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「われわれは外交的なフリーハンドをもった主権国家ではない。
繰り返し書いているとおり、日本はアメリカの軍事的属国である。
そのことを直視するところから始めるしかない。
「何ができないのか」を吟味することなしに「何ができるのか」についての考察は始まらない。」
内田樹氏のブログより。
http://blog.tatsuru.com/2010/06/01_1216.php
2010.06.01
さよならアメリカ、さよなら日本
新聞の電話取材で、またまた米軍基地のことを訊かれる。
グアムへの米軍基地の移転コストを日本政府が肩代わりしたり、「共同開発」名目で米軍の支出を予算的に「思いやったり」することについてどう思うかというお訊ねである。
しかたないんじゃないの、とお答えする。
「厭です」といって払わずに済むものなら、とっくにそうしているはずである。
「厭です」と言えない事情があるから、泣く泣く「みかじめ料」を出しているのである。
もちろん近代国家同士のあいだの話であるから、別に米軍が日本にドスをつきつけて「払わんと痛い目にあわせるど、こら」と凄んでいるわけではない。
「払わないと、そちらさまがとっても『たいへんな目』に遭われるのではないでしょうか。いや、われわれはまあよそさまのことですから、どうだっていいと言えばどうだっていいんですけど、まあそちらさまとも先代からの長いお付き合いですから、老婆心ながら・・・」と言われているのである。
米軍に日本から出て行って欲しい。
これは沖縄県民と日本のそれ以外の地域の「ふつうの人」の正直な気持ちである。
それなのにアメリカは「出て行かない」。
別に無理強いに居座っているわけではない。
最後の最後で、日本政府が「やっぱりいてください」と懇願しているというかたちになってこうなっている。
なぜ、最後の最後で日本政府が「やっぱりいてください」と懇願するのか。その理由を記者のかたに懇々とご説明する。
理由は「アメリカ軍がいなくなったあと」についてのシミュレーションをすればわかる。
アメリカは沖縄に核兵器を置いている。
もちろん、公式には誰も認めないが、これは「沖縄に核はない」と考えるよりも蓋然性が高い推理であるので、私はこれを採用する。
別に政治的立場とは関係ない。純然たる「蓋然性」の問題である。
「沖縄には核がある」と想定した方が「ない」と想定するより、「説明できること」の数が多いので、採択するのである。
「ない」と想定した方があれこれの日米両政府の「よくわからないふるまい」をよりうまく説明できるのであれば、私は喜んで「沖縄には核はない」という言明を支持するであろう。
沖縄には核兵器がある。
65年前から、ずっと、ある。
それが東アジアにおけるアメリカの「抑止力」の正体である。
だいたい「抑止力」というのはもっぱら「核抑止力」という言い方でしか使われない言葉である。
もしかすると「あるように見せかけて、実はない」のかも知れない。
けれども、「あるように見える」せいで、「沖縄の核」はソ連、中国、北朝鮮などに対しては十分抑止的に機能してきた。
たぶん「あるように見えるけれど、ない」というのが核抑止力の使い方としてはいちばんクレバーなのだろう(あると、盗まれたり、爆発したりする可能性があるし、膨大な管理コストがかかるけれど、「あるように見えて、実はない」のなら、リスクもコストもゼロだからである)。
だから、日米としては理想的には「疑心暗鬼の眼にはあるように見えるが、実はない」状態にもってゆきたい。
けれども「いつ」そのシフトがあったかがわかっては身も蓋もない。
「あるようなないような状態」をできるだけ長く引き延ばしたい。
だから、沖縄からの米軍基地の撤去は「抑止力」戦略を取る限りは不可能な選択になる。
日本には憲法九条があり、(空洞化したとはいえ)非核三原則がある。
米軍基地のない日本列島には100%の確率で「核兵器はない」と推理できる。
現在の沖縄に核兵器はないかもしれない。でも、「あるかもしれない」と思わせることには成功している。
日米の従属関係を勘案すると、日本政府が自国領内に他国軍が核兵器を配備しているかどうか「知らない」ということは大いにありうる。
ふつうの主権国家ではありえないことが、日米関係なら「ありうる」。
中国も北朝鮮もそれはよくわかっている。
たぶん米軍関係者は鳩山首相に沖縄でこう囁いたのではないかと私は想像している。
「首相、ここだけの話ですけどね、実は沖縄には核兵器なんか、ないんです。でも『あるように』見せかけている。そちらだって、憲法九条を維持し、非核三原則を掲げているお国だ。その上で『核抑止力』を機能させようとしたら、どう考えても、『ないけど、あるように見えている』という状態がベストでしょ。でも、これがあなた、国外に米軍基地が全部移転してごらんなさい。『ない』ということが世界中にわかってしまうじゃないですか。そのあとも引き続き列島に『核抑止力』を機能させようとしたら、日本政府のオプションは事実上一つしかありませんよ・・・」
そう、オプションは一つしかない。
それは(考えたくないが)自主核武装である。
憲法九条二項を廃棄し、非核三原則の看板をおろして、核武装する。
それ以外の選択肢は論理的にはない。
通常兵器で「核なみ」の抑止力を担保しようとしたら、「先軍主義」を採用して、医療も教育も福祉もすべて後回しにして軍備を充実させ、徴兵制の導入も考慮せねばならないが、そのような強引な政策を貫徹できるだけの体力は今の日本にはない。だいいち、そのような政策を掲げた政党が選挙で勝てる見込みはない。
核兵器はコストの最も安い兵器である(だから世界中の貧乏国が争って核武装しようとする)。
だから、日本の社会システムを「このまま」のレベルに保ち、かつ十分な抑止力をもつためには核武装しか選択肢がない。
理論的にはそうだが、そのような国民的合意が平和裡に形成される確率もまたない。
ないないづくしである。
護憲派は死に物狂いで反対運動を組織するだろうし、左翼勢力も一斉に息を吹き返すだろう。まさしく国論を二分するような騒ぎになり、政治不信は募り、経済も停滞し、国民のあいだの相互信頼は崩れ、日本社会は回復不能の傷を負い、にもかかわらず核武装への合意形成には至らない。だいいち「核なき世界」をめざすオバマ大統領が許すはずがない。
つまり、「核武装のための合意形成」は「試みるだけ無駄」なのである。
通常兵器による抑止力形成はコスト的に不可能。コスト的に引き合う核武装は国論の統一ができないので不可能。
つまり、抑止力戦略の有用性を信じる限り、私たちには「現状維持」しか打つ手がないのである。
そのうちもしかしたら、アメリカの覇権が瓦解して、アメリカが東アジアから撤退し、軍事的緊張そのものが消滅するかも知れない。中国の民主化が進んで人民解放軍の影響力が抑制されるかもしれない。北朝鮮の独裁体制が崩壊して、南北統一民主国家が半島にできるかもしれない。オバマ大統領の「核なき世界」構想に世界中の国が賛同して、核兵器の存在しない世界になるかもしれない。
何が起こるかわからない。
鳩山首相はたぶん沖縄で米軍関係者にこう言われたのである。
「いや、どうしても出て行けとおっしゃるなら、われわれも沖縄から出て行きますよ。でもね、フェイクではあれ核抑止力がなくなった日本列島の国防について、あなた何かプランお持ちなんですか?核武装はおたくの国内事情からしてありえないでしょう。われわれだってそんなもの日本に許すわけにはゆかないし。『東アジア共同体』?おお、結構ですな。でもね、日米安保条約を維持したままの東アジア共同体構想なんか中国が呑みませんよ。ということは、あなたね、われわれが沖縄から出て行くというのは、日米関係は『これでおしまい』ということなんですよ。そのへんのことわかった上で、『国外』とかおしゃってたのかなあ・・・いや、そんな青い顔しないで。われわれだってヤクザじゃないんだ。いつまでも居座る気じゃないですよ。東アジアの軍事的緊張が緩和したらですね、いつでもおいとまする用意はある。その日をわれわれもあなたがたも待望していることに変わりはない、と。ですからね、日米手を取り合ってアジア全域が民主化される日をともに待ち望もうではありませんか。」
そう聞かされて、「ふはあ」と深いため息をついたのではないか、と私は想像するのである。
それくらいの想像は新聞を斜め読みしているだけでもできると思うけど、と記者にはお答えする。
われわれは外交的なフリーハンドをもった主権国家ではない。
繰り返し書いているとおり、日本はアメリカの軍事的属国である。
そのことを直視するところから始めるしかない。
「何ができないのか」を吟味することなしに「何ができるのか」についての考察は始まらない。
uchida : 2010年06月01日 12:16
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