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「善良な市民」という壊れ方 (田原牧の「西方からの手紙」)
http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/670.html
投稿者 喫煙者にも権利を! 日時 2010 年 5 月 04 日 16:18:18: U75P.qb8apGDI
 

「善良な市民」という壊れ方 (田原牧の「西方からの手紙」)
《THE JOURNAL》 2010年5月 2日 より転載
http://www.the-journal.jp/contents/maki/2010/05/post_3.html
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 ごぶさたです。最近はこのブログで顔出ししているせいか、たまに街で声をかけられる。
 先日は東京・JR水道橋駅の改札口で見知らぬ男性に呼び止められた。あたかも仕事でもあるかのように「急いでいるのでスミマセン」と立ち去ってしまった。ごめんなさい。急いでいたのは事実だけど、仕事ではなくて、その日の行き先は後楽園ホール。「大日本プロレス」の大会を見に行ったのだ。お目当ては葛西純選手。マニア向けかもしれないが、日本屈指のデスマッチ・ファイターだ。
 平日、夕方の後楽園ホール。そこは外界と隔てられた「昭和っぽい」空気が広がる。仕事場から駆け込んできたネクタイ族も、少年少女たちも、OLさんも、ちょっと得体の知れない人も、会場に一歩入れば、肩書なんて関係ない。そして、この団体の選手たちは妙に礼儀正しく、命懸けでデスマッチの狂態を正気にこなしていく。
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 一見、世間が眉をひそめそうなデスマッチの会場が私には心安らぎ、世間の方こそ壊れているように感じたのは、その前日、民主党の小沢一郎幹事長への検察審査会の議決を聞いていたせいかもしれない。思わず反吐が出そうになったのは議決書の文句だった。「これこそが善良な市民の感覚である」。自らを「善良」と称してやまない人間の壊れ方に身震いした。しかも、議決は全会一致だった。
 やはり、一回程度の政権交代では払拭されなかったのか。この「善良」というか、単純な勧善懲悪の図式は数年前、あの安田好弘弁護士に対する光市母子殺害事件でのバッシング、さらに裁判員制度にもつながっている。そういえば、あの当時、渦中の安田弁護士インタビューを繰り返しやったとき、「オマエも安田と一緒に死ネ」といった投書がわんさと舞い込んだ。
 今回、小沢幹事長を告発した「市民団体」の一つは「在日特権を許さない市民の会」に列なる人々である。この団体の行動(京都の初級朝鮮学校襲撃事件)に対する批判記事を昨年末に掲載した際は、会社に抗議行動をかけられた。そして、この手の排外主義の傾向を鳩山政権も民主党も許容しているのはご存知の通りだ。
 ちなみに私は「小沢フリーク」ではない。今回の件を検察の策略とも思わない。むしろ、検察という御しがたいエリート集団の性格を思い返せば、この議決は苦痛以外の何物でもないだろう。「善良な市民」という文句の根は「心のノート」や「正論」一族、「美しい日本」好きの人々のノッペリとした顔につながる。そうした潮流の台頭を目の当たりにすると、小沢一郎という政治家の命運より、もっと深刻な社会病理に暗澹となる。
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 この病理は幼さに重なる。ご存知の通り、米紙ワシントンポストが沖縄の普天間問題に絡めて、コラムで「ルーピー鳩山」と揶揄した。その一節には「米国の核の傘で日本は何十億jも稼いだだろう」とあった。あのとき、即座に「うん、そうでしょう。でも、そのゼニであんたのところの国債を買い支えてやったんじゃん」というくらいの反駁がどこからか出るかと思っていたのだけど、そんな声はとんと聞こえなかった。
 内向きの幼い勧善懲悪は生身の世界や政治への目を閉ざす。世の中、表もあれば裏もあり、照る日もあれば、曇る日もあるのだ。あるいは閉ざされた結果が、その内向きさを助長しているのだろうか。卵が先か、ニワトリが先か。どちらもきっと本当なのだろう。
 二国間の外交関係は歴史的経緯や環境に規定される。そうである以上、単純に日米と米国と他国の関係を比べるのは乱暴だ。でも、こうも言えるだろう。所詮、肌の色や言語が違えど、同じ人間がやっている所産なのだ。そう切り離すこともない。
 一昔前、中東の友人たちからしばしば、怪訝な顔をされた。日本ほどの大国がなぜ、もう少し米国に対してモノを言えないのか。残念ながらこの手の質問は、最近では聞かれなくなった。彼らもあきれ果ててしまったのだろう。
 ちなみにそうした地域の指導者たちはしたたかである。オバマ政権の安保外交政策の優先順位を考えれば、東アジアより中東・南アジアが上位にあり、その分、米国からの重圧も強い。でも、そんなことをもろともしない。最近の動きから簡単にみてみよう。
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 まずはイスラエル。米国のイスラエルに対するいら立ちは昨今、かつてなく強まっている。イラク、アフガン両戦争を指揮した米国の将軍デイヴィッド・ペトラエウスは3月、自国のイスラエルへの肩入れが米国と地域の親米政権の正当性を弱め、アル=カーイダやイランを調子づかせているといった内容の議会証言をした。かねてより、米政府関係者にも当然、こうした思いはあったのだろうが、高官が公の場で露骨に口にしたのは異例だったといえるだろう。
 オバマ自身もイスラエルに対し、パレスチナ側の東エルサレムでの入植活動凍結を要求してきた。でも、イスラエル側は拒否。それどころか、首相のネタニヤフは3月24日にオバマとホワイトハウスで会談した際、この会談のわずか30分前に東エルサレムで新たに20の入植アパートの建設許可を出すという嫌がらせまでやってのけた。その後、イスラエルはオバマの檜舞台だった核サミットもボイコットした。
 イラクはどうか。2月の総選挙結果は二つの政党連合(アラウィー派とマーリキー派)がほぼ同数で最多議席を獲得し(政治的な分析はここでは省略する。選挙前の流れは「季刊アラブ」09年冬号の拙稿「マーリキー首相のナショナリズム」を参照)、どちらが連立政権を構成するかで競い合っている。そのキャスティングボートを握っているのが、最も反米色の強いサドル派である。どちらが首班を握るにしても、サドル派の要求には譲歩せざるを得ない。それに米国は介入できないでいる。むしろ、米国があれほど排除したがっていたサッダーム政権当時の軍人はすでに2万4千人ほどが復帰しているという。これがイラク戦争の中間決算である。
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 イランの反米基調は言うに及ばない。シリア・レバノン情勢も一変した。5年前、レバノン首相のラフィーク・ハリーリーが爆殺され、それを機に米国はレバノンをシリアから切り離し、親米・親イスラエル化を試みた(シダール革命)。ところが、その後、ヒズブッラーとイスラエルのレバノン戦争(06年)などを経て、レバノンの反シリア陣営は腰砕けとなった。反シリア陣営を導いていたハリーリーの息子(サアド)やワリード・ジョンブラードは今年に入って相次いで、再びシリアへの恭順を誓った。米国も5年前に引き揚げた駐シリア大使を再任した。
 最後にアフガンだ。鳴り物入りだった2月のヘルマンド州へのNATO軍の攻勢はたいした成果もなく、傀儡である大統領カルザイとターリバーンが国連も巻き込み、水面下で交渉を続けてきた。ところが同月、ISI(パキスタン三軍統合情報部)がターリバーンのナンバー2とされるアブドゥルガーニ・バラダール師を逮捕した。米国も絡んだこの動きは交渉の流れを覆すとカルザイは激怒した。
 逮捕劇の真相はサウジアラビアの意図も絡んでいるとみられ、いまひとつ判然としない。確かなのは、米国が昨年来、昨夏のアフガン大統領選を不正選挙と非難するなど、カルザイに圧力を加えていたことだ。カルザイが米国と距離をとり、生き残りのためにターリバーンとの和平に動いていることへの反発だった。でも、カルザイも負けてはいない。最近では、内輪の会議で「ターリバーンは正当な抵抗運動」「外国(米国)に圧力をかけられたら、(自分も)ターリバーンに参加するかもしれない」とまで発言したと報じられている。その報道を否定もしていない。
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 これらは顕著な例に過ぎない。米国にとってのホットポイントですら、各指導者が反米だろうが親米だろうが、こういうノリなのだ。こうした指導者たちは明日、舌の根も乾かぬうちに「米国こそすばらしい」と口にするかもしれない。いいのだ。肝心なのはこのしたたかさであり、それが「世界標準」であるという点だ。
 それに比べれば、沖縄なんて、という話はもう省略してもいいだろう。理路整然と主張すれば、沖縄の米軍基地一つの返還など「世界標準」からみて、お釣りがきて余りある。むしろ、沖縄は戦時中、本土の「捨て石」であり、戦後は対米関係のために米軍の「アジアの要石」として人身御供にされた。思惑こそ個別の団体(政党)で違えど、県民が超党派で基地撤去を訴えている以上、その要求を米国に突きつけられず、主権国家を名乗るなんていうのはおこがましいということだ。
 さらに付け加えれば、外交には単純な二国間外交なんてない。例えば、日本がアフガンでも、パレスチナでも、米国の手の届かない政治勢力と付き合ってさえいれば、米国がドン詰まっている際、それをカードとして日米関係にも適用できる。良し悪しの話ではない。貸し借りの話だ。「戦略」なんて硬い単語を使わずとも、そうした所作は私たち俗世間の商売や人間関係では日常的な話である。ただ、現実には外交でそれを準備する力はどんどん落ちている。
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 教師や管理教育に体ごと反発するという青少年の行動は80年代の「荒れる中学校」以来、鳴りを潜め、その鬱積は陰湿な弱い者いじめへと変質した。その傾向は年間3万人以上が自死する大人社会、世界での日本政府の「ヘタレ」ぶりを投影しているのだろうけど、いずれにせよ正気の沙汰ではない。しかし、浅薄な「勧善懲悪」(例えば公園の適正使用のために野宿者を追い出そうなんていう台詞)や現実主義(その現実は日々変化している)の説教は、その異様さを糊塗する機能を果たしてきた。
 ヘタレがヘタレを自覚しているニヒリズムの時代はまだましだった。そこには世界の理想を空想し、現実との隔たりに苦悶する精神性がまだ残されていた。ところが恐ろしいことに自らのヘタレぶりを自覚できず、それを言い訳する浅薄な理屈を正しいと信じる世界に私たちは足を踏み入れているようだ。「善良な市民」はそんな人間の壊れ方を象徴している。
 はたから見れば、いかがわしいプロレスという興業の中でも、下層の「インディー」と一括されるマイナー団体のデスマッチはそうした善良な市民社会の対極にある。幾重もの「不健全さ」を自覚しながら、一心に集まる客の視線を圧倒しようと愚直に立ち続けるレスラーたち。その姿にはうそ偽りのないロマンティシズムが漂っている。私にはそのレスラーたちの方がしたり顔の評論家や「市民」たちよりも、よほど正気に見えてしかたないのだ。

投稿者: 田原 牧 日時: 2010年5月 2日 04:18
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コメント
 
01. 2010年5月04日 18:04:29: BVKM5ql1nk
 これが、読むに値する「ブログ」のお手本と言っても良い投稿内容である。

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