投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 5 月 12 日 21:02:52: mY9T/8MdR98ug
http://www.magazine9.jp/kunio/100512/
ホッとした。安心した。よかった、よかった。5月9日(日)、無事、終了した。森村泰昌さんの「写真展」だ。襲撃されるのでは…。作品が傷つけられるのでは…。と、本気で心配した。だって、例の衝撃的な写真があったからだ。森村さんが昭和天皇に扮している。「不敬だ!」「許せん!」と右翼の街宣車が押しかけるかもしれない。あるいは、見学者に紛れこんだ右翼によって作品が破壊されるかもしれない。
僕も覚悟を決めた。だって、事前に見て、「これはいい。ぜひ、やるべきだ」「これは芸術だ」と強く薦めたからだ。会場の人には言った。「抗議に来る人がいたら僕の住所と電話を教えてやって下さい」と。僕が激賞した。僕が薦めた。「文句があったら、鈴木を襲え!」と。「推薦する」とは、それだけの覚悟がいることだと思う。
森村泰昌さんは世界的に有名なアーチストだ。「写真展」といったが、正確には「森村泰昌展・なにものかへのレクイエム 戦場の頂上の芸術」という。今年の3月11日(木)から5月9日(日)までの2カ月、行われた。場所は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館だ。その2階展示室と3階展示室を使って行われた。期間も長いし、場所も広い。写真だけでなく、映像作品もある。
何といっても驚くのは、「三島由紀夫の演説」だ。巨大なスクリーンでは、三島が自衛隊員に向かって演説している。しかし、実は森村さんが三島に扮し、演説している。初めは「三島の檄」だ。しかし、途中から現代の芸術批判、芸術家批判になる。森村さんの憂国演説になる。
他のスクリーンでは、ヒトラーになり切って演説している。でも、チャップリンの「独裁者」になったり、森村さんの言葉になったりする。又、硫黄島での戦いもある。レーニンの演説もある。「写真」の方は、ピカソ、アインシュタイン、毛沢東、ゲバラ…などになり切っている。1960年の浅沼社会党委員長刺殺事件もある。殺される浅沼稲次郎も、殺す少年テロリスト・山口二矢も森村さんが演じ、一つの写真に収まっている。ベトナム戦争、三島事件、ガンジーと、20世紀の人物・事件が次々と出てくる。
そして、ギョッ! とするのが問題の写真だ。昭和天皇がマッカーサーと並んでいる例の写真だ。あまりに有名な写真だ。それを演じている。それに、二人とも森村さんが演じている。これもありだ、と僕は思った。20世紀の大事件、大人物を演じ、それによって20世紀を追体験している。〈歴史〉なんだから、やっていいだろう。そう思い、自分で自分を納得させた。しかし、その〈実物〉を目にすると、さすがにギョッとする。
森村さんは勇気がある。腹を括ったなと思った。写真展の前に僕に見せてくれたが、その段階ではもう決心していたのだ。レーニン、ヒトラー、毛沢東、三島由紀夫を演り、とうとうここまで来たか、と思った。
そして、ソクーロフ監督の映画「太陽」を思い出した。ロシアの監督が昭和天皇を描いたのだ。その前に、ヒトラー、レーニンを主人公にした映画を撮っていた。「20世紀を映画で撮る時、やはり昭和天皇を欠かせない」と監督は言っていた。「ヒトラーやレーニンは大河のそばで鳴いているカエルのような存在だ。しかし昭和天皇は滔々と流れる大河そのものだ」と言う。それだけの敬意と愛情を持って作った。しかし、イッセー尾形が演じる昭和天皇が余りに似ていたこともあり、右翼からドッと攻撃された。「不敬だ!」「許せない!」と。映画館には街宣車も押しかけた。映画「靖国」と似た騒動になった。
天皇を取り上げると必ず右翼が騒ぐ。又、右翼に攻撃させようと新聞や週刊誌も煽ることがよくある。「これは不敬だ」「反日だ」と書かれると、「俺達が動くしかない」と右翼は思うのだ。映画「靖国」も、「南京事件の写真がウソだ」「靖国神社の描き方が反日だ」と右翼は攻撃した。それと同時に昭和天皇が何度も出てくるからだ。「そんな反日映画に天皇を出すとは何事だ」「不敬だ」となるわけだ。
マスコミも、だから〈天皇〉となると引く。触れないようにする。「太陽」「靖国」にしても、なるべく紹介したくない。客観的に紹介したつもりでも、その紹介の仕方が悪い、と右翼に攻撃されたらたまらない。そういう虞れがあるのだ。
森村さんの写真展は、大きな美術館で2カ月も行われた。マスコミとしても紹介せざるを得ない。しかし、例の写真については、どこも一切、触れない。「ないもの」として報道していた。多くのマスコミ人が取材に来た。テレビ局も皆、来た。でも、例の写真の前では皆、一様に「これは無理ですね」と言って避けて通った。「でも、NHKだけはちゃんと撮っていきました」と森村さんは言う。しかし、放映は出来ないだろうと僕は思っていた。
ところが、驚いた。4月18日(日)のNHK「日曜美術館」で、この写真が大きく紹介されていたのだ。NHKも勇気があると思った。写真展のことを取り上げながら、昭和天皇とマッカーサーの「会見写真」を、アートとして、歴史として紹介していた。姜尚中さんが森村さんと対談してるし、「会見の場所」にも足を運んでいる。大阪にあるお茶屋さんだ。森村さんのお父さんがそこでお茶を売っていた。お父さんが亡くなってからは店を閉めている。しかし、趣のある場所だ。その場所で昭和天皇とマッカーサーの「会見写真」を撮ったのだ。
実は、『美術手帖』(3月号)は森村さんの特集号で、そこで僕は森村さんと対談をした。写真展の前だ。そのお茶屋さんで対談をやった。「ここが例の会見の場所ですか」と言った。例の会見写真は見ていたからだ。姜さんも、そんな話をしていた。
NHKは勇気があるし、立派だと思った。他の民放は全て、やれなかったのに、NHKだけはやった。堂々と取り上げた。「日曜美術館」という時間枠だから出来たのか。あくまで、「美術」ということで時間を十分とって、解説し、放映したからか。これが、短いニュース番組やワイドショーの中で紹介されたり、激しいトーク番組の中で取り上げられたら、こうはならなかっただろう。別な、嫌な反応が起こっただろう。
でも、僕は心配で何度か見に行った。巨大な会見の写真の前に立つと、圧倒される。「不敬だ」「許せない」と瞬間、思う人がいても、その圧倒される迫力の前にはその感情は消えるのではないか。それと、不快感を持っても、まさかナイフで切ったり、破壊したりは出来ない。〈天皇〉を切ることになる。映画「太陽」でもそうだ。映画館は、スクリーンを切られることを心配したが、「切れない」のだ。天皇を切るわけにはゆかない。
写真展が始まる前は、こういう点に注意したらいいでしょうと、防衛上のアドバイスを少し、した。しかし、無用だったようだ。安心した。そして、変なことを思った。戦前・戦中は、全国の学校に奉安殿があり、御真影(天皇の写真)があった。学校が火事の時に御真影を持ち出そうと火の海に飛び込んで死んだ校長もいた。あるいは焼失させ、その責任をとって自殺した校長もいた。そんな話を聞いている。「会見」の写真を心配して何度も見に行ったり、防衛策をアドバイスしている僕は、御真影を心配している校長のようだなと思って苦笑した。
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