛問題音痴丸出しの的外れなコメントをしただけで、論議を深める動きは、ほとんどなかった。「普天間移設」を抱えていながら、鳩山も、また、総理を支えるべき副総理の菅直人、仙石由人国家戦略担当相も小沢発言の重大性をほとんど理解していなかった。鳩山は、「普天間」について、小沢に一言の相談もしなかった。岡田外相、北沢防衛相、平野官房長官、前原沖縄担当相にいたっては、当初から、「辺野古」論者だった。谷垣自民党総裁にとっては「小沢理論」は想像も及ばない「論外」だろう。「安保五十年」はアメリカ従属を「空気」のように当たり前に受け入れる政治家や官僚を生みだした。鳩山辞任は当然の帰結であるが、これを期に、「国を守る」ことや「日米同盟のあり方」について、真剣な議論が巻き起こることを期待したい。菅総理はその力量と見識が問われるだろう。
私は鳩山総理の辞任の弁を七十三歳の老嬢が営む理髪店で聞いた。彼女は髭を剃りながら「なぜ、鳩山さんは日本のすること、アメリカのすることを話し合ってから沖縄問題を解決しようとしなかったのでしょうか。順番を間違ったみたいです」と話しかけてきた。
鳩山が「『私も辞めるから、幹事長も辞めてもらいたい』と言って『わかった』と了解していただいた」と言ったとき、私は、これは違う、小沢が「普天間の責任を取って私も辞めるから、総理も辞めてもらいたい」と言ったのではないかと思った。鳩山は、小沢を「政治とカネ」で悪人に仕立て上げ、自分を美化しようとしているのではないか、と直感した。老嬢も「新聞、テレビを見ていると、鳩山さんは続投したかったのではないでしょうか」と、怪訝そうだった。「世論調査絶対思想」に毒されない無名の庶民の感性は鋭い。日本人も捨てたものではない、と感じた。
■民主党を救った男
鳩山総理誕生の原点は、民主党と自由党の合併である。2002年暮れ、鳩山民主党代表は経団連に年末の挨拶に行ったとき、財界首脳から「総理になりたかったら、小沢さんに弟子入りしなさい」とアドバイスされた。その後、政界の御意見番、松野頼三氏からも同じ趣旨のアドバイスを受けた。鳩山は、父・威一郎の大蔵省(現財務省)主計局長時代の部下・藤井裕久自由党幹事長に、民・由合併の仲介の労を頼んだ。当初、鳩山の真意を測りかねていた小沢も鳩山の熱意にほだされ、合併に踏み切った。しかし、それがマスコミを通して知られ、党内に「小沢怖し」の大合唱が起こって、鳩山が代表を辞任し、菅直人が、小沢自由党との合併を否定して代表になった。しかし、したたかな現実主義者・菅は、「小沢の力なくして、政権奪取は不可能」という現実を知り、あらためて、小沢との合併を模索し、03年夏に合併した。
民・由合併の際、両党の理念・基本政策を調整した自由党側の代表・藤井裕久・中塚一宏(現衆議院議員)両氏から私に「民主党側の代表、枝野さんは『自由党の理念・基本政策には全く異論はなく、完璧です。民主党の理念・政策として採り入れさせていただきます』と連絡があった」との報告があった。(私は、自由党の基本政策「日本再生への道」「日本再構築への道」を作成した責任者であった)。小沢は「改革実現のため」、党運営に全く影響を及ぼさない「一兵卒」として、「喜んで働く」ことを表明した。これがその後の民主党を救うことになる。
民主党は、「年金未納問題」で辞任した菅直人から代わった岡田克也代表の下で、小泉純一郎総理の策謀にのせられて政局を読み誤り、郵政選挙の「大義」を与えて、惨敗した。岡田の後継の前原誠司も、野田佳彦国対委員長(当時、現財務相)と共同して指揮した「偽メール事件」で、「無能ぶり」をさらけ出し、解党の危機に直面した。それを救ったのは、小沢一郎だった。
小沢は、衆議院千葉7区補選で、圧倒的優勢といわれていた自民党候補を打ち倒して民主党を上昇気流に乗せ、参院選、衆院選を大勝利に導いた。その間、おしゃべり好きの、しかも、誰も最終責任を取る気のない「座談会政党」(これが「民主党らしさ」の本質だ)を、本気になって政権を取りに行く、ノーマル(正常)な政党に体質改善したのも小沢であった。
「普天間移設」について、「世論」の批判は頂点に達し、改選期の参院議員は震え上がった。菅副総理、総理の御意見番を自認する仙谷国家戦略相をはじめ、全閣僚が鳩山総理の続投を支持し、本人もその気でいて、参院選惨敗が濃厚になった。「誰も鳩山の首に鈴をつけられない」と絶望したときに、動いたのは小沢だった。断崖絶壁から飛び込み、民主党を救い、死の淵でおののいている改選組を引っ張り上げ、鳩山に有終の美を飾らせたのは小沢である。東京新聞は6月2日の朝刊一面で「5月31日、小沢幹事長が総理に『いっしょに辞めよう』といったが、鳩山は首を横にふった」と報じた。読売はもっと露骨で、3日の一面に「小沢氏が引導電話『政権持たぬ』」という大きな見出しで、「鳩山、小沢、興石との2度目の三者会談から3時間余り過ぎていた1日午後10時ごろ、小沢が鳩山に電話し『参院が止まれば、法案が1本も通らなくなる。政権運営なんて、出来ないんだよ』。小沢は、鳩山が招いた社民党の連立政権離脱を、丁寧に説明した。小沢からの事実上の最後通牒だった」と書いた。
マスコミは自分たちではじきだした「世論」の数字を武器に、露骨に小沢の辞任を求めながら、他方、昨年の二の舞を恐れて「柳に下に二匹目のどじょうはいない」と「世論」をけしかけた。小沢は全ての状況を把握していた。小沢は「辞任カード」を切る機会を狙っていたのかもしれない。「二匹目のどじょう」はいたのだ。小沢は「悪役」になることを決意し、それに徹した。支持率は戻った。
平成の日本の政治は、常に、小沢を軸にして動いてきた。小沢は不思議な男である。どんなに逆境に立たされても、「改革の階段」を、一歩一歩、着実に上って来たのだ。不遇だった自由党時代、わずか47人の仲間だけで、自公勢力に真正面から向き合い、「衆議院の定数削減」「副大臣、政務官制度」、「官僚の国会答弁の禁止」「党首討論」を実現した。「わが世の春を楽しんでいた官僚」は、「霞が関城」にひたひたと忍び寄る小沢軍団の足音に震え上がり、旧体制下で甘い汁を吸っていた評論家や一部マスコミなど守旧派は、ギャアギャアと騒ぎ立てた。今回の政変で彼らは「これで、小沢の息の根を止められる」と、一息ついていることだろう!
参院選は小沢にとっても、「政治主導」を願う人たちにとっても正念場である。鳩山、小沢を踏み台にして総理の座を射止めた菅は、「小沢排除」を画策するだろう。それは「霞が関」にとっては、願ったり、叶ったりの展開だ。菅は「現役必勝」を大義名分に、小沢が擁立した複数区の新人の落選を目論むかもしれない。しかし、選挙という修羅場を経験したことのない枝野幹事長と選挙の事務屋でしかない安住選対委員長にそんな芸当ができるとは思えないし、小手先の小細工は、一歩間違えると、情勢を激変させ、惨敗する危険もともなう。いずれにせよ、党内の常識では「よほどのぼんくらが指揮を執らないかぎり、小沢が敷いた路線を走れば、そこそこの議席は獲れる」はずなのである。小沢軍団は新人の当選に全力を傾注すべきだ。
■「世論ファシズム」の危険
新執行部は、鳩山が両院議員総会で要請した「クリーンな民主党」を、「小沢排除」のキーワードにするつもりなのだろうが、多少でも歴史を学んでいれば、昭和初年のように、「世論ファシズム・官僚ファシズム」が形成され、日本を、国民生活に責任を感じない「牢固とした官僚主導国家」にする危険を感じただろう。力のある、優秀な政治家は、抜群の情報収集能力を持っている。そのために、豊かな政治資金で数多くのブレーン、スタッフを雇っている。だから、官僚にごまかされることはない。一方、議員の歳費、政党助成金(注:これは、政党の調査、研究活動、政党職員の給与などに使われ、議員に配分されるのは、党によって異なるが、小沢自由党では月額50万円で、地元事務所の維持がやっとだった)と、わずかばかりの政治献金しかない「清廉潔白」な議員は、官僚が提供してくれる無料の情報に頼らざるを得ず、知らず知らずのうちに、官僚の意のままに動く政治家に成り下がるのだ。作家の佐藤優によれば「高給国家公務員」である。「霞が関」の世界では、官僚の言うことを理解し、行動してくれる「清廉潔白」な政治家が「良い政治家」で、小沢のように、情報収集能力が抜群で、官僚を使いこなそうとする政治家は「傲慢不遜な悪い政治家」なのである。
ところで、玄葉光一郎を政調会長に任命し、公務員制度改革・少子化担当相として入閣させた菅の狙いは何か。鳩山内閣の時は、内閣・党を一体化し、政策を内閣に一元化するために、小沢を幹事長のまま、副総理、無任所大臣として入閣させるはずだった。ところが、小沢が大きな力を持つことを恐れた鳩山、菅、仙石らは、小沢を政策決定に関与させず、党務に専念させ、菅を副総理兼国家戦略担当のまま、政調会長に任命しようとした。しかし、「(無任所でない大臣は)政調会長を兼務出来るほど暇なのか」と言われて断念した経緯がある。玄葉は大丈夫なのか。また、政策決定に関与しない枝野幹事長と、政策を一手に引き受ける玄葉との間に、権限をめぐる確執が生じる可能性も高い。菅は政調会を、玄葉を通して抑え、幹事長を棚の上に祭り上げて、「菅独裁体制」を画策しているのではないだろうか。今回の組閣、党人事を見ながら、「官僚主導派」と「政治主導派」の闘いが始まっている気配を感じる。「官僚」は菅の手助けをして「小沢」を追い落とし、返す刀で菅の首も獲ろうと考えているのではないだろうか。官僚の悪知恵は恐ろしい。「官僚支配を打破出来るのは小沢だけだ」と喝破した、官僚中の官僚、財務省主計官出身の藤井裕久衆議院議員の言は正鵠である。
菅直人は、6月4日に総理大臣に指名され、8日に組閣を終えた。総理の所信表明は11日の予定である。なぜ、こんなに時間がかかったのか。「慎重に検討したい」とのことではあるが、マスコミ情報によれば、代表選も始まっていない4日の午前に、すでに、仙石、枝野らと組閣、党人事を検討していたとのことで、彼の発言は、額面通りには受け取れない。「小沢グループの切り崩し」「約束手形を乱発したので、その調整のためだ」とのうがった見方も出ている。
9日の幹事長職の引き継ぎの際、小沢は「微力だが、民主党勝利に、一兵卒として出来うる限り、協力する」と枝野に約束をした。7日には原口総務相に「民主党と内閣を一生懸命支えなさい」と語ったという(朝日9日夕刊)。
民・由合併の直後、菅に「小沢との付き合い方」について質問された私は、「小沢は約束したことは、命がけで守ろうとする男だ。だから、『誰でも、約束は守るもの』だと信じている。だから、彼との約束は、絶対に守れ。守れない約束はするな」と答えた。菅が小沢に「官僚支配の打破」を約束しているのであれば、命を賭けてそれを守るべきだ。どうも、鳩山政権8ヵ月の間に、「官僚」にたぶらかされた輩が、かなり、出てきたようだ。
6月3日、東京・錦糸町で、党内屈指の骨太の論客、小沢グループの実力者、東祥三衆議院議員の後援会の大会があった。東がコツコツと集めた千人を超える猛者が、2万円の会費を払って結集した。参院選の候補者である蓮舫、小川敏夫両参議院議員も壇上に並び、物凄い熱気だった。参加者の一人が息巻いていた。「黒だ? 灰色だ? ふざけんじゃねえ。どんな魂胆があるんだか知らねえが、そんなデマなんか、け殺してやらあ。あたぼーよ。小沢は真っ白さ。俺たちと同じ、真っ赤な、熱い血が体の中を駆けめぐっているのさ。昨日の辞任劇、見たかい。小沢には侠気がある。江戸っ子が惚れ直すねえ」
「小沢はしあわせな奴さ。俺だって、十年若けりゃ、錆びた刀を振りかざし、痩せ馬の尻を引っ叩いて、駆け付けるんだが。口惜しいねえ」――二見独白。
投稿者: 二見伸明 日時: 2010年6月10日 12:45
─転載 終わり─
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