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タイ、タクシン派の動きの背後にあるのは中国ではない。 http://www.asyura2.com/10/senkyo86/msg/398.html
そもそも、タクシンが現在のような財産を築き上げたのは、携帯電話事業であり、それは1980年代後半のことだ。 中国での携帯電話の普及の歴史は、次の文章から分かるようにタクシンがタイで携帯電話事業を始めたのとほぼ同じだ。つまり、タクシンへ技術供与が出来るほど、当時の中国には力が無かったはずだ。 以下、http://wbb.forum.impressrd.jp/feature/20080109/519より引用: 当時、普通の中国人の月収は僅か400〜500元(6,000円から7,000円程度)でしたが、携帯電話の値段は1万元(15万円程度)以上もしました。普通の人には夢のような贅沢品だったため、当時、携帯電話は「大哥大」(ダアグダア)(「会社の社長しか使えないもの」という意味)と呼ばれていました。実際、1987年の携帯電話加入者数は、12億の人口に対して、僅か700人に過ぎなかったのです。 そして、タクシンが携帯電話事業を始めたのは、次の記事にあるように1986年だ。 以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88#.E4.BC.81.E6.A5.AD.E5.AE.B6.E6.99.82.E4.BB.A3より引用: また、タクシンは次の記事にあるように2度もアメリカ留学をしている。 以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88#.E4.BC.81.E6.A5.AD.E5.AE.B6.E6.99.82.E4.BB.A3より引用:タクシンはタイ王国警察士官学校第26期を首席で卒業し、1973年内務省警察局(現在の首相府警察局)に警察少尉として任官する。当初は国境警備隊に所属していたが、半年後局内でアメリカ留学の機会を得て渡米。イースタン・ケンタッキー大学で刑事司法修士をわずか4ヶ月で終え帰国。1976年に警察中将の娘ポチャマーン・ダーマーポン(พจมาน ดามาพงศ์, Potjaman Damapong)と結婚し、同年再び渡米。1978年(タイ仏歴2521年)、サム・ヒューストン州立大学で刑事司法博士(doctor of criminal justice)を取得して首都警察参謀局政策企画副局代理顧問の地位に就いた。 そもそも、中国が外国への影響力を強めようとするとき、経済援助を通じてそれをやるのが現在の中国の典型的な方法だ。それはアフリカ諸国への進出の仕方を見てもよく分かる。 つまり、現在のタイの情勢はどう考えても、タクシン派の背後にアメリカの動きがあり、まさに東南アジアのリーダー的存在であるタイをフィリピンのような実質的な植民地にしようというアメリカの以降があると見るべきだ。 そして、日本も、現在のような格差社会化を促すような政策が続けば、それこそ、今のタイのように、街中でテロが頻発するような社会になってしまう。 タイは、街中にいる野良犬を殺処分せず、避妊手術を行ってそのまま街中で生かし続けるという政策がごく自然な選択として民意の支持を受けるという、穏やかな仏教徒の社会なのだ。そのタイで、銃撃戦が起こり、強硬派のリーダーがたった一発の銃弾で頭部を撃たれるというのは、どう考えても、背後にタイ社会を操作していこうという勢力があるとしか考えられない。
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