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小沢一郎包囲網の深層を考える(神州の泉) http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/662.html
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/ 長年にわたり、政治家・小沢一郎氏は、マスコミや御用評論家、あるいは特定の政治家連中から不当なイメージ毀損を受け続けている。それは昨年3月の西松建設献金問題から顕著になり、政権交代して彼が幹事長になってからも、更にそのバッシングは苛烈さを増している。その背景を自分なりに考察してみた。 既存マスメディアや小沢氏に反感を持つ政治家たちが、これまでに執拗に垂れ流し、イメージ定着させた小沢一郎像は簡単に言えばこうである。 テレビ等で小沢包囲網が語る小沢一郎像は大方がこのどれかに当てはまっており、そうとうにネガティブな人間像がこれでもかと語られる。それらは半ば定型化していて、当たり前のように小沢批判に取り入れられている。ある闇の勢力によって、これらの小沢イメージは執拗に反復され、メディアを通して国民に強く刷り込まれているが、これらは完全に虚像である。かく言う私も、つい最近まではすっかりこれらの虚像に囚われていたが下記の四著を読んでみて、小沢氏の誤まったイメージを完全に修正した。 (1)平野貞夫「虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実」(講談社) 平野貞夫氏は長年、小沢氏のそばにいて、彼の人となりや政治への取り組み方を知悉しており、その実像を正確に伝えている。上の三著を読めば、いかに世間では間違った小沢イメージが流布されているかが如実にわかる。植草一秀さんが、ブログでしばしば言及している小沢包囲網の元凶である「三宝会」についても、「平成政治20年史」の173ページに、また、「我が友・小沢一郎」の87ページに語られている。 三宝会とは、竹下登元首相の指令で作られた秘密組織であり、新聞、テレビ、週刊誌等や、小沢嫌いの政治家、官僚、経営者が参加して、上記のような小沢氏への悪口や欠点を書きたて、国民へ誤解を与える狙いを持っている。この会を操る闇の勢力は、小泉政権を強く支持し牽引した存在であり、植草一秀さんを二度も国策捜査に陥れた存在である。これは植草さんが悪徳ペンタゴンと称している利権複合体であり、明らかに米国の意志が強く働いている存在だ。 検察特捜部はこの勢力と結びついており、民主党が政権交代を果たして与党になった後も、小沢氏は執拗に攻撃されている。自民党55年体制では、与党の幹事長は闇の勢力に庇護されてきた感があるが、政権交代して民主党連立政権が天下を取った後は、なぜか新政権を徹底して敵視している。その顕著な例が小沢包囲網の活発化である。 小沢包囲網の中には、獅子身中の虫として、民主党の中に悪徳ペンタゴンと気脈を通じる勢力が台頭している。具体的には、仙谷、前原、枝野、岡田などの各大臣や渡部恒三氏を始めとする反小沢勢力だ。彼らは小沢幹事長や鳩山総理の影響力を消滅させ、小泉・竹中構造改革路線と同じ市場原理至上主義を復活させる目的を持つ。 さて、小泉政権を稼動させ、植草さんを嵌めた勢力は、なぜ小沢幹事長を憎み、排除ししようとしているのだろうか。その深層を見極めることは、日本の現状を把握するために重要である。元外務官僚で戦略的情報分析の専門家、現在は執筆等で鋭い言論を展開している佐藤優氏の著書「日本国家の真髄」第二章「永遠の今」を参照すれば、「国体の本義」では、歴史は永遠の今の展開であり、歴史の根底にはいつも永遠の今が流れている。 佐藤氏は言う。我々は過去のしがらみを無視して生きるわけにはいかないのだ。過去からの様々な制約の中に現在が存在することは決して否めない。その最大の制約は大東亜戦争に敗北したということである。この佐藤氏の断言を敷衍すれば、日本人の現在の世界観、歴史観は「東京裁判史観」に囲繞されており、日米関係やアジア関係にこの史観が重く影響しているのは歴史の宿痾(しゅくあ)となっている。 ところが日本人はこの事実をタブー視して、思考停止に逃避している。沖縄の普天間基地移設問題も、根底は日本人全体がこのタブーに厳然と向き合って鳩山総理とともに真剣に考えるべき問題だ。この問題の深層には、江藤淳氏の言う「閉ざされた言語空間」が強く関係しており、日本人が対米問題に対峙する時、この閉ざされた言語空間を「開かれた言語空間」に切り替える必要がある。 このことを避けたまま、鳩山総理一人にこの問題を丸投げすることは間違っているし、卑怯である。米軍基地による沖縄県民の懊悩呻吟(おうのうしんぎん)を日本人全体の問題として受け止める共感体制が必須である。 今は詳しく言えないが、日本人が小泉政権という外道政権の出現を歓迎ムードで許容してしまった根本原因にも、同じ歴史の宿痾が作用している。日本人は米国批判を自主的にタブー視してきた半世紀以上の歴史がある。小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏のラインは、彼らなりにこのタブーに真っ向から挑戦している。それを証明する最大の事例が、亀井静香氏に郵政民営化の見直しを全面的に任せて実行させたことにある。 米国の傀儡(くぐつ)師である竹中平蔵氏が牽引し実行した郵政民営化は、わが国の国富を米国に献上する最大の売国であった。これを寸前で食い止めた小沢・鳩山ラインは戦後史の巨大なエポックである。結果として年次改革要望書の最大眼目である売国政策、郵政民営化を食い止めたことは大きなことだった。 小沢一郎氏が矯激なバッシングを受けることは、郵政民営化の成就をアメリカが狙うことと同じ構造にあることは一目瞭然である。事実上の被占領国日本を、意のままに操れば、日本の国富をいつでも自由に移転できることがアメリカの真の狙いであり、日本人を内側から精神的に隷属させる最大の武器が東京裁判史観であることをよく知っている。従って、これに気付き、政策に反映させる可能性を持つ為政者を極度に警戒し嫌っている。小沢氏がメディアなどで、上記の誤まったイメージを流布されてしまう根本に、アメリカの陰険な占領意志が存在する。 さて、真の小沢一郎論が書かれた上記の四冊の内、(4)の渡辺乾介(けんすけ)氏が書いた「小沢一郎 嫌われる伝説」は、平野貞夫氏とは異なった切り口で書かれているが、小沢氏が大いに誤解されているという意味では同じ視線であり、ジャーナリストらしく実に客観的に書いている。私は非常に参考になった一冊である。この中に小沢氏の共生理念による国家統治論的考え方の一端が書かれている。 「古い主権国家論を展開していたのでは、いつまでも争いはなくならない。主権国家万能的な考え方かたから脱却して、『共生』あるいは「共存」の考え方を共有し、実践しなければならない。」(278ページ)これは、小沢氏が理論的に詰めて国民にわかりやすくアピールする必要がある。このような短い文面だけだと、国家主権を単純に国民主権に委譲し、国家の枠を取り去ってしまえというように誤まった単純化に誘導される危険がある。 このような誤解と、小沢氏が示す対中国、対韓国への親和性がリンクすれば、日本を中国に売り渡すのかという文脈で語られてしまう。平沼赳夫氏や城内実氏などはこの文脈で小沢批判を行っているようだ。小沢氏は、もっと共生理念を自立国家論とリンクさせて国民に説明すればいいと思う。そうでなければ、このような不幸な亀裂がより大きな口を開ける。明治以来の官僚主導体制が腐敗して国家はガタガタになったばかりか、彼らはアメリカの走狗と化している今、一旦は国家主権を国民主権に移して国家そのものを立て替えるという考え方が出てくるのは道理である。 その上、権力官僚が国家ヤクザ化して無法状態を現出している今、その無血革命をしなければならない状況にある。その一環として政権交代が行われ、国民は戦後史のベクトルを選挙で変えたのだ。歴史の中に位置する現在は政権交代の現実に制約され、依拠している。これが日本の実態である。後戻りはできない。ここから未来を切り拓いていくしかない。 小沢一郎氏は東北人であり、岩手県の水沢出身である。大昔、先祖が神武天皇に逆らった長脛彦(ながすねひこ)の系譜に当たる血族か、あるいは蝦夷の系譜か、その辺のことは知らないが、平野貞夫氏の著書を読むと、大和朝廷とは出自を異にする家系なのかもしれない。これを大きな視点で、小沢氏が縄文人のDNAを持つと仮定すれば、小泉政権の出現で疲弊した日本を修正するには、小沢氏の縄文的感性が政治に反映することを国民が求めているという捉え方もできる。 縄文こそ共生理念の原点だからである。万葉の自然讃歌は日本人の縄文感性が強く顕現した時だと私は思う。欧米近代主義がモンスター化して金融資本主義が世界に蔓延し、実体経済が疲弊して金融博打が先進諸国を席巻した。リーマンショックを契機に金融資本主義は破綻した。小泉・竹中路線が主導した弱肉強食改革は日本人をアトム化し、社会の公共性を脆弱にした。その結果として国力の衰退を招いた。 ここへ植草一秀さんのような炯眼の士を国策捜査にかける傾向が強まってくると、日本はますます弱体化するだけである。新自由主義の権化であった経済学者の中谷巌氏は、金融資本主義の間違いを反省した後で、その著書「資本主義はなぜ自壊したのか」で、日本のアーキタイプについて、実に重要な指摘をしている。神道と仏教を融合(本地垂迹)した独自性、弥生人は縄文人(出雲系)を結果的に殺戮せずに融和したことが、記紀神話の国譲りに象徴的に出ていることが特筆されていた。 私は強い共感を覚えた。本地垂迹も国譲り神話も、日本特有の“むすび”の作用である。乱暴に言えば、日本人の精神作用を占める世界観のアーキタイプは、縄文感性と弥生感性の混淆なのであるが、これは時代によって、どちらかの傾向が突出する傾向がある。江戸時代は縄文傾向、明治以降は天皇が軍神化されたことにより、弥生傾向が出たとも言える。どちらが良いとか悪いとかではなく、日本人の自我や集団無意識の底流にこの二つの併存があるという話である。国民は官僚体制がすでに朽ちて機能していないことを敏感に感じ取り、小泉政権の国民生活破壊の凄まじさ、特に絶対的貧困や地方の衰亡を見て、小沢氏に縄文の共生思想を求めた。国民の集団無意識が縄文感性に舵を切ったのだ。 私は政権交代の深層をそのように見ている。民主党は隠れ小泉派が猛威を奮い、国民が望まない状況が現出しているが、小沢氏を失脚させない限り、修正の可能性は残されている。と言うか、この混迷を脱却する力を有する政治家は小沢氏を除いてほかに見当たらない。
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