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小沢主義考(3) 「お上」意識と民主主義 http://www.asyura2.com/10/senkyo84/msg/529.html
多くの日本人は、日本はアメリカやフランスなど同じような民主主義国家だと信じているだろう。だがその成立の違いから、民主主義に関する国民の意識に大きな違いがある。多くの民主国家は、フランス革命やアメリカ独立戦争など、国民が自らの血を流し、民主主義を手にした。日本人は、ある日突然GHQのお達しで、女性を含め成人全てに参政権が与えられた。一滴の血も流さずに与えられた民主主義である。 戦前の役人は「天皇の官僚」。国民にとって官僚は「お上」であった。戦後、急に民主主義と言われても、国民の「お上」意識は抜けない。しかも戦前から、永田町の政治家たちはいつも政争にあけくれ、金権政治をやっているようで、信用できない。霞ヶ関の官僚は東大出のエリート。そのエリート官僚が政治を支える方が安心である。 既に小沢主義考(1)で述べたが、小沢氏は「民主主義国家である日本の政治を政治家でなく、官僚が取り仕切ってきたこと自体が異常なのだ。官僚が政治に手を染めること自体、民主主義に反する。民主主義国家で、立法・行政という二大権力の機能を政治家が動かすことができるのは、政治家が主権者である国民に選ばれているからである」と云う。この当然のことを改めて説かねばならない処に、日本の悲劇がある。 官僚には「政治責任」がないし、大きなミスをしても免職になることもない。しかも官僚は主権者である国民の信任投票を受けた訳でもない。官僚が政治を行ってはならない理由は、これらに尽きるだろう。民主党政権になり、官僚の立つ位置が、少しは変わってきたが、自民党政権下では、官僚と官僚システムは、誰からもチェックを受けることのない存在であったことは、今では誰もが知ることになった。 一方政治家は、選挙と云う場を借りて、自分の信念を国民に問う。もし、その政治家の信念や政策が間違っていると国民が判断すれば、その政治家は落選する。また、政権与党の採った政策が間違っていたら、その党は選挙で与党の座を失うことになる。 小沢氏の政治家と官僚についての考えは、国民の信認を受けた政治家同士が、国会で自分の信念に基づいて議論するのだから、官僚の国会答弁は必要ないとなる。また、議院内閣制であり、政治主導の政治を行うには、大臣だけではなく、100人以上の国会議員が副大臣や政務官として政府に入って行政に携わる。そう言う構想になる。 その裏には、自民党のような政務調査会とその部会を設けると、政府と与党の二頭政治が行われることになり、「誰が最終責任者」になるのかが曖昧になる。つまり結果責任を負わない族議員により、その政策決定のプロセスが不明になり、国民の政治不信を買うことになる。この弊害をなくし、政府と党が一体化するには、政務三役と与党議員による「各省政策会議」を設け議論をする。これが小沢氏の考えである。だがなかなか上手く機能しないようである。 小沢氏は、日本が官僚指導体制を脱して、真の民主主義国家になるには、政府や国会だけの意識改革ではなく、国民全体の政治に対する意識が変わらなければならないと説く。そもそも、ここまで官僚の力が大きくなった最大の原因は、日本人の「お上」意識にある。自分たちが選んだ国会議員を信用しないで、選挙で選ばれたわけでもない官僚の方を信用するなど、民主主義から言えばとんでもない話なのだと言う。 その当然なことを前にし、明治時代から120年続いた官僚組織が、マスコミを動員して民主党政治に抵抗している。それが今の日本の姿である。軍人官僚に国を任せ、国を滅ぼし、200万人の命と引き換えに民主主義を与えられた。その民主主義により、史上初めて国民の意思で政権交代を成し遂げた。その民意を、半年も経たないうちから覆そうとする者がいる。国民の民主主義の成熟度が問われているのだろう。 これはまさに小沢氏の言うとおりですね、自分は小沢氏の国民の自立ってのに大いに共感を得ている。
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