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くじで選ばれれば皆「善良」?そんなワケがない 〔ライジング・サン(甦る日本) http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/381.html
http://ameblo.jp/kriubist/entry-10520610670.html
「これこそが善良な市民としての感覚である。よって、上記趣旨の通り議決する」 という内容がある。 では「善良」とはどういう意味か? 善良=[名・形動]性質のよいこと。性質がおだやかで素直なこと。また、そのさま。 という意味である。 ここでは今回の議決文全体については書かない。 何故なら、あきれると言うよりも笑っちゃうくらい善良な人たちの決めた事だから。 この事件を良く知る国民や識者などから見れば、あの議決文の内容はすべて検察の主張を追認しただけだと分かるはずだ。 これらの審査員たちは無知な上に善良だから「おだやかで素直に」検察の主張に「ウンウン」うなずいていたのだろう。 そして無知だから事件と法律を無理して理解し判断するという、ある意味緊張感と選ばれたという善人意識が重なって、無意識のうちに「おだやかで素直な似非善人」になったのだと手に取るように分かる。 そして「感覚」という言葉で、判断した責任を誤魔化そうとしている。 「感覚」が「法」を上回るのならば、全ての人を悪人にすることができる。 気に入らない相手を訴えれば法に触れる内容でなくても起訴できる。 ほとんどの人がやっていて罪にはなっていないのに、その人物のイメージが悪いという先入観で起訴できる。 これが善良なる検察審査会の実体なのである。 また昨日も書いたように審査が公正ではない。 検察はできるなら起訴したいのであり、それに沿った調書や資料を持っている。それをド素人審査員がレクされただけだ。 だが小沢氏側の弁護士などの資料や意見も同時に聞いて判断しなければただの茶番・儀式でしかない。 私は今回のこの議決は、なんだかキリストの宗教裁判のように見える。 小沢氏がキリストとは言わないが、キリストの裁判の様子を本で読んだり映画を見られた方は想像できるだろうが、こういう場面がある。(ちなみに私は無神論者・無宗教です) ピラト(ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総監) 彼ら(ユダヤ人=一般人) ● ユダヤ人の崇拝する神を冒涜したとして ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」 彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
不起訴とした検察の判断に知識のない一般市民が、「小沢氏のやったことは神を冒涜したキリストと同じように、市民感覚では許せない」と言っているように私には見える。たとえそれが他のほとんどの議員が同じ事をしており容疑をかけられていなくとも。 ただ実際に検察はピラトと違い迷っているのではなく、出来るだけ起訴しその為に理由付けとして「市民感覚」を利用したいのだけなのだが。 また今回の11人の審査員と検察のやりとりには何か疑う所も多い。 くじで選ばれた市民は善良ではなく、無知で善良な振りをしたユダヤ人と同じだと感じるのは私だけだろうか。 キリストの磔刑以後、呪われたユダヤ人のようにならないために、私は断固として小沢氏を信じて応援し続けます。
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