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沖縄米軍基地、驚きの実態“軍用地”に投資家が熱視線
http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/929.html
投稿者 あややの夏 日時 2010 年 5 月 25 日 20:10:02: GkI4VuUIXLRAw
 

2010/5/25 16:57 夕刊フジ

http://netallica.yahoo.co.jp/news/124077

 米軍・普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、鳩山由紀夫首相は現行案の名護市辺野古周辺を移設先として仲井真弘多知事に提示した。議論が振り出しに戻るなか、県外の投資家たちは同県内の基地に熱い視線を向けている。価格上昇を続ける「軍用地」が投資先として人気を集めているからだ。国からの“迷惑料”だったはずの「軍用地料」が安定的な収入になるというのだが…。

 「沖縄の基地が生んだ優良投資物件」「確実な収入が見込めます」 −。

 沖縄県内の不動産会社のホームページには、軍用地への投資を呼びかける広告が多数掲載されている。県内各所にも「軍用地求む」などと書かれたビラが散見される。県内の不動産関係者は次のように説明する。

 「軍用地とは、自衛隊と米軍が基地として使用している土地のこと。県内では、こうした軍用地は資産とみなされており、売買が頻繁に行われているのです」

 米軍基地は、すべて国有地と思われがちだが、実はその3分の1が個人の私有地。国が毎年、使用料として軍用地料を地権者に支払っている。

 沖縄防衛局によると、年間の軍用地料は総額約886億円(今年3月末現在)。軍用地主の数は県全体で約3万8200人といい、1人あたりの平均支給額は県民の平均所得額約204万5000円(2007年度)に迫る約200万円になる。嘉手納弾薬庫に土地を所有する県内最大の大地主は「年間約18億5000万円の軍用地料を得ている」(事情通)という。

 軍用地主が結成した社団法人「県軍用地等地主会連合会」によると、「軍用地料の相場は、防衛局と地権者との間で開かれる年1回の話し合いで決まる」。軍用地料は、下落傾向が続く地価とは逆に毎年1%ほど上昇しているが、「安全保障のため、値上げはやむを得ない」(防衛局関係者)。この“優良物件”を目当てに最近、軍用地を売買するケースが増えているという。

 「しかも、県外の投資家が軍用地を購入するケースが目立ってきたのです。昨年の県外地主の割合は全体の30%程度でしたが、今年は40%にまで迫る勢いです」

 こう明かすのは、浦添市で不動産業を営む男性。同市は普天間基地のある宜野湾市に隣接しており、男性の会社では多くの軍用地を投資物件として抱えている。

 「2008年のリーマンショック以降、県外の投資家が目立ち始めた。軍用地は確実な収入が見込めるうえ、固定資産税も安い。株で大損した投資家がこの安定性に目をつけ、資産として購入するケースが増えました」

 こうした動きに不動産業者も敏感に反応。県外投資家に積極的に軍用地購入を呼びかける業者も出始めているという。

 だが、この活況が県民にさらなる混乱をもたらす恐れもある。

 沖縄大の桜井国俊教授(環境学)は「軍用地料をもらえるのは、ごく限られた人。数億円単位で不労所得を得ている人がいる一方、県民の所得水準が低いままでは、不公平感が蔓延する恐れがある」と指摘する。単純なマネーゲームではすまされないのだ。  

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コメント
 
01. 2010年5月26日 00:59:00: TNX4iPeHYY
沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史
佐野 眞一 (著)
出版社: 集英社インターナショナル


02. 2015年5月22日 11:02:41 : nAurjB7S8U


沖縄にも暴力団があると知って調べていたら↓がありました。
この書評を読まれると都合が悪い方々がいらっしゃるようです。


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http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=EQ9HNjvq_tYJ&p=%E6%B2%96%E7%B8%84+%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AB%E3%82%82%E6%9B%B8%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2&u=nire.fool.jp%2Fdokusyo%2Fdokp%2Fdokgp003%2Fdokp215%2Fdokp215.html

… 2011年2月17日 … 沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

 佐野眞一:著  2008年9月30日 第1刷 集英社インターナショナル 札幌市山の手図書館

 私は仲間3名と共に3月の初旬に沖縄旅行に出かける予定なので、沖縄の勉強をしている。本書は、大江健三郎の『沖縄ノート』に次いで、2冊目の沖縄に関する本である。定価1900円(税別)で、年表と参考文献を含めて654頁という分量である。従って、読了するまでに3日かかった。私は今回、生れて初めて沖縄に行くので、いくつか参考となる本を読む考えであったが、本書は沖縄を知るにはまことによい本であったと思う。著者は、素晴らしいジャーナリストといえる。著者・佐野眞一は、1947年(昭和22)東京生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。1997年、『旅する巨人−宮本常一と渋沢敬三』で、第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 本書は、書名のとおり、沖縄の戦後史を戦争、米軍基地、差別と被差別、政治、警察、経済、ヤクザ、観光、密輸、留学、芸能、女性、言葉など、ほぼあらゆる面から調査、考察した珍しい本である。いや、貴重な本といっていい。654頁の圧倒的なボリュームと内容の濃さに、私も本書で沖縄を堪能した思いである。本書の「はじめに」で著者は、《日本は敗戦からわずか十年足らずで高度経済成長の足がかりをつかんだ。それは、わが国がいち早くアメリカの核の傘の下に入って、軍事防衛問題をほとんどアメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、経済分野に一意専心することができたからにほかならない。その反対給付の人身御供としてアメリカに差し出されたのが、沖縄だった。沖縄は世界第2位の経済大国になる道を駆け上がった本土の繁栄をよそに、東シナ海に浮かぶ日本最貧の島としての運命をたどることになった。満州も沖縄も?還暦?を過ぎた戦後日本を検証する上で、絶対に避けて通ることができない大きな宿題となっている。日本の戦後社会を透視するため、満州という「時間軸」と、沖縄という「空間軸」を立てる。そしてその二つの軸がクロスしたところに結ばれた像こそ、われわれがいま暮らす日本列島の掛け値なしの姿ではないか。この仮説に、私はかなり前からとらわれていた》(P3)と書いている。実際に著者は、満州に関する本も出している。

 さらに著者は、これまで沖縄について書かれた夥しい本の特徴を挙げている。本書の巻末に主用参考文献の一覧が掲載されている。それこそ夥しい書物、雑誌、文献である。著者は、沖縄で400名もの人々に取材を試みたばかりではなく、沖縄について書かれた大量の文献に目を通している。著者はこう書いている。《沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが?被害者意識?に隈取られた?大文字?言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぼえる。沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に誤りに行く」という姿勢である。渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を1945(昭和20)年6月23日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後60年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が隙間見えるからである》(P4)。確かに『沖縄ノート』は、本土人による懺悔の本である。そうではあっても、沖縄の置かれた状況を知らしめたという意味はあると思うのだが。

 2000年7月に沖縄サミットが開かれた。その取材の折に著者は、沖縄を代表する大企業と沖縄県政の癒着ぶりを見せつけられた。また、沖縄における国政の信じられないほどの専横ぶりも実感させられた。《サミット期間中の取材の収穫は、小渕人脈を通じて、沖縄の政財界を牛耳る大物たちに会えたことだった。「沖縄の四天王」という言葉を初めて聞いたのも、そのときだった。沖縄のゴッドファザーと呼ばれた國場組創設者の國場幸太郎、奴隷同然の人身売買の境遇から這いあがって大城組を創った大城鎌吉、戦前は警察官、戦後は独立行政区の宮古群島知事から実業界に転じてオリオンビールを創業した具志堅宗精、「沖縄糖業の父」と呼ばれた宮城仁四郎。彼らの人生は、さすが「四天王」といわれるだけのことはあって、それぞれ1冊の本が書けるほどドラマチックだった》(P23)。この本には、波乱万丈の人生を歩んだ沖縄の有名人が続々と登場する。それらの人たちの破天荒な生き方には、本当に驚かされる。

 《戒厳令下の沖縄サミット期間中に聞いた、戦後沖縄をつくった男たちの話は、どれもこれも初耳で、アドレナリンが身内から大量に分泌してくるようなエピソードばかりだった。そこには、太平洋戦争で唯一地上戦の戦場となり、「鉄の暴風」と称される米軍の砲爆撃で軍民合わせて18万8千人もの死者を出したことや、敗戦後、米軍の駐留により沖縄の全面積の10.7パーセント、在日米軍基地の75パーセントが沖縄に集中しているといった、沖縄を語るとき必ず引き合いに出される祝詞めいた?お約束?の言葉がまったく混入していまかった。沖縄住民の3人に1人が死んだといわれる過酷な戦争体験も、「基地のなかに島がある」といわれる状況も、沖縄がいまも孕んでいる切実な現実である。しかし、あえて言うなら、そうしたステレオタイプ化した言説によって、われわれはこの島に流れたありのままの戦後の時空間を遮眼されてきた面がある。「戦争」と「基地」という?オールマイティー?なカードを切られると、たちまち首うなだれて沖縄を?聖地化?し、ひたすら跪拝し懺悔することは、当の沖縄にとっても?被害者意識?に拍車をかけるだけではないか。「はじめに」でも述べたように、大江健三郎や筑紫哲也に代表されるヤマトの進歩的文化人たちが、沖縄に?怒られに行く?という、うんざりする構図はもういいかげんにした方がいい。そろそろ沖縄自身が?被害者意識?の桎梏から開放されてもいい時期ではないのか。そうでなければ、いまや沖縄観光のメッカとなっている「ひめゆりの塔」も、靖国化の道を辿るだけである》(P23)。戦後60年もの月日が過ぎていったのだから、いつまでも戦争の悲惨な追憶に浸っている場合ではないということだろう。確かにこの本を読むと、戦争とは関わりのない戦後の物凄い波乱が読む者に迫ってくるような気がする。

 「沖縄を<戦争>と<基地>の悲劇の島として描くのは簡単である。だが前にも述べたように、そうとらえることはこの島の半分の真実でしかない」と著者は言う。《沖縄は自分らが置かれた歴史的地理的境遇を、時代状況に応じて最大限利用してきた、きわめてしたたかな島でもある。琉球王国は中国の朝貢国家として出発した。その体制に亀裂が入ったのが、1609(慶長14)年に起きた薩摩藩の島津侵入事件である。ここから琉球王国は、日本の幕藩体制のなかに組み入れられた。しかし、これによって琉球は「日本」になったわけではない。中国の冊封(さくほう)体制はこれ以降もつづいた。中国の朝貢国でありながら、近世日本の国家体制の傘下にも入る。こうした矛盾は、これまで「日支両属」と呼ばれてきた。だが、琉球史の専門家の高良倉吉(琉球大学教授)は、「日支両属」という言い方は正確ではないと主張する》(P31)。本書によると、高良倉吉はその著書『琉球王国』(岩波新書)で、<最近の歴史家は近世琉球の基本的性格を「幕藩体制のなかの異国」と表現するようになっている>と称えているそうだ。

 沖縄は、殺人が多い地域だという。10万人あたりの殺人事件発生率では全国一だそうだ。それと暴行や傷害などの粗暴犯が多いという。全国平均の2倍近くある。殺人事件の発生率が多いのは、地縁、血縁の濃さに由来しているとも言われるという。さらには、スパイが多い島とも言われている。著者は、沖縄の酒場ではあまり大声で話さない方がいいと忠告されたことがある。どんなところにもCICやCIDのスパイがいて、話した内容が翌日にはもう筒抜けになって米軍に伝わっているそうだ。

 沖縄は、空手の島であるという。《沖縄で空手が発達を遂げたのは、島津藩の徹底的な禁武政策のためだった。1609(慶長14)年、三千の兵力で琉球王国を制圧した島津藩は、琉球の反乱を恐れ、琉球人たちが武器を持つことを許さなかった。銃剣にかわる自衛手段として、朝貢国の中国で生れた拳法を取り入れて完成した琉球独自の武術が、沖縄空手だった。沖縄空手は島津藩の藩兵に洩れぬよう一子相伝の秘術とされた。その伝統は現在も受け継がれ、沖縄各地の空手道場では小林流、剛柔流、少林寺流など多くの流派が技を磨いて競い合っている。古来琉球武士のたしなみとされた空手は、全島焦土と化し、人心が荒廃した戦後の沖縄にあって、失われたアイデンティティーを取り戻す恰好の武器となった。腕に覚えのある若者たちは、争って空手道場に通い、街頭で不良米兵らと喧嘩を繰り返すことで、さらに腕に磨きをかけた。こうして「男」をあげていったストリートファイター系の不良少年グループが、?戦果アギヤー?をルーツとする「コザ派」とは別系統のヤクザ集団の「那覇派」を発生させる揺籃となった。米軍基地の略奪を稼業とする?戦果アギヤー?と、わがもの顔の島津藩士にかわり戦後沖縄を蹂躙した不良米兵から身を護るための「実践空手」。沖縄ヤクザの二つのルーツには、この島の不幸な歴史が脈々と受け継がれている》(P116)。

 そして、沖縄空手について語るとき、必ず引き合いに出される伝説めいた人物がいるという。それは2001年に89歳で死去した宮城嗣吉(しきち)という男だという。彼は首里で生れたことから、別名をスヤー(首里)サブローと呼ばれた。沖縄史上最強の空手家といわれたそうだ。《彼の人となりについては、『スヤーサブロー 宮城嗣吉物語』(船越義彰著・沖縄タイムス社)という評伝に詳しい。この本は、全編空手修行と喧嘩の明け暮れしか書かれていない?空手バカ一代?ともいうべき奇書である。同署のなかに、20代の頃に空手のポーズをつけた宮城の半裸姿の写真が載っている。胸板は厚く、腕は筋骨隆々として丸太のように太い。全身は鋼のように鍛えあげられている》(P117)。宮城嗣吉の人生に興味を持った著者は、那覇市内で宮城嗣吉の息子に会った。腹違いの兄も一緒だった。二人とも宮城の血を引いたのか、男でも惚れ惚れするほどの美丈夫である。兄弟二人がこもごも語る宮城嗣吉像は、聞きしに勝る怪物ぶりだった。「沖縄史上最も喧嘩が強かったそうですが、女性関係も派手だったようですね」と著者が聞くと、兄が「すごかったですね(笑)。東京に行くと、赤坂の東急ホテルを一年間借り切って、毎晩、女をとっかえひっかえしていたと聞いています」と言う。著者が「失礼ですが、お二人はご兄弟ですけれども、お母さんが違うわけですか」と訊くと、兄は「はい、七名とも違います。全員、沖縄人(ウチナンチュー)です」と答えた》(P117)。25キロのバーベルを人さし指と中指で持ち上げるほどの怪力だったという。しかもそれが60代のときだとのこと。

 那覇の高級料亭「松乃下」の女将だった上原栄子はすでに亡くなった。沖縄女性の代表ともいえる存在であった。《戦時中、要塞が築かれた波之上は、那覇で最も早く開けた盛り場である。隣接する旧辻遊郭は、女だけの自治で運営された世界にも類のない花街だった。辻にはかつては三千人もの美妓が住み込み、通りには三銭(さんしん)の音色と脂粉の匂いが絶えなかった。戦前の沖縄風俗を象徴する文化財といわれた辻遊郭には、宮城も若い頃よく出入りした。辻の遊女は、尾類(ジュリ)の名で呼ばれた。語源は、女郎がなまったものとも、敵娼(あいかた)が「這いずりまわる」ところからきたものともいわれるが、尾類という語感は妙に艶かしい。波之上と辻一帯は、いまはソープランド街にすっかり変貌してしまった。だが、往時の遊郭の名残をとどめる料亭が、いまも辻に一軒だけある。琉球舞踊のショーを楽しみながら本格的琉球料理が味わえる高級料亭の「松乃下」は、米軍統治下の1956(昭和31)年に公開されたマーロン・ブランド主演のハリウッド映画「八月十五夜の茶屋」のモデルになったことでも知られる。先頃他界した根上淳も、この映画に出演している。その店の女将だった上原栄子は、すでに亡い。「八月十五夜の茶屋」では京マチ子が演じた彼女についてここでふれるのは、本土ではほとんど知られていない宮城と同様、沖縄現代史を語る上で欠かせない存在だからである》(P119)。

 上原栄子は、伝説の女性という感じである。続けて著者は上原栄子について書いている。《那覇空港が開港した戦前の1935(昭和10)年、辻を代表して記念式典に招かれた上原は、この島の景色を上空から眺めた初の沖縄女性となった。1933(昭和8)年、18歳の上原栄子を撮った木村伊兵衛の写真がある。沖縄風に結った髷は匂い立つばかりで、浅黒い肌、濃い眉の下のつぶらな瞳は、男心を誘ってやまない。野生動物を思わせる官能的なまなざしには、危険と蠱惑が同居している。宮城嗣吉が?男をあげる?ため空手に没頭した沖縄男の代表なら、辻遊郭の上原栄子は?女の性(さが)?に身も心もゆだねた沖縄女性の代表だった。上原には、『辻の華−くるわのおんなたち』(時事通信社)というベストセラーになった自伝がある。<私は四歳のとき、「尾類ぬクーガー(遊女の卵)」として、辻遊郭に売られました。病気の母の治療費に困り果てた父が、私を仔豚(ウーグワー)のようにモッコに入れて、一楼の主である抱親(アンマー)様のもとへ担いで行ったのです……>。彼女は戦時中、辻では御法度とされていた道ならぬ恋に溺れた。相手は沖縄に派遣中の日本軍将校だった。その扇情的な交情のくだりは、異色の映画俳優として知られた殿山泰司が『日本女地図』のなかに書いた沖縄女編の「ちょっと息を吹きかけただけですぐにもう昂憤する、沖縄女の世界一の感受性」を目の当たりにするようである》(P120)。彼女は戦後、米国民政府の高官と結婚し、「松乃下」は沖縄で初のAサイン証書授与の店となった。Aサインとは、米軍御用達というお墨付きの印である。遊女あがりの上原はこれ以降、女実業家として扱われるようになった。

 一方、宮城嗣吉は戦後、映画の世界に入った。映画興行の世界は、アウトローの世界につながっている。沖縄には、沖縄旭琉会と三代目旭琉会という二つの指定暴力団があり、それぞれの会長とも親交があった。沖縄にはもう一つ、東声会の沖縄支部がある。会長は2005年に83歳で亡くなった?保俊夫である。?保と宮城には多くの共通点がある。空手がメチャクチャに強かったこと。そして、戦後、「沖縄四天王」のひとりに数えられる立志伝中の人物の大城鎌吉がつくった琉球映画貿易(琉映貿)に入り、同社の社長になったことも、宮城に似ている。従って、宮城は?保とも親交があった。

 本書では、奄美諸島のことにも触れている。そして、沖縄における奄美出身者への差別問題をも取上げている。《戦後、奄美諸島は沖縄と同様、米軍の統治下におかれた。敗戦直後の奄美の状況は、沖縄以上に悲惨だった。食料危機は日増しに深刻化し、貧困救済よりもまず飢餓防止運動から取り組まなければならなかった。その上、本土鹿児島への渡航にもパスポートが必要だったため、勢い米軍基地景気に沸きはじめた沖縄への出稼ぎが日を追うごとに増えていった。『奄美復帰史』(村山家國著・南海日日新聞社)は、述べている。<女は身売り、男は盗みなどに転落する者が多く、政庁は臨時保護措置として、たしかな雇用契約のない者の渡沖を抑えた>。奄美の出身で、尖閣諸島に本籍地を移すなど本格的に民族派運動に挺身している前出の奥茂治(南西諸島安全保障研究所・副理事長)は、沖縄の表社会にも裏社会にも驚くほど通じた人物である。奥の評価には毀誉褒貶があるが、この種の人物にありがちな鬼面人を驚かせるハッタリは少なく、証言の信憑性は相当に高い。その奥によれば、表であれ浦であれ、戦後沖縄復興の礎(いしずえ)となったのは、多くは奄美出身者だったという。「沖縄には奄美出身者が十万人もいます。けれど表立って奄美出身者だと口にできない。奄美出身者の苗字はほとんど一文字ですが、沖縄風に名前を変えている人までいます。戦後、奄美出身者たちは沖縄人(ウチナンチュー)からずっと差別されてきた」》(P138)。沖縄では当時、公務員の給与ベースも奄美出身者は低く、公務員の数も奄美出身者は極めて少なかったという。

 1953(昭和28)年12月、奄美諸島は沖縄に先駆けて本土復帰を果たした。ところが、それから本格的な奄美差別がはじまったと奥茂治は言う。《「奄美の本土復帰をきっかけにして、銀行や電力会社の要職に就いていた奄美出身者たちが全員解雇され、奄美に戻されたんです」。−奄美が復帰したから、沖縄から出て行けというわけですか。「その通りです。一種の公職追放です。沖縄は地上戦でたくさんの戦死者が出ましたが、奄美には労働力になる成年男子がいっぱい残っていた。そこに目をつけた代表が、國場組(こくばぐみ)を興した國場幸太郎さんです。奄美の人たちを安価な労働力として雇って米軍基地の建設をさせた」。−なるほど、そういう構造なのか。「それで基地のインフラが整備されたら奄美の人間は」。−もう用済みだと。「そうです。奄美の人たちは戦後沖縄復興の捨て石になった」。虐げられた者が、虐げる者をつくりだす。ここから透かし見えるのは、果てしない差別の連鎖構造である。戦争にしろ米軍基地にしろ、沖縄はほとんど被害者の島という文脈で語られてきた。だが、奄美出身者の立場からすれば、自分らを収奪するだけ収奪して、あとは弊履のごとく捨て去って一向に顧みない加害者の島だった。「沖縄に残って職を失った奄美出身者のなかには、稼業の世界で生計をたてようと考える人が少なくなかった。ある時期、沖縄はもちろん、本土でも奄美の人たちがまとまってヤクザの世界に入っていった。田岡(一雄)さんが首領(ドン)だった時代には、山口組のヒットマンといわれたのはみんな奄美出身者でした。奄美出身者は口が堅く、団結心が強い。沖縄でも奄美出身者は警察官になるか、自衛官になるか、暴力団になるしかないといわれた時代があったんです」》(P140)。

 この後、本書では延々と沖縄の暴力団の成り立ちと抗争の歴史が書かれている。殺し合いもあり、親分が殺されたり殺したりと、かなり凶暴な様相である。だが、現在では市街地で銃撃戦を繰り広げるということはないようだ。

 沖縄は、一人当たりの所得が全国最低である。しかも失業率は全国最高だ。経済面では暗い部分ばかりが強調されているが、統計数字には表れない沖縄独自の経済活動があるという。模合(もあい)または寄合(ユーレー)と呼ばれる相互金融融通組織を通じての経済活動である。《これが沖縄経済の地下水脈を動かしている。全国最低の所得しかない沖縄が、あまり貧しく見えないのは陽気な南国の気候のせいもあるが、こうしたアングラマネーによるところが大きい。闇の世界に飛び交うこの潤沢なフローマネーが、沖縄経済を統計数字以上に活気づかせている。と同時に、沖縄ヤクザの豊富な資金源ともなっている。上空から見る那覇の町並みは、全国最低所得の県庁所在地にはとても見えず、東京や大阪と比べてもまったく遜色ないダイナミックな大都会である》(P179)。

 「軍用地主」という言葉がある。沖縄独特の言葉である。本土ではついぞ聞かれない言葉だ。日本に駐留する米軍基地の75%が、日本の全面積の0.6%しかない沖縄に集中し、その占有面積は沖縄本島の20%を占めている。問題は、沖縄の基地が誰のものかということである。本土では、米軍が使用する土地の約88%が国有地で占められている。それに対して沖縄では、米軍が使用する土地の3分の1は個人が所有する私有地だという。その地権者は、沖縄全体で3万3千人あまりだという。現在の沖縄の軍用地料は、全体で年間8百億円である。軍用地主には、所有する土地の広さに応じて軍用地料が支払われる。沖縄で最大の軍用地主は竹野一郎という人物だった。彼の年間地料は20億円と言われている。膨大な金額である。

 沖縄は、ミュージシャン、タレントを多数輩出している。その理由は何だろうか。著者は、「沖縄の芸能問題を取材するとき、絶対に忘れてならないのは秋縄アクターズスクールの存在である。沖縄の芸能問題を扱ったこの章の冒頭でも述べたが、沖縄アクターズスクール出身者には、安室奈美恵を筆頭にSPEED、MAXなどの女性ミュージシャン、山田優や黒木メイサなどモデル出身のタレントや女優らが目白押しである。男性アイドルでは、ヒップポップグループのDA PUNPもアクターズスクールの出身者である」と指摘している。校長はマキノ正幸。マキノは、沖縄の血を説明した。《「僕が面白いと思ったのも?血?なんです。みんな混血であることを隠しているけれど、スペインから渡ってきた血や、南方から渡ってきた血が、ごちゃごちゃに混ざって、突然ヘンなのが出てくる。日本はせいぜい蒙古とのからみがあるくらいだから、みんなのっぺりした顔で生れてくるけれど(笑)、こっちは何が出てくるかわからない。それと、やっぱり(沖縄人がもっている)空気が違う」。マキノがいう空気とは、子どもの頃から三線の音を聴き、何かというとカチャーシーで踊る習慣によって自然に身についた、日本人にはない音感のよさと身のこなしのことだろう》(P589)。

 著者が本書を書いた時点で、沖縄には約2万4千人の米軍部隊が駐留していた。その4分の3に相当する1万8千人あまりが海兵隊で占められている。これは日本に駐留する海兵隊の約90%に当った。著者が沖縄で親しくなった新聞記者が海兵隊の存在が意味することを著者に説明した。《だから沖縄の米軍犯罪が飛びぬけて多いんです。アメリカでも海兵隊の犯罪は多発していて問題になっている。ハワイに行くとわかります。海兵隊が戻ってくると、街に緊張が走る。ホテルでも海兵隊の若い兵士だけからはデポジットをとる。それをやらないと、トンズラされるから。海兵隊は米軍のなかでも一番野蛮なヤツがなる。海兵隊の主な産地を知っていますか? ノースカロライナとサウスカロライナとケンタッキー。みんな貧乏州です。この三州では、レッドネックになるか刑務所に行くか、海兵隊になるか、といわれている。レッドネックとは炎天下で労働作業をするので首筋が赤くなる日雇い労働者のことです」。−つまりどこにも行くところがないから海兵隊に入る。「誰でもなれるようじゃないと、敵を殺せないじゃないですか。一番コストがかからないから、一番最前線に行ける。だいたい人権意識の高い兵隊って使い物にならないでしょ」。−遵法精神のある兵隊というのが、そもそも言語矛盾だ。「彼らは人を殺すために訓練されている。普通の人間を猛獣に変えるのが軍隊です。とりわけ戦争で最前線に送り込まれる海兵隊は、それを徹底的にたたき込まれる。だからベトナム戦争当時、沖縄で女性の乳房を切り取ったり、陰部に棒を差し込んだりする猟奇殺人が多発した。湾岸戦争やイラク戦争で海兵隊が沖縄からいなくなると、犯罪はぐんと減るんです。かわって事故が増えます。戦争が始まると、演習が激しくなりますからね」》(P614)。
 
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kojitakenの日記
佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110925/1316922208

狼魔人日記
沖縄を語る“大文字言葉”--『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』感想文
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e24b8293063e7506b449a48a0f8fab54
沖縄新報によって削除された「沖縄戦記」
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/dfedd04380797b17b410242b027052f7


その他の検索結果
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv3-fujitc01&p=%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%80%80%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AB%E3%82%82%E6%9B%B8%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2&ei=UTF-8


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