05. 2010年5月03日 10:30:01: 9FdPfuIN36 枝野や、前原、渡辺黄門さま(自称)は、 政権や民主党内から、いなくなったとしても、 民主党や政権は、全く、ビクともしないことであろう。 国民も彼らの動静には全く無関心で、影響も全くない。 そういった意味では、枝野、前原らは、交換可能な、 はっきり言って、国民から見て、どうでも良い議員たちである。しかし、小沢幹事長がいなくなったとしたら、 この国は、一体、どうなってしまうのだろうか。 間違いなく、民主党と政権は、崩壊への道をたどるのではないだろうか。 小沢氏が支えてきたのは、国民のための政治である。 その理念が、中断されてしまう、私は、そのように確信している。 一般国民は、 検察、マスコミ、新聞、テレビの怪しげな面々、 機密費からの賄賂を受け取ってきた評論家、タレント、有名人らによる 酷い誹謗中傷を繰り返しの中でも、 強く、なお、一層強く、小沢氏を支持してきた。 それは、多くの国民が、 小沢氏こそが、国民を大切に思い、国民のための政治を実現しようと、 私心なく、日々、努力している政治家であると、実感してきたからだ。 小沢氏は、考えが極めて深く、多層的で、 一般の議員とは、全く別次元の、極めて知性的な政治家である。 また、その顔に似合わず、心根はとても優しくて、 国民を食い物にしてきた小泉元首相とは違って、 常に、国民に対して慈愛の心を持ち、慈愛の政治を実践しようとしてきた。 小沢氏の名人級の囲碁の腕前からも推測できることであるが、 小沢氏の政治的読みの深さは、一般を逸脱しており、 一見、何が、何だか、なかなか、国民にも、中々、理解されない。 しかし、後になれば、こういうことであったのか、ということが、 私のような頭の弱い者にもわかるように、事態は、進むのである。 日本にとって、国難ともいえる時節に、 そのような小沢氏が存在したことは、幸運で、心強いことであった。 もし、小沢氏がいなければ、 日本は、以前、外国勢力や、売国奴たちが大手をふって、国富を盗み、 庶民を痛めつける政治が、引き続き横行してきたことだろう。 今、それが、できにくくなってきているのは、小沢氏の存在ゆえである。 国民は、小沢氏を、そして小沢氏が束ねる民主党、 そして小沢氏の理念を実現する政権を支持しているのだ。 それは、この先も、大きく変わることはないだろう。 小沢一郎の手は、お釈迦様の手の如くである。 小沢氏と比べれば、私心と欲で凝り固まった前野、前原、渡辺らは、 大人に対するガキの如く愚かであり、彼らによる不協和音の数々は、 国民も呆れている。一体、誰のおかげで、政権にいられると思っているのか。 まさか、彼らは、自らを、小沢氏と並べられると考えているのだとしたら、 本当に信じられないことである。 格が違うのだ。 どのように転んでみても、永遠に、小沢氏に並ぶことなどできないのだ。 しかし、何故だか、小沢氏は、やりたいようにさせている。 彼らが、小沢氏をやり込めようとするのを、手をこまねいて、見守っている。 不思議だ。 ここぞ、というとき以外には、小沢氏は、彼らに対して、動かない。 それは、おそらく、小沢氏の政治的理念から来ているのだろう。 民主主義は、人々が作るものであり、そして人々は、道を誤るものだ。 かつて小泉改悪を、マスコミに騙されて、国民が支持してしまったように、 国民も、たやすく、判断を誤り、道を誤ることを、小沢氏が知っているからだ。 それは、足元の、民主党内の反小沢派の議員たちも同じことだ。 小沢氏は、ただ、見守っている。 この国に、小沢氏個人の力でなく、人々の総力の中で、 民主主義が、定着することを。 小沢氏は、囲碁の名人で、盤面は、相手方と共に作るものであると 承知しているのだ。 だから、民主党内の反小沢派という敵方、奴らの動静を見ている多くの 国民が、どのような盤面を作るのか、見守っているのだ。 大きく路線を越えない限り、その盤面が自由に作られるのを、 小沢氏は、見守っているのだと、私は思っている。 ゆえに、自由にさせている。見守っている。 権力は、ことさら、行使しないという、小沢氏が存在することになる。 政権後退直後の動乱期で、政治家も含めて、皆、素人たちであるから、 その大勢を見守っているのだとも考えられる。 政権交代が実現し、何もかもが、国民にも、よく見えるようになってきた。 今こそ、庶民は、声を上げるべきであり、小沢氏とともに、 日本政治という盤面をつくる時節であると、私は感じている。 |