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政権交代が「維新」だったなら次は「条約改正」にすすむべし - 武藤一羊(ピープルズ・プラン研究所) http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/525.html
政権交代が「維新」だったなら次は「条約改正」にすすむべし 4月25日、読谷村での反基地の大結集は、沖縄の米軍基地撤去の要求をはっきりと日本国家に突きつけた。その日、政権は「県外移設」のそぶりを棄てて、密かに「修正現行案」に傾いていると報じられていた。沖縄は、県知事から県議会、自民党から共産党まで、一致して怒りをこめてこれを突き返した。冗談じゃない、沖縄をなめるな、と参加者は口々に語った。基地のない沖縄、ヤマトの都合に振り回されない沖縄を欲するだけだと。 こうして沖縄で拒否された日米安保問題は(正当にも)ヤマトに突き戻された。それをヤマト社会、ヤマト政治は受け止めることができるか。それともいまいちど、この鉄のボールを強権によって沖縄に投げ戻し、沖縄を国内植民地として扱い続けることを思い知らせるのか。問題は、すでに、基地をどこに「移設」するかをはるかに超え、「普天間問題」の範囲すら超え、私たち――あえて日本列島住民を私たちと呼ぶことにする――が、「日米同盟」なるものをどう処理していくかという不可避の課題を、私たちの眼前ににわかに押し上げたのである。 この課題は根が深い。アメリカ帝国への依存・従属は、戦後日本の軸芯に組み込まれ、戦後国家の「国体」(国家の本質)の強力な構成要素であった。そしてこのアメリカ帝国は、戦後、占領した沖縄を非合法に軍事植民地として準領土化し、最大の海外基地として確保した。そして、戦後日本は、天皇裕仁を先頭に、すすんでそれを支持、それに協力した(裕仁の「沖縄メッセージ」)。戦後日本は、沖縄の米軍支配を前提に、「平和憲法」の下、経済復興の道を突き進んだのである。 1972年の沖縄返還は、アメリカ、とくにその軍部にとって軍事植民地としての沖縄の地位を変更するものではなかった。施政権の返還は、この軍事植民地の管理、民衆の統治責任、支配のコスト支払いを日本政府に移管するものにすぎないと軍は理解していたし、それは米国政府の暗黙の前提でもあった。歴代自民党政府もこの前提を暗黙のうちに受け入れていた(主権の移譲と実質的軍事植民地支配の継続の間の矛盾は、いくつもの「密約」によって埋められた)。こうして、沖縄は、返還後も米軍の軍事植民地という性格を変えない別格の領土として、日本国家の支配下に移管された。別格の領土とは、すなわち、国内植民地である。沖縄は、1951年に日本国家から遺棄された(なぜならそれは国内植民地であったから)と同じ論理で1972年に日本国家に併合された(もともと国内植民地だったので米国の軍事植民地のままでかまわなかった)のである。沖縄はいまやこの関係全体を拒否している。米軍基地を拒否しているだけでなく、米軍基地の存在と一体のものである日本の国内植民地支配を拒否しているのである。 こうして「普天間移設問題」としてその露頭を表わしたのは、(1)米日関係、(2)米沖関係、(3)日沖関係の三本の軸が奇怪なねじくれたかたちで撚りあわされた戦後日本の下半身の構造である。アメリカ帝国が歴史的衰退の時期に入った状況の中で、どのようにこの米日沖の関係を根本的に変えていくことができるか、また必要か――それが地下から押し上げられてきた問題の性格であると私は考えている。この3者の組み合わされ方を考えるなら、それを(1)の米日関係の軸を正す(基地撤去)ことを焦点にとして解いていくのが、(2)と(3)の解決にもつながりうるのである。 4月25日、読谷に呼応して東京の社会文化会館で開かれた集会には、久し振りに通路まで参加者が埋め尽くす集会の熱気がみなぎっていた(私も含めて年寄りが多数派という状況は続いていたが)。全国各地で行動が取り組まれた。この日の行動が「沖縄支援」から一歩進んで、安保・日米関係を根本から変えていくための出発点になるかどうかは、論評や予測の問題ではなく、私たちが何をいかにするかにかかっている。だが、今回の普天間基地問題を入り口として、ヤマト社会に、まだ微弱とはいえ、そのような意識が再生しつつある兆しを感じるのは、楽観的にすぎるであろうか。 読谷集会の翌日、テレビ朝日の午前のトークショウで、普天間の問題が話題にされたとき、出演した作詞家のなかにし礼が、強い口調で、日本は今歴史的な転換点にたっている、まず安保ありき、基地ありき、の姿勢を変える時が来ていると主張したのを聞いて、新鮮な衝撃を受けた。なかにしは、前日の読谷集会について鳩山が「民意の一つと受け止めています」と述べたことを取り上げて、「民意の一つ」などというのは気に入りませんね、なぜ一つなのか、あれが民意じゃないですか、と批判した。私はこれを聞いて自分が衝撃を受けたことに衝撃を受けた。なかにしの発言は当たり前のことではないか、それなのにマスコミでは安保批判はほぼタブーにされ、そのことに私もならされてきたことに気付いたからだ。なかにしだけでなく、マスコミの中でもメインストリームに属する「有名人」が当たり前のことを発言するケースがちらほら出始めている。これは、社会の意識が変わる初期の前兆なのか。判断にはまだ早すぎる。 現実にヤマトの普天間問題をめぐる言論を支配しているのは、主流メディアの許し難く無責任な論調である。メディアは、鳩山政権を「迷走」、「不決断」、「米国の不信をまねいた」と非難し続けているが、当のメディアは、普天間基地問題をどうすべきだと考えているのか。一向にはっきりしない。「迷走」はむだなことで、最初から、辺野古の「既定プラン」で行けと主張しているのであろうか。アメリカとの同盟にヒビを入れないため、また抑止力を維持するためには、沖縄に泣いてもらえ、沖縄は国益のため犠牲を引き受けるのが当然、そう考えているのだろうか。だが、そうあからさまに主張するメディアは少ない。 4月26日『朝日新聞』社説は、「沖縄県民大会―基地を全国の問題として」という表題で、鳩山政権が「確たる政府案を示すこともないまま、いまだに迷走を続けている」ことを非難し、首相は今、「県外移設にどう取り組んできたのか、安全保障上の要請と基地周辺の住民の配慮との接点を、米国とどう話し合ってきたのか、今後の沖縄負担をどう考えていくのか」などを国民に説明せよという。そして「もはや時間は限られている。「県外」への道が開けなければ、当面は沖縄に負担を担ってもらわざるをえなくなってしまう」とのたまうのである。いったい『朝日』は普天間問題をどうせよと主張しているのか。 『朝日』にかぎらず、有力な全国メディアはどれも明確な提案を出さずに、しかし含意としては、既定案しかないという結論に世論を誘導しようとしているかに見える。だが同時に、もし鳩山政権が県外移設に失敗すれば、公約に違反したと政権を批判する用意も整えている。二股をかけているのである。ロードマップを実施せよ、力で押し切れ、と思うならはっきりそう主張すべきである。そうはしたくなく、しかも明確な主張がないなら、鳩山とともに迷走すべきであって、迷走批判はやめるべきである。最悪なのは、鳩山批判にかこつけて、沖縄への犠牲の強制を当然とする気運を助長することである。 だが、ただ一つ彼らがあいまいでない点がある。それは、沖縄の人びとのために日本政府はもっとしっかりしろ、腰砕けにならずに、マニフェストに忠実に、対等な対米関係のためにがんばれ、とは絶対に主張しないことである。示し合わせたようにである。同じメディアが、数年前には、対中国、対北朝鮮への強硬姿勢を煽っていたことが思い起こされる。私はナショナリストではないので、反米主義の扇動には断固反対するが、対中国・対北朝鮮と対米の間のこのコントラストの異様さには恐ろしさを感じる。 『琉球新報』はすでに4月19日付の社説で明快に事態の本質を突き、次のように言い切っていた。
鳩山由紀夫氏そして鳩山政権の政治のあいまいさ、拙劣さ、ど素人ぶり、無原則などについては私とてただあきれるばかりである。普天間問題についてはとくにそれが著しい。「移設」のワナに見事にはまり込んだことが基本だが、見通し真っ暗な「移設先」の決定を5月末までと期限を切って公約するなどは愚の骨頂である。それが政治的自殺行為になりかねないことなどどうして予見できなかったのか。 だが、多少の皮肉、多大の本気を込めていえば、この拙劣な政治は、戦後日本政治の変革、とくに日・米・沖縄関係のあるべき変革にマネのできない偉大な貢献をしたと後に認められることになるかもしれないのだ。むろんこの貢献は日本列島の民衆の運動、そしてとくにヤマトの運動が「日米同盟」をゆすぶる大きい動きとなることではじめて生かせるのだが。 確認しておこう。鳩山政治は、自民党政権が半世紀以上にわたって、国家の全重量をかけて堅く閉ざしてきた「安保釜」の蓋を開け始めたのである。そのことで、日米安保をめぐる状況の構図を変えたのである。「県外、国外移設」といいつつ蓋の端っこをずらすことで、その隙間から噴き出した蒸気圧はすざまじいものであった。再び蓋を閉ざす試みを絶望的にするほどのものであった。その圧力は沖縄の基地問題をいきなり全国政治の焦点に投げ入れることになった。もはや沖縄は中央政府にとって単なる対処や対策の対象ではありえず、政権の命運を左右する中心的政治課題になった。 確かに沖縄が政治の中心課題となる状況は初めてではない。1969-72年の佐藤政権、ニクソン政権による沖縄「返還」も政治の焦点であった。だがこの沖縄「返還」劇は日米安保関係の根本に指を触れないばかりか、かえって米軍基地の重荷をヤマトから沖縄に輸出することで、「安保」を中央政治とヤマト社会の意識から消し去るものであった。沖縄は、米大統領ニクソンと日本国首相佐藤の掌の上を出ることはなかったのである。 次に沖縄が中央政治、いや国際政治の焦点に出現したのは、1995年の米兵による少女レイプ事件とそれに続く沖縄の島ぐるみの抵抗によってであった。これは今日の事態の前哨戦ともいえる闘いで、米国にとって沖縄基地を存続させることができるかどうかという深刻な問題を提起した。だがこの危機を米国は、日本国自民党政権の親身の協力で乗り切った。周知のように、両国政府は協力してことにあたることとし、辺野古沖の代替基地建設を条件とする普天間飛行場返還の取り決めをふくむSACO合意がつくられ、当面の危機は回避されたことになった。さらに96年のクリントン・橋本共同声明で、「日米安保の再定義」というモグリの60年安保条約改定が行われ、SACO合意はその枠の中に位置づけられた。実は危機はこのとき回避されたのではなく、繰り延べられたにすぎなかった。SACO合意こそは「移設」問題を製造した元凶だったし、「安保再定義」の延長線上に2005年以来の「米軍再編」とロードマップがあるからである。 しかし、同時に、1995-96年の経過において、沖縄はまだ「対処」によって対応しうる対象とみなされていたことも指摘しておくべきであろう。「対処」の主体は日米両国政府、「対処」の主要な中身は各種の交付金による買収、「対処」の方法は日米協議。そして問題全体はまだ「沖縄問題」だったのである。いまや「沖縄問題」は地方的な問題でもなければ、「対処」の対象でもありえない。「普天間移設」問題は、自民党政権という制度的国家が60年かけて構築してきた戦後日米関係とそれを内部化した戦後日本国家の成り立ちそのものに潜む病根をCT画像のように可視化しつつあるからである。そこでは日本国家は沖縄をどうするかではなく、自分自身をどうするのか、自分の病巣を手術するのか、病の進行にまかせるのか、という深刻な問題に直面しているのである。 とはいえ鳩山政権がどれほどそれを自覚していたのかは、ひどく疑わしい。むしろ普天間基地の「移設先」さがしという無益で見当違いな方針――やたら売薬を試してみる重症患者である――で走り回ることで、逆にこの病の重篤さに愕然としたというのが現実の経過であろう。 蓋をあけるたとえにもどれば、新政権は、釜の蓋を全部あけたのではなく、歴代自民党政権という重しを失った蓋をこわごわ、少し横にずらしてみたのである。民主党政権は、釜の蓋に手を掛けぬわけにはいかなかった。民主党のマニフェストは米国との間で「緊密で対等な日米関係を築く」として「主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」といい、その上で「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とまで宣言しているのだ。だが他方、この煮え切らない表現は、釜の蓋をあけ切ってしまうつもりもないという意思表示でもある。この二極の動揺から県外、国外「移設」という方針、不動産屋よろしく「移設先探し」に奔走する(ふりをする)という非現実的な行動が生まれたのである。 いささか逆説的にではあるが、私はこの半年間、愚かとみえる「移設先探し」をやりつづけたことに鳩山政権の功績を認めたい。それによって自民党政権が遺した米日合意の枠組みのなかでは、一つの基地の問題も解決できないことを証明したからである。あらゆる可能性を試みた。だがダメだった。とすれば、この日米合意の枠組みそのものを問題にするしかないのではないのか。「迷走」によって鳩山政権はだれもがそう問わざるをえない状況をつくりだしているのだ。 5月末に鳩山首相がどのような「最終結論」をもって現れるか、私には考え付かない。だが、半ば地上に浮上してしまった日米安保構造と沖縄という問題をもう一度地下に押し戻し、存在しなかったことにすることはもはやできない。機能分散や既定案修正などアリバイ的な焼き直しが通用するはずはない。沖縄はそうしたごまかしを激しく拒否し、抵抗を拡大するだろう。そして、「日米安保同盟」と日米の沖縄支配にたいする根本的な疑問とが提起されるだろう。問題は解決はおろか、「対処」にもならない形で激化するだろう。 4月末の段階で、鳩山首相は「普天間移設」について、うわさ通りの辺野古修正プランプラス徳之島といった「解決案」を用意していると伝えられている。そんなものが通用するはずはなく、計画全体はただちに行き詰まるであろう。 鳩山氏は、代わりに何をすべきなのか。私は、彼がたとえばこのように語ればいいと思っている。そしてそれへの列島市民の支持をアピールすればよいのである。
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