投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 4 月 21 日 17:28:58: twUjz/PjYItws
http://www.egawashoko.com/c006/000322.html
『検察が危ない』を読んで
2010年04月20日
元検事でコンプライアンスの専門家の郷原信郎氏の新著『検察が危ない』(ベスト新書)を読んだ。
一連の小沢氏の政治資金問題の捜査をとっかかりにして、過去から現在に至る検察特捜部”罪”と、それが生み出される構図を明らかにひもといている。
そうした”罪”は、多くの人が人生を狂わされる人権問題を引き起こしたにとどまらず、日本の政治経済にも大きな負の影響を及ぼす、まさに大規模なものだった。それこそ、まさに「巨悪」と呼ぶのがふさわさしい。
いくつもの事件の問題点を具体的に指摘しているが、その中でも中村喜四郎衆院議員のゼネコン汚職についての記載が印象的だった。
この事件は、埼玉県内の公共工事を受注する建設会社66社の組織「埼玉土曜会」の談合事件をめぐって、大手建設会社「鹿島」の元副社長からの請託(依頼)を受け、公正取引委員会の委員長に対して告発を見合わせるよう迫り、その見返りに現金1000万円のわいろを受け取った、として斡旋収賄罪で実刑判決を受けた。
ところが、そもそも、公正取引委員会は検察が了承した事件しか告発をせず、事実上告発の権限は検察にあるのが実態。その検察が、埼玉土曜会事件は告発すべきでない、と判断していた、と郷原氏は書く。中村議員自身は、告発回避に関して自らの関与を否定しているが、仮に口利きがあったとしても、それはまったく意味のないものだった。
新聞も口利きによって告発を見送ったとしている断じたわけではないが、メディアの国民の間に「ゼネコン汚職事件で政治家が逮捕されないのは納得できない」という気分が充ち満ちたのは、メディアがそうした方向で世論を導いたためだ、と郷原氏は具体的な例を挙げながら指摘する。
検察のサポーターと化したメディアが疑惑を煽り、国民が検察に過剰な”期待”をし、検察はその期待に煽られる。煽りが煽りを呼ぶ中、検察は暴走していく……その構図は、今も続いている。
この時、郷原氏は公取委に出向していたこともあり、事件の当事者に近いところにいた。だからこそ、むしろ守秘義務により書けないことが多いのだろうが、その時に抱いた疑問と無念は、次の文章からも伝わってくる。
<特定の政治家、ゼネコン間の金のやり取りを贈収賄として立件することに膨大なコストが費やされ、金のやり取りの背景としての談合構造の解明はほとんど行われなかった>
<ゼネコン汚職の捜査が、公共調達をめぐる談合構造とそこにおける政治と金の構造を明らかにする方向で行われていたとしたら、現在の日本の経済社会はまったく異なった状況になっていたかもしれない>
ゼネコン汚職の時に限らず、特捜事件となればメディアは大きく取り上げる。むしろ検察に先行して、疑惑を書き、疑惑を語り、世論を盛り上げる。検察を激励し、時に叱咤もしてみせる。
検察を軍隊、司法記者クラブを従軍記者に喩えているのは、その根拠を読むと実に適切だと納得。このような関係があるので、検察を「正義」として賞賛する報道ばかりが溢れ、人々の”特捜信仰”がますます強くなっていく。特捜検察の問題は、メディアの問題でもあるとつくづく思う。
他に本書が指摘している特捜検察の問題点で印象に残ったのは、
(1)起きていることは複雑なのに、事件のストーリーを単純化させる
(2)一人ひとりの検事が主体的にものを考えるのではなく、仕事環境がむしろ思考停止に追い込んでいく
(3)検察全体の問題であるにもかかわらず、不法な取り調べの問題は個人の検察官の不祥事に矮小化され、教訓が若い世代に引き継がれない
――という点など。
どれも、記述は具体的。筆者が検察出身だけに、その論は説得力がある。郵便不正事件の村木厚子・厚生労働省元局長の裁判を傍聴していると、一つひとつうなづいてしまう。ただ筆者は、守秘義務に抵触しないよう、そうした点に関しての具体的な記述は新聞記事や他人の著作をうまく引用するなど、工夫をこらしていて、執筆中の苦労がしのばれる。
筆者は、特捜検察の捜査こそ、まず可視化をすべしと主張。私もこれに強く同意する。
また筆者は、特捜部に多数の検事を常時配置している今のあり方にも疑問を呈しているが、特捜部解体も検討してみるべきではないかと考え始めている私は、この部分も大きくうなづきながら読んだ。
メディアに登場する元検事は、基本的に今の検察のやっていることを肯定的に説明する人ばかりという印象だが、郷原氏のように、法律家として検察はいかにあるべきか、という視点で語ってくれる人が、ようやく現れたのだな、と思う。
郷原氏の検察批判は、アンチ検察ではない。その言動の出発点には、検事という仕事への誇りと愛情がある。単に内部の事情に通じているというだけでなく、自分が長く携わった仕事への強い思いがあるからこそ、彼の著作物は多くの人の共感を呼ぶのではないだろうか。
本書は、今後、検察がいかにあるべきかを、一人ひとりが考えるための材料をたくさん提供してくれている。
国民が「特捜信仰」から解き放たれて、自ら考えるための一冊。とりわけ、この信仰の布教者となっているマスコミの方々には、ぜひ読んで欲しい。
●関連情報:郷原センター長のメッセージ(郷原信郎のメルマガより)
[Compliance Communication] (10年04月14日号)
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郷原センター長、4冊目の新書「検察が危ない」<ベスト新書>好評販売中!
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郷原センター長の4冊目の新書「検察が危ない」が4月9日に発売になりました。
アマゾンでも300番前後をキープしており、書店での販売も好調のようです。
以下は、同書発刊に当たっての郷原センター長のメッセージです。
「検察が危ない」という本のタイトルには二つの意味があります。一つは、暴走と劣化を繰り返す検察の存在は、日本の社会にとって「危ない」ということ、もう一つは、そういう存在になってしまっていることが、検察という組織自体にとっても「危ない」ということです。なぜ私が検察批判をするのか。それは、検察の現状を深く憂いているからです。日本の社会にとって検察は大切な存在です。これからの社会において、検察に、違法行為に対する制裁の適正な機能を担う健全な機能を担ってもらいたいと思っています。そのためには、検察を無条件に絶対的に「正義」だと思い込んでいる思考停止から脱却しなければなりません。「検察の正義」の中心にある特捜検察の内実と改革の方向性について、書きたいことは書き尽くしたつもりです。
【「検察が危ない」】
http://www.amazon.co.jp/dp/4584122741/
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