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*一件迂遠なように見えて、現在の私達が考え直すべき基本について、示唆に富んでいます。
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センチメントの力 (田原牧の「西方からの手紙」) 〜ニュース 報道 | The JOURNAL
[投稿者:田原 牧 日時: 2010年5月23日 23:18 ]
http://www.the-journal.jp/contents/maki/2010/05/post_4.html
4月初めから気が晴れない。知人がさらわれたままなのだ。常岡浩介君。フリーランスの記者で、アフガニスタン北部で消息を絶った。彼は昨年もアフガンを訪れていて、帰国した際には「この不況でテレビも出版社も渋くて。ちっとも取材レポートが売れず、足が出っぱなしです」と苦笑していた。それでも、再び西へ向かった。散発的に不確実な情報が届くが、解放まで当分、時間がかかりそうな気配が漂う。
彼の今回の渡航はタイミングが悪すぎた。アフガンと隣国パキスタンの情勢は、ここ1〜2カ月、イランも絡んで激しく揺れ動いている。その最中、今月1日にはパキスタン生まれの米国人青年がニューヨークで車爆弾テロの未遂事件を起こした。事件の前に5カ月ほどペシャワールに滞在していたと報じられているが、特定の組織には属していないようだ。外来者ではなく、一介の米国市民が自国で「聖戦」に躍り出る。昨年暮れのパレスチナ系米国人軍医(ニダール・ハッサン)の乱射事件と同様、9・11事件を超える「国内の戦場」が開かれたのかもしれない。
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この新たな局面にオバマ大統領(以下、敬称略)はどう対抗しようとしているのか。米国ではその「抑止力」が議論になっているが、日本ではこの言葉が身もふたもない政治判断で注目されている。言うまでもなく沖縄である。鳩山首相(同)は23日、沖縄現地で辺野古現行案へUターンする意思を明らかにした。先の沖縄訪問で「学べば学ぶうちに...抑止力というものが...」と話し、この日も「全体として抑止力を低下させてはならない」と、この3文字に固執した。
施政方針演説で「いのちを守りたい。いのちを守りたいと、願うのです」と語ってから4カ月。あのとき、異例ともいえるセンチメンタリズムの濃さが酷評された。けなした人々は現在、同じ口から繰り返された「抑止力」というリアリズムの権化のような台詞にさぞかし留飲を下げていることだろう。
「Uターン」という結論は2週間ほど前、この問題に長く携わってきた制服組の元幹部から聞かされていた。その元幹部に、それでは抑止の対象とは何なのか、と素朴に尋ねた。彼は北朝鮮なんて問題外で、中国と「不安定の弧」(中東、南アジア)を指すのだと教えてくれた。
早速、中国研究の第一人者に聞いてみた。彼は苦笑し、こう解説した。「中国は日中なんて狭い枠で問題を考えていない。尖閣にせよ、油田にせよ、日本と有事を起こすことは、国際社会で影響力を持とうとしている現在の中国にとってはリスクが大きすぎる。加えて、そこでもめれば、その熱は中国国内では反日運動に転化するだろう。しかし、それは民主化運動に発展しかねない。共産党はそんなコストを支払いたくはない」
「不安定の弧」は私の畑に近い。米国にとって、沖縄の重要性はこの「弧」と本土をつなぐアジア・太平洋における唯一の中継基地という点にある(日米安保条約の極東条項をめぐる議論にはあえて触れない)。しかし、オバマはいま、イラク、アフガンという二つの泥沼から懸命に足抜けを図ろうとしている。それも、ここ1、2年のうちに、だ。となると、いま現在は中継基地が必要であっても、いまから造る基地にこの必要論が当てはまるとは考えにくい。
異論もあるだろう。情報の断片として、受けとめていただきたい。というのも、この種の議論が本題ではないからだ。
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でも、あと少しだけ、前口上を許してほしい。難題に鳩山がサクサクと解答を出せないので「日米同盟」の危機だ、という見方がある。ちょっとナイーブすぎやしないか。というのもオバマだって、もっとスケールの大きな課題で、公約はしたけど履行していないことがある。ただ、オバマには鳩山にはまねできない政治的なしたたかさがある。
何を履行してないかというと、パレスチナーイスラエル和平である。1年ほど前、彼はトルコでもエジプトでも大々的に演説し、大見得を切った。前任者は「文明の対立」に溺れていたが、とんでもない。イスラーム圏と米国は相互に敬愛しなくてはならない。ただし、この反目の根にはパレスチナ問題が横たわる。それを自分は何とかする。彼はそう約束し、喝采を浴びた。
ところが、イスラエルは国際法違反の入植活動をやめず、パレスチナ側も自治政府の分裂状態が続く。交渉のテーブルすら成立しない。オバマは4月、こう釈明した。「この対立の当事者たちが古い憎悪の思考を打ち破ろうとしない限り、米国も解決に導くことはできない」
一瞬「なるほど」とうなずきそうになるが、何のことはない。難題をよく理解していなかったので、軽く考えていたと告白したのだ。でも、開き直り方がうまい。オバマはこう続けた。「時間はかかるだろうし、当事者の不満も鬱積するだろう。だが、確実に変わっていく」。格好だけを整えるべく今月9日、米国を挟んだ間接交渉がスタートした。もちろん、当事者の誰ひとり、これが実を結ぶなんて考えてはいない。
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本題は「いのちを守りたい」だ。センチメンタリズムというものは通常、「クソの役にもたたない」と叩かれる。1月の施政方針では、それでも首相の台詞かと罵倒もされた。でも、「クソの役にもたたない」と酷評することは、逆に本当のリアリズムを理解していないか、そこから目を背けたい人々の逃げ口上にすぎない。センチメンタリズムは人の心の奥をざわつかせる。それは共感と言い換えてもいいだろう。その力を侮ってはいけない。
実際、鳩山の「最低でも県外」というアジテーションは、沖縄県民が長年、心の奥深くに封じ込めてきた「差別」という二文字を解禁させた。解禁させこと(期待させたこと)が悪いなどという言い分は、居直り強盗の台詞であって論外だ。さらに民主党への希望の素地には、野党時代に培われたこうした「民衆との共感力」があったはずだ。
センチメンタリズムは特に政治、軍事においてはリアリズムの既製品(お題目)より、はるかにリアルだ。妄言ではない。あまたある例から一つだけ挙げる。イラク戦争だ。2003年の開戦から順風満帆だった米軍は翌春、イラク中部ファルージャでの「ポカ」で、一気に坂道を転げ落ちた。発端は「そろそろ米軍の駐屯地として貸していた小学校を返してほしい」と平和的に請願した地元住民たちに、米兵が発砲したことだった
ファルージャ住民は憤り、そのセンチメンタリズムはその後、イラク全土に伝搬した。そのころ、懇談した制服組のある幹部は「これは米軍の負け戦だ」と断言した。「民心をつかみ損なったら、戦は負けなのです」。彼はそこで宣撫工作の重要性を説いた。「宣撫」という言葉のざらついた感触は不快だったが、世界最高の武器や兵力は実際、拙い手製の道路脇爆弾に圧倒されていった。その結果は知っての通りだ。
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別の角度からも、鳩山の誤りは明らかだ。唐突に聞こえるかもしれないが、資本がグローバル化する時代に国民国家は衰退せざるを得ない。「じっさいいかなる国民国家も、今日、帝国主義的プロジェクトの中心を形成することはできないのであって、合衆国もまた中心とはなり得ない」(ネグリ・ハートの『帝国』)。いまや国家の柱である軍隊ですら、民営化が進んでいる。パキスタンの三軍統合情報部(ISI)元長官のハミード・グルは「誰であれ、資金を多く持つ者が傭兵を雇え、戦争に勝ち、領土を獲得できることは危険極まりない」と発言しているが、私もこの点は同意できる。
その昔、より自由な経済活動(越境)を求めた人々が荘園制の軛を突き崩し、絶対王政を成立させた。現在もそうした歴史の大きな端境期にあるのだろう。だが、現在は過渡期ゆえに、本質では対立する国民国家と国境など桎梏でしかないグローバル資本は「共存」せざるをえない。たしかに資本に身を委ねて、市場原理主義を掲げる政府はあったし、いまもそうした政治潮流はある。けれども、善し悪し抜きにそれは国民国家にとっては「自爆行為」である。国民国家という存在の命綱は、資本の論理と距離を置いた理念や共感にしかない。そうしたオブラート抜きに国家は成立し得ない。
ちなみに、この共同体(国家も含む)を溶解させていくグローバル(資本)化の論理に敏感に反応し、最も抵抗している世界がイスラーム世界である。イスラーム圏ではここ数年、1924年に途絶えた「カリフ制」の再興論議が高まっている。あくまで論議にすぎないが元来、イスラームは本質的にグローバルであるし、その本源から資本とは異なるもうひとつの世界基準を設けようとしている。資本のグローバル化に対する反作用ともいえるだろう。
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日本でもグローバル資本の論理によって、かつての「疑似社会主義(一億総中流)」社会が格差社会(貧困化)に一変した。自民党には抗する術がなかった。つまり、国民国家の観点からは昨夏の政権交代は必然だったともいえる。資本の論理による「痛み」から逃れること、一部の人々はその先に「もうひとつの世界」を夢見て、民主党+α政権にそれを託した。そうである以上、その政権の任務とは、あるいは「政治主導」なるものの意味とは、下部構造のリアリズムに縛られた従来の官僚政治に対し、民衆のセンチメンタリズム(理念と共感の土台)に依拠した国家運営を追求することでしかなかったはずだ。実際、セイフティーネットの再生を求める声が政権交代を後押しする最大の追い風だった。
ところが、そうした民衆との共感力という民主党の最大の武器はいまや見る影もない。その早すぎる結末として、鳩山は「いのちを守りたい」に通じる沖縄県民の憤りを「抑止力」なるおざなりな台詞(その内実すら不明)で葬ろうとしている。どんなに官僚の抵抗が激しかろうが、越えてはいけない一線というものがある。彼はそれを越えてしまった。
いわゆる「小沢問題」で権力の暴力装置を可視化させ、沖縄問題で日米安保をお茶の間に引きずり出したということだけで、現政権を評価する向きもあるだろう。でも、それは身びいきにすぎる。参院選で消去法から再び民主党を支持するという選択は否定しない。でも、それは別次元の話だ。
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テレビに映る鳩山の表情を横目に、ふと常岡君は今日、何を食べたのだろうかと思いを馳せた。彼はいま、異郷の地で何をみつめているのだろうか。
前述のオバマの抑止力についていえば、オバマは米国民ですらCIAの暗殺リストに載せるという大きな河を渡った(イエメンと米国の二重国籍者でイスラーム法学者のアンワル・アウラキが対象になった)。でも、米国民の「テロリスト」は今後も無限に生まれそうだ。今日も米本土の基地のカーソル一つで操られた無人偵察機がアフガン・パキスタン国境で無差別殺人を繰り返している。グローバル化の象徴であるインターネットは、そこでの住民の血叫びまでも世界の隅々に伝えてしまう。それに触発された若者は「アル=カーイダなんてもう古い」とばかりに米国各地で爆弾をつくるだろう。オバマの「リアリズム」に沿った抑止力は民衆のセンチメンタリズムを掻きたて、それはリアルな惨禍を増幅させていく。
その惨禍の源泉である戦場の風景を常岡君は五感を駆使して、伝えようとしていた。陳腐なリアリズムの理屈では語れない、人間存在が織りなすセンチメンタルな世界。本当の抑止力とは、そこにこそ潜んでいる。彼の口から一刻も早く、直接そのレポートが聞けることをいま祈っている。
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