141. 2013年5月08日 15:39:53
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本来は学術研究の対象などに過ぎない歴史が、国家同士の主権の争いで武器となる状況になっています。中国が日本は尖閣諸島を「盗んだ」と主張して尖閣奪取を正当化しようとし、韓国はかつての日本の「植民地支配」で竹島を「奪われていた」と言い立てている現状を見ると、日本はまさに「歴史戦争」に巻き込まれていると言えます。日本はこれまで歴史問題で中国や韓国に言われるまま謝罪してきましたが、このままでは尖閣は中国に奪われ、竹島を取り戻すこともできないでしょう。 極端に言えば、中国共産党が1990年代初頭、国内での反日教育の徹底を決定すると同時に、南京事件と慰安婦問題を材料に、「日本が第二次世界大戦期にホロコーストをした」という反日国際キャンペーンを進めることを決めた。そして、日本の戦争責任を追及するアメリカ、カナダ、香港を中心とする世界中の30もの中国系、韓国系、日系団体が結集して「世界抗日戦争史実維護連合会」(略称、世界抗日連合)を1994年に結成、国際的な反日ネットワークを組織した。日本がその後南京事件や慰安婦問題で世界中で批判に晒され続けてきた背景には、この中国共産党の国際的な反日謀略があるということです。尖閣や竹島という安全保障問題、領土問題に歴史問題がリンクしている現状に、この中国共産党の国際謀略に改めて注目すべきだと考えます。 ところで「歴史戦争」というものの本質を考えるにあたり、それが戦後すぐに始まったものでは決してないという点に注目すべきだと思います。 韓国でみると、歴史問題での反日的な言論や行動は若い人ほど多く、年長者には少ない。反日が歴史的な事実の結果生み出された自然な感情だとすれば、時間の経過とともに次第に薄れて忘れられるはずです。ところが、反日感情が強いのは日本統治時代を体験していない今の世代です。反日を仕掛けた勢力がいるといことです。その仕掛けた勢力を見ないで、「歴史戦争」を日本人対韓国人の対決だと考えてしまうと、その勢力を喜ばすだけではないかと思います。 1948年の大韓民国建国時の李承晩初代大統領は独立運動出身で、確かに反日政策を取りましたが、日本に賠償や謝罪を要求するその後の反日とは性格が違いました。彼の反日は、基本的に日本とは距離を置く、日本を遠ざけるという政策でした。 次の朴正煕大統領は1965年に日韓の国交正常化をしました。当時の韓国国民は8割方は正常化に反対で、朴正煕大統領は戒厳令まで敷いて正常化を推し進めました。朴正煕大統領は、反対デモをしていた学生たちに次のような主旨の演説をします。「過去には日本と交わって支配されたけど、国交正常化をして、日本を利用して自分たちが強くなろうとなぜ思えないのか」と。そして1979年に暗殺されるまで、対日外交で歴史を持ち出すことはありませんでした。 近代国家であれば当たり前のことです。歴史が外交に持ち出されるのは、戦争や植民地支配の清算をする時です。講和条約、平和条約の条件を自国に有利にするために、外交は歴史を材料にして闘うわけです。しかしいったん条約を結んだら、歴史は外交から学究の問題になるのが国際社会の常識です。朴正煕政権の韓国もその常識を踏まえていたわけです。 ただ、李承晩、朴正煕時代を通じて、もう1つの反日がありました。日本が自由主義陣営であるにも拘らず、全体主義・共産主義体制の北朝鮮に甘いことへの反発でした。韓国の安保を危うくしていると考えられていたのです。1つは、1950年代に始まった在日朝鮮人の「北送」、北朝鮮への「帰還」事業への反対です。1974年の文世光事件の時にも北朝鮮がらみの激しい反日が起きました。在日韓国人の文世光が朝鮮総連に抱き込まれ、北朝鮮工作機関の幹部から直接指令を受けて朴正煕大統領を銃撃、そばにいた陸英修夫人を死亡させた事件です。韓国が朝鮮総連の取り締まりを要請しても日本は及び腰で、関係者や関係場所への強制捜査をしませんでした。この時の反日デモが、韓国でこれまで起きた中で最も激しい反日行動でした。 しかし、いずれも歴史問題での反日ではありません。韓国が歴史問題を初めて外交の俎上に載せたのは、1982年の第一次教科書問題の時です。これが日韓の「歴史戦争」の始まりだと思っています。 1982年(昭和57年)6月26日に、文部省(現在の文部科学省)による1981年度(昭和56年度)の教科用図書検定について、「文部省(現在の文部科学省)が、高校教科書の検定で、華北へ『侵略』という記述を『進出』に書き換えさせた」という日本テレビ記者の取材をもとにした記者クラブ加盟各社の<誤報>をきっかけに、中国の新華社通信が日本政府を批判し、韓国でもマスコミの批判が高まって、韓国と中国政府が外交ルートで教科書の書き直しを求めた。明確な内政干渉でした。 この時韓国政府が動いたのには理由がありました。第2次石油ショックの影響もあり1980年代に韓国経済はがたっと落ち込み、時の全斗煥政権が日本に60億ドルの経済協力を要求していたのです。韓国の経済発展を受け、朴正煕政権の末期に、政府レベルの経済協力は減らすと合意していたのですが、全斗煥政権が1981年に「安保の観点から日本は多額の経済協力をすべきだ」と言い出した。韓国の軍隊の近代化には200億ドル必要で、日本はその3割を負担すべきだという言い分でした。日本の鈴木善幸内閣は拒否しますが、そんな中で教科書問題が起きて、全斗煥政権は経済協力を取るのに歴史を利用したのです。そして、テーブルを叩きながら、板の下では金をくれと手を出すという手法がうまくいった。教科書問題でも日本は近隣諸国条項をつくり、韓国や中国の関心事項には事実上検定意見を付けないことにし、教科書を書き直した。 その後、韓国は盧武鉉政権まで、経済協力や技術協力を求めるのに反日を利用しました。 ≪近隣諸国条項(きんりんしょこくじょうこう)とは、日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定のこと。 この規定は、教科用図書検定規則(平成元年文部省令第20号)に基づいて定められている義務教育諸学校教科用図書検定基準(平成元年文部省告示第15号)と高等学校教科用図書検定基準(平成11年文部省告示第96号)にある。いずれも「第3章 各教科固有の条件」の中に規定され、義務教育諸学校については[社会科(「地図」を除く)]の中に、高等学校(準用される各学校を含む)については、[地理歴史科(「地図」を除く)] の中に定められている。≫ ≪「近隣諸国との外交関係に配慮する」と言う政治的理由で、世界百数十ヶ国の中でたった3ヶ国でしかない、中国・韓国・北朝鮮の主観に基づく歴史観に迎合するような制度が、果たして国際的な客観性を担保できるような基準を設けることになるのか大いに疑問であるとする見解もある。また、近隣諸国である中国・韓国・北朝鮮の教科書作成に関し同様の規定がないことを問題とする見解もある。≫ 当時の日本の状況は、毛沢東派の新左翼グループが「日本は加害者責任を自覚すべきだ」と言いたてるのを見聞きしました。「ベトナム戦争で日本は基地を提供することで米軍に加担し、ベトナム人民を抑圧していた。同じように日本は米軍と組んで韓国の保守反動政権を応援し、韓国の民主化運動を弾圧している。日本はアジア民衆に対する加害者である」と言うんです。日本人がその現状を自覚できないのは、第二次世界大戦での加害責任を自覚していないからだというのです。「2000万人アジア人民の血の叫びを聞け」などと書いたビラをよく配っていました。 それまでの左翼、例えば日本共産党は、敵は日本帝国主義・軍国主義であり、日本人民も被害者だという立場でした。それに対して1960年代後半から1970年代にかけて勢力を伸ばした新左翼は、総体として日本人民も加害者だと言い始めた。その影響を受けたメディアの人たちや学校の先生たちが、反日的な教科書を作ったり、報道をしたりしたという流れです。 1980年代には、アメリカのニューレフトたちも日本の歴史問題に注目していました。共産主義者たちは、ベトナム戦争で共産主義陣営の北ベトナムが勝てばアジアを一気に共産化できると考えていました。ドミノ理論です。ところが北ベトナムが勝ってもアジアの共産化は進まなかった。その理由をニューレフトの理論的指導者であるH・マルクーゼらはこう総括します。 ≪どれだけアジア諸国に共産党と共産軍を組織しても、アメリカと日本が盤石であれば、アジアの共産化は進まない。アジアを赤化するためには日米同盟と日本の弱体化を進めるべきだ≫ そのために日本の歴史問題を使うというのがベトナム反戦運動をやったニューレフトたち、ピューリッツアー賞の『敗北を抱きしめて』で有名なジョン・ダワーたちグループの考え方です。それに日本の左派もつながっていたのではないかとも思っています。 新左翼やその影響を受けたマスコミ、例えば朝日新聞などと一緒になって教科書事件で日本政府を批判した韓国の全斗煥政権は反共で、日本の左派マスコミからは「全斗煥虐殺政権」とまで言われていました。1980年の光州事件を激しく批判されていたのです。その敵同士が共闘したわけです。ねじれなんです。韓国の政権が目先のお金のために敵対勢力の謀略に乗って反日に走ってしまった。 本来、日韓の保守派は連携して中国共産党や北朝鮮と対峙すべきなのに、対立する構図ができてしまったと言えると思います。 中国でも南京「大虐殺」記念館ができたのが、1985年です。南京「大虐殺」が本当にあったならば、もっと早い時期に建設されているはずでしょう。1972年の日中国交「正常化」の時に賠償も求めるべきでした。そうではなくて、1982年の反日に効果があったから、建設したのでしょう。この時は中国も援助欲しさの反日だったんです。 当時の鈴木善幸内閣のバックには田中角栄がいました。そして田中角栄は裏でケ小平とつながっていた。この田中角栄ラインで「中国に謝ってしまえ、ODAも増やせ」という流れになったのではないかと思います。 1990年代に入ると、韓国の反日の性質が変わります。韓国はすでに日本からODAをもらわなくなっていました。それでも反日が続いたのは、金泳三政権が日本の謝罪を国内政治に利用したからです。政権の人気取りです。そこで竹島問題が出てくる。1965年に日韓基本条約を結んだ際、両国は竹島問題をいわば「棚上げ」する密約を結びます。日本は「竹島は日本固有の領土だ」という点では譲歩しないけれども、日韓関係の他の問題にはリンケージさせない。韓国側は、日本の立場を慮って現状を変えないことにしたのです。ところが金泳三政権が密約を破り、護岸工事を始めた。日本が抗議をすると、韓国の左派メディアは日本が竹島問題で発言し始めた、侵略的だというキャンペーンをやり、金泳三大統領もそれに乗っかってしまって、江沢民と一緒に日本批判を展開した。 1990年代には、韓国の左派団体もやはり、日本からお金を取るのではなく、反日感情を悪化させるという動きに出ます。韓国で慰安婦問題での対日批判の高まったのを受け、日本は河野談話を出し、「女性のためのアジア平和国民基金」を作った。国交正常化時にお金を出して賠償問題には決着をつけていますから、苦肉の策として民間から寄付を集めるという形にして、元慰安婦には総理大臣の謝罪の手紙まで付けてお金を渡そうとした。 それに対して、韓国の挺身隊問題対策協議会という慰安婦問題のグループが、基金からお金を受け取るなという運動をします。お金を受け取った何人かの元慰安婦を、公開の場で「あなたたちは売春婦になったのと同じだ。過去のセックスの代価を受け取ったことになる」と糾弾するということまでした。つまり、彼らの目標は日本からお金を受け取ることではなく、反日を続けることだったわけです。そして、この挺対協のアメリカ支部が全米各地で世界抗日連合と一緒に反日活動をしている。 同じ頃に、中国共産党が歴史問題で動き始めたわけです。冷戦が終わってアジアの派遣を争うライバルである日本を蹴落とすために、同盟国のアメリカ、そして同じ自由主義陣営の韓国に対し、日本との離間工作を仕掛ける、その材料として歴史問題を使っていくという方針を、1992年当時に中国共産党が立てたのです。 反日歴史教育を徹底させるた「愛国主義教育実施要綱」を1994年に江沢民が定めたことは知られていますが、それより前の1992年の段階でそうした路線変更があったことは、香港などのメディアで頻繁に流されています。中国共産党の公式文書で確認したわけではありませんが、アメリカの情報機関も把握していました。 日中戦争の中国側犠牲者数 中国共産党政権維持のための反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は指数関数的な勢いで日々増加している。当時の中国人口よりも犠牲者数が増えるのではないかと揶揄する評論家もいる。 @発表年A犠牲者数B調査・出典C補足 @終戦時A132万BGHQ調査・発表C国民党軍人のみ @終戦時A132万B国民党政府調査・発表 @1948年A438万B国民党政府報告書C1948年までの確認数 国民党軍人のみ @1950年代A1000万B共産党政権発表 @1970年A1800万B共産党政権発表 @1985年A2100万B共産党政権発表(抗日勝利40周年)Cこれ以後 博物館や教科書で公式数字となる @1998年A3500万B江沢民発表C江沢民の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる @2005年A5000万B卞修躍博士発表(抗日勝利60周年) 日本はこの頃から国連の常任理事国入りを目指していたわけですけど、中国は「戦争犯罪の率直な謝罪が条件だ」と明確に主張し始めたわけです。 それは1993年8月のことで、中国共産党は日本の自立、政治大国化を阻むカードとして「過去」を使い始めたのです。 歴史が問題だと思っているのであれば、戦後50年も経った時点で国連の常任理事国入りの条件に取り上げるのではなくて、記憶が生々しかったはずの日中国交正常化の時点で条件にすべきだった。日本の政治大国化を阻むために反日であること自体、歴史の結果ではなくて、政治謀略であることを示しています。 1994年9月に中国共産党政府は「愛国主義教育実施要綱」を公表し、その3カ月後にアメリカで世界抗日連合を組織したわけですが、彼らが重視したのが、慰安婦問題と南京事件です。ともに「日本が起こしたホロコーストだ」と位置付けた上で、「日本は戦後もそれを謝罪せず隠蔽してきた。そのために今なお日本はアジアから信頼されない」というのです。「日本の戦争責任の隠蔽工作に加担したのがサンフランシスコ講和条約体制であり、アメリカが講和条約を日本の免罪符にした、日本に再び謝罪と賠償をさせるためにも、戦争賠償問題を決着済みとしたサンフランシスコ講和条約体制を全面的に見直すべきだ」−−というのが彼らの主張の全体像です。これは明らかに日米同盟を破壊し、中国がアジアで覇権を握るための戦略です。その中国の目論見に韓国の慰安婦問題グループも乗ってしまった。 世界抗日連合のバックに中国共産党がいるのは間違いないです。 世界抗日連合のグループは何度も訪中し、中国でも頻繁に合同国際会議を開催していることからも、それは明らかです。 ホロコーストだと定義されるのは大変危険なことで、時効がありません。 「人種的宗教的理由で組織的計画的に民族の絶滅を図る」のがホロコーストです。つまり、世界抗日連合らは、日本が中国人や韓国人を絶滅させるため南京「大虐殺」や慰安婦強制連行をしたと非難している。日本人には想像を絶する議論ですが、「ホロコーストの責任を取らない日本は国連常任理事国になる資格もないし、それを反省しない日本が軍事力を持ったら再び軍国主義国家になるから、軍事力も持たせてはならない。憲法9条も永遠に守らせるべきだ」という政治的なロジックを彼らは宣伝し続けてきたわけです。 1993年ぐらいから始まったこの謀略の主要舞台がアメリカでした。そしてあろうことか、アメリカの退役軍人会もその仲間入りをしてしまいます。 ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも共産主義と戦い、アメリカの中でも最も反共のはずの彼らがなぜ、中国共産党の政治運動に乗ったのでしょう。 大きかったのは、ワシントンDCのスミソニアン博物館での「原爆展」問題です。1995年に広島・長崎への原爆投下50年を迎える日本あたり、スミソニアン博物館は1994年、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」号の機体や被爆の悲惨な実態を示す写真などを展示し、原爆、核兵器の恐ろしさを訴えようとした。 それに怒ったのが、アメリカの退役軍人協会です。スミソニアンの計画は「『原爆投下が戦争終結を早め、多数の将兵の命を救った』というアメリカの正史を歪め、アメリカの正義を貶めようとしている」として、政治的圧力をかけて原爆展を実質中止に追い込みました。世界抗日連合はこの時、「日本の残虐性、日本の軍国主義を正当化するような動きは許せない。一緒に闘いましょう」と退役軍人協会に近づいたのです。 当時、アメリカでは歴史学者たちが、「日本には戦争を継続する余力がなく、原爆投下は必要なかった。政策決定者たちもそのことを知っていた。投下すべきではなかった」という見解を相次いで表明していました。退役軍人たちにとっては許せない。そこをチャイナロビーに付け込まれ、味方だと思ってしまったのです。 これもねじれと言えばねじれです。 「原爆投下は必要なかった」と言っていたのは歴史修正主義者と呼ばれる左翼の学者たちです。彼らは本来なら共産党政権の中国に近いはずですが、中国は日本を蹴落とすために左翼学者ではなくアメリカの反共勢力と手を組んだ。戦後、中国共産党が対日工作の最大のターゲットにしたのも旧社会党や日本共産党、新左翼ではなく自民党でした。目的のためには敵対勢力とも平気で手を組むところに中国共産党の工作の恐ろしさ、巧妙さがあります。 スミソニアンの原爆展が頓挫したことを受け、広島市は1995年7月、ワシントンのアメリカン大学で原爆展を開催し、広島市長が講演しました。これに対して中国人留学生のグループが大学内で抗議集会をしたり、別の場で日本軍の「残虐行為」展を開いたりしました。言うまでもなく、中国の海外留学生は中国共産党のコントロール下にありますから、中国共産党の指示だったことは間違いありません。 20年間、慰安婦問題で論争を続けてきて、1990年代には、日本の官憲による慰安婦の強制連行はなかったこと、組織的な性奴隷制度など虚構であることを論証できたと考えています。左派の学者たちも論破しました。テレビで議論してそのことを認めた学者もいたのです。ところが、中国の国際謀略は続き、国際反日ネットワークは拡大を続けた。2000年には東京で、「日本軍性奴隷制度を裁く女性国際戦犯法廷」と称する弁護士もいない裁判もどきをやった。その検事役として韓国から挺身隊問題対策協議会が来て、北朝鮮からも工作員が来ていたわけです。これは中国共産党の国際謀略に北朝鮮も荷担している明らかな証拠だと言えます。挺身隊問題対策協議会の幹部には、家族が北朝鮮のスパイとして国家保安容疑で検挙された人たちがいる。金正日が死んだ時には弔電を出した。 もしも性奴隷が問題だと言うのであれば、脱北女性が中国の農村に売られて、鉄の鎖を付けられて一家の男たちのセックスの相手をさせられるような状況にこそ目を向けるべきでしょう。過酷な社会体制の北朝鮮から逃げる人は後を絶たない。中国政府は脱北者を難民として認定しないどころか強制送還している。目の前にいる性奴隷の問題に取り組まず、60年以上前の証明もされていないことをホロコーストだと言っている中国共産党や北朝鮮労働党こそ、けしからん存在です。 韓国で慰安婦問題が起きた時、中国共産党は、中国国内で日本軍によって性奴隷にされたという中国人女性の証言を法務局に登記して、記録として残すということをしています。そして英訳をして広め、国連の人権委員会に持っていく。そして、日本は中国人をこうして根絶やしにしようとしたというキャンペーンを今なおやっているという現実があります。 慰安婦は、軍隊というのは世界どこでも強姦事件を起こしてきたから、それを防止するため、中国人民の被害をなくすためのもので、日本や植民地から業者に女性を集めさせた。中国人は被害者じゃないんです。 「嘘も百遍」が彼らの文化ですから。2013年1月にニューヨーク州が慰安婦問題で対日批判決議をしました。決議を画策した中心は在米の韓国・朝鮮人のグループですが、世界抗日連合も関わっていて、自らのホームページにもその成果が載っています。そして、「慰安婦や竹島、尖閣が問題になるのは、日本が再び軍国主義を復活させようとしているからで、アジアの人民とアメリカの良心的な人たちに警笛を鳴らすために活動しているのだ」と書いています。あたかも尖閣問題を起こしているのは、日本だと言わんばかりです。 残念なことに、アメリカの国務省や国防総省の中にもそれを真に受ける人たちが出てきています。先日、米軍関係者から聞いた話では、在米のチャイナロビーは、「安倍政権、そして石原慎太郎代表の維新の会は極右勢力で、アメリカ撤退後のアジアで再び大東亜共栄圏をつくろうとしている。彼らの軍事拡大主義は警戒すべきだ」と吹き込んでいるとのことです。「アジアの混乱要因は日本だ」という中国共産党のプロパガンダを真に受ける人たちが、アメリカの政権内部にもいるわけです。 これは座視できません。しつこく英文で反論すべきです。その際、「慰安婦強制連行はなかった」という言い方ではなく、「そもそも慰安婦はホロコーストではない。日本は中国人や韓国人を組織的計画的に絶滅させる方針をつくったことも計画したこともないし、実行したこともない」と反論することが重要です。 そもそも中国共産党がチベット、ウィグル、南モンゴルでやっていることこそ現在進行形のホロコーストです。中国も北朝鮮も脱北女性を現代の性奴隷にしています。彼らは自分たちのホロコーストを隠蔽するために日本批判のプロパガンダをしているということもアメリカでアピールすべきだと思います。 国際社会で日本の虚偽のイメージをつくってきた人たちこそが普遍的人権に反することをやっている。日本は普遍的な人権を重視する立場だから、それについては黙視しないというメッセージを、虚偽イメージへの反論とともに出す必要があります。 今起きている人権侵害を許さずに闘う姿勢を打ち出し、拉致問題に熱心なアメリカ連邦議会の議員たちを日本の味方にしていくことが、中国共産党や北朝鮮の謀略を打ち砕く大きな力になると思います。 これまで日本政府が虚偽の歴史非難に謝り続けてきたために、外から見るとやはり問題があったのだろうと思われてきた面もあったと思います。来日したアメリカ人研究者と慰安婦問題で議論したとき、「言うことは全部わかった。しかし納得できない」と言われたんです。理由を聞くと、「ではなぜ国営放送のNHKが報道するのか。そして総理大臣が謝るのか。政治家やメディアは自国をかばうもので、かばいきれないから報道するんでしょう」と言うんです。 日本と他の国では感覚が違う。日本はトラブルがあったとき、瑕疵の度合いが、こちらが1で相手が9であっても、まず1の瑕疵を認めることによって誠意をみせるという文化ですけれど、一歩外に出るとそうではない。10の瑕疵があるから1を認めたのだろうと思われる。中国共産党が日本を弱めるために南京事件と慰安婦問題を利用しているという中では、日本風の善意や誠意は通じません。中国共産党から謀略を仕掛けられているということをはっきりと見つめて対処する必要があります。 アメリカで慰安婦の碑が建てられたり、州議会で対日非難決議が出されたりしたため、「アメリカが日本の戦争責任を追及するのであれば、われわれも原爆問題でアメリカを批判すべきだという人もいますが、それでは結局中国の思う壺です。中国からすれば、日米にいがみ合ってもらいたくて、わざわざアメリカを舞台に反日宣伝を繰り広げているのです。敵はどこなのかという話です。 日韓関係で言えば、日韓基本条約を結んだ1965年の知恵”agree to disagree”に戻るべきだと思います。竹島や日韓併合条約をめぐって両国にはさまざまな意見の違いはありましたが、その違いを認め合って未来のために国交を正常化させました。 当時それができたのは、北朝鮮と中国共産党という共通の敵があったからです。東西冷戦を戦っていくためには、日米韓の連携が必要だと考えた。今は、中国共産党と朝鮮労働党と韓国の左翼と日本の左翼に挑発され謀略に引っかかっている。愛国心あれば歴史観は違って当然です。歴史観の一致を求めないという点だけでも一致できれば、日韓は連携できることが多いはずです。 今、日本が「歴史戦争」に巻き込まれる中で、保守論壇には反米、反中、あるいは反韓も出てきています。理由のあることについて批判をするのは必要なことだと思いますが、日本と違う歴史観だからダメだと言ってしまうと、レイシズム(排外主義・人種差別主義)に陥ってしまいます。やはり敵はだれなのかを見極めて闘わなければならない。 憲法改正を掲げる安部政権が誕生したことで、日本は右傾化していると論じるマスコミが欧米にもあります。世界中の国が軍隊を持ってもいいけれど、日本が持つことだけは危険で許されないという考え方も、日本に対するレイシズムです。日本は皇室を中心とする立件君主制の国です。韓国やアメリカの共和制とは違うけれども、日本もまた民主主義、自由主義という普遍的価値に基づく政治体制を実現させていることは間違いありません。 中国に対峙するときに、われわれが敵とすべきなのは中国共産党であって、中国国民大衆ではないことを明確にし、弁別をして議論をしていかないと、「日本は排外主義だ。ナチス・ドイツの再来だ」と非難されることになる。中国共産党の反日宣伝に利用されるような振る舞いは避けなければなりません。 「アメリカは」「アメリカ人は」と十把一絡げに考えるのも危ない話です。アメリカにもいろいろな考え方がある。それを踏まえて、個別に議論していかないといけない。今のアメリカ人の日本に対する意識は、大きく言って4つのグループに分けられると思います。1つは、「財政の壁でアメリカはカネがなくなっていく。軍事費が10年間で6千億ドル削減されていくという中で、日本のことになど構っておられない」というグループ。 内向きになってきているわけです。 世界抗日連合はその点を突いて、「アメリカ国民の皆さまへ。あなた方が知らない極東の小さな島、つまり尖閣諸島のために、あなたの息子や娘が死ぬのを望むのですか」とアピールしています。 アメリカのブルッキングス研究所という民主党系の大手シンクタンクが、第二次オバマ政権への政策提言書で対中協調路線を訴え、尖閣問題では「小さな島や岩をめぐって米国が戦争に巻き込まれては何の得にもならない」としていることが産経新聞で報じられていましたが、言い分が似通っていることが気になります。 世界抗日連合は「尖閣でこれだけトラブルが起こっているのは(中国が悪いのではなく)日本が軍国主義を復活させようとして、中国を挑発しているから。アジアはアジアに任せるべきで、アメリカは日本の軍国主義化を防ぐためにも中国と協力すべきだ」と言っているわけです。そして、このプロパガンダに同調しているアメリカ人グループもいる。これが2番目です。 最も極端なグループは、「過去を反省しない日本は右翼国家でトラブルメーカーだ。日本が反省すればアジアは平和になるのだから、謝罪するようアメリカは圧力をかけるべきだ」と考える人たちで、アメリカのメディアにもそうした論調がよく出てきます。 4番目のグループが、「米軍の東アジアにおける米軍のプレゼンスが低下しており、中国の軍事的台頭に対抗するためにも、日本の軍事的拡大が必要だ」と考えている人たちです。主としてアメリカの軍関係者に多いように見受けられます。 つまり4つのうち3つのグループが日本に対して否定的だというアメリカの厳しい状況の中で、日本がアメリカを舞台にした情報戦でどう勝ち抜いていくのかを考えないといけない。 日本は1982年から謝り続けてきたのに、いつまで謂れのない批判をされるのかと言う人たちがいます。答えは簡単です。中国共産党が倒れればなくなる。世界中で反日宣伝をやっているのは、まず中国で、その影響を受けた北朝鮮。そこから韓国やアメリカにまで広がっている。実際に日本が大東亜戦争で戦場となった他の東南アジアの国にはほとんどないわけです。特に60年間にわたって日本の統治を受けた台湾にはない。あったとしても中国系や華僑たちがやっていることです。結局、中国共産党が政治的意図を持って1980年代から始め、1990年代から本格化した反日謀略の結果、日本は世界中から非難されているかのように思わされてきただけです。中国共産党の批判がなくなれば、靖国神社への総理の参拝への批判もなくなる。 アメリカをはじめ世界中で反日宣伝が繰り広げられていますが、「歴史戦争」を仕掛けているのは中国共産党であって、「敵は中国共産党だ」という明確な国際情勢認識が必要です。
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