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石原慎太郎は、いつ、どのように転向したか? (文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』)
http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/160.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2010 年 4 月 25 日 10:58:03: qr553ZDJ.dzsc
 

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100425/1272141773
2010-04-25

〔転載開始〕


石原慎太郎は、いつ、どのように転向したか?

現在の石原慎太郎は、初期の石原慎太郎と見比べてみると、明らかに思想的にも、人間存在としても、大幅に転向したように見えるが、それでは石原が転向したとすれば、いつ、どのように転向したというのであろうか。やはり石原が転向したのは、作家から政治家に転向したあたりからではないだろうか。今、僕は手元に、石原慎太郎が参加した座談会が掲載された新旧二つの雑誌を持っているが、たとえば新しい方の座談会で、石原は、村上龍と綿矢りさを前にして、芥川賞受賞当時を振り返って、こんなことを言っている。「あの頃覚えているのは、芥川賞より先に文学界新人賞をもらって、直後に書いた作品で原稿料が入ったんですね。一枚四百円か五百円だけど、今の十倍以上の値打ちがあった。それで僕はおふくろに電気洗濯機を買ってあげた。父が亡くなって、弟は不良学生だったし、母は一人で苦労していたからね。」。すると村上龍が「いい話ですねえ」と応じ、ふたたび石原はこう言ってている、「いい話だろ(笑)。おふくろは、『この子はお父さんがしてくれるよりももっといいことをしてくれた』って喜んでいたよ」。これは、「我らが青春の芥川賞を語ろう」という三年前の「文藝春秋」(2007/3)の座談会で発言だが、この発言は、現在の石原慎太郎の本質を象徴的に示しているように、つまり、今や石原慎太郎は「マイホーム作家」「マイホーム政治家」に成り下がっているように、僕には見える。むろん、育ててくれた母親に天気洗濯機を買って上げた、という小市民的な「親孝行」を否定しているのではない。おそらく、若き日の石原慎太郎は、決してそういう発言をしなかっただろうし、しかもそういう発言をすることを恥と感じていただろうということだ。要するに現在の石原慎太郎は、実存的な作家から小市民的な健全な作家に成り下がって、それに満足しているということだ。少なくとも三島由紀夫や大江健三郎等が、そういう文章を書いたり、発言したりするとは、僕には到底、考えられない。村上龍もこういう発言をしている。「僕も、群像新人賞をもらったときに、高校、大学とさんざん悪さをしてきたから、受賞の言葉に、『両親の゜銀婚式のささやかなプレゼントになればいいと思う』と書いたんです。そしたら、『文学というものは、親孝行のためにするものじゃない』と、叩かれちゃった。あの頃はまだ書くことで家族が崩壊しても仕方がないぐらいギリギリのところで書くのが文学なんだ、という人がいた時代で。僕、バカだなあと思いました」。すると石原は、「あなたの時代でも、そんなバカなことをいう奴、いたかねえ」と付言しているが、僕は、石原慎太郎と村上龍はともに若くしてデビューした才能ある作家ではあるが、作家としての限界も明らかだと思わないわけにはいかない。「作家は家族を崩壊させなければ本物ではない」等というのは倒錯した論理だが、「文学や思想を極限まで問い詰めれば、家族や生活を破綻させ、破壊することになるかもしれない」という原理が間違っているとは僕は思わない。親孝行をしたい人はすればいい。しかし親孝行や親馬鹿ぶりを公言し、それを得々として自慢するようではお仕舞いである。自決し、結果的に家庭を破壊した三島由紀夫や江藤淳、古くは芥川龍之介や太宰治等のような文学者たちを、おそらく「バカな奴だ」ぐらいにしか考えられなくなった石原慎太郎が、健全な生活者としてはともかくとして、もはや作家としては使い物にならなくなっていることは明らかだが、それは、当然のことだろうが、石原は気づいていないかもしれないが、政治家としても使い物にならなくなっているということでもあるのだ。さて、石原慎太郎について何か書こうと思い、石原の著作を探してみたのだが、かなりの本があるはずなのだが、処分した覚えはないのに、何処を探しても見つからない。たまたま古い「文学界」(昭和34年10月号)が見つかったので、ページをめくって覗いてみると、石原も、デビューしたばかりの大江健三郎や浅利慶太等も出席している「怒れる若者たち」という有名な座談会が見つかった。そこで、石原は、「人を殺したい」と言い、芸術至上主義を批判し、政治的行動への意欲を語っているが、いったい、何を語りたかったのだろうか。この頃の石原慎太郎が、この頃も実際には親孝行をしていたのだろうが、しかし「親孝行」を公言し、それを自慢し、満足するような小市民的な作家だったとは思えない。その頃の石原は、もっと虚無的で、破壊的な、反市民的な作家だった。(続)


〔転載終了〕  

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コメント
 
01. 2010年4月25日 15:14:33: Tir8wXnPms
村上龍も実用作家みたくなっちゃって経済人の話をふんふん聞いているうちに自分もステータスが上がっちゃったんだと思い込んでいるようだ。
村上のダブルスタンダードは派遣切りに怒る親友坂本龍一の前ではごもっともと相槌を打ち、自身のビデオブログでは派遣村に集まった派遣工を一括りに可哀想と見るのは間違い、企業はコストカットをしないと生き残れないきつい時代を迎えていることも知るべき、ひいては派遣工にも甘さがあったと親友の前で言っていたことはどこかへ消え、テレ東の月曜10時、財界人と喋ろう的ノリのワタミの社長の理屈とおんなじ論理をとうとうと述べていたことを見れば充分だが、やれテニスもウィンブルドンだサッカーならワールドカップなどの大メジャー大会を見に行っただけでテニス通、サッカー通のご意見番見たく振る舞い、中田英寿を錦の御旗に使ってワールドカップ戦記を書いていた昔から、ようするに長崎県から出てきたオノボリさんの素が出ただけで目先の鼻の効くアイテムとしてドラッグだテニスだサッカーだ、日本の未来だを使い分けて俺凄ぇだろ?と自慢してみせる田舎者の典型である。
その意味で言えば村上龍が対談で石原慎太郎のエピゴーネンのように振舞うのも当然だろう。原稿料が上がって親孝行ができた話など、モテたいからロックをやったと反抗心や社会への不満など皆無なそこいらのバンドと変わらない。それでもまだ村上には石原と違って石原流恫喝的日本論のような単純な保守史観がないだけまだマシかもしれないが。

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