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「クリーン」で「国民主権」は守れない(田中良紹の「国会探検」)
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/06/post_221.html
より転載──
マキャベリの「君主論」を読みながらシルクロードを旅していたら鳩山総理が辞任した。砂漠のホテルで見たBBCニュースはアメリカのクリントン国務長官と握手する鳩山総理の映像を流しながら、「沖縄の米軍基地の問題で国民の支持を失った総理が参議院選挙を前に辞任した」と繰り返し伝えていた。
その前日までのBBCは沖縄の米軍基地の映像と社民党の連立離脱を伝えていたので、日本国民には米軍基地に対する反発があり、それが総理を辞任させたと世界は受け止めたに違いない。ところがインターネットで日本の新聞を検索すると、そこでは米軍基地よりも「政治とカネ」に焦点が当てられていた。
小沢幹事長に辞任を迫られた鳩山総理が「意趣返し」で小沢幹事長を道連れにするため、「政治とカネ」を持ち出したと日本の新聞は伝えている。すると「政治とカネ」に焦点を当てさせたのは鳩山由起夫氏である。そしてこれから民主党は「クリーン」を看板に掲げると報道されていた。
総理の辞任を「政治とカネ」に絡められても世界は恐らく理解できない。外国のニュースが伝える通り辞任の本質はあくまでも普天間問題にある。ところが日本では「政治とカネ」が前面に出て問題の本質が隠れてしまう。そこに日本政治の未熟さ、「病理」と言っても良い特殊性がある。国民は早くこのズレに気付かなければならない。
「ニューズウイーク国際版」の5月24・31日号に「スキャンダルマニア」と題する特集記事が掲載されている。鳩山総理が射撃の標的になっている漫画が描かれ、先進国ではありえない日本政治の「スキャンダル病」について書かれている。書き出しは「リッチな国々では政治家のスキャンダルは珍しくないが、ほとんどの政治家はダメージを受けずに生き残る」とある。
例えばアメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター」と呼ばれる不動産取引疑惑や数々の女性スキャンダルがあったが内閣支持率は高かった。フランスのサルコジ大統領もパキスタンに潜水艦を売却して裏金を環流させた疑惑や見苦しい離婚スキャンダルがあるが支持されている。イタリアのベルルスコーニ首相にはカネと女性スキャンダルが絶えないが、支持率には少ししか影響しない。
それはアメリカやフランスやイタリアの国民が愚かで不道徳だからではない。政治家の仕事を正しく理解しているからである。政治家は国民生活を劣化させないように経済を舵取りし、他国との交渉で見くびられずに国益を守る。それが仕事である。その仕事が出来ていれば多少のスキャンダルは問題にしない。勿論、スキャンダルはない方が良いが、清廉潔白な人間には謀略や恫喝に太刀打ち出来ない者が多い。マキャベリは「善を行うことしか考えない者は、悪しき者の中にあって破滅せざるを得なくなる」と言っているが、成熟した国家ではそれが理解されているのである。
ところが日本は大違いである。スキャンダルが命取りになる。これまで何人の政治家が自殺や議員辞職に追い込まれてきた事か。総理がコロコロ変わる背景にも常に「政治とカネ」の問題があった。しかも「政治とカネ」の問題が起きると必ず国会は機能不全となり、国家として不可欠の議論が先送りされる。
世界最先端の高齢化社会に備えた税制を議論すべき時に「リクルート事件」で国会は空転した。ソ連の崩壊で冷戦が終わり、世界各国が自国の先行きを徹底議論している時に「金丸事件」で国会は政治改革しか議論しなかった。国家の制度設計を議論しなければならない時に、何故かこの国には「政治とカネ」の問題が起き、国民はそれに目を奪われてしまうのである。
「政治とカネ」の問題がことさら大きくなったのは、田中角栄氏が逮捕された「ロッキード事件」からである。ベトナム戦争に敗れたアメリカが軍需産業と世界の反共人脈との関係を断ち切ろうとした事件が、日本では「田中金脈」問題にすり替り、三木政権と官僚機構にとって目の上のたんこぶだった角栄氏を排除するための事件となった。
検察の恣意的な捜査を見抜けずに「総理大臣の犯罪」と騒ぎ立てたバカがいて、それを信じた国民がいる。そして時の権力者は「クリーン」を標榜し、それが民主主義であるという珍妙な政治論を国民の脳裏に刷り込んだ。政治資金規正法が改正され、世界ではありえない「金額の規制」が導入された。検察が政治家を摘発する事が容易になり、政治資金はますます闇に潜るようになった。
政治資金規正法の改正は官僚権力にとって大きな武器となる。角栄氏のように政治家が自分で資金を集めると「不浄なカネ」と判断され、官僚に集めて貰うと「濾過器」を通って洗浄されたカネになる。資金集めで官僚の世話になる政治家は官僚に頭が上がらない。こうして官僚の手先となる族議員が増殖する。「クリーン」は官僚支配を強めるのである。
政治家にとって最も必要なのは情報だが、「情報収集」にはカネがかかる。しかし官僚からの情報提供は無料である。カネのない政治家は官僚情報に頼るようになる。官僚は自分たちに都合良くデフォルメした情報を政治家に提供し、政治家は官僚に洗脳される。こうして「クリーン」は「民主主義」とは対極の「官主主義」を生み出すのである。
「クリーン」とか「金権批判」を叫ぶのはロッキード事件以来の風潮である。叫んでいる者は、ロッキード事件を起こしたアメリカの意図を知ろうともせず、自分でカネを作ったが故に糾弾された「田中金脈」の延長と捉え、「総理大臣の犯罪」という「でっち上げ」を盲目的に信じた「おめでたい」連中である。今回の行動でその一人が鳩山由起夫前総理である事が分かった。
戦後の日本で国民の主権を侵してきたのは一に官僚、二にアメリカだと私は思っている。国民が選び出した政治家をコントロールし、国民の要求よりも官僚やアメリカの要求を優先させてきたからである。しかし冷戦が終わるまでの自民党は時には社会党を利用しながら官僚機構やアメリカと水面下では戦ってきた。それがズルズルと言いなりになったのは90年代以降の事である。
そのズルズルが次第に自民党に対する国民の反発を強め去年の政権交代となった。初めて国民の主権が行使された。ところが普天間問題で見せた鳩山政権の対応に国民は「主権在民」ならぬ「主権在米」を実感した。いずれ「主権在民」を実現するための戦略的な撤退であると言うのなら理解の仕様もある。しかしあの「お詫び」では「裏切り」としか映らない。
そして「政治とカネ」が持ち出され、「クリーン」が登場してきた。国民主権の発揮がいつの間にか「官主主義」の復権に道を開いた。「政治とカネ」の問題でも鳩山氏は「お詫び」をしたが、「お詫び」をする位なら自らの正義を主張して司法の場で戦っている人間を道連れにせずに一人黙って責任を取れば良い。
「ニューズウィーク」の「スキャンダルマニア」は最後にこう締めくくっている。「『政治とカネ』のすべてのケースを追放することが本当に価値ある事かどうか、日本は再考する時を迎えている」。しかし今の日本はそれとは逆の方を向き、国民もそれを喜んでいるようだ。「大衆は表面上の利益に幻惑され、自分たちの破滅につながる事でさえ望むものである」とはマキャベリの言葉だが、日本に必要なのはマキャベリの言う「ライオンのような強さと狐のような狡猾さ」を持ち合わせた政治指導者ではないか。
投稿者: 田中良紹 日時: 2010年6月 6日 16:18
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