投稿者 ダイナモ 日時 2010 年 5 月 09 日 09:44:04: mY9T/8MdR98ug
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平沼・与謝野新党の結成で、自民党の解体は一層加速された観がある。他方、五月末とされる普天間基地移設問題の決着期限が迫るにつれ、鳩山政権の混迷も深まっている。昨年の総選挙では二大政党時代の到来とも言われたが、むしろ二大政党を含めた政党政治の融解現象が進んでいるのかもしれない。
自民党はまさにアイデンティティ・クライシスにのたうち回っている。自民党は冷戦構造の中で、日本を西側につなぎ止めるために権力を保持してきた。辻井喬氏が最近上梓した大平正芳の伝記小説『茜色の空』(文藝春秋)を読めば、今から三〇年ほど前には冷戦構造の動揺や資本主義の爛熟の中で保守政治を再定義しようとした政治家もいたことが分かる。しかし、八〇年代以降の革新勢力の衰退の中で、保守政治家からはそのような問題意識が消えていった。この二〇年ほどは、自民党は長年権力の座にあったが故の、ひときわ鋭い政治的動物としての本能によって、どうにか生き延びてきた。しかし、お坊ちゃん政治家が指導部を占めると、そうした本能もなくなり、権力の座から滑り落ちた。
今の自民党に最も必要なことは、民主党打倒などという空虚なスローガンを叫ぶことではなく、これからの日本における保守政治とは何かを省察することである。平沼新党も保守の再生を訴えているが、私に言わせれば保守と右翼は違う。保守とは闇雲に自国を美化、正当化することではない。保守主義者が本来持つべき慎重さや懐疑心は、自国の伝統自体にも向けられる。また、観念を振り回すのではなく、今ここにある問題を具体的に一つ一つ解決するプラグマティズムこそ、保守政治家の神髄である。
日本が陥っている苦境については、半世紀以上国を統治してきた自民党が責任を問われるべきである。この時代において、どのような価値を守るために、何を変えるのか、考え続けなければならない。人事をめぐる争いではなく、路線論争こそ必要である。党の分裂はそのあとに起こすというのが誠実な政治家の行動である。与謝野馨、園田博之両氏は、自民党の良心とも言うべき政治家だっただけに、大義名分なき新党結成は残念であった。
次に、民主党の陥った隘路について、考えてみたい。民主党の最大の誤りは、実現の道筋についてまったく考慮することなく、高い目標を掲げ、自縄自縛に陥っている点であろう。別の面から見れば、政治主導が空回りしていると言ってもよい。言うまでもなく、普天間基地移設問題など、その典型である。
政治家が敢えて高い目標を掲げることはよいことである。しかし同時に、志を高く持つことと、無責任な夢想を振りまくことの区別をつけることも重要である。話は少し飛ぶが、私は願望、欲望について考えるとき、「髪結いの亭主」というフランス映画の中で、ジャン・ロシュフォール演じる主人公のせりふを思い出す。「人生は単純だ。欲しいと思ったものは手に入る。手に入らなかったのは欲しくなかったものだ。」このせりふの意味を、私はこう解している。人はいろいろな願望を持つが、予想される困難を並べてみただけでやる気を失う程度の願望しか持てないのが普通である。あらゆる困難を並べた上で、あらゆる犠牲を払ってもどうしても手に入れたい、実現したいと思う願望なら、たいていは実現できる。本物の願望を持つことは難しいことなのだ。
困難を予想もしないで素朴な願望を並べたのが鳩山首相だったのではないか。政治主導という旗印の下、官僚があまりにも低い目標しか設定しないことに反発したのも分る。しかし、政治家たるもの、「固い岩盤に穴をうがつ」(マックス・ウェーバー)覚悟で目標を設定しなければならない。
民主党の最大の欠落は、政権交代を成就することに強い欲望を持つにとどまり、政権を取った後に権力を用いて実現すべき願望を持っていないという点にある。そもそも政治主導という言葉からして、政治家という主語と、主導するという動詞は存在するが、その目的語が空白である。何をするかという目的語がなければ、政治主導が空転するのも当然である。
民主党の得意とするマニフェスト政治なるものも、政治家が本当の欲望を持つことを妨げた観がある。民主党のマニフェストは広範囲にわたって、網羅的である。しかし、あれもやる、これもやると言っている間は、本当に実現したいことは自分でも分らない。また、自分の目標に対して異論、抵抗が起これば、簡単に意気阻喪する。
たとえば、私は子ども手当てを画期的な政策だと評価している。もちろん、これはバラマキだとする批判があるのは当然である。そうした批判に対しては、公明正大で持続的なバラマキこそ政府の仕事だと反論すればよいだけの話である。しかし、政府の腰はふらついている。財源が少ないから全額実施は見送ろうという弱気さえもれてくる。子ども手当てはマニフェストに書いてあるから実現するのではなく、民主党の目指す理想を実現するために行うはずである。その点の信念の脆さが、政策論議における受身の姿勢につながる。ちなみに、郵政民営化の見直しで亀井静香氏が見せたのは、本当の欲望だったと思う。それに根ざす迫力に、今の民主党の政治家は敵わない。
前回本欄で書いたことの繰り返しになるが、民主党政権が持続するためには、この際マニフェストを再点検し、実行すべきものと外すべきものを仕分けした上で、実行すべきものに順番をつけるべきである。野党時代に作ったマニフェストなのだから、詰めが甘いのも当然である。政権を取って初めて分ったこともあるはずだ。この半年あまりの政権運営を謙虚に振り返り、自分たちが本当に何をするために政権を取ったのか、考えるべき時期である。民主党が本当の欲望に目覚めなければ、政治は漂流するばかりである。
(週刊東洋経済4月23日号)
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