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米上院軍事委員会と「聞く耳持たず」 追記あり
鳩山辞任の経緯で、どうしても引っかかっていることが二つある。
■■
一つは、米上院の軍事委員会でグアム移転の予算が7割も削減されたこと。
しかも、それは5月27日。例の屈辱の2+2日米合意の前日だ。
ロードマップを守れと強制しておきながら、自らは予算を7割もカットするとはどういうことか。
普天間というカードを振り回しながら、「これが欲しかったら俺の靴をなめろ!」と恫喝し、鳩山が「わかりました」と膝を屈しアメリカのドロ靴に口を近づけたとたん、そのカードを放り投げてしまったのだ。
普通に考えれば、ドロ靴をなめかけた舌を引っ込めて、「何をするんだ!」と抗議するだろう。
ところが、鳩山はそのまま靴をべろっとなめてしまったのだ。
米上院に響く嘲笑が聞こえるようだ。
しかも、27日に軍事委員会で決定したことが、日本では昨日6月2日まで報道管制されていた。
中枢にいない議員を含めて、ほとんどの日本人は、まさかこんな決定がされているとは知らずに、一連の事態を見守っていた。
考えられることは、7割削減は予想された事態であり、辺野古明記で合意すれば米政府として予算を復活させる、というオバマ・ホワイトハウスからの提案、というかこれも立派な恫喝、があったのではないか。
また、この上院軍事委員会の決定は、報道されているとおりならば、削減の責任を沖縄県知事に押しつけている。
日本国や首相ではなく、頭越しに知事をターゲットにしている。
もしこれが、国家間合意の前に公表されていたら、沖縄VSアメリカの直接対決の様相を呈したであろう。
そうなれば、鳩山としては、誤魔化しようがない。
どっちに付くのか、非妥協の選択を迫られてしまう。
鳩山の戦略は、なんとかゴマカシて「何か」にむけて時間を稼ぐ というものだった。
2+2がアメリカの議会対策であったとするならば、その「何か」は米議会で予算が承認された後のことだったと考えられる。
■■
そこで、もうひとつ気になるのが、「国民が耳を貸さなくなった」という、鳩山の辞任演説だ。
これは、失言ではなく確信犯だ。
最近の日本の首相の中では、鳩山は飛び抜けて日本語がマトモだ。
丁寧すぎるくらい。
だから、もし同じことを言うとしても 「耳を貸していただけなくなった」と言うはずだ。
それを、あえて「耳を貸さない」という違和感のある、むしろ反感を買うような言葉を何回もシツコク繰り返したのは、意味があるはずだ。
少なくとも、注意を喚起する意図はあったと思われる。
菅直人が首相になろうが誰がなろうが、現実的に普天間のこと、辺野古のことは解決をしなければならない。
もちろん、つくらせない という方向でだ。
そのためには、鳩山が考えていたこと、でも口にだすことができなかったこと、属国の宰相として言いたくても言えなかったことは何なのか、考えてみる必要がある。
「耳を貸さなくなった」という発言は、その言外の意を汲んでくれという、悲痛な思いの表れなのではないか。
あの演説は、駐留無き安保どころか、本質的には日米安保を否定していた。
辞任演説だから言えたことだろう。
その流れの中に「耳を貸さない」はある。
■■
話は米上院に戻る。
5月28日には、上院での予算削減は隠されたまま、グアム移転が遅れているのは、実はグアムのインフラ整備、中でも港の整備が追いつかないせいだということが報道された。
オバマは、国防総省だけでなく、全省庁から予算を絞り出せと提案したが、なかなかうまくいかない。
それくらい、アメリカは金がないのである。
さらに、31日には、グアムの整備が遅れるせいで、普天間の移転が3〜5年遅れる ということが報道された。
この時点でも、上院の削減決定は伏せられている。
それが、鳩山が辞任したとたんに報道された。
ここにも意味があるはずだ。
・・・・・・・・ 夜が更けてきて、体力が限界。
続きはまた。
(グーグー)
夜が明けました。
日経BPnetに林志行という人が、こんなことを書いている。
辞任直前の6月1日の記事。
普天間迷走と民主党政権 より
・官邸の発想
これ(岡田や北沢の辺野古回帰のこと 明月注)とは別に官邸独自の戦略が存在するはずだ。官僚が抵抗し、過去との整合性を持ちだす。それらを前提に、いったんの期限(昨年の12月中旬)を先に延ばす。その上で、民意を説いて、国民のうねりとして、日米安保50周年の節目の年に、新たな形を定義づけたい。それが鳩山政権の最初の成果として掲げたミッションでもある。
この見立ては、だいたい当たっているのではないか。
かつての安保闘争とは違うとしても、圧倒的な国民の声を背景に、この普天間の国外移転を実現する。
それが、日米安保のあり方そのものを象徴する事態にする。
鳩山は、このように考えていたのではないか。
しかし、国民はマスゴミに誘導されて、どんどんあらぬ方角ばかり眺めていた。
何かというと、迷走だとか、裏切りだとか、抑止力だとか、はたまた小沢氏をダシに使って政治とカネとか。
沖縄はもちろん大反対を表明したけれども、多数の日本国民はそっぽを向いてしまった。
鳩山が思い描いたであろう、国民的大運動とはかけ離れていった。
その落胆と苛立ちが、「耳を貸さない」という言葉になっているのではないか。
「なんだ、自分の能力を棚に上げて国民が悪いと言うのか」と文句を言うのは簡単だ。
しかし、自分たちが選んだ首相が、あの熟考されたであろう辞任演説の中で、あのような言葉を吐いて辞めていったのか。少なくとも、新政権に期待した人は、自分の問題として考えてみる必要がある。
小沢一郎も、鳩山と同じミッションをもち、同じイメージを描いてきたのだろう。
それが、辞任演説の後のあの表情になっている。
■■
日米安保の変容ということは、私を含めて反戦平和を信条とする人間に、新しい問題を突きつける。
鳩山の演説を借りるならば、日本の平和を自分たちで作る ということだ。
これが、単純に自衛隊の増強と日本軍への昇格を意味するのか、まったく違うパラダイムが存在するのか。
日米安保に反対しながら、それに「守られて」きた日本の平和主義は、新しい扉を開けなくてはならない。
安保そのものを見直すような国民運動に広がっていかなかった、一つの原因は、ここにもあると思う。
本来は、もっとも強く反対しなければならない反戦平和を言う勢力が、日米安保がアブナイというひとことにびびってしまった。
福島さんは最後まで突っ張ったけれども、社民党の中だってけっこうぐらついていたはずだ。
自衛隊の増強や、もんじゅを使った核開発などではない、オルタナティブな平和の途。
覚悟をもっって考えて行かなくてはならない。
これが、いわば鳩山から私への置き土産だ。
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