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【角栄内治主義的政治の特質その2、反防衛族的軍事費支出抑制】 れんだいこのカンテラ時評713 http://www.asyura2.com/10/senkyo84/msg/676.html
角栄の内治主義的政治の特質その2として、反防衛族的な軍事費支出抑制を政策としていた点が注目される。インガソル駐日大使の国務省宛レポートは、角栄を次のように評している。 「田中はこれまでの長い政治経験の中で、安全保障問題に強く関わったことは一度もなかった。日米の安全保障関係を変えようとする考えはないだろうが、前任者たちほど日本が日米安保に依存していることを強調することもないだろう」。 「アメリカに対する田中の現実的態度は、両国の経済関係を強調するところによく表れている。アメリカとの関係を何度も強調しており、両国の関係を『分かちがたい兄弟』と表現する。だが、それがどういうことかという点は、アメリカが日本にとって最大の市場であるということ以外の説明ができないようだ」。 実際、角栄は、軍事、防衛、安全保障の面については首を突っ込んでいない。防衛関係のポストに就いたことが一度もない。専ら経済専門的な業績を残している。この点で真反対が後の中曽根首相である点が興味深い。 角栄は代議士初当選後次第に頭角を顕わし、その過程で能力と勢力を類稀なく発展させ、とうとう一国の首相の座まで辿り付いた。驚異とすべきは、この時既に国際舞台にも通用した当代一流の政治家に孵化していたことである。首相になって以来の角栄の政治的姿勢を、新たな三つの観点からベクトル化させることが可能である。 一つは、国内政治における1・日本列島改造計画ベクトルである。角栄は、都市政策要綱、列島改造論の観点で、公共投資による社会基盤整備と中央と地方のバランスの良い国土改造計画を指針させた。一つは、国際政治における2・対中・ソ外交ベクトルである。対米協調を基本として維持しつつ中・ソとの友好関係をも築き、こうした等距離外交を通じて交易拡大を求めようとした。一つは、首相在任時の角栄を襲ったオイル・ショックの衝撃を通じての、その打開策としての3・新資源外交ベクトルである。角栄は、石油・ウラニウムを求めて東奔西走の外交活動を展開した。 角栄政治の元々は、格差是正ベクトル、国土復興ベクトル、均衡ある国土の発展ベクトル、経済再建、民力向上ベクトルを原点としていた。その角栄初期政治は孵化して今や、1・日本列島改造計画ベクトル、2・対中・ソ外交ベクトル、3・新資源外交ベクトルの時代へ向おうとしていた。 これらは「国家百年の大計」に基づく果敢な政治の断行であった。前任の佐藤政治とは極めて対照的でさえあった。首相在任時代の角栄は、官邸−砂防会館事務所−私邸の間を遮二無に精力的に仕事をこなしている。その様は歴代首相にあって群を抜いているといえる。この点で急ぎすぎたのかも知れないが、政治の遅滞を特徴とする日本的慣習からそう見なされるだけであって、政治を国際舞台の観点から見れば別な評価の栄誉に値していたのではなかろうか。 その哲学は、軍事より経済主導のハト派政治であり、「安保条約により、予算を防衛費に突出させずに、経済発展に回せ」というリアル認識に支えられていた。そういう意味では、紛れもなく「吉田学校」の継承譜である。その眼目は、自主責任体制と公平市場主義と「財界依存体質からの脱却」、「中央偏向主義の是正」、「対米従属外交の改善」、「『政・官・民』のリアリズム的使い分け」、大衆的議会主義の育成にあった。 角栄のハト派的立場を象徴している次のような言説が残されている。1981.6.21日付読売新聞「元総理大臣が語る」の中の一説である。次のように述べている。 「ソ連は年間国防費が36兆8250億円、中国が14兆1600億円、西ドイツが6兆1千億円、フランス5兆円、日本は2兆2300億円だ。GNP対比0.91%というのは、世界にない訳ですな。中国でも9%でしょう。イギリスは3.3%、フランスは3.9%ですからねぇ」。 これによると、角栄は、日本の防衛費がGNP対比1%以下というのを誇っていることになる。得意とした数字説得で要点を衝いている。確かに角栄時代までは、「軽武装、経済成長」の国家的枠組みを維持してきていたことが認められねばならない。ここに角栄のハト派的面を見て取らねばならない。 だがしかし、「諸悪の元凶角栄説」論者は、角栄のこのハト派的面を無視して金権政治批判一本槍で批判しぬいてきた。それは余りにも愚劣な政治訴追運動であったのではなかろうか。この運動を誰が指導したのか。何と宮顕ー不破系日共であった。しかも、宮顕ー不破系日共は、その後のタカ派系中曽根政治に対しては口先では批判しても大甘な反対運動に止まった。これは何を意味するのだろうか。ここを疑惑せねばなるまい。 もとへ。角栄の憲法観、防衛問題観について、佐藤昭子が「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」の中で、次のように明らかにしている。 1962.2月、後に暗殺されたロバート・ケネディ米司法長官が来日し、政調会長であった田中角栄他、中曽根康弘、江崎真澄、石田博英、宮沢喜一ら当時の自民党中堅代議士と非公式に会談した。その席で、司法長官は日本の防衛力増強を持ち出した。その懇談の席で、角栄は次のように述べて反論している。 「なるほど、あなたの云うのは理屈だ。ただ防衛力増強と云われるが、アメリカが敗戦国である日本に押し付けた憲法は、我が国に根付いてしまった。大きな枝ぶり一本でも伐ろうとすれば、内閣の一つや二つは吹っ飛ぶ。根こそぎ倒そうとすれば、世の中がひっくり返る。しかし、我々にしても、あなたたちにいつまでも、『おんぶに抱っこ』では申し訳ない。だから、どうしても防衛力を増やしてくれ、と云うのなら、アメリカから日本国民に対し、改めて日本国憲法の成立過程について一言あってしかるべきではないか」。 角栄は去る日、日米安保体制観について次のように述べている。 「日米安保条約は、日本だけが得をするとか、アメリカもそれで助かっているとかの損得で片付くものではない。日米が一体となって、北方の白熊がアジアにずかずかと足を踏み込んでこないよう睨みを利かせているところに大きな意味がある。アメリカがいかに巨大な力を持っていても、直接、アジアの全ての国の安全保障を負担するのは無理だ。そこで、日本とアメリカが一つになって、ソ連を注意深く牽制し、アジア各国に脅威を与えないようにする。これが日米安保体制だ。 この日米安保条約のお陰で、我が国の防衛費は世界各国に比べて、驚くほど低い水準にままに抑えられ、それが日本の経済的復興と発展を支えた。だから、同盟国であるアメリカが日本の防衛力に不満を抱いているのなら、日本はアメリカの不満に真剣に応えなくてはならない。この程度の判断ができなければ、日本人はエゴイストと云われても仕方がない」。 この辺りは、れんだいこの見解と異なるが、それはともかく、これが角栄の日米安保体制是認観である。これによると、あくまでも日本の国益から日米安保体制を捉えていることになる。当然の見地では有るが、アメリカ側即ちネオシオニストにとっては御し難い点で始末に困る観点でもあろう。彼らは、彼らの言いなりになる日米安保是認観を欲している。そういう意味で、角栄の日米安保体制是認観の民族主義性を見て取ることが肝要ではなかろうか。 思えば、角栄政治とは、幕末維新、明治維新以来の内治派と外治派の抗争と云う歴史軸に於いて明確に内治派を意識しつつ首相の座に上り詰め、縦横無尽に活躍した稀有な政治家であったのではなかろうか。角栄政治は豊穣にして多角的な面を持っているので一概に捉えられないが、下手な左派運動より何倍も左派的な面を持っていたようにも思う。この路線の下で日本政治が続いていたなら、世界史上画期的な日本政治の質が世界に登場していたのではなかろうか。そう考えると悔やまれること夥しい。 付言しておけば、角栄時代即ち彼が大蔵大臣、幹事長、首相職に在任中、国債発行を抑制せしめていた。当然のことながら、この時代には消費税なる悪税はない。角栄の睨みが利かなくなってより防衛費が突出し始め、国債が刷り抜かれ、3%消費税が導入され、続いて5%になり、地方が切り捨てられ、中小零細企業が切り捨てられ、社会資本的公共事業が抑制され、労働省が廃止され、雇用、年金、医療システムが破壊され、アジア間の対立紛争が煽られ云々。こういう政治ばかりしてきた。これでは世の中良くなる訳ないではないか。 しかし、そういう政治をやると名宰相と囃したてられ、逆に向かうと暗愚と評される。ホワイトハウスから見てそうであっても、日本から見れば違う評価にならなければならぬところ、マスコミはいつもワシントン基準でものを云う。そういう風にしつけされているのだろうが、少しは休み休み云ってはどうだ。 2005.9.11日、2010.4.16日再編集 れんだいこ拝
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