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無能はメディアや国民ではないか!
今朝の中日新聞を読んでいたら、下記のコメントが掲載されていた。後半部分の内容が気に入ったので、鷲田清一氏(大阪大学学長)がコメントを書いている6月2日の新聞を探したが、すでにごみ処理してしまったようで、見つからなかった。インターネット検索では、見つけることはできなかった。ご存知の方は鷲田氏のコメントをインターネット上で公開してもらいたい。
以前に、中日新聞に新聞内容に対する抗議のメールを送ったが、返事はなかった。かなり以前に朝日新聞に裁判員制度に対する反対意見を送ったことがあるが、採用されなかった。今は自分の意見をブログに公開できるので、便利になったが。
「普天間基地移設をめぐる鳩山首相の失態を厳しく批判しながら、メディアやどの政治団体も抑止力の別の構図、移設候補地を具体的に挙げられないことなど、国民の多くを説得できるような対案を提示できていない。
むしろ無能なのはメディアや国民ではないのか。鳩山首相糾弾の厳しさは、自己の無能ぶりに目を背けたいという願望の強さの逆証明ではないか。」
鷲田氏の意見に賛意を表する。普天間問題に対するメディアの無能は明らかだが、鳩山政権を徹底的にたたき、国民を扇動していき、退陣に持ち込んでいったやりかたは、有能であり、成功をおさめた。沖縄を含め、国民の大多数は鳩山政権にノーをつきつけるだけで、ただ、県外、国外といっているだけだ。民主党政権の方針は正しく、沖縄の負担をできるだけ減らし、県外に移設先を見つけ、日本を含む東アジアの安全を確保していかなければならない。
また、鳩山首相の辞任について、内田樹教授は下記のコメントを書いているが、納得できる内容である。是非、読んでいただきたい。
参考記事:
http://www.chunichi.co.jp/article/column/desk/CK2010060502000038.html
中日新聞【編集局デスク】 無能はだれか 2010年6月5日
最後の鳩山内閣メールマガジンで鳩山首相は「新しい公共」についてこう書いている。「官が独占してきた仕事を『公』に開き、国民が本当の主役になる世の中を作り上げていく」
同じメルマガで、慶応大大学院教授の金子郁容さんは、この新しい公共を、人々の支え合いと活気ある社会をつくることに向けた「協働の場」と位置づけ、そのヒントを昔話「わらしべ長者」に見いだしている。
貧乏な若者が夢で観音様から、手にしたものを大切にするよう言われた。目覚めてから、転んでつかんだのが一本の藁(わら)だった。その藁がミカン、布、馬、家と畑へと変わっていき最後は豊かな長者になる物語である。
若者はご縁を大切にし、人の求めに応じてコミュニケーションし、工夫を加えて交換し富を得た。ノーベル経済学賞を受賞したセン博士は、自己利益を最大化するだけの合理的な経済活動に疑問を投げかけ、「共感」と「コミットメント」という社会的な選択肢が、より「理にかなう」と示唆した。わらしべ長者は、まさにその物語であると金子さんは指摘する。
もう一つ、大いに反省を促された記事があった。本紙二日付朝刊文化面に掲載された鷲田清一大阪大学長の「『顧客』のふるまい、『市民』のふるまい」と題された寄稿である。
普天間基地移設をめぐる鳩山首相の失態を厳しく批判しながら、メディアやどの政治団体も抑止力の別の構図、移設候補地を具体的に挙げられないことなど、国民の多くを説得できるような対案を提示できていない。
むしろ無能なのはメディアや国民ではないのか。鳩山首相糾弾の厳しさは、自己の無能ぶりに目を背けたいという願望の強さの逆証明ではないか。菅直人新首相が誕生した。しかし、この問いかけはなお続く。
(名古屋本社編集局長・志村 清一)
http://blog.tatsuru.com/2010/06/03_0843.php (内田樹教授のコメント)
首相辞任について
鳩山首相が辞任した。
テレビニュースで辞意表明会見があったらしいが、他出していて見逃したので、正午少し前に朝日新聞からの電話取材でニュースを知らされた。
コメントを求められたので、次のようなことを答えた。
民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。
結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。
エスタブリッシュメントとは「米軍・霞ヶ関・マスメディア」である。
米軍は東アジアの現状維持を望み、霞ヶ関は国内諸制度の現状維持を望み、マスメディアは世論の形成プロセスの現状維持を望んでいる。
誰も変化を求めていない。
鳩山=小沢ラインというのは、政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で、共通するものがあった。
言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て、自主的に防衛構想を起案する「自由」、官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」、マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。
その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも、国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。
彼ら「抵抗勢力」の共通点は、日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。
鳩山首相はそのような「自由」を日本人に贈ることができると思っていた。しかし、「抵抗勢力」のあまりの強大さに、とりわけアメリカの世界戦略の中に日本が逃げ道のないかたちでビルトインされていることに深い無力感を覚えたのではないかと思う。
政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。
中曽根康弘・小泉純一郎という際立って「親米的」な政治家が例外的な長期政権を保ったことと対比的である。
実際には、中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ということについてはリアリストだった。彼らの「アメリカを出し抜く」ためには「アメリカに取り入る」必要があるというシニスムは(残念ながら)鳩山首相には無縁のものだった。
アメリカに対するイノセントな信頼が逆に鳩山首相に対するアメリカ側の評価を下げたというのは皮肉である。
朝日新聞のコメント依頼に対しては「マスメディアの責任」を強く指摘したが、(当然ながら)紙面ではずいぶんトーンダウンしているはずであるので、ここに書きとめておくのである。
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ニューロドクター乱夢のコメント:
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/831.html
(中日新聞の記事について抗議する)
http://www.asyura2.com/10/senkyo87/msg/437.html
(今がどん底、これから民主党の支持率は上がると予測する)
http://www.asyura2.com/10/senkyo87/msg/574.html
(道半ばでの辞任に同情を禁じ得ない)
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/608.html
(宮崎学氏:「絶対権力者」「市民目線」はポピュリズム的表現の最たるもの!)
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