投稿者 妹之山商店街 日時 2010 年 5 月 14 日 13:22:25: 6nR1V99SGL7yY
米軍基地は必要か~フィリピンの選択~
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/513
http://www.melma.com/backnumber_122815_4849216/
19年前、フィリピンはアメリカにこう突きつけました。
軍事的、経済的にもアメリカに依存していたフィリピンにとって、
この決断は容易ではなかったと思います。
しかしフィリピンから、基地は撤廃されました。
今日配信のContActは、フィリピンから「米軍基地」について考えています。
380年以上続いた長い植民地時代を経て、
独立後もなおアメリカ支配が続いた国フィリピン。
世界最大の米軍基地を抱えながら、いったいどのように
基地撤廃が実現したのかをたどりました。
また、かつて基地のあった街も訪ねています。
普天間移設問題は、「基地ありき」の議論から出発しているように見えます。
そもそも米軍基地はなんのために、誰のためにあるのでしょうか?
基地はなくてはならないものなのでしょうか?
この番組は、そんな疑問にアプローチするために企画しました。
番組の最後に、日本へのメッセージも登場します。
普天間移設問題に揺れる日本は、フィリピンの人々の目にどう映っているのか―。
ぜひご覧ください!
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19年前、米軍基地に“NO”を突きつけたフィリピン。
1世紀以上も続いた在比米軍基地は、なぜ撤退することになったのか。
基地のあった街は、現在どうなっているのか―。
フィリピンで基地問題の関心が高まった1980年代後半。
米軍基地に完全に依存していたフィリピンでは、
基地存続を求める人が多数派だったと言われています。
基地撤廃派と基地存続派が激しく対立する中、基地撤退が決まったのは1991年のこと。
それまでの道のりや背景について、当時の上院議員、基地のあった街の元市長、
市民運動のリーダーまた軍事外交専門家が語ります。
そして、かつてアジア最大規模の米海軍基地があった街から、
基地が人々に残した爪あとを取材しました。
<参照>
【冷戦終結20年 現場を訪ねて】(18)フィリピン編(上)クラーク空軍基地
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/091012/asi0910120904000-n1.htm
【冷戦終結20年 現場を訪ねて】(19)フィリピン編(下)スービック海軍基地
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/091019/asi0910190803001-n1.htm
産経新聞のクラーク、スービック取材に同行
http://watami2008.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
スービック、クラーク基地返還の顛末
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/east-asia/subic-etc.html#bases
米軍撤退後どうなる…“基地が消えた街”の今:米軍基地返還で経済成長する街
http://www.youtube.com/view_play_list?p=531117659A8CFBB7
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