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自然と人間優先の同心円型成長モデル
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不況脱却には、景気の自動回復を前提にした見解が少なくない。だが失われた20年と、800兆円の政府債務は何を語るのだろうか。景気循環と経済成長について、政府の役割を考えてみよう。 景気の変動は、実体経済の在庫循環、設備投資循環、技術開発で説明されてきた。またインフレやデフレは、実体経済と貨幣経済の乖離から生まれる。そして生産と消費、供給と需要は、市場の価格で結ばれている。 地球温暖化で、グリーンニューディールが言われ、エコカーや太陽光発電・スマートグリッドのような省エネ技術の開発と、炭素税・排出権取引など経済政策の導入が論じられてきた。だが技術文明が生み出した自然破壊は、こうした対策だけで打開できるだろうか。産業革命に始まった技術文明は、地球温暖化や核廃絶と、グローバルな経済不況に直面している。 また工業化は、「先進国」を近代の法治国家に変えた。だがアメリカは訴訟社会となり、日本でもえん罪事件が起き、社会の劣化と貧困が進んで、家族・地域に関わる犯罪や争いが増加している。裁判員制度・時効の改訂などの司法改革で、これが打開できるだろうか。 利便と効率追求の技術開発と、成長と市場のグローバルな拡大には、その基礎に西欧近代科学の自然観と人間優位の社会観がある。具体例が、規模の利益(マルクス資本の有機的構成)と比較優位(リカードの二国二財モデル・ヘクシャーとオリーンの資本や労働など生産要素)だ。それを、次に示す労働生産性と資本集約度から考えてみよう。 労働生産性と資本集約度 労働生産性=産出量/ 投入労働量 この式から、技術開発で設備投資効果が期待され、商品の販売市場が見込まれる限り、人間の労働は機械に替わるのだ。そして商品の価格・費用(償却費・労働費)に、規模の利益と比較優位が作用する。 マルクスは、設備投資や原材料を不変資本、人間の労働を可変資本と呼んだ。そして両者の構成比を資本の有機的構成と捉え、資本集約度の高度化による相対的剰余価値の形成を指摘した。そして次の二部門分割再生産表式を残している。 マルクスの二部門分割再生産表式 T 生産財生産部門 W1=C1 + V1 +M1 V1 +M1=C2 この表式から、W2=V1 +V2+M1+M2 で、V1 +V2は賃金、M1+M2は利潤・利子・地代だ。ここで企業の設備投資(ケインズの投資性向)は、利潤・利子・地代に、家計の消費需要(〃消費性向)は賃金に対応している。 資本集約度の高度化は、相対的剰余価値を生み、規模の利益と比較優位が追求され、技術文明の高い生産力と市場の内外不均衡という矛盾が増大する。そして地球温暖化、遺伝子組み換え作物、核の不安、グローバル経済危機につながる。「見えざる手」が「合成の誤謬」に替わるのだ。 ケインズ政策・新自由主義と政府の役割 ケインズは、有効需要の原理により、消費と投資の関係を軸に、資本の限界効率・乗数効果・流動性選好から、貯蓄と投資による国民所得の決定を説いた。ケインズ政策は、財政の出動による乗数効果で有効需要を増大させ、商品市場の需給を調整し、資本市場から政策金利や資金需給の調整で投資を誘導する。この有効需要の原理は、次の定式で示される。 有効需要の原理 国民所得(Y)=投資(I)+消費(C) 上の式で経済成長は、投資と消費の関数だが、利子率(金融緩和)と所得(所得・価格弾性値)は、投資と消費が変動する要因の一部に過ぎない。投資の主な要因は、生産や生活の技術変革(商品開発)と市場の需給変化で、モノがカネ、実体経済が貨幣経済に優先するのだ。 こうして、実物経済と貨幣の乖離、価格理論を欠いた投資理論、限界消費性向による需要の把握など、部分的な要因分析には、木を見て森を見ない限界がある。投資関数・消費関数・乗数効果などの数値化や、資本を貨幣視点だけで捉えると、フローとストックの関連や、実物経済と貨幣経済の関連を見落とすこととなるのだ。 また新自由主義は、国家の規制を緩和して、グローバルな市場の競争に委ね、供給サイドから労働・資源の再配分を図った。だが国際分業は、内外で価格の連鎖(体系)が異なり、産業構造を競争力優位の産業に収斂させる。 企業は海外生産に傾斜し、家計部門は所得が低減して、国内市場を狭隘にした。実体経済と金融が乖離し、バブルを促進して世界金融危機を招く。グローバルな規模の利益の追求は、多国籍企業の収益を増大させても、産業は均衡と連関が断ち切られ、集積の利益が失われて国民経済は空洞化・衰退するのだ。 仕事や暮らしと国民経済 シュンペーターは、供給サイドからイノベーションにより、実物経済の技術革新と、企業組織や経営者の役割を提起した。また川勝平太の物産複合論は、実物経済の視点は同じだが、家計部門の消費に軸足を置いている。両者は、モノ(物産)を体系化し、経済の発展と統合したのだ。 フランソワ・ケネーの『経済表』は、国民経済の視点に立つ最初の経済学であった。 アダム・スミスの『諸国民の富』も、同じ立場から、富の源泉が人間の労働であることや、分業の利益(技能の熟練、移動距離の短縮、技術の開発)を明らかにした。そして「見えざる手」が、欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させると述べている。 また国内の農業→工業→商業→海外貿易という産業の優先順位を説き、貨幣偏重の重商主義を批判した。 次にマルサスの人口論は、穀物条例を廻ってリカドーの自由貿易論に反対し、マルクスは前述した二部門分割の再生産表式を残した。さらにケインズの有効需要の原理にも、こうした国民経済の視点がある。 このように経済学の歴史は、人間の労働、分業と商品経済(品質と価格、使用価値と価値)、産業の優先順位、実体経済と貨幣経済を統合した、国民経済学の確立を求めている。 また政府(官・公・クニ)の役割は、次の三つではないだろうか。 政府の役割 所得の再分配(財政、社会資本<公共投資・社会保障>) 所得の再分配は、増・減税や公共投資と社会保障など、財政出動によるケインズ政策だ。法・制度規制の緩和は、新自由主義の構造改革路線である。それは、内外価格差の縮小、金融市場の自由化、WTO・FTA・EPAの関税削減、変動相場制の為替で、グローバル化を促進する経済政策だ。 こうした国のかたちは、次のように区分できる。 国のかたち 政府の規制・保護 企業 家計 だが地球温暖化・核廃絶・世界金融危機・社会の劣化と貧困は、政府の役割に加え、技術文明の高い生産力と、内外経済の全体的なモデルチェンジを必要としているのだ。 そして、商品には価格・費用(償却費・労働費)、土地には地代・地価、労働には賃金、資本には利潤・利子率が、地域市場には地産地消、国内市場には国産優先、海外市場には輸入補完が対応する。 また有効需要の原理が言う企業の投資性向は、商品の価格・費用(償却費・労働費)と賃金・利潤・利子率・地代・地価に、家計の消費性向は商品価格と賃金に対応する。そして地代・利潤を除けば、他は商品・土地・労働・資本(貨幣)の価格なのだ。 こうして雇用と消費、仕事と暮らし、労働市場と商品市場、賃金と物価という成長の基軸が明らかになる。また国民経済の視点に立つと、この有効需要の定式に、政府と海外部門が加わって、マクロ経済は次のように示すことができる。 マクロ経済の定式 国民経済 企業 家計 政府 海外 では成長の基軸である仕事と暮らし、賃金と物価は、産業政策、すなわち商品・産業連関・市場構造と、どのように関わっているのだろうか。 商品・産業連関と市場構造の同心円型経済モデル マクロ経済定式の比較 マルクスの二部門分割再生産表式は、フローの使用価値と価格論を欠いたまま、生産財と消費財の二部門に産業を区分し、ストック視点だけから資本の拡大再生産を、社会的生産力と私的所有の矛盾に収斂させた。そこでは工業文明の高い生産力を見落とし、経済政策は生産手段の私有廃止に倭小化され、フローとストックを計画経済という名の国家管理に委ねている。 レオンチェフの産業連関表は、マルクスの二部門分割を多部門に拡大し、ケインズの乗数効果(集積の利益)が機能する。アダム・スミスの産業の優先順位や河上肇の『日本尊農論』も、この産業連関を基礎にしている。また川勝平太の物産複合は、レオンチェフの産業連関を、生活文化の視点から商品の体系に発展させている。 これまで経済学は、商品を価格や交換価値の視点で捉え、品質などの使用価値を限界効用に倭小化し、外部経済の中に位置づけてきた。また産業構造論は、第一次、第二次、第三次産業の区分と高次産業比重の増大(ペティ・クラークの法則)以外には、選択と集中でスクラップ アンド ビルドが当然視され、イノベーションとリストラを軸に、産業空洞化と産業調整を是認してきた。 だが産業構造は、商品生産の母体である。商品の体系(物産複合)は、産業の均衡・連関・集積が必要で、分業の利益が機能するのだ。そこで商品の体系と産業構造は、使用価値の概念だが、これを経済学の基軸に据えた経済モデルを提示したい。その国民経済は、次の枠組みで示すことができる。 国民経済の枠組み 技術・生活文化様式(イノベーション・商品の体系・産業連関・市場構造) アダム・スミスの産業の優先順位、国内の農業→工業→商業→海外貿易は、現在の一次→二次→三次産業→海外だ。これを、均衡・連関・集積した同心円型の商品・産業構造・社会資本・海外部門として捉え直す。また市場構造は、商品市場と土地・労働・資本の生産要素市場が、地域市場→国内市場→海外市場へ同心円型につながっている。 浜矩子は、ヒト・モノ・カネの黄金三角形を提起した(09.10.4NHKテレビ.)。ヒトは、労働で、生活文化と社会をつくり、賃金に集約される。モノは、商品で、人間の営みでつくられ、価格に集約される。カネは、貨幣で、市場経済の交換手段、価値の尺度、蓄積の手段で、利子率(貨幣の価格)に集約される。 これまで価格には政策価格、利潤・利子率・地代には公定歩合、賃金には最低賃金・生活保障、課税には税制、関税・為替にはWTO・IMFが対応してきた。 <ヒト・モノ・カネの黄金三角形(市場経済の枠組み)> ヒト 人間優先で生活スタイルを変革し、「新しい公共」社会、自助の家族、共 助の地域・企業、公助の政府を再構築。 モノ 現場主導の自然と人間を活かし・つなぐ技術開発で、環境と生活経済主 軸、品目・産業の均衡・連関・集積の利益重視、地産地消と国産優先の 互恵経済に転換。 カネ 域境課税と関税を含む税制改革で内外価格差を調整し、最低賃金・生活 保障が下支えする政策価格の体系を樹立。また内外経済を結ぶ新基軸通 貨を創設し、固定相場制の国際通貨体制を構築。 社会資本の運営と地域主権 企業・家計(民・私・イエ)と地域コミュニテイ(NPO・共・ムラ)の役割 国のかたち 政府の規制・保護 企業 家計 地域コミュニテイ その基軸は、自然と人間優先の技術開発と自助・共助・公助の社会だ。グローバル経済危機の打開策は、自然と人間優先の技術開発と、この同心円型成長モデルではないだろうか。
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