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4・25沖縄県民大会の意義と目的を捻じ曲げる新聞、無視するTV (世に倦む日日) http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/259.html
http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-282.html 【4・25沖縄県民大会の意義と目的を捻じ曲げる新聞、無視するTV】 昨日(4/25)の沖縄県民大会について、日本(中央)のマスコミはその意義を不当に捻じ曲げたり、無視したりする態度に出ている。 朝日新聞は1面に記事を掲載しているが、その大見出しは、何と「普天間『県外へ』決議」とあり、「国外」の言葉を作為的に見出しからオミットしている。まるで県民大会が「県外」だけを求めたかのような悪質な印象操作であり、潜勢的に高まりつつある「国外」の世論に水をかけて抑え込みたい編集部の意図が露呈した報道だ。 昨日の大会の名称を確認しよう。「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」である。「国外」の言葉が先に来ている点に注目する必要がある。決議文にも同様に、「私たち沖縄県民は、県内移設を断念し、国外・県外に移設されるよう強く求めるものです」とある。 外務省・防衛省の売国官僚たちと同様、朝日の論説幹部の頭の中も「国外」は論外で最悪だとする観念が固まっていて、その可能性が世論で頭を擡げる記事を書くのはタブーなのだろう。「国外」を抹殺したいのだ。テレビ報道の方は、まるで「沖縄県民大会は無視」の方針が、横並びで事前に申し合わされていたかの如き景観で、TBSの朝ズバでは事業仕分けとタイの子ども手当を主要話題に置き、県民大会は二の次の扱いで隅に追いやり、テレ朝のスパモニでは沢尻エリカの離婚話を冒頭に持ってきていた。 今日(4/26)の新聞のテレビ欄に各報道番組の内容予告があるが、報道ステーションの欄には「普天間」の文字がない。事業仕分けと上海万博のニュースが予定されている。 朝日紙面の記事もひどいもので、次のように書いている。「政権関係者は、知事が『県内移設反対』を明言せず、大会が懸念していたような『反鳩山』一色に染まらなかったことで、徳之島とキャンプ・シュワブ陸上案の可能性がぎりぎり残されたと受け止めている。沖縄県の負担軽減を求める声の高まりをテコに政府案を早急にまとめ、米国や関係自治体との協議を本格化させたい考えだ」。 県内移設に反対する県民大会が開かれ、空前の規模の9万人が集結し、県内全市町村の首長が出席、自民党から共産党までの超党派が揃って意思を示した集会を報道しながら、沖縄県内移設の可能性が残ったと書くのは、一体どういう神経なのだろう。 朝日新聞は、ここまで沖縄県民が県内移設反対の意思を示しているのに、それは無視して、沖縄に新基地を押しつけたいようである。社説もひどい。「日米の安保政策の重要な柱である日米同盟の受益者は、日本国民すべてである」などと説教を垂れている。 普天間問題は、徐々に日米同盟の意義を問い直す政治言論上の急所に接近している。
最早、県民大会の要求を「斟酌する必要はない」とは言えない。沖縄の意思を踏みにじる対応をすれば、強烈なカウンター・パワーが起こり、政権内部の動揺と混乱を収拾できなくなる。修正案を含めて、辺野古沖案を見直さざるを得ず、鳩山政権として「国外」に活路を求めざるを得ない方向に追い込まれるだろう。 晴れてよかったが、4月下旬の沖縄は夏の気候で、半袖に帽子という姿の参加者が多かった。強烈な陽射しの下で、2時間も3時間も地面の上に立っているのは大変なことだっただろう。それは、決して身体的精神的に快適な時間ではない。往復の交通も合わせれば、休日を犠牲にして一日がかりの苦役に奉仕する行為である。それは我慢である。 個人にとっては苦痛を耐えることである。特に、体力と健康が万全でない高齢者はそうだっただろう。個人にとっては、辛くて疲れて面倒くさいだけの時間だ。 何のために、長い渋滞を辛抱して、炎天下の地面に3時間も立ち続けたのか。それは、9万人が一つの場所に集まった圧倒的な絵を作るため、写真をマスコミに撮らせるため、その写真で日本と米国の政府を示威するため、世論を喚起するため、自分がやらなくてはと思うため、数が少なかったら運動が失敗になるため、沖縄県民として責任を果たすため、だから参加したのだ。
本当は、三宅坂の社会文化会館で開かれる集会に参加するつもりだったが、外出すると現地の集会を生で見れなくなる。中継は前座興業も面白かった。渋滞と混雑を緩和するためには、参加者の到着時刻を分散させる必要がある。早く来てもらわなくてはいけない。 会場に早く来て、地面の上で待つ人たちのために、事務局はエンタテインメントのアトラクションを準備していた。東浜夏希、DUTY FREE SHOPP、村吉茜。ステージで歌った沖縄の音楽家たちは、その意義と自分の役割をよく理解していて、この集会で歌えることを誇りに思うと語った。セミファイナルのうるま市の中高生が演舞した琉球歌劇「肝高の阿麻和利(キムタカのアマワリ」は圧巻で、普通なら不自由を感じないUSTREAMのグラフィックスに不満を感じ、もっとネットのバンドウィドスを拡張して、高精細な画像提供が必要だと感じさせられた。 http://amawari.com/ オープニング・イベントに見入っている間に、三宅坂に出かける時間をなくし、沖縄の集会に最後までつきあうことになった。FM読谷のアナウンサーは、集会が終了したとき、「長かったですね」と感想を漏らしていたが、私の感覚は違って、式次第は流れるように進行し、思っていたよりもずっと早く終わった。もっと時間をかけてもよかった。もう一人か二人、県民の声が入ってもよかった。基地従業員の発言が企画されてもよかった。登壇した全ての発言者の演説を退屈に感じなかった。仲井真弘多を除いて、全員の演説がよかった。 勝連漁協組合長の赤嶺博之の言葉もよかった。沖縄の指導者たち(議長・市長・町長)のスピーチは、どれも言語と文節が明瞭で、ずっしりと重みがあり、テレビで見る永田町の政治家たちの軽薄な言葉つきと違う。聞く者の心に真っ直ぐに迫る。古典的な政治家の演説をしている。 県会議長の高嶺善伸の演説は、ほとんど下の原稿に目を落とさなかった。沖縄の政治のレベルの高さを証明している。宜野湾市長の伊波洋一は、われわれ本土の一般においてはプロフェッサーの表象で、サイエンティフィックなロジカリストという印象が強かったが、演説の声は意外に野太く、政治家らしい重量感のある響きで驚かされた。 論じた中身も素晴らしかった。 このメッセージは、特に本土で聴く者に効果がある。早く、伊波洋一を県知事にするべきだ。翁長雄志や高嶺善伸や伊波洋一を指導者に選出している沖縄が、政治の人材がかくも豊穣な沖縄が、なぜ無能な仲井真弘多を知事に選んで満足しているのか、不思議でならない。 伊波洋一は、4/25の県民大会の2日前、4/23夕刻には東京お茶ノ水(明治大学)で講演している。前日の4/24には福岡(天神)で講演、街頭に出てデモ隊の先頭に立ち、横断幕を持ってシュプレヒコールを上げ行進している。http://www.pjnews.net/news/390/20100426_3 まさに八面六臂、東奔西走、粉骨砕身、獅子奮迅。市民のために偉大な指導者が活躍している。日本の政治において奇跡の情景。普天間の湯浅誠。 岡本かなと志喜屋成海のアピールもよかった。沖縄の集会では必ずこれがある。女子高生が主役となって集会のハイライトを飾る。95年の少女暴行事件のときの県民大会もそうだった。昨年11月の県民大会もそうだった、NHKの7時のニュースは、その映像を冒頭の放送に使った。 メッセージの中身は岡本かなの方が印象に残った。志喜屋成海の方はトークの抑揚が抜群で、サウンドの霊力で聴衆の心を掴んでいた。言霊が9万人の心を痺れさせている。時間が止まる。心が一つになる。二人のスピーチを聞きながら、政治の演説とは、何より、そこに集まった人の心を震わせ感動させるものでなければならないことを思わされた。 沖縄の心が一つになる。沖縄の心を一つにするため、この演出が必要で、最も効果的なセレモニーなのだ。沖縄の集会は魅力的で、興奮と感動の余韻が後に残る。こういう集会を沖縄は何度も何度も続けてきた。人間の尊厳を見せてきた。歴史に残る崇高な一幕を作ってきた。
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