http://www.asyura2.com/10/senkyo87/msg/232.html
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http://alcyone.seesaa.net/article/151352755.html
598 :無党派さん:2010/05 /28(金) 12:07:41 ID:g7/sguhS
首班指名で前原に投票しようかという話も出て来たし自民の前原ストーカーは重症。
松田光世(菅直人副首相の元・政策秘書)
http://twitter.com/matsudadoraemon/status/14870112836
鳩山内閣が総辞職して首班指名選挙が行われる場合、自民党には民主党議員を首班候補として投票する動きが広がっている。
松田光世(菅直人副首相の元・政策秘書)
http://twitter.com/matsudadoraemon/status/14876712750
自民党が首班指名で民主党議員への投票を画策している件で、さまざま反応をいただいていますが、野党になった自民党がかつて社会党の村山富一委員長に首班指名で投票し、政権に戻ったことを忘れてはいけません。自民党は、何でもやります。
松田光世(菅直人副首相の元・政策秘書)
http://twitter.com/matsudadoraemon/status/14877516477
太田誠一メルマガ『誠一言』5/26付「解散なしの再編とは、野党である自民党が首班指名に総裁を出馬させずに、民主党から出た首班候補に一票を投じるというものです。・・・解散なき政界再編しか、選択肢はあり得ません。」
☆ウィキペディア「二階堂擁立構想」の項→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E5%A0%82%E6%93%81%E7%AB%8B%E6%A7%8B%E6%83%B3
二階堂擁立構想(にかいどうようりつこうそう)とは、1984年、自民党総裁任期満了に伴う中曽根康弘の再選を阻止するため、鈴木善幸前首相・福田赳夫元首相らが、野党も巻き込んで田中派大番頭の二階堂進自民党副総裁を擁立しようとした事件である。
1984年11月におこなわれる自民党総裁選に対し、中曽根は高い国民支持率を背景に早くから再選への意欲を示していた。
一方、中曽根内閣はその成立当初より、田中派の影響を色濃く受けて、「直角内閣」「田中曽根内閣」などと呼ばれていたため、鈴木・福田・河本派ら非主流派はこれに不満を持っていた。さらにこの年、田中派の二階堂進が党副総裁に起用されたことで、非主流派の不満はますます高まりを見せ、宮沢喜一(鈴木派)・安倍晋太郎(福田派)・河本敏夫(河本派)らが再選阻止の構えを見せた。
しかし、党内最大派閥を率いる田中角栄元首相が中曽根支持の方向にまわり、一般には中曽根首相の再選は堅いと見られていた。
そんな中、1984年10月26日、鈴木は田中邸を訪れ、次期総裁公選で二階堂を擁立することを提案した。 田中派は党内最大派閥でありながら田中自身が政権回復の望みを捨てなかったため、竹下登らニューリーダーを擁しながら、田中内閣以後は総裁候補を出せない派閥であった。こうした不満を逆手に、鈴木は二階堂を総裁として田中と中曽根に頚木を打つ「王手飛車取り」を狙った。
鈴木の狙いは、田中と中曽根の間を分断し、二階堂暫定政権の後に自派の宮沢を総裁にすることにあったと言われ、また自身が余力を残して政権を譲ったという認識の中で、中曽根の「私が登板した時の日米関係は9回2アウト満塁だった」などとあたかも前任者が無能であったかのような鈴木の感情を逆なでする度々の発言や、田中・中曽根両派主導の党運営に不満を持っていた。これに福田や三木武夫元首相らも同調した。
さらに、本会議の首班指名において、野党の公明党・竹入義勝委員長、民社党・佐々木良作委員長との連携・連立を視野に入れた工作もあり、四面楚歌の中で中曽根再選は危ういかと思われた。
ところがこの企ては、
1. 「自派から自分以外の総裁候補を許さない」田中自身の強い反対
2. 竹下の後見人を任じる金丸信ら、田中派幹部が反対に回ったこと
3. 名実ともに、中曽根の対抗馬となり得た河本が竹下・金丸に同調して三木を抑えたこと
4. 鈴木・福田両派内でも慎重論が大勢を占めたこと
などにより挫折した。さらに終盤でこの工作が報道され、国民周知の事実となった。
自民党両院議員総会に先立って10月28日に行われた最高顧問会議では、福田・二階堂らから中曽根批判が噴出、最後に中曽根が党風刷新・党内融和を約束し、ようやく了承されるという一幕もあったが、結局、中曽根が話し合いで自民党総裁に再選され、11月1日に第二次中曽根改造内閣が発足した。
この事件により、自民党の長老政治は終わりを告げる。それまで党内で多大な発言力を持っていた福田・鈴木・三木ら首相経験者を中心とする長老はこの計画失敗により発言力を失っていき、派閥の代替わりを促すことになった。
同時に、鉄の結束を誇っていた田中派の綻び、ひいては田中の支配力に陰りが生じつつあることを示した。田中の最大の忠臣・二階堂が総裁公選に意欲を示したことは、総裁候補を擁立できない田中派内部の不満を示すものでもあり、中曽根再選後に行われた内閣改造・党役員改選では、田中派は中曽根再選の主力となったにもかかわらず、閣僚増員の要求は容れられず改造前と同じ6ポストにとどまった。また、幹事長も田中の推した小沢辰男ではなく、火消しに功績のあった金丸が選ばれた。
しかし金丸が推した入閣候補者の羽田・小沢などはいずれも入閣することなく、閣僚についたのは全て田中の推した入閣候補者であったことは、当時の力関係がまだ圧倒的に田中に分があったことを示している。こうした軋轢は翌年竹下が創政会を旗揚げすることで爆発し、創政会旗あげ直後に田中は脳梗塞で倒れ、田中支配は終焉を迎えた。
☆内閣支持率 続落23%「危険水域」近づく
(5月16日の毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100516-00000016-maip-pol
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/500.html
調査では「首相にふさわしいと思う政治家」も質問。新党改革の舛添要一代表が13%でトップ、前原誠司国土交通相が12%、みんなの党の渡辺喜美代表が9%で続いた。
☆小泉勉強会5月にも旗揚げ 前原氏も参加、再編布石か
(2008年4月14日。共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200804/CN2008041401000495.html
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak38/msg/777.html
小泉純一郎元首相が呼び掛け人となった自民、民主両党の議員による勉強会が5月にも旗揚げすることが14日、分かった。「衆参ねじれによる政治停滞を打開する対話の場」との位置付けだが、民主党からは、首相当時の小泉氏が大連立を呼び掛けた前原誠司前代表が中心メンバーとして参加しており「政界再編に向けた布石」と憶測を呼びそうだ。
小泉、前原両氏が日本経団連前会長の奥田碩内閣特別顧問らを交えて開いた今月9日夜の会合で一致した。会合には自民党から小池百合子元防衛相、茂木敏充元沖縄北方担当相ら、民主党から仙谷由人元政調会長、玄葉光一郎元幹事長代理らが参加した。
☆民主 「非小沢系」勉強会に115人 玄葉氏ら開催
(5月27日の毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100527-00000003-mai-pol
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak38/msg/775.html
民主党の玄葉光一郎衆院財務金融委員長らが呼びかけて、消費税率引き上げで財政再建を目指す勉強会「国家財政を考える会」の初会合が26日、国会内で開かれ、同党の衆参議員115人が参加した。玄葉氏は小沢一郎幹事長と距離を置く「七奉行」の一人。「非小沢系」の勉強会として同氏をけん制する勢力にもなりそうだ。
代表世話人に就任した玄葉氏はあいさつで「次期衆院選後に、消費税を含めた税の抜本改革に道筋をつけなければならない」と強調した。世話人には蓮舫参院議員や安住淳衆院安全保障委員長らが名を連ねた。
参院選のマニフェスト(政権公約)策定作業では、消費税増税の明記を主張する仙谷由人国家戦略担当相らに対し、小沢氏が慎重な姿勢を示している。ある中堅衆院議員は、勉強会を「小沢氏に対抗するための党側の仙谷氏への応援団だ」と指摘する。9月に想定される党代表選に向け、党内の駆け引きが早くも始まった形だ。
玄葉氏側によると代理も含めると計約180人が出席。党所属国会議員約420人の4割超が参加したことになる。
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