依存症の独り言 2013/06/22 武装共産党員だった野中広務=真性売国奴を糾弾せよ! http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2013/06/post-9326.html(記事全文) 野中広務(元官房長官/元自民党幹事長)が、尖閣諸島をめぐり「領有権問題棚上げの日中合意があった」と発言した。 これは、今月3日、訪問先の北京で行われた。 記者会見における発言によると、日中国交正常化(1972年)の直後、正常化交渉に当たった当時の田中角栄首相から聞いた、と言う。 これに対し、国営新華社通信は早速、野中が「国交正常化の際、両国の指導者が釣魚島(尖閣諸島の中国名)問題の棚上げに合意したことを振り返った」と報じている。 中国からすれば、その昔、政権中枢に君臨した元実力者が中国の意向に沿う発言を、しかも中国の首都で発信してくれたのだから言うことなしの気分だろう。 では、野中の発言は事実なのか? 野中によると、1972年9月の日中国交正常化から間もないころ、箱根で開かれた自民党田中派の青年研修会で田中から直接聞いたらしい。 が、現職の首相だった田中が、当時は一介の京都府議にすぎなかった野中に、重大な「国家機密」を漏らすだろうか。 答えは「否」だろう。 もし本当なら、なぜ今まで黙っていたのか? なぜ今になって、北京に詣でてまで発言するのか? 中共当局の強い働きかけがあったから、と解するのが妥当だろう。 ------------------------------------------------------------------- ●野中広務は真性の売国奴である。 でも、小渕内閣で政権No.2の官房長官を務め、森内閣では実力幹事長として「影の総理」とまで呼ばれた男が、どうして真性売国奴になったのか? それは、この男の過去を見れば解る。 ●詳述する前に簡単に述べておくと、この男は共産主義者である。 が、一方において強烈な反日本共産党でもあるので誤解が生じるのだ。 京都府議時代、彼は蜷川共産府政に反対する急先鋒だった。 その結果、京都自民党の幹部に昇進し、保守府政実現後は副知事に就任した。 ここで取り違えてはならないのは、この男は反日本共産党ではあっても反共産主義ではなかった、ということだ。 ●ここで、この男の売国奴ぶりを検証しておく。 1999年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について 「確かにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(拉致疑惑で)先方と話をすれば、『36年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人間を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」 と発言した。(11月24日付読売新聞) 1999年12月2日(幹事長代理当時)北朝鮮の錦繍山記念宮殿を訪問して 「ご生前中に3度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りいたします。」 と記帳した。(12月3日付読売新聞) 1999年12月5日(幹事長代理当時)、NHKの報道番組に出演し、北朝鮮に対する食糧支援について 「隣国が困っているのに、援助をせず、心を通わせないで、拉致問題をはじめとする日朝間の課題が本当に解決するのか。日本の平和と安全のためにも、何らかのトビラをあけていくことが(戦争を知る)我々世代の責任であり、政治家の責任だと思う」 と発言した。(12月6日付読売新聞) 2000年3月19日(幹事長代理当時)、島根県湖陵町で講演し、北朝鮮への米を十万トン支援することに関して 「日本人の拉致問題を解決しないで、米支援はけしからんというが、日本国内で一生懸命吠えていても(行方不明の)横田めぐみさんは帰ってこない」 と発言した。(3月20日付産経新聞) 野中は、1997年の第2次橋本内閣発足から小渕内閣を経て、2001年の森内閣退陣までの約4年間、自民党の最高実力者だった。 で、その最高実力者の言動が以上のとおりなのである。 今、読み返しても、私は激しい憤りを禁じえない。 では、なぜ野中は、こういう売国奴としか言いようのない言動を続けたのか? しかも、同盟国である米国から「ならずもの国家」と名指しで非難されていた北朝鮮に対して、なぜ特にそうなのか? それは、下の記事を読んでもらえば解る。 ただ、少々長いので、結論を先に書いておく。 野中は、武装闘争路線時代の日本共産党員だった。 そして、その時に朝鮮人の共産党員(後に朝鮮党員)が野中の同志だった。 以下の記事はそう結論付けている。 記事内のX≒X'は間違いなく野中であり、S町とは京都府園部町のことだ。 そして、「最下層民の出身」は被差別部落民を意味する。 Nonaka 「拉致はでっちあげだ」と主張した方と仲良く並ぶ野中 人気ブログランキングへ 人気ブログランキング ↑応援よろしくお願いします。 にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 実は、1950年頃まで日本共産党にいた人物が、のちに保守政界に転向して大出世した、という事例が、上記の『マンガンぱらだいす』(風媒社95年刊、p.234)に紹介されている。固有名詞は伏せてあったが、だれを指しているかは、筆者にはすぐにわかった。 著者の田中は、けっして反共右翼ではなく、どちらかといえば左翼的、親北朝鮮的な主張の持ち主であり、上記の著書も、べつに共産主義者や北朝鮮や某転向者をおとしめる目的で書かれたものではなく、むしろ朝鮮人や共産主義者への共感のにじみ出たノンフィクションだ。 それだけに、この本の「転向者」の下りは信用できる。 筆者は小説『ラスコーリニコフの日』を執筆するにあたって、「なぜ、95年の国松警察庁長官狙撃事件は8年後のいまになっても、まったく解明されないのだろう」と様々に仮説を立てて考え、仮説の検証に役立ちそうな資料を探すうちに、上記のノンフィクションに出会った。 そして、絶句した。 日本の政治家が、とくに(左翼系でなく)保守系の多くの政治家が、なぜ北朝鮮に弱腰なのか、という疑問が一気に氷解した。 テロや拉致で、何千人もの同胞の人権が侵害されても殺されても、日本の政府と国民は異様なほど北朝鮮に寛大で、事件の解明、犯人の処罰、経済制裁や外交制裁を十分にしないだけでなく、北朝鮮を援助し、国交を結ぼうという世論すら少なくないが、その理由はこれだったのか、と一瞬思った。 自国民が(国交のある)外国からテロや拉致の被害を受けたら、「加害国」とは国交断絶するのが普通なのに、逆に国交を結ぼうなどと考える政治家やジャーナリストが大勢いる国は、世界広しといえども、日本ぐらいしかあるまい。 ------------------------------------------------------------------ 今回紹介したX'の「容共」時代の活動はいずれも、合法的な活動の範疇にとどまっている。彼自身が認めている(あるいは、府議会の公式記録に残っている)のだから、当然だが、思想的にここまで無節操だとわかると、政治家として表舞台に出る前、つまり、終戦直後に日本共産党の党員だったとしても不思議ではない。 X'にとって、もっとも重要なものは政治的な主義主張ではなく、前回紹介したように、S町で幼少期に得た期待と優越感であり、S町同郷人の(「最下層」民としての?)連帯感(組織票)なのだ。郷土の期待を実現するために(故・竹下登元首相に負けないために?)右であろうと左であろうと立身出世(権力獲得)のためなら平気で尻尾を振る、文字どおり「右顧左眄」の姿勢こそが、政治家X'の本質だ。 言い換えれば、彼は心理的には、日本国にも保守政界にも自民党にも属しておらず、ただ「郷土」(S町)のみに属し、「郷土の代表」(町一番の高学歴)というペルソナを最優先にして生きているのだ。 もしも「X=X'」なら、終戦の頃、X'と日本人共産党員と朝鮮系共産党員(のちの朝鮮党員)は、同じ「日本共産党」に在籍していた「同志」ということになる。これについてX'および現在の日本共産党、朝鮮党の3当事者はそろって口をつぐんでいる。 志位も、上記のように府議会議事録を使ってX'を攻撃するのもいいが、そんなものより、自分の党の過去の活動記録を公開すれば、簡単にX'の息の根を止められるのではないか? それをしないのは、古すぎて資料が残っていないか、あるいは、当時の日本共産党が武力闘争(現代語で言うと「テロ」)をしており、そこに触れられるとまずいからか、のどちらか、ではあるまいか? 公表されているX'の、終戦直後の足跡と、当時の左翼の武力闘争(テロ)の実態を付き合わせると「接点」が浮かび上がる。次回は、X'(=X?)に非合法活動を行った過去があるか否かに迫りたい。 念のために確認しておくと、共産思想を持つこと自体を非合法化した治安維持法は終戦後、米占領軍の統治下で廃止されている。したがって、それ以降、X'が田中好代議士の秘書になる1953年までの期間に隠すべき「非合法活動歴」があるとすると、それは思想犯ではなく、ほとんど、暴力的破壊活動以外にはありえない。 ------------------------------------------------------------------ 田中宇 『マンガンぱらだいす』(風媒社95年刊)が指摘する、終戦直後日本共産党にいて(自身は日系日本人だが)当時の朝鮮系共産党員(のちの朝鮮党員)と行動をともにしていた、95年現在「バリバリの自民党(国会議員)」を「X」とする。そして、Xとよく似たプロフィールの超大物政治家を「X'」とし、このシリーズでは両者が同一人物か否か(X=X'かX≠X')を検証している(なぜ人名の特定に慎重なのかは「タブーを破るための4項目」を参照)。 『マンガン…』は、50〜52年頃、日本共産党を上部組織とする組織、在日朝鮮人連盟(朝連)や在日朝鮮統一民主戦線(民戦)に参加していた在日朝鮮人らの証言を載せている。その1人、マンガン鉱山者のイ・ジョンホ(李貞鎬)によると、「(95年現在)自民党国会議員のXも、当時はバリバリの共産主義者」で、京都府S町の細胞(暴力革命の行動単位)のキャップだったので、Xと一緒に細胞会議をしたこともある、という(田中前掲書p.234)。 元共同通信記者の魚住昭によると、X'の父は、最下層民の出身(ながらS町でほとんど唯一の自作農で、比較的裕福)だったので近郷近在で、元受刑者や朝鮮人の「救済活動」に熱心だったようだ。S町周辺にはマンガン鉱山がたくさんあり、そこで働く朝鮮人は貧しかったので、彼らの娘をX'の父はX'の弟らの子守りに雇ったという(講談社『現代』(03年3月号p.94)。 つまり、田中と魚住の取材はぴたりと符合して、矛盾がない。よって、99%の確率で「X=X'」と判断できる。 そのうえで田中の『マンガン…』を再度読むと、Xと細胞会議をともにした李貞鎬は、上記の年表のとおり鉄橋、弾薬庫、ダム(発電所)などの爆破テロを計画していたことがわかる(田中前掲書p.233-235)。 李貞鎬は、テロ計画にXが参加していたとは明言していない。が、当時の日本共産党は武力革命(テロ)を起こすと宣言しており、Xが細胞のキャップなら、テロ計画に関与しなかったはずはない。 とくに鉄橋爆破計画の場合は、関与しないほうが不自然だ。 ------------------------------------------------------------------ 京都府北部には、戦時中日本海に面した重要な軍港だった舞鶴港があり、朝鮮戦争が始まると、そこから軍需物資が搬出され、朝鮮半島に上陸した米軍に補給された。そこで、当時京都府内にいた在日朝鮮人の共産主義者らは、米軍と戦う北朝鮮軍の支援には、米軍用の物資搬出を阻止するのが最善と考え、舞鶴港に物資を運ぶ山陰線の、鉄橋爆破を計画した(田中前掲書p.234)。 X(=X')は、弟の子守りを「マンガン鉱山者の朝鮮人の娘」にしてもらっていたのだから、人脈的には李貞鎬らの共産主義者と相当に近く、李貞鎬が鉄道テロを計画する場合、Xに相談しないのは不自然だ。 というより、鉄道の仕事に就いたことも、軍隊で物資輸送を務めたこともない「素人」の李貞鎬が(弾薬庫やダムと違って鋼鉄でできていて頑丈な)鉄橋の爆破などいう、鉄橋の構造や軍需物資輸送の重要性を知り尽くしていないと不可能なテロ計画を発案するとは考え難い。素人なら、鉄橋よりも爆破しやすい、平地の線路や駅の攻撃ぐらいしか思い付くまい(たとえば52年の青梅線のテロ犯は、貨車の暴走しかできなかった)。が、鉄道のプロであるX'は「それでは、すぐに復旧してしまうので、米軍の物資輸送にダメージはない」と判断できる。 また(日本軍は米軍と違って物資輸送を重視していなかったから第二次大戦に負けた、という説もあるくらいで)「物資輸送を断てば米軍に勝てる」などと発想する者が、当時の日本の「民間人」にはほとんどいなかったことも、徴兵経験のあるX'の関与をうかがわせる。 他方、終戦後大陸でソ連に抑留され(共産思想に洗脳され)た日本兵捕虜のなかに、南満州鉄道((満鉄)の者が多数含まれており、彼らが復員してくると日本政府は失業対策の意味もあって次々に国鉄で雇い入れた。このため国鉄の組合は極左暴力思想に冒され(上記の渡部の指摘のように)戦後は違法ストを繰り返し扇動する共産圏のスパイや過激派の温床となった。 こうした事情から、鉄道テロは、終戦直後から左翼の有力な闘争手段だった。52年の青梅線貨車暴走事件もこうしたテロの一環であり、当時の左翼はより効果的なテロのために、鉄道事情に精通した共犯者を必要としていた。 したがって、京都府内で計画された3つのテロのうち、鉄橋爆破は、朝鮮人共産党員ではなく、ほかならぬXが発案したのではないか、と筆者は推定する。なぜなら、X'(≒X)は戦中戦後大阪鉄道局(業務部審査課)に勤務して鉄道事情に精通しているうえ、当時の復員軍人の輸送業務や駅員への指導を通じて「大陸帰りの工作員」と接触しやすい立場にあり(『現代』03年3月号p.105)しかも終戦のときは四国山中で所属部隊の「物資輸送」に従事していたからだ(同p.103)。 X'は魚住に、終戦直後、復員して京都駅で浮浪者の群れを見たときの心境を(うっかり?)語っている。 「ひょっとしたら革命が起きるかもわからん……もう少し世の中の動きを見てみようかと思ってね。友だちの家を1週間ほど泊まり歩いた」(『現代』03年3月号p.104) ------------------------------------------------------------------ 半世紀前の日本の公務員事情はいまとかなり違ったようで、51年4月、X'(≒X)は大阪鉄道局に勤務したまま、故郷のS町の町議会議員選挙に立候補して当選し、以後「二足のわらじ」を履いた。が、翌52年3月、X'は鉄道局を退職する。 退職の理由は、X'の出身階層に基づく差別だった……と(不思議なことに21年後に)X'は73年の京都府議会本会議場で自民党の府議会議員として演説している。 魚住によると、X'は優秀な職員で、どんどん昇給したため、あとから復員してきた先輩職員にねたまれたから、となる。20代半ばに早々と係長を抜き、課長補佐に近い額の給料を得たX'に対して、52年頃「X'は最下層民だ」という陰口がささやかれるようになり、それを苦にしてX'は52年3月に鉄道局を退職した、という(『現代』03年3月号p.105)。 が、別の理由がありうる。 退職直前の52年2月には、青梅線で鉄道テロがあり、京都では警官隊とデモ隊の大規模な衝突事件が起き、いずれも日本共産党が関与したと警察当局は疑っている。しかも、前年4月のS町の町議選ではX'という鉄道員が当選しているのだ。この時点でX'はまだ最初の「反共(決別)宣言」をしておらず、京都府下の町村議会議員は全員、自動的に共産党の影響の強い「京都府青年団連合会」(京青連)に加盟していたから、警察当局は当然、X'を「今後、共産党の指導を受けて鉄道テロを行う可能性のある要注意人物」と見て摘発しようとしたはずだ。 【58年のS町長選挙のときまで、X'が社会党支持者などの「左翼票」を得ていたことは確実なので(『現代』03年4月号p.115)51年のS町の町議選でも左翼票を得て当選したことは間違いない。したがって52年当時、警察当局にはX'を共産党の党員またはシンパと疑う合理的な理由があった。】 筆者は断定する。X'の鉄道局退職の理由は差別ではない。52年2月の時点で、現役の鉄道局職員にして日本共産党員だったX'(=X)は、S町周辺在住の朝鮮人共産党員とともに、鉄橋爆破という(思想犯ではなく)正真正銘の非合法活動(凶悪犯罪)を計画し、それが摘発されそうになったのであわてて計画を中止し、鉄道局を退職したのだ。 ただ、退職の理由が「共産党員と疑われたから」となると、今後も警察にマークされるし、当時の日本政界では「出世」も「天下取り」も望めない。 すでに51年の、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の締結で、日本は米国を盟主とする西側自由陣営に組み込まれていたし、朝鮮戦争では「共産革命勢力」が米軍をなかなか圧倒できそうになかったから、日本で共産革命が起きる可能性も(終戦直後にX'が京都駅で予感したほどには)高くなかった。とすると、共産党員であることは政界での出世(たとえば大臣になること)の足しにならないばかりか、再就職して生活費を稼ぐうえでも(警察に追われるので)障害になりかねない。 X'は、自身に今後「共産党在籍疑惑」が降りかからないように、急遽別の退職理由を捏造する必要に迫られた。そこで思い付いたのが「自分は最下層民の出身で、それで差別されたから辞める」というものだった。この捏造は簡単で、だれかに頼んで職場に「X'は最下層民」という噂を流してもらうだけでよい。 この噂は事実に基づいているから簡単に広まる(但し小誌「『被差別』の虚像」で述べたように、X'自身は、出身階層を理由に教育上、職業上の差別を受けたことは、少なくともこの時点までは一度もない「恵まれた育ち」である)。当時の(西)日本ではこの種の差別意識は強烈なので、職場の同僚の関心はすぐにこの問題に集まり、だれも「X'が共産党員かどうか」などといったささいなことには関心がなくなる。カモフラージュ効果は抜群だ(当時は、娘が共産党員と結婚するほうが、最下層民と結婚するよりましだ、と考える親も少なくなかった)。 鉄道局退職直後の52年4月、X'は京青連大会で最初の「反共宣言」を行ったが、これは(その後、53年の保守系代議士への接近と併せ)自身への共産党在籍疑惑を完全に払拭する「駄目押し」のカモフラージュだったに相違ない。 元共産党員の超大物〜「親北朝鮮派」弱腰外交の起源 (http://www.akashic-record.com/raskol/n.html#04) 真性売国奴 野中広務を許すな! (追記は略)
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