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読む政治:検証・普天間移設 流転変転(その1) 外相「2人でやりましょう」
◇外相、防衛相に「2人でやりましょう」
「最低でも県外」と鳩山由紀夫首相が公約した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題は、迷走の末、キャンプ・シュワブ辺野古(同県名護市)の現行計画へと回帰してひとまず決着した。首相は多くの約束を重ねたが、その度に挫折。沖縄県民の膨らんだ期待は、沖縄より米国との合意を急いだ政権への失望へと変わった。普天間問題を巡って揺れたこの8カ月を検証した。(肩書は当時、日本時間)
◆第1幕 政権前夜の「誤解」
衆院選を控えた7月19日、沖縄で演説した鳩山民主党代表は「県外移設」への意欲を表明した。自民・公明の麻生内閣は政権末期の断末魔にあえぎ、政権交代の流れになっていた。沖縄も期待に膨れた。が、この発言がやがて新政権を奈落のふちへと追いやる。
◆
ボタンの掛け違いは、政権前夜から始まっていた。8月9日、鳩山氏の命を受け民主党政調会の須川清司部長らがワシントンに飛び、東アジア・太平洋担当のグレグソン米国防次官補と会談した。狙いは「鳩山政権」の対米戦略立案のための情報収集だった。帰国した須川氏らは鳩山氏にこう報告した。「米国はアフガニスタンとイランで手いっぱい。普天間問題は大したことはない。米国は譲歩する」
米政府の内部事情を探った鳩山氏は強気に出た。8月17日、鳩山氏は日本記者クラブでの6党党首討論で「最低でも県外移設が期待される」と言い切った。「チェンジ」を掲げて政権交代を果たしたオバマ米大統領なら理解してもらえる。そんな淡い期待があった。
しかし、情勢分析は甘かった。5月、米議会では在沖縄海兵隊のグアム移転の「再検討」が取りざたされ、ゲーツ国防長官が議会で14年までの再編完了に「責任を持つ」と証言。巨額経費に対する海兵隊や議会の不満を封印したばかりだった。
このころ、グレグソン氏は同じ海兵隊出身で気脈を通じるジョーンズ大統領補佐官(国家安全保障問題担当)と協議し、「ロードマップ通りの実行」を再確認していた。グアム移転に直結する普天間移設の「修正なし」は、須川氏訪米前に決定されていたが、鳩山氏は「県外移設」へと突っ走った。
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9月16日、鳩山連立政権が発足。初の外交舞台となった国連総会に出席した鳩山首相は25日、ニューヨークで「最低でも県外移設」の公約推進を強調した。だが、移設先をめぐり内閣は漂流する。
口火を切ったのは北沢俊美防衛相だった。26日、沖縄を訪れた北沢氏は島袋吉和名護市長と意見交換後の記者会見で「事業が進む中で新しい道を模索するのは極めて厳しい。県外、国外となるとかなり時間がかかる」。一方、岡田克也外相は「年内決着」に向け、「県外」を捨て「県内」へと動く。
10月20日、岡田氏は外務省で、来日したゲーツ長官に「早く決めることが大事だ。私は嘉手納がいいと思う」と提案した。
岡田氏が白羽の矢を立てたのは米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)への統合案だった。06年の在日米軍再編ロードマップに至る過程で協議され、いったんは消された案だが、新たな基地を建設しない「基地内基地」は、沖縄の負担軽減につながる案とみた。
嘉手納統合案を「腹案」とした政府高官がもう一人いた。長島昭久防衛政務官は米ジョンズ・ホプキンス大客員研究員などを歴任、米人脈が豊富だ。年内に決着しない場合、提案するというシナリオを描いていた。首相は10月16日、「名護市長選(10年1月)と沖縄県知事選(11月)の中間ぐらいで結論が必要」と表明。長島氏は名護市長選のタイミングをとらえて動き出そうと米側と接触を重ねていた。だが、岡田氏との会談でゲーツ氏は「不可能だ」と拒否。早々とつぶれた。
岡田氏の意図は県内移設の模索より「県外」排除にあったようだ。岡田氏はこの後、北沢氏に「これからは2人でやりましょう。嘉手納がダメなら辺野古に帰ってくるんですから」と述べている。北沢氏も21日、ゲーツ氏に「今後いろいろな提案があるだろうが、一つに収れんするためのプロセスだ」と伝えた。いずれは現行計画の辺野古に落ち着く、との含みがあった。
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11月6日、外交ブレーンの寺島実郎・日本総合研究所会長は、オバマ大統領来日を控えた首相に自身がまとめたメモを手渡した。在日米軍の段階的撤退を訴える寺島氏だが、「現状の日米関係を考えた場合、現行案を選択するしかない。米中が接近する中、日本が取り残されるのは大きな問題だ」と現行計画受け入れを進言した。
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「現行案決着」の包囲網が強まる中、首相はなお県外移設を模索した。10月下旬、民主党の牧野聖修衆院議員が「いい場所があります。鹿児島県徳之島で、地元の拒否反応もないそうです」と持ちかけた。首相は「それはいいですね。ぜひ調べてみてください」と指示。後に首相の「腹案」とされる徳之島案がひそかに動き始めた。
「全然、急ぐ必要はないんだ」。オバマ氏来日の2日前、首相は側近らにこう漏らした。が、日米首脳会談でその余裕は吹き飛ぶ。
◆第2幕 見送られた「年内」
11月13日、現行計画か県外移設か結論を出さないまま、首相は初来日したオバマ大統領との首脳会談に臨んだ。笑顔で握手した両首脳だったが、普天間問題では厳しいやりとりがあった。
オバマ氏「早ければ早いほどいい結論が出せる。そうすれば新しいテーマに移ることができる」
鳩山氏「衆院選で県外、国外と言ったことも理解してほしい。必ず答えは出すので私を信頼してほしい(トラスト・ミー)」
オバマ氏「海兵隊の8000人(移転)をどうするのか。早く結論を出した方がメディアからも評価される」
繰り返し「早期」と念を押すオバマ氏の言い方に首相は揺れた。普天間移設が遅れればセットになった在沖米海兵隊のグアム移転に支障が出ると、事実上迫ったからだ。
一方、米側は首相の「信頼してほしい」を「現行計画での決着」と受け止めたが、首相が翌14日、シンガポールで日米合意を前提としない考えを示したことで一気に不信を強めた。
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首脳会談に先立って設置され、あらゆる選択肢を検証するはずだった普天間移設の閣僚級作業グループが、米政府・外務省主導で「辺野古に決定した経緯と他の選択肢が否定された経緯に矮小(わいしょう)化された」(側近)ことも首相を追い詰めた。「辺野古での年内決着」の包囲網は固まり、日米関係が悪化することを回避したい首相は11月下旬、「現行案の微修正での年内決着」をいったんは受け入れた。年内に記者会見をして発表する用意もあったという。
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しかし、この情報が流れると、事態は再び急変する。局面を動かしたのは年内決着に反対する社民党だった。11月30日、又市征治副党首が国会内で民主党の小沢一郎幹事長に近い輿石東・参院議員会長に警告した。「鳩山さんは普天間で対応を間違えると完全に政局になる。予算もまとまらない。そうなれば鳩山内閣は倒れる」。「その通りだ」と応じる輿石氏に促されて又市氏はその場で小沢氏に電話した。
「福島さん(瑞穂・社民党党首)が頑張れば大丈夫だろう」という小沢氏に又市氏は食い下がった。「福島が頑張ったってどうなるもんか。辺野古なら政局になる。鳩山さんに言ってください」。小沢氏が「分かった」と請け負った。小沢氏のゴーサインで輿石氏はその日のうちに北沢氏を年内決着見送りで説得した。
12月3日の社民党の常任幹事会。福島氏は、普天間が現行案通りに決着した場合には「社民党としても、私としても、重大な決意をしなければならない」と連立政権からの離脱も辞さない考えを表明、参院選をにらみ連立維持を重視する小沢氏の介入に首相は押し戻され、越年へと再びかじを切った。
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だが首相がこの時点で現行計画を完全に封印したわけではなかった。「5月末」までの決着を決めた12月15日夜。鳩山政権の揺れ動く方針にたまりかねたルース駐日米大使は官邸に乗り込んで首相を問い詰めた。岡田氏も同席した。
ルース氏「岡田さんに聞いたら『5月には現行案で決める』と言い、北沢さんに聞いたら『もう政局に変わった。現行案はない』と言う。どちらが正しいのですか」
首相「岡田君の言うことが正しい」
ルース氏「本国に公電を打ってもいいですか」
首相「いいですよ」
18日には、コペンハーゲンでの夕食会で隣席したクリントン米国務長官に、現行計画で強行すれば「結果的に辺野古にはできなくなる」と伝えた。辺野古で決着させるための先送りとも受け取れた。
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首相の軸足は「沖縄」から「米国」に明確に移っていた。社民党が求めるグアム移転を「抑止力の観点から無理」と排除し、記者団に「米国の意向を無視した与党合意はありえない」と語った。
この路線を敷いたのが、橋本、小泉両政権で普天間問題にかかわった岡本行夫元首相補佐官だった。12月11日、北沢氏の仲介で首相と会った岡本氏は、沖縄海兵隊の「抑止力」の重要性を強調し、現行計画微修正での決着を力説した。そして首相の好奇心をそそるアイデアを提示した。代替施設建設の際、海底のヘドロを再利用する環境配慮型埋め立ての「エコ基地案」だった。5カ月後、迷走の果てに日米共同声明に盛り込まれた合意案はこの「岡本案」がベースとなった。
◇ルース氏「5月末前にこんな状況とは」
◆第3幕 それぞれの「腹案」
「辺野古」を視野に年を越した鳩山政権に1月24日、衝撃が走る。現行計画の移設先の名護市長選で、県外移設を主張する稲嶺進氏が条件付き移設容認の現職、島袋吉和氏を破り初当選し、現行計画が「風前のともしび」となったからだ。だが、「ゼロベースでの見直し」を主張する平野博文官房長官は選挙結果を軽視した。選択肢のフリーハンドを保持しておくためだったが、逆に議論は拡散し、混乱の度を深めていく。
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1月28日、現行計画を決めた当事者の自民党の額賀福志郎元防衛庁長官が米大使館にルース氏を訪ねた。額賀氏によると、ルース氏は「今でも現行案がベストだと思っているが、鳩山政権が5月までにどう対応するか見守りたい」と述べ、こう付け加えたという。「日本政府のだれと話していいかわからない」
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首相は、昨年10月に牧野氏が持ち込んできた「徳之島案」をひそかに動かそうとしていた。名護市長選翌日の1月25日、内閣官房専門調査員となっていた須川氏を牧野氏に同行させる形で現地に派遣。天城町役場で徳之島3町長と会談させた。牧野氏は「滑走路3000メートルがダメなら1800メートルでもいい。上京してぜひ官房長官と会ってほしい」と懇願した。
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防衛省では、北沢氏が「陸上案はどうだ」と提案していた。現行計画の移設先と同じ米軍キャンプ・シュワブの陸上部(沖縄県名護市辺野古)に移設させる案で、12月半ばに省内で打診した。これは06年の日米合意の過程で当時の守屋武昌防衛事務次官が主張した案だった。
「基地内基地」の建設は地元自治体の許可を得る必要がなく、米側の了解だけで実現できる利点があった。北沢氏は省内に政務三役直属の「特命チーム」を設置し、候補対象の検討に入ったが、あくまで本命はシュワブ陸上案だった。
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平野氏も独自の移設案を練った。海兵隊や自衛隊関係者と意見交換し、執務室に基地関係資料を山積みにして行き着いたのが、米軍ホワイトビーチ(沖縄県うるま市)沖合に人工島を造り、滑走路を建設する案だった。普天間代替施設だけでなく、那覇空港にある航空自衛隊や米軍の施設をまとめて移設する計画だった。
これには伏線がある。ホワイトビーチ案は05年、海兵隊外交政策部(G5)次長のロバート・エルドリッジ氏がまとめた私案に基づいている。民主党が野党当時、所属議員数人がエルドリッジ氏と懇談。「米軍を集約し、将来的に国連軍が使用できるようにすれば、『常時駐留なき安全保障』の構想にもつながる」との認識で一致し、「政権を取ったら実行しよう」と盛り上がった。平野氏はエルドリッジ氏と何度か会って共鳴し、地元業者など誘致派とも接触し手応えをつかんでいた。
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3月2日夜、平野氏と北沢氏は東京都内でルース大使と会談、それぞれの「腹案」を提示した。「日米は普天間問題で苦しみの時期だが、必ずハッピーになる。トラスト・ミー」。平野氏は昨年11月の日米首脳会談での首相のフレーズを冗談交じりに持ち出した。
しかし、両案とも過去の日米協議の中で「実現性がない」として退けられた案だったことはルース氏も承知済みだった。「5月末を前にこんな状況とは。想定とまったく違う」とルース氏は驚き、「現行案がベストだ」と従来の立場を繰り返すしかなかった。
8日、与党3党の沖縄基地問題検討委員会に、社民党が「国外」、国民新党が「県内」を提案。国民新党の下地幹郎政調会長はシュワブ陸上案を持ち出した。米国の懸念をよそに「政府案=シュワブ陸上案」での決着で押し切ろうとする北沢氏と下地氏の連係プレーだった。
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県内移設で打開を図ろうとする平野、北沢両氏に対し、首相は「徳之島」を念頭に県外移設を探り続けていた。3月26日の記者会見でも「沖縄の皆様方の過重な負担を考え、極力県外に移設する道筋を考えたい」と表明した。
しかし、平野氏は「徳之島」は困難とみていた。1月に沖縄を訪問した際、上空から視察したが、同月末に報道で表面化すると同島出身の有力者、徳田虎雄元衆院議員の次男で自民党の徳田毅衆院議員の影響で反対運動が強まったためだ。25日、首相官邸に抗議に訪れた3町長を、平野氏は「徳之島なんて一言もいったことがない。マスコミのうわさですよ」と軽くいなした。
だが、首相は周辺にこう漏らした。「平野君にはまだちゃんと言ってないんだが、徳之島しかないと思う」
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首相は3月中の政府案一本化を目指したが、煮詰まる段階からはほど遠かった。
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■ことば
◇米軍普天間飛行場移設問題
沖縄県宜野湾市の市街地中心部にある米軍普天間飛行場を移設させる問題。95年の米兵による沖縄少女暴行事件を契機に米軍基地への反対行動が起き、「危険の除去」を求める沖縄県の意向を受けて96年、橋本龍太郎首相がクリントン米大統領に提起。同年4月に橋本首相とモンデール駐日米大使が返還で合意した。
日米両政府は99年に同県名護市辺野古崎沿岸域への移設を閣議決定。02年に辺野古沖のリーフ上の埋め立て滑走路建設で政府、沖縄県、名護市が合意した。
その後、06年の辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設先変更と埋め立てによる2本のV字形滑走路建設(現行計画)を決定、14年までの移設で合意した。
◇在日米軍再編のロードマップ
ブッシュ米前政権の世界的な米軍再編(トランスフォーメーション)に伴い、在日米軍基地再編の実施をまとめた文書。06年5月、外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で合意した。
(1)14年完成を目標に普天間代替施設を辺野古岬と水域にV字形滑走路2本を埋め立てで建設(2)在沖海兵隊約8000人を14年までにグアムに移転などを明記。全体を「パッケージ」と位置付けた。グアム移転費102・7億ドルのうち日本は60・9億ドルを支出。このほか(1)キャンプ座間の米陸軍司令部を改編し陸自中央即応集団司令部を併置(2)空自航空総隊司令部の横田基地移転(3)空母艦載機の厚木基地から岩国基地への移駐なども決めた。
◇普天間飛行場移設に関する日米共同声明
10年5月28日に発表された2プラス2の合意文書。鳩山由紀夫首相とオバマ米大統領が普天間問題の「進展」を評価した。1800メートル滑走路をシュワブ辺野古崎地区と水域に設置。「これまでの環境影響評価(アセスメント)手続きが著しい遅滞がなく完了できる方法で建設する」としたが、工法は8月末まで先送りした。
米軍と自衛隊の施設の共同使用拡大を検討し、訓練の移転先として沖縄県外の「徳之島(鹿児島県)」、国外の「グアム」を明記。米軍嘉手納基地の騒音軽減をさらに進め、ロードマップに従った嘉手納以南の施設・区域返還の着実な実施も確認した。しかし、社民党は「辺野古」明記に反発し、連立を揺るがす事態に発展した。
◇普天間飛行場移設問題に関する政府の対処方針
28日に政府が日米共同声明の発表を受けて閣議決定した。声明がロードマップを一部追加・補完したのに伴い、06年5月に閣議決定した米軍再編の実施方針を見直した。「最近の北東アジアの安全保障情勢」から「日米同盟は地域の平和、安全に不可欠」とし、移設先は「キャンプ・シュワブ辺野古崎地区及び隣接する水域」との表現で明記した。06年の閣議決定では沖縄県が難色を示したため場所を明示しなかった。このほか、「同盟の責任を国全体で受け止め、日米同盟をさらに深化させるため」として、(1)沖縄県に集中する基地負担を県外、国外へ分散(2)県外への訓練移転(3)米軍と自衛隊との間での施設共同使用−−などが盛り込まれた。
◇同盟深化協議
10年が日米安全保障条約改定50年にあたるのに合わせ、09年11月のオバマ米大統領来日時の日米首脳会談で協議開始で合意した。同盟を基礎に地球温暖化や核軍縮など世界規模の課題で日米協力を推進するのが狙い。
1月のハワイでの日米外相会談で協議を開始した。岡田克也外相は、96年に日米首脳会談で発表された日米安保共同宣言に代わるものを、11月のオバマ大統領来日時に最終報告としてまとめる方針を示している。安保共同宣言では(1)日米同盟はアジア太平洋地域の安定の基礎(2)米国の同地域でのプレゼンス(約10万人)維持などが盛り込まれた。ただ、局長級や審議官級による実務者協議は普天間問題迷走で遅れ気味だ。
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この特集は、及川正也、中川佳昭、上野央絵、中田卓二、白戸圭一、西田進一郎、吉永康朗、仙石恭、野口武則、山田夢留、横田愛が担当しました。
検証記事は、公式の記者会見や日常の取材に加え、日米両政府関係者、与野党幹部、閣僚経験者、外交安保分野の有識者など二十数人に対する実名や、匿名を条件とする取材で得た証言をもとに作成しました。
[記事転載元:http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100531ddm010010140000c.html]
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