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保守主義の島 沖縄 (池田香代子ブログ) http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/812.html
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51403917.html 2010年05月07日00:00 きのう、5月6日は保守主義が誕生した日でした。アイルランド出身の哲学者にして政治家、エドマンド・バークが、イギリス議会でフランス革命について演説をしたのが220年前の1790年5月6日で、それが長く保守主義の原点とされてきたのです。 理性を過信したフランス革命の大混乱のように、人間は時として過ちを犯す、今あるものはそんな不完全な人間が失敗の積み重ねの中から長い時間をかけて選びとってきたものであって、思い上がった一握りの者たちの机上の空論にとって代わられるような軽々しいものではない、 アメリカのばあいは、合衆国憲法修正第二条が、「事と次第によっては国家に弓を引く」保守主義の表明です。いわく、「(人民の武装権) 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」。ここで言われている「国家」は a state、「州」です。United States、「合衆国」ではないのです。 人びとが武器をもつのは、いざというときに(起草時に想定されていたのは旧宗主国イギリスの武力侵攻)ふるさとを守る民兵組織にはせ参じるためであって、いかに全米ライフル協会が強弁しようとも、個人の防衛権など、合衆国憲法は保障していません。 明治期の日本では、「伝統を守れ」は、地域が国家にたいしてではなく、列強国にたいしての「ニッポンの伝統を守れ」だったので、保守主義は対立するはずの国家主義と融合し(後発の国民国家一般の特徴です)、戦後は社会主義に親和的な革新勢力への対立項として立てられたところまでは本来の保守主義と言えますが、そのうしろ盾に戦勝国アメリカがいたので、戦前からの国家主義に戦後の従米がのっかった日本型保守主義という、かなりの珍種ができあがりました……とまあ、私が理解する範囲ではこうなります。 こう見てくると、辺野古に座り込みを続けるおじいおばあが、ふるさとを国家から守るという、本来の意味での保守主義者です。米軍基地たらい回しに県ぐるみで反対している沖縄の人びとが、宗主国まがいのアメリカの意向を気にする日本型ではない、本来の保守主義者です。沖縄の人びとはよく、環境にたいする次世代への責任、ということを言います。18世紀には環境という考え方はありませんでしたが、21世紀ならこれももちろん保守主義の重要な項目です。環境ということを考えると、本来保守主義が備えている未来志向がよく理解できると思います。アメリカ先住民の、木を切る時には7代先の子孫のことを考えよ、という格言が、保守主義的未来志向の典型です。 ようするに、本来の保守主義は地域の過去現在未来に責任をもって関与する、というものであり、国家とはなかなか相容れないものなのです。先ほど、明治期の日本には、国家に対立するような地域主義的保守主義はなかったように書きましたが、ごく初期にはありました。それが、明治国家が課してくる租税や兵役や学制にたいする激越な抵抗運動へとつながった例もたくさんありました。けれど、急速に影をひそめ、1905年の日露戦争の頃には、すでに表向きのっぺりとした「近代日本国家」がかたちづくられていた、というのが私の印象です(ですから、今なぜNHKがドラマ『坂の上の雲』をやるのか、いぶかしく思っています)。 美ら海を守り、ヤンバルを守って、子や孫に引き継ぎたい。軍用機の事故や爆音に脅かされず、演習の流れ弾にびくびくせずにおだやかに暮らしたい。 戦場や訓練地からやってきた、気の立った兵士の犯罪被害などこうむりたくない。県の経済のたった5%でしかない基地経済はいらない、基地に奪われている広大な自分たちの土地を自分たちで使い、そこで働き、糧を得たい──こうした、誰が考えてももっともな意思を通そうとする沖縄の人びとの前には、戦後65年間、つねに日本国家がたちはだかってきました。 沖縄は、国家が奉じる日本型従属国家主義的保守主義と、本来の地域主義的保守主義のはげしくぶつかるところでした。その果てに、ふるさとの平和を守るためなら、事と次第によっては国家に弓を引くことも厭わない、その時を、今、沖縄は迎えています。
アメリカでは、民主主義と保守主義は、コインの表裏と捉えられているのです。日米安保のためとか、抑止のためとかの理由を挙げて、「安全保障は国家の専権事項、一地域の意向に左右されるものではない」と高飛車に言い続けた日本型国家主義的保守主義とは大違いです。 沖縄保守主義は、このアメリカ保守主義に理解を得られるのではないでしょうか。すでにそのような議論も出てきています。 キーティング前米太平洋軍司令官は、この4月に、「海兵隊基地はどうしても沖縄でなければならないということはない。関東平野のどこかが受け入れてくれればそれでもよい。費用の点で、現に今ある沖縄から動かせないだけだ」と語りました(asahi.com4月15日)。 またとくに、この5月5日のweb版琉球新報に載った「『県外』協議本格化を 米外交問題評議会スミス上級研究員」という記事を、地域主義的保守主義の文脈でお読みになってみてください。地域に根ざす民意を表す「草の根」という言葉が、アメリカでは特権的な響きをもっている、ということも、頭の隅に置いて。 言い忘れましたが、保守主義の定義には、悲しみの歴史を共有する、という一項があります(バークのばあい、悲しみとはフランス革命でおびただしい人が命を落としたことでした)。 まさに沖縄の人びとは、戦争の悲しみを共有し、だからこそ、自分たちの島から出撃する米兵や、その向かう先の人びとのことにまで「肝苦(ちむぐ)りさ」と言うのです。私は、沖縄で何度も聞きました。「ここから出ていく米兵が人を殺す、あってはならないことだよ」と。 先の4・25県民集会に、イラクのファルージャ大虐殺を生き延びた若者が参加しました。「あのときの米兵がこんなにきれいな島からやってきたなんて、想像もできない」と言ったそうです(こちら)。こんな言葉を聞くのは、もうたくさんです。私も、私の地域の保守主義者として、沖縄の保守主義者のみなさんに共感します。今はできる限りのことで、沖縄の保守主義者のみなさんを応援しようと思います。
今日も辺野古では静かに座り込みが続いています・・・ 第一次集約を5月20日に行います。 一般署名http://form1.fc2.com/form/?id=501657
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