http://www.asyura2.com/10/senkyo87/msg/769.html
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●小泉進二郎と稲川会大幹部の蜜月関係(リチャード・コシミズ・ブログ)
http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/829.html
「小泉進次郎4代目襲名議員になれますか? 父とともに稲川会大幹部に挨拶」
(フライデー掲載)写真中央が、小泉組4代目進次郎、右端のいかにもその筋の爺さんが、稲川会大幹部で30数年小泉の地元選対部長として睨みを利かせてき竹内清元県議会議長である。
小泉純一郎と「稲川会」との証拠写真は、2004年7月発売の「フライデー」にも掲載された。が、圧力により、翌号以降に新たな写真を掲載することは出来なかった。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201004/article_24.html
●小泉純一郎の地元では、元稲川会組員の竹内清元県議会議長が、30年以上にわたり選対部長を勤めた。2001年には、竹内の息子がその地位を引き継いでいる。
竹内清は、一応、若い時にカタギに戻ったとされているが、数十年に渡り、二代目稲川会会長横須賀一家総長の石井会長と、非常に親密な関係であり続けた。
B・フルフォードの取材に対し、竹内清本人が、「石井会長の葬式では、家族の次に焼香をあげた。」と語っている。
この言葉から、稲川会横須賀一家における竹内清の位置がどのようなものかが分かる。
●米国経済誌フォーブス記事「小泉の側近は暴力団と繋がりがあった」日本語訳
http://www.asyura2.com/0406/senkyo4/msg/251.html
●【カイザー誕生】by Benjamin Fulford(ベンジャミン・フルフォード)
http://benjaminfulford.com/NewKoizumiYakuza.html
(略)
「私が現役のとき、正直いうと博徒だったんですよ。せがれが生まれてカタギになって、(入墨は)洗いました」
――小泉さんは竹内さんがヤクザだとご存知だったのでしょうか?
「わからないけど、知っていたんじゃないかな」
――初当選のまえに、小泉さんが頭を下げにきたと聞いてますが。
「ああ、来ました」
月刊現代の取材によれば、このとき小泉は、「アニキと呼ばせて欲しい」と竹内氏に頭を下げたという。
「アニキ」とはヤクザの世界で、兄弟分を示す言葉である。
(略)
竹内氏には、もう一つ聞いておくべきことがあった。ある稲川会の資料には竹内氏の名前が組員として掲載されている。元博徒というだけではなく、現在も稲川会と深い関係を保ち続けているのではないかという疑惑についてだ。
(略)
●稲川会(いながわかい)は、神奈川県横浜市都筑区東方町に仮総本部を置く日本の指定暴力団。構成員は約4700人。準構成員を含めると約9400人。
初代会長 - 稲川聖城
二代目稲川会
昭和60年(1985年)10月、稲川聖城は、稲川会会長を五代目横須賀一家総長・石井隆匡に譲り、稲川会総裁に就任した。
(石井隆匡は、平成2年(1990年)10月、病気により引退。)
政界との関係
小泉純一郎元首相の選挙対策本部長である竹内清(前神奈川県議会議長)は、元組員であり、石井会長と非常に親しい関係にあった。小泉純一郎の選挙区であり、稲川会横須賀一家の本拠地でもある横須賀では、両者の結びつきはきわめて強い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/石井隆匡
石井 隆匡(いしい たかまさ、本名: 石井 進(いしい すすむ)、1924年1月3日 - 1991年9月)は、ヤクザ、暴力団・二代目稲川会会長、五代目横須賀一家総長。 石井 唯博とも。 神奈川県横須賀市出身。経済ヤクザと呼ばれた。
1946年に暴力団に入り、1963年には横須賀一家5代目を継承。 1969年、巽産業を設立、企業経営志向を取り、経済進出する暴力団の先駆けとなる。
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