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自民党はなぜ生まれ変われないのか - マスコミ「正統」の御用政党 http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/807.html
http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-269.html 昨夜(4/5)のテレビ報道は、与謝野馨と平沼赳夫の新党の話題が中心だった。報道ステーションでは、時事の田崎史郎が解説していたが、正直なところ、身を入れて聴こうという気分に全くなれない。1年前なら、この政局寸劇を強い興味をもって追跡しただろうし、渡辺恒雄が裏で暗躍する情報に注意しながら、自民党内の派閥力学にあれこれ想像を廻らし、次の展開と顛末を予測していただろう。 わずか1年しか経ってないが、日本の政治が大きく変わったことを実感する。自民党の騒動は関心の対象にならない。渡辺恒雄も中曽根康弘も過去の人で、博物館の剥製的存在で、日本の政治に影響を与えられる存在ではなくなった。そう見做される地位を失った。昨夜は、NHKの9時のニュースに谷垣禎一が生出演していたが、一生懸命に「強いリーダーシップ」を訴求し演出する姿が痛々しく見えた。 この人は、本来、どこかの村役場の有能な助役さんで、両腕に黒い袖カバーを巻いて算盤をパチパチはじき、村の財政と総務を遺漏なく事務して、村人から信頼を集めているような、その程度の器量と適性の人である。寅さんの映画でそういう配役を作って出演させたくなるような、そういう地味な個性と能力の人である。理念や政策を強く主張したりとか、人を説得したり論駁したりという仕事は向いてない。向いてない役割と資質を無理に演技するということは、人にとって苦痛であり不幸である。谷垣禎一に同情を覚える。 昨年の7月、眼前の刻々の選挙情勢に熱中しながら、ふと、自民党は下野したらどうなるのだろうという問題が頭に浮かび、愕然としながらブログの記事に書いたことがあった。政権陥落後の野党の自民党のイメージが浮かばないのである。結局、政党として維持存続は難しいだろうとする予想を立てた。その理由は主に二つで、政権党となった民主党に対して対立軸となる政策理念を立てられないからと、雌伏して捲土重来をめざす指導者がいないからだった。 国民に訴える理念を(標語レベルでも)持たない自民党は、国会論戦でも民主党に対するネガティブ・キャンペーンでしか存在を示せないだろうとも予想した。予想のとおり動いている。鳩山由紀夫と小沢一郎の政治資金問題が発生して、自民党には順風環境が与えられたが、その時間的猶予を党再生に活かせなかった。政治とカネの問題がなければ、谷垣自民党の崩壊はもっと早く始まっていただろう。8月下旬、自民党の敗北と下野が確実になったとき、政権喪失後の自民党について、「馬糞の川流れ」という金丸信の言葉が頻繁に持ち出された。 現在の状況が、まさに「馬糞の川流れ」である。流れながら、大きな塊から小さな塊が離れて行く。大きな塊にも、小さな塊にも、理念と政策がない。権力が欲しいという欲望だけであり、議員の地位にしがみついていたいという衝動だけである。与謝野馨と平沼赳夫は、政策はこれから決めると平然と政治マスコミに言い、カメラの放列を前にご満悦の表情だった。 こうして新党を立ち上げれば、週末の政治番組に出演できる。NHKの日曜討論に席を用意してもらえる。参院選まで、好きなことをテレビで言いまくれる。その機会を得られる。70歳と71歳の老人は、こうしてマスコミのスポットライトを浴び、全国放送のニュースに顔が出ることが至福の喜びなのだ。83歳の渡辺恒雄と同じように。新党の人数は5人から10人だと言われている。これでは政界再編の起爆剤と言うにはほど遠い。新自由主義にも純化できず、極右靖国路線にも特化できず、中途半端な野合の小集団。 すでに保守マスコミは彼らへのコミットから離れていて、ネガティブな評価だけが纏わりつき始めている。田崎史郎も、新党が保守無党派の支持を集めることはないだろうと口にした。そうなると、政治世論の自然現象としては、与謝野馨らが口をきわめて非難する民主党が、マイナスとマイナスの乗算でプラスの表象に転じ、表象がクリーニングされる逆効果がもたらされる。与党が求心力を維持するのは易く、野党が求心力を維持するのは難い。自民党の中は動揺と混乱が強まり、粒子のブラウン運動が活発になり、政党としての安定感を失うだろう。 何故、自民党は生まれ変われないのだろうか。一昨年、福田康夫が政権を投げ出して麻生太郎を総裁にしたとき、自民党は5人の総裁候補を立て、バスを仕立てて全国行脚に繰り出した一幕があった。明らかに衆院選前の選挙キャンペーンであり、政権交代に勢いづく民主党に対する反撃の宣伝工作だったが、このとき、報道ステーションがどこかの自民党県連を取材して、面白い内部情報を伝えていた。 20数か所の地方都市で開催された総裁選の立合演説会は、党中央の動員要請にも拘わらず、どこもガラガラで、県連も本腰を入れて集客に動いてなかった。小泉構造改革で地域の経済と医療をボロボロにされ、従来の支持者も自民党から離反していて、その県連幹部は自嘲気味に、「一ぺん選挙に負ければいい」と口にする始末だった。選挙に負けて、下野して、頭を冷やして、一から出直せばいいと言っていたのである。 テレ朝らしい「政権交代」のプロパガンダの一環だったが、地方の自民党県連の深刻な内情を浮かび上がらせた報道だった。そして、約1年後、その報道のとおりの結果が訪れた。この与謝野馨の新党の騒動を見ながら、件の県連の幹部はどう思っているだろう。下野から半年が経ったが、自民党は選挙敗北について正しく総括をせず、新しい政策理念を掲げて党を再生するという動きを起こさなかった。通常であれば、その動きが起きていて当然なのである。地方組織から自民党の反省会が始まり、小泉構造改革が槍玉に挙げられ、戦犯が追及され、新自由主義を清算した新しい路線が定置されなければならなかった。 それが自民党が生まれ変わるということであり、野党としての再建と挑戦が始まるということである。攻守ところを変えた二大政党の攻防の新時代を迎えるということだった。だが、自民党はそうした政党本来の再生の試みに動かなかった。何故なのか。秘密はマスコミにある。この半年間のマスコミの政治論調を見てわかるとおり、マスコミが正論としている政策は、与党の民主党ではなく野党の自民党のものなのだ。 マスコミが自民党の政策を支持していて、親米新自由主義の構造改革路線を正論として定礎したままだから、自民党は反省も総括もできないのである。その必要がないのだ。国の重要政策を見てみよう。消費税について、マスコミは即大増税に賛成であり、民主党の4年間据え置き策に反対である。普天間移設について、マスコミは現行案の「辺野古沖」に賛成であり、日米同盟を危うくするなと言い、「辺野古沖」に戻ろうとしない民主党を批判している。郵政民営化見直しについて、マスコミは亀井静香を袋叩きにし、民から官への逆戻りだと罵り、小泉構造改革の郵政民営化こそが民意だと咆えている。 政治的公平であるはずのマスコミは、実は明確で強烈な意思と路線を持った一つの政治勢力であり、めざす路線を国民が支持するように刷り込みを続けている。新聞とテレビで徹底した世論工作を続けている。マスコミの路線と政策が自民党のそれと同じであり、だから、自民党の政策はマスコミから批判されることがない。選挙で負けても、自民党にはマスコミが味方している。マスコミ報道において、日本の政治の正統は自民党であり、異端が民主党なのだ。 マスコミの政治報道において、「国民の生活が第一」の政策を推進し、米国と「対等な関係」を指向する民主党政権は、許すべからざる異端であり、この政権は、何かアクシデントとかフロックで権力を握っているクーデター政権的な存在なのである。正統は、親米で新自由主義の自民党にある。つまり、先ほどの県連の論理に従って、反省会を開き、小泉構造改革を否定して離脱しようとすれば、忽ち自民党はマスコミからの支持を失うという結論に逢着する。 マスコミ報道における「政治的正統」の地位を失う。ネットの政治世論が興りつつあるとはいえ、依然としてマスコミの政治的影響力は大きく、みのもんたや古舘伊知郎が「政治とカネ」の問題を騒げば、民主党の支持率は急落して歯止めがかからない。「小沢一郎は幹事長を辞任すべき」が8割を超える世論が現出する。長崎県知事選でも民主党候補が敗北した。あの森田健作が千葉県知事選で当選したのも、小沢一郎の西松問題で民主党に逆風が吹き、小沢批判で世上が騒然とした一瞬の間隙を衝いた出来事だった。 マスコミが吹かす風は選挙結果に大きく影響する。そのため、不起訴となって以降の小沢一郎は、検察批判とマスコミ批判の言を会見の場ではピタリと止めた。政治を動かす権力はマスコミが握っている。本来なら、自民党が国民の支持を得て選挙で民主党に勝つ本格的野党になるためには、民主党以上に「国民の生活が第一」の志向を際立たせ、官僚や資本の恣意と横暴を批判し、格差社会を糾弾しなくてはいけない。 カネが勤労者や地方に流れる経済政策を提起しなくてはいけない。そうした本筋に即けないのは、マスコミの御用政党という位置と制約があるからで、それを突破できる指導者がいないからである。こうして、自民党には根本的な矛盾があり、すなわち、上から与えられるマスコミの御用政党としての役割と、下から求められる国民生活に内在する本格野党の要請と、二つの政党像の鬩ぎ合いの中で立ち往生し、路線を定立できないのだ。 それ以上に、自民党は人材が枯渇し払底していて、政治の役に立たない塵屑ばかりが蠢いている。自民党の議員集会で紛糾する映像が出ても、国民にとってプラスになる期待感が一切感じられず、早く国会から一掃されればいいという気分だけが沸き上がる。それと、重要な点がもう一つ、極右路線が旬でなくなった。20年にわたって続いた大きな流れが、ようやく停止しようとしている。 小泉竹中の時代は、血に飢えた新自由主義の猛獣が荒れ狂う時代だったが、同時に、靖国参拝と反韓反中の情勢で日常が埋め尽くされる時代だった。事あるごとに北朝鮮拉致問題がテレビで政治宣伝され、蓮池透と安倍晋三による狂暴な反北朝鮮プロパガンダで画面が塗り漬され、神経衰弱になる日々が続いていた。昨日(4/5)のネットのニュースで、黄長Yと家族会が会ったという記事が配信されていたが、NHKの7時のニュースには流れなかった。 小泉政権の中盤、NHKの7時のニュースには、北朝鮮拉致の放送時間が定期枠で設定されていて、横田早紀江の絶叫タイムを我慢しなければならなかった。北朝鮮拉致の問題が、ようやく、戦前の国体思想のような拘束力を失いつつある。田崎史郎は平沼新党について、右寄りの路線では中間の無党派の票を取れないと語った。昔はそうではなかった。4年か5年前は、右翼であればあるほどトレンディで、櫻井よしこと中西輝政が正論であり、座標軸の中心だった。ネットの世論と言えば、大手右翼掲示板のことだった。時代が少しずつ変わりつつある。右翼の青バッジのエクスポージャーも減っている。平沼赳夫の極右表象がマイナス因子として作用して、マスコミや政界にそれを忌避する反応が発生する政治を期待する。
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