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【「官房機密費問題−野中証言考その6、三宝会考その1】 れんだいこのカンテラ時評733 http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/783.html
http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain れんだいこのカンテラ時評733 れんだいこ 2010/05/22 20:06 日本言論界の鳩山政権叩き、特に小沢パッシングには裏がある。「日本ジャーナル界の非公然CIAモサド機関」とも云うべきネオシオニズム系報道結社「三宝会」なるものが存在するということらしい。この情報を整理して見る。 このことを最初に明らかにしたのは既に10年以上前の「週刊ポスト1997.10.31日号」で、「三宝会が竹下直系の情報機関として設立され、事務次官経験者や現職の内閣情報調査室長も加わっている」ことを報じている。このスクープを受け田中慶秋議員が「1997.10.30日の衆議院予算委員会」で質問し、「マスコミを利用した政治支配」として政府を追及している。しかし、大メディアは一切報道しなかった。 平野貞夫氏も「1997.11.19日の参議員本会議」で質問し、「三宝会は、この情報化時代に、大手の新聞社や通信社五社、全国ネットのテレビ四社、大手の出版社五社から、合わせて三十人の第一線の有名ジャーナリストをネットワークし、個人会員に新旧の内閣情報調査室長と五つの利権官庁の事務次官OBを参加させ、三十五の法人会員で構成しています。元首相を最高顧問に、事務局をイトマン事件で絵画取引を行った画廊に置いています。世話人の中には、情報操作のプロと言われている人物もいます。趣旨書には、相互に円滑な人間関係を築き上げ、職域を超えて足らざるところを補完して飛躍しようという意味のことが書かれています」と述べ、橋本首相の見識を問うている。橋本首相は、「三宝会についてお尋ねがございました。どのような見解をと言われましても、私自身メンバーでありませんし、どういう会合なのかわかりませんだけに困ってしまいますが、私は、私的な立場で各界におられる方々が広い視野での判断、また公正、客観的な考え方を得ることを目的とし、自由な意見交換をされる勉強会だと、そのように認識いたしております」と答弁している。 平野貞夫氏は、衆議院事務局に長らく勤務し「日本政界の生き字引」的貴重人士である。その後参議院議員になり現在は政治評論家として活躍している。「小沢の知恵袋」とも称される親小沢派の希少な政治評論家である。その平野氏が「平成政治20年史」(幻冬舎、2008.11月)を著し、「三宝会」について再度言及したことにより広く知られる存在となった。 金融アナリスト系政治評論家として知られる植草一秀氏も2010.2.19日付けブログ「対小沢一郎氏激烈メディア攻撃黒幕『三宝会』」以下シリーズで言及している。 これらを元手に「三宝会」についてもう少し確認しておく。 「三宝会」の狙いは次のような政界流動にあったと思われる。1976年のロッキード事件で、戦後の政府自民党を領導していた田中角栄−大平正芳同盟のハト派ラインが掣肘された。鉄の軍団と云われた田中派は竹下−金丸グループの離脱により瓦解した。以降の政局は、このねじれハト派の竹下−金丸グループを利用した福田−中曽根同盟のタカ派優位で推移することになった。その節目が1980年代初頭の中曽根政権の樹立であり、以降タカ派が政府自民党を領導することになる。これを仮に「政府自民党内の宮廷革命」と命名する。この宮廷革命以降、日本政治は露骨なネオシオニズム御用聞きに向かい始める。いわば売国奴的な劣性資質の政治家に日本政治が舵取りされ始めたことになる。 東京地検特捜部は、ロッキード事件の際には超法規的な法運用までして冤罪の可能性が強いにも拘わらず「総理の犯罪」を仕立て、世界に通用した名政治家たる田中角栄を政治訴追し抜いた。その後、ロッキード事件の真の主犯たる中曽根が我が世の春を迎え始める。東京地検特捜部はうってかわって、中曽根が関わっていたダグラス・グラマン事件、原子力利権事件、その他その他の腐敗事件に対しては隠蔽に向かった。その不正の仕組みが遂に暴かれたのが1988年のリクルート事件発覚であった。 以降の政局流動で、田中角栄チルドレンの小沢−羽田グループが先祖返りし裏切り派の竹下派から離脱、のみならず自民党から離党して政権交代を仕掛けることになった。それは、「政府自民党内の宮廷革命」以降、露骨にネオシオニズム御用聞き化し始めた日本政治に対する抗議運動でもあった。1993年、日共を除く反自民勢力が結集し細川連立政権を樹立した。 但し、与党の社会党が政権を支えず、政権交代政権は羽田政権を経て崩壊する。1994年、自民党が、細川連立政権の与党の一角を占めていた社会党とさきがけを取り込み、社会党党首の村山を首相に押し立てて政権奪還に成功する。村山首相は政権発足後まもなく社会党の戦後来の反戦平和政策を転換し自民党政策に合わせる。自民党は、村山政権を泳がせた後、用済みとさせ橋本政権を樹立する。以降、自民党が再度、不動の与党的地位を確立する。但し、一敗地にまみれた小沢派は捲土重来を期して政権交代を企図し政局流動する。 この頃の1996年、「竹下元首相の発意」により「三宝会」が結社される。「三宝会」は、小沢一郎を最重要警戒人物に認定し、角栄チルドレンが結集する小沢派を封じ込める狙いで結成された。「竹下元首相の発意」とあるのは例によって黒幕を隠すトリックであり、ナベツネが常に裏で糸を引いていることを踏まえれば、「中曽根−ナベツネライン」を核とするネオシオニズムエージェント網が奥の院であり、その差し金で「竹下元首相の発意」として結社されたと読むべきであろう。かくして、ネオシオニズム系言論大砲機関としての非公然組織「三宝会」が結成された。こう理解する必要があろう。 平野貞夫氏は、著書「わが友・小沢一郎」(幻冬舎)の中で、三宝会の目的を次のように記している。 「(三宝会の)設立の目的は『情報を早く正確にキャッチして、(中略)、行動の指針とするため、(中略)立場を異にする各分野の仲間たちと円滑な人間関係を築き上げていく』というものだった。メンバーは最高顧問に竹下、政界からは竹下の息がかかった政治家、財界からは関本忠弘NEC会長ら6人、世話人10人の中で5人が大手マスコミ幹部、個人会員の中には現・前の内閣情報調査室長が参加した。要するに新聞、テレビ、雑誌などで活躍しているジャーナリストを中心に、政治改革や行政改革に反対する政・官・財の関係者が、定期的に情報交換する談合組織だ」。 要するに、戦後日本政界の真の抗争軸であるネオシオニズム派と在地土着派の政治闘争に於いて、ネオシオニズム派の非公然型ジャーナル統制機関として結社された「定期的に情報交換する談合組織」として踏まえる必要があろう。「非公然」と記すのは、秘密結社よりは公然にして、公然と云うには秘密的であると云う性格による。 2010.5.22日 れんだいこ拝
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