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(抜粋)
「言挙げ」とは、「日本の弁明」であり、「言葉による自国の防衛」である。
「驕れる白人と闘うための日本近代史」松原久子 田中 敏訳 文春文庫
訳者まえがき (全文)
本書は、松原久子氏がドイツ語で執筆した「Raumschiff Japan」(『宇宙船日本』Albrecht Knaus社、ミュンヘン、一九八九年)の邦訳である。
「日本(人)よ、外に向かって発言しなさい」と『言挙げせよ日本・欧米追従は敗者への道』(プレジデント社、平成十二年)で訴えた著者が自ら範を示して、「言挙げ」し、ドイツ人に向けてドイツ語で日本を語り、ドイツで出版したのが原著である。
松原氏はドイツ語で、小説、戯曲、評論を執筆するのみならず、現在はアメリカに居を構えて、欧米各国を舞台に講演、シンポジウム、討論会等々、「言挙げ」に八面六臂の活躍をされている。
「言挙げせよ日本」の意味は、多くの日本人が欧米諸国でやっているような、日本の(伝統)文化の紹介、解説などとは全く次元を異にしたものである。氏のいう「言挙げ」とは、「日本の弁明」であり、「言葉による自国の防衛」である。
日本の(伝統)文化の紹介や解説は、異国趣味と外交辞令もあって歓迎されるが、「弁明」はかの地では激しい抵抗にあわねばならない。いかなる抵抗にあわねばならないか、松原氏が月刊誌『正論』(産経新聞社)の平成十三年一月号の随筆欄に体験の一端を披露している。
ドイツの全国テレビで毎週五カ国の代表が出演して行われる討論番組に、氏がレギュラーとして出演していた折りの逸話である。そのときのテーマは、「過去の克服──日本とドイツ」で、相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は捕虜虐待を、米国代表は生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。松原氏は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺教であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないと反論し、英国代表には、彼らの認識が一方的且つ独断的であることを指摘し、史実に基づいて日本の立場を説明、弁明した。
さて、逸話のクライマックスは番組終了後である。「テレビ局からケルン駅に出てハンブルク行きを待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきた。(中略)彼女は私の前に立ち、『我々のテレビで我々の悪口を言う者はこれだ。日本へ帰れ』と言うなり私の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」
私はこの逸話が読者の間で(『正論』は読者欄が充実している)、ほとんど、いや、全く話題にならなかったことを不思議に思うと同時に、さもありなん、とも思った。人間は、自分には考えも及ばない別世界の話には興味も関心も湧かないのである。
今や少なからぬ日本人が欧米で、講演、講座、討論会を通じ、「日本」を語っているが、彼らのなかで袋叩きに遭いながら反論し、そして平手打ちをくらうほど日本を弁明した人がいるだろうか。私は、いない、とはっきりいえると思っている。だから日本の世論はもちろんのこと、言論界でも、この事件は、この大事件は他人事なのである。
なぜ日本人は「日本の弁明」をしないのか。理由はいろいろ考えられる。西洋崇拝、西洋人の歴史観に洗脳もしくは汚染されている、語学力がない、日本人の美学、事なかれ主義などが挙げられよう。しかし、それでは黒を白とまで言っても自己正当化を憚らないしたたかな白人に伍して厳しい国際社会を生き延びていくことはできない。今、防衛論が盛んであるが、我々はまず、言葉で自国を防衛することに死力を尽くさなければならない。
松原氏は日本を言葉で防衛している貴重な日本人である。氏の言葉を借りれば、「傷ついて、傷ついて、悔し涙を流して」防衛している唯一人の日本人である。いうまでもないが、言葉で日本を防衛するということは、日本民族の優越を主張することではない。
事実を、例えば歴史的事実、つまり事の「真実」を、きちんと伝えることである。
原著の副題は、「真実と挑発」となっている。傲慢だとの非難を覚悟でいわせてもらえれば、この意味がわかる日本人がどのくらいいるだろうか。
先の逸話から既におわかりの方もおられると思うが、世界史の中の日本の史実、つまり事の「真実」を日本人が述べることは、自分達からみた歴史が世界の正しい歴史だと思っている西洋人には、「挑発」を意味するということである。
先に紹介した逸話には、さらに後日談がある。松原氏は、次のテレビ出演の際に、平手打ちされたことを番組のはじめに話し、「ドイツには今もって言論の自由がないから身を守るため沈黙すると宣言した」ところ、放送中視聴者から多数の電話がかかり、花束がお見舞いとしてたくさん送られてきたそうである。その中につぎのようなことが書いてあるカードがついていたという。「あなたの言うことは腹立たしい。でも本当だから仕方ない」
まさにこれが「真実と挑発」という意味である。
松原氏から『宇宙船日本』が送られてきて、感想を伝えてほしいとの連絡があったのは平成十四年の暮れであった。文章は簡潔明快で、品格のあるドイツ語だった。ほとんど一気に読了した。
感想は二つあった。一つは、よくもまあこの本がドイツで出版されたものだという驚き、もう一つは、この本は薄幸な一級品の作品である、なぜならば、ドイツ語なので日本では読まれないから評価の対象にならない、ドイツ人にとっては、決して快いものではないから、それ故に正当な評価を受けない、どっちにしても報われることの少ない宿命の著作だ、という感想で、私はそのことを氏に率直に伝えた。
折り返し返事があって、「この本は、どうしても彼らに言わねば我慢できないという『激怒』と『使命感』に燃えて書き上げた」という。深いところで東西の対決を試みる日本人だけが自己正当化の渦のなかに巻き込まれ、毅然とした日本人だけが彼らから冷酷な扱いを受けるのである。「出版にこぎつけるまでの闘いで、一度に十歳くらい歳をとった」とも書いてあった。そして「この報われることの少ない薄幸な作品をこのまま埋めてしまうことに、ある日突然耐えられなくなった」ので、日本語に翻訳してもらえないだろうかとの依頼を受けた。
考えてみれば、これほどやりにくい翻訳はない。著者は日本語とドイツ語の達人である。私のドイツ語の読解力、日本語の表現力、すべて暴露されてしまう。しかし内容に感動した私は、自分の見栄などにこだわっている場合ではないと考えて、無謀にもお引き受けすることにした。
読者の皆さんが、拙訳にもかかわらず、本書から「日本の弁明」の方法論を学び取り、
一人でも多くの一般の日本人が言葉による日本の防衛に心がけるようになれば、恥をしのんで翻訳を引き受けた訳者としては、望外の喜びである。
二〇〇五年五月二十五日 田中 敏
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