投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 5 月 12 日 19:03:46: mY9T/8MdR98ug
http://jcj-daily.seesaa.net/article/149655071.html#more
2大政党への不満と、第3極への不安の間で有権者の心は揺れた――朝日新聞8日付社説「英国総選挙―2大政党が負った疑問符」は、 英国の総選挙の結果をそう評した。
各選挙区で一番多い票を得た候補者1人に議席を与える単純小選挙区制。死票が多いという欠点がある一方、第1党が過半数の議席を得やすく、 政権交代や政治の活性化を促すという長所がある、とされてきた。だが、2大政党に議席を集中させるこの制度の下でさえも、 明確な多数派が形成されなかった――1974年以来だ、と同社説は指摘する。
社説は、<人々の不信感は両党に対してだけではなさそうだ。二大政党制そのものにも向いている。 過半数の議席を得て思い通りに政権運営をする大政党は、しばしば国民の負託を忘れ去り、いつしか支配層意識に染まる。 経費問題やイラク戦争での両党のふるまいがその証拠と人々は感じていた><また、グローバル化による格差の拡大や価値観の多様化に伴い、 2大政党とそれを支えてきた小選挙区制だけではもはや民意を吸い上げきれない現実がある。自民党は以前からそうした問題点を指摘して、 比例代表制の導入を求めている>として、「英国の民主主義は、曲がり角にさしかかっている」と指摘する。
(JCJふらっしゅ:Y記者のニュースの検証=小鷲順造)
この状況、日本も無関係ではない。<英国の政治制度をお手本にしてきた日本は昨年、自民党から民主党への政権交代を実現したが、 2大政党がともに政治不信を招き、有権者の離反を招いている構図は英国と重なる><英国で、 2大政党に向けられた不信と小選挙区制が示した限界。日本の各政党も自らへの問いとして受けとめるべきだろう>と社説は結んでいる。
小選挙区制で延命を図ってきた自民党が下野に追い込まれると、こんどは選挙制度の見直しか、という疑問も出て当然だろう。しかし、 2大政党制をあたかも理想的な国会ビジョンのように謳ってきた勢力の頭脳も、 もはや旧態依然の部類に属するということが判明しつつあるということでもある。
英国では、総選挙で保守党に惨敗した労働党と、第3党になった自由民主党との連立協議が不調に終わり、 労働党のブラウン首相が11日午後、辞意を表明した。13年に及ぶ「ニューレーバー(新しい労働党)」政権が幕を閉じ、 第1党になった保守党のキャメロン党首が次期首相への地歩を固めた。
英保守党は10日夜、選挙制度改革について「選択投票制」の導入に言及、国民投票を実施する内容を示唆したようだ。日本経済新聞によると、 「選択投票制」は小選挙区制度の一種だが、死票が少なくなる仕組みを取り入れているという。 これは第3の政党の議席増につながるとみられているらしい。英自民党は、得票率が獲得議席に直接反映する「比例代表制」の導入を訴えている。
鉄の女・サッチャー(保守)の新自由主義、ニューレーバーと期待を集めながらサッチャリズムから抜け出せず格差社会の是正に失敗し、 さらにブッシュ米政権に追従してイラク戦争のパートナー道を選択して失墜したブレア(労働)の「第3の道」も、 小選挙区制の下で巨大な力を振るった。
経済のグローバル化と情報・通信のグローバル化は相まって、企業の国際競争を激化させ、国民を疲弊させ、国々の弱点を極大化し、 一部の強者をさらなる強国へと浮上させる一方で多くの国と民衆をその陥穽に追いやってしまう。その視点からみると、 朝日新聞社説の単純小選挙区制をめぐる「英国の民主主義は、曲がり角にさしかかっている」との指摘は、 米欧を席巻した弱肉強食の新自由主義が曲がり角をむかえ、新たな出口の模索に入ったこの時代と機を一にしている。
日本の小泉自公政権時代は、サッチャリズムの後継者ともいうべき新自由主義のもつ陥穽にどっぷりはまり、 戦争協力と弱肉強食の政治をやり、 経済政策も対米追従の戦争協力経済を主軸とした縮小均衡を積み重ねるだけの愚かしいシュリンク経済社会へと日本を落とし込んだ。 そこへ米欧発の巨大な金融不安が襲い掛かり、国民が政権交代を成し遂げたとはいえ、日本の経済社会の再生への足取りは重く、 貧困や格差の蔓延する疲弊した社会のまま、米国の戦争体質とは縁を切れないことを、鳩山政権は脆くもその力量をさらけ出している始末だ。
そして民主党は、夏の参院選のマニフェスト(政権公約)に、参院議員定数の40削減(あるいは2割減)を明記する方向で動こうとしている。 同党は、去年の衆院選マニフェストで、衆院の比例定数80削減を明記している。どうしてこう単純頭から抜け切れないのだろうか。 国家の財政の再構築の一環として、議員定数の削減を政治家自らが言い出すといえば聞こえはいいが、要するに、 政治家の所得や既得権はそのままという発想でしかない。
政治とカネの問題が与党民主党(もちろん自民党も)を襲っているが、この歳費に群がる政治家の体質こそ、 経済の高度成長期やバブル体質を抜け切っていない証拠ではないか。 議員定数の削減をいかにも重要問題のように打ち出す政党は民主党だけではない。日本創新党も7日、 夏の参院選に向けて5年以内に国会議員の定数を半減するなどの基本政策を発表、国民新党までもが、 夏の参院選で掲げるマニフェストの原案に国会議員定数を衆院300人(現行480人)、参院100人(同242人) に削減することを盛り込という。
もちろん自民党も今夏の参院選で掲げるマニフェストに、国会議員定数の大幅削減を盛り込むという。まったく何をかいわんやである。 カネまみれの政治を長年やり続けて年金を破綻させ、地域経済を破綻させ、郵政民営化に象徴的なように地域の人のつながりを断ち切り、 派遣労働者の蔓延と派遣切りを堂々と横行させる社会を作り、「Yes,we can」ではなく1、米国の戦争に付き従う「Yes,sir」 の隷属社会へと日本社会を転落させようとしてきた政治家が、依然、退場もせずにいながら、始末の悪いことに「国会議員定数の大幅削減」 をアリバイづくりのために言い出している。
昨年の政権交代を成し遂げたのは国民である。国民は政党や政治家からカネをもらって政権交代を成し遂げたわけではない。 いつまでも時代遅れの新自由主義の亡霊にしがみついたり、卒業できなかったりしている政治家。米軍基地に膨大なカネを垂れ流し、 利権を温存し、旧態依然の力の均衡路線に取り込まれて「抑止力」を言い訳にする。鳩山首相は普天間基地の担う「抑止力」 を首相になってようやく知ることができたなどといっているが、それなら「抑止力」を温存してどんな国際政治をやるのか、一言も口にできない。 こういう政治家に、なぜ国民が高い歳費を支払うのか。なぜ一人当たり年間一億円ともいわれるカネを注ぎ込まねばならないのか。
まして、こともあろうにそういうお歴々が、国会議員定数の大幅削減とはおそれいる。 おそらく自分たちは削減の対象には入っていないのだろう。自分を削減の対象と自覚していれば、自ら立候補をやめればよい話なのだから当然だ。
右肩上がりの高度経済成長の時代はとうに終焉しているのだ。長く深刻な低迷の時代が続き、 そこから高度経済成長へと転じる見込みもビジョンも見通しもなく、また、 強国の一員でいれば弱小国からふんだんに利益をすいあげられる時代もとうに終焉しているのだ。世界の国々の協働・共生の時代が訪れる中で、 国民のため、世界の平和のために働く政治家の数をいま減らしてどうなるというのか。
安全保障条約や地位協定や基地問題で、米国と直談判もできない政治家たちが、自分たちのカネと権利と権力だけには固執して、 国会議員定数の大幅削減をマニフェストに盛り込もうとする姿は、異様でしかない。 まずは政党助成金や議員に付随した各種経費の削減を優先すべきであって、その逆ではない。国民総体が清貧に耐えながら、 新たな時代への対応を模索する中で、国の財政の均衡、体質の改善を理由に議員数の大幅削減を言い出す輩そのものの姿が、 驕りとカネまみれのバブル志向から抜け出せない、独りよがりの政治屋であることを証明しているのではないかと疑いたくなる。
いまこの時代に国会が多様性を損ない、機動力を失わせることは、 危機に直面したままの日本の経済社会の根幹部分をそぎ落とすことである。削減を主張する面々が、 人の何倍もの活躍を繰り広げられるほど政治家として図抜けてハイ・スペックで、高効率・高生産を実現する方々のようには思えない。
メディアもその幻想のお先棒を担いできた2大政党制終焉の時代に、そして強国志向の新自由主義からの脱出の時代に、 こぞって議員数の大幅削減を言い出す日本の政党や政治家の時代遅れ、周回遅れの姿を私たちは見過ごすことがあってはならないだろう。
不正の横行する地域や社会が、世界経済に極端なゆがみを生じさせ、軍事利権や国際金融会社のリスク回避のために、ひとつ、 あるいは複数の国がデフォルト近くにまで追い込まれる。たとえばギリシアのように。 その国に利権の地歩を置く先進諸国やIMFなどの複合的事情から、対象国に対して緊縮政策の実施が要求される。 その風圧は民衆の生活を根底から突き崩そうとするほど強迫的である。
脆弱な財政体質の国々を包含するEU全体が、緊縮財政の嵐に巻き込まれかねない事態となっているが、 そこにも自らの利権の地歩だけは譲ろうとしない勢力が介在しているため、風圧は常軌を逸して庶民の生活に襲い掛かろうとする。 国際金融資本と軍需産業の市場と利幅とはあくまで死守ないしは増幅を目指そうとするため、おのずと市民と国家の緊張を高める。 そのとき政治家はどう動くべきか。日本の小泉のように戦争する側につくか、それとも軍事費の削減を目指して、 緊張や対立や戦争をなくすために動くか。
ギリシアの債務危機は、ギリシア同様の状態に陥る危険を抱える国々を巻き込みながら、 EU全体がその選択を迫られていく可能性がある。この危機のほころびに乗じて、どこかの超大国が「先制攻撃」をしかける可能性は、 ブッシュに時代と比較して大幅に低減されているといえるだろう。この危機の流れを世界の軍縮に結びつけながら、 市民生活に対する過度の風圧を止め、再生の道筋を描けるかどうか。
二つの悲惨な世界大戦を潜り抜けてきた人類の知恵が、いまになって本格的に試されている気がしてならない。新自由主義と、2大政党制と、 小選挙区制と、核兵器と、対テロ戦争と、軍需産業と、国際的マネーゲームと、旧支配層の驕りと独りよがりと自己保身と。 それらすべてについて、市民とジャーナリストは連帯して、雄雄しく卒業のとき目指して一歩を踏み出したい。
(こわし・じゅんぞう/ジャーナリスト会議会員)
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