★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK85 > 655.html ★阿修羅♪ |
|
三池争議半世紀、京で来月企画展/元坑内員の子ら、確執超え(京都新聞) http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/655.html
(回答先: 三池労働争議50年展―1960年、「その時」あなたは(京都民報web) 投稿者 gataro 日時 2010 年 5 月 04 日 10:53:21)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100414000099&genre=C4&area=K00 三池争議半世紀、京で来月企画展 ■労組もまちも分裂、激しく対立 争議では労働組合が新旧の二つに分かれて激しく対立した。しかし、50年展では親の出身労組の違いを超えて子の代が集まり実行委を立ち上げ、計画を進める。企業の合理化が相次ぐ今、「人が人らしく働けるために、三池の教訓をどうつなぎ生かせるかを、この機に考えたい」と関係者は話す。 実行委の中心は、代表で伏見区深草西浦町の東川絹子さん(62)と、大津市秋葉台の重田眞由美さん(62)、彦根市松原町の前川俊行さん(57)。 3人の父親はいずれも採炭作業員や保安係だった。所属労組は、東川さんと前川さんの父は争議を主導した旧労、重田さんの父は新労。当時、両労組は組合員の確保にしのぎを削り、「ピケ隊よ、覆面をとれ」(新労)、「スト破りは違法」(旧労)などと応酬を繰り返した。こうした経緯もあり、争議経験者の間には今なお大きなしこりが残る。 ■争議振り返り、次の世代に伝えたい 3人は「自分たちの世代、また地元での開催でなかったから、今回の企画が実現した」と話す。その上で、東川さんと重田さんは「労組が割れてまちも人間関係も壊れた。同じ歴史を繰り返さないため、その原因を探り、次の世代に伝えていければ」と語る。前川さんは争議後に父親が解雇され、各地を転々としたが、「最後まで闘った両親は誇り」と胸を張る。 50年展では、1997年に三池炭鉱が閉山したことから前川さんが故郷を懐かしみ設けたHPを通じ、関係者が寄せるようになった資料を中心に、労組の旗やビラ、組合員の記章や鉢巻き、仲間や家族らで撮った写真など130点余りを並べる。「三池主婦の子守唄人形」などの珍しい品も展示される。5月5日には、争議に参加した元組合員で伏見区在住の男性を招き座談会も予定している。 午前10時〜午後5時、無料。問い合わせは東川さんTEL075(643)0866へ。 ■三池争議 1959年、三井鉱山(当時)が石炭産業の斜陽化に伴う合理化を名目に、1200人を超す炭鉱労働者への指名解雇を通告し、翌60年に組合が全面ストに入った。同年の日米安保条約改定をめぐる「安保闘争」と並行して全国から支援者が集まり、「総資本対総労働」と呼ばれた。長期化する中、操業再開を求めて新労組が結成され旧労と対立。旧労の上部団体が中労委あっせん案を受諾し収束したが、多数の失職者が出た。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK85掲示板
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK85掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。 すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。 |