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権力・マスメディアに取り込まれる人びと(誰も通らない裏道) http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/645.html
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/ 私がラジオをパソコン録音しようと思ったそもそもの動機もこの番組にある。日曜日の午後というのは、クルマに乗って聴いていることが多かったわけだが、目的地に到着するとクルマを降りなければならない。そうなると、「この続きはいったいどうなったんだろう?」といつも思う。しまいにはどうしても最後まで聴きたくなり、それから録音をするようになった。 ある時、この番組をスポンサードしていた企業の宣伝部の方と話す機会があったので、早速、番組に話を振ってみると、「とにかく聴取率表を見ると、伊集院さんの番組って突出しているんですよね。すごい数字なんです」と言っていたものだった。が、残念なことにこの番組は2008年3月で終了してしまった。が、私は今でも時々、この番組の録音ファイルを聴いてみることがある。それぐらい惜しい番組だった。 さて、この後番組を受け継いだのが「爆笑問題の日曜サンデー」である。スタート当初は何回か録音してみたが、秘密基地とはその面白さが比較にならず、あっさりと録音も、またクルマの中でもあまり聴くことはなくなってしまった(ちょうど不景気の時期に入り、日曜日といえどもあまりクルマに乗らなくなったということもあったが)。それでもスペシャルウィーク(聴取率調査週間)の内容はなかなかに面白く、最近はこの時期だけ時々録音して聴いていただけだったのだが、 先日の日曜日は偶然、13時過ぎにクルマに乗ったため、日曜サンデーを聴いてみた(というより私のクルマは基本的にエンジンがかかるとTBSラジオが流れるのである)。この番組の最初のコーナーは「ラジオ サンデージャポン」という時事を扱う、つまり午前中に爆笑問題がテレビでやっているサンデージャポンの延長戦上のコーナーである。 私はここを途中から聴き始めたわけだが、その内容がすごい。まあ、とにかく爆笑問題、そしてアシスタントの外山恵理、そしてニュース解説をする人物の4人で鳩山由紀夫を罵倒しまくるのである。私は数キロもクルマを走らせないうちに腹が立ってきてクルマを道路の脇に停め、ツイッターで「クルマの運転中だったがあまりにもムカついたからクルマを停めた。爆笑問題と外山恵里の日曜サンデー、聴くに耐えない。一刻も早く伊集院に戻せ!」とつぶやいた。 さらに、三宅雪子議員については「いつギプスを外すか難しいですね」などとせせら笑い(私はこの三宅議員の問題については、押し倒した方を擁護して、押し倒された方を罵倒する報道に、恐ろしささえ感じる)、谷亮子の民主党からの参議院出馬については罵倒。その一方で、自民党から出馬する三原順子については「相当に勉強しているらしいですよ。そういう人もいるんだから、票集めのために出馬する人と一緒にしてはかわいそう」などと太田光が言うと、田中裕二は「東国原知事も勉強してましたよねー」などとアホ発言。 この空気を、前日、大橋巨泉から「日本一の女子アナ」などとおだてられた外山恵理が、うまく民主党罵倒の部分ではせせら笑いを入れてサポートする始末である(外山恵理も永六輔の介護をやっている時にはいいが、時事ネタでは相当な民主叩きを平然と入れてくる。そういうテクニックがあるという意味では、確かに日本一の女子アナかもしれない)。私はラジオのダイヤルを文化放送に切り替えた。 そうしてクルマを運転しながら、どうして爆笑問題はこんなになってしまったのだろうと思った。昔はそれほど嫌いではなかった、むしろ好きだったのに、、実は、この爆笑問題のように「最初はいいナ」と思っていたが、あっという間に転んでしまった人というのは他にもいる。テリー伊藤もその一人である。私はテリー伊藤が書いた「お笑い大蔵省極秘情報」という本を読んだ時に驚いた。 この本に登場する大蔵官僚の、まあなんと傲慢なことか。当時から私は日本は霞が関の官僚による独裁国家だと思っていたが、その中でもトップに位置する大蔵官僚の本音が見事なまでに引き出されている。これまで、目を皿のようにして新聞を読んでいたとしても、あるいは必死になってテレビやラジオのニュースを聴いていたとしても、大蔵官僚というのがここまで傲慢であることを教えてくれるものはなかった。 この本が出版されたのは1990年代の中ごろだったと思う。当時はまだパソコン通信の時代だったが、私は参加していたフォーラムの会議室(掲示板のようなもの)に、「これが本当のジャーナリズムじゃないかな」と書き込んだことを今でも覚えている。ところが、テリー伊藤もその後、どんどんおかしな方向へ進み、爆笑問題と並ぶ自民擁護、民主罵倒の急先鋒となった。 さらにもう一人。小林よしのりについても前二者と同様のことを感じるのである。「週刊SPA!」が「週刊サンケイ」から衣替えをし、小林よしのりのゴーマニズム宣言が連載され始めた当初、私はこの漫画を高く評価して毎週、楽しみにしていた。漫画家の立場から権力の本質を見抜き、最後にゴーマンをかまして落とすというスタイルは新たな権力批判の手法だナとさえ思った。また、SPA!では不掲載になったという雅子妃結婚の際のゴーマニズム宣言を読んだ時は、これは平成の時代の風流夢譚ではないかと思ったりもした。ところが、この小林もその後、急速に右傾化していく。 当時、私がこの過程を見ていて思ったのは、小林よしのりはゴーマニズム宣言を比較的軽い気持ちで始めたのではないかということだった。さほど思想的に深いわけでもなく、なんとなく自分の思っていたことをそのまま漫画にしたのではないか、と。ところが、これが意外にもウケた。一方、この漫画の影響力に危険な匂い、危ない芽を感じた人々がいた。それが、ものすごく大雑把に言うと「権力」だったのではないかと思う。私の想像では、彼らは「これはなんとかしないといけないナ」と考えた。 そうして権力に付随するメディアが総力をあげて小林よしのりを取り込んだ。これに対して小林はもともと深い思想があったわけではないので、簡単に取り込まれてしまった、、、というのが私の見方である。そうして、これはテリー伊藤や爆笑問題にも共通しているのではないかと思う。もともとマスメディアに属する連中は、権力からすればいかようにでもコントロールできる(現在、メディアに登場する記者連中を見れば一目瞭然)。しかし、時々、そのコントロールの及ばないところから意外に権力の急所を突いてくる人物が出てくることがある。 日本の権力=霞が関というのは、とにかく国民を、そして世の中を自分たちの目の届く範囲の中で思い通りにコントロールすることだけを常に考えている。彼らにとって想定外の出来事が起きることは悪なのである。したがって、自分たちの頭の中で描いているシュミレーションを壊すような危ない芽はとにかく摘んでおく。それだけでなく、自分たちの側に引き込んで、逆にそのキャラクターを最大限利用してコントローラーの一部として利用しようとする。 そうして取り込まれたのが、爆笑問題、テリー伊藤、小林よしのり(他にもたくさんいるが)、、、といった面々なのだと思う。しかし、権力にとって新たな不確定要素が登場した。それがネットであり、そこで繰り広げられるWeb言論だ。これについては、もはや制御のしようがない。しかもドンドン増殖している。何もかもコントロールしたい権力にとって、これほど腹立たしいことはないはずだが、とにかくどうしたらいいかわからない。仕方がないので、現在は自分たちの手の内にあるマスメディアや御用文化人といった国民コントロール装置のボリュームを最大限まで上げて、増殖するWebに対抗しているということなのだと思う。
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