投稿者 めっちゃホリディ 日時 2010 年 4 月 06 日 11:24:51: ButNssLaEkEzg
2010年4月5日 ビデオニュース・ドットコム
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100405-01-0901.html
今週のマル激トーク・オン・ディマンドは、マル激スペシャルin沖縄。神保、宮台の両キャスターが沖縄を訪れ、現地のキーパーソンたちと「普天間基地移設問題」をはじめとする沖縄に関わる様々な問題を議論した。
大田昌秀氏は知事時代、米軍用地の強制収容の代理署名を拒否して沖縄の意思を明確に示したことで知られる。彼は普天間返還が決まった瞬間から、政府はその代替基地を提供することを念頭に置いていたのではないかと推測してきた。氏の懸念は的中し、その後普天間返還問題は辺野古への代替施設建設問題へと大きくシフトし、大田氏の知事選落選によって沖縄県が新基地計画を受け入れた結果、今日に至っている。
大田氏は、アメリカ側には沖縄に兵力を置いておく必要性がすでに無くなっているが、日本側がそれを強く望んでいるために、一定の軍事力がまだ沖縄に残っているのではないかと主張する。大田氏に知事時代に遡り、普天間移設問題が辺野古新基地建設問題にすり替わっていった経緯を聞いた。
普天間返還は、日米関係を悪化させるか
神保: そもそも普天間移設問題がなぜこのように捻れてしまったのか、その発端の部分を、普天間の返還が決まった当時沖縄県知事だった大田さんにうかがってみたいと思います。普天間は最初橋本総理が普天間返還という言い方をされていたのですよね。それがいつの間にか普天間移設になり、気がついたら辺野古沖だなんてことになっていました。そもそも最初はどういう議論だったのですか。
大田: 一般的に、私が米軍用地の代理署名を拒否したのは、95年9月に「沖縄米兵少女暴行事件」が起きたからだ、と考えられていますが、実際は同年2月にジョセフ・ナイ国防次官補(当時)が発表した「東アジア戦略報告」の内容を見て、「これ以上沖縄に基地を作らせるわけにはいかない」という考えが固まりました。これは通称「ナイ・イニシアティヴ」と呼ばれるものですが、東アジアに約10万の在外米軍を維持するという内容で、沖縄に基地を固定化する方針だということは明らかだったのです。
神保: なるほど。
大田: 少女暴行事件が起きた直後にSACO(沖縄に関する特別行動委員会)が立ち上げられましたが、それ以前に私は、2001年までに10の基地の返還を、2010年までにさらに14の基地の返還を、そして2015年までに残りの17の基地の返還を求める「基地返還アクションプログラム(行動計画)」を作成し、日米両政府の正式な政策として取り入れるよう申し入れました。
そんな中で、当時の橋本龍太郎首相と米クリントン大統領の会談に際して、政府関係者から「一番返還してほしい基地はどれか」との問い合わせがあり、私は迷わず「普天間基地です」と答えました。普天間基地の周辺には幼稚園から大学まで16の学校があり、病院や社会福祉施設も多い。そのため、是が非でもと訴えたところ、返還が決定したのです。つまり、2001年までに10カ所の返還だったものが、普天間も含めて11カ所になった。しかしながら、そのうちの7カ所は県内に移設するという。
そこで私は、「到底お受けできない」と申し上げました。日本のマスコミはほとんど触れていないことですが、アメリカの軍事専門家や大学教授による論文の圧倒的多数が、「普天間の代わりに基地を作る必要はない。日本政府が返還を求めるならば応じるべきだ」と書いているのです。また、アメリカの大手新聞がどう論じているかも調べ上げましたが、多くが「2015年には朝鮮半島や台湾海峡の問題も落ち着いている。沖縄の基地は必要なくなるだろう」としていました。
神保: しかしながら、実際にはいつしか「返還」が「移設」にすり替わり、辺野古を最有力候補地とする県内移設案が進んでしまったと。
大田: そうこうしていると、辺野古の沖合に鉄柱を立て、その上に滑走路を作るという計画が出てきました。橋本首相からは「撤去可能な空港だから、一時的に認めてほしい」というお話がありましたが、普天間基地の副司令官の発言を調べていくと、「普天間の代わりではなく、普天間の軍事力を20%強化した基地を作る」という。また、日米両政府が合意した辺野古案では、「建設期間が5〜7年、費用は5000 億円以内に収まる」とされていましたが、米会計検査院が綿密にチェックしたところ、「建設期間は少なくとも10年、配備予定のオスプレイ(ヘリコプターの特性と固定翼機の性能を持ち合わせるV22型輸送機)は事故が多く、安全運航を確保するまで、さらに2年の試用期間が必要」という、全く違う結果が出ています。そもそも、辺野古は環境保全の観点からも、開発をすべきでない地域に分類されており、大浦湾は住民の生活を支える漁場でもあるため、「絶対に飲むことはできない」と答えました。それ以来、すでに10年以上も現地で座り込み運動が続いています。
宮台: 今回の沖縄取材を通じて、辺野古問題は普天間問題とイコールではなく、もともと別の計画として進められていたことが分かりました。そしてもう一つ、重要なのは大田先生も各メディアでおっしゃっているように、例えば「核抜き・本土並み」という沖縄返還の条件は、アメリカが要求してきたことではなく、「そうでなければアメリカは納得しないはずだ」という日本の思い込みが先行してたものです。おそらく普天間問題にも同じことが言えて、アメリカには基地の不要を示す学説や意見の集約があるのだから、日本政府が真摯に交渉すれば、代替基地なしでも返還される可能性があった。しかし日本側の「ただで返還してもらえるわけがない」という思い込みが邪魔をして、問題がこじれているように感じます。
アメリカの国際戦略上、すでに日本に基地を置く必要性はなく、また日本側の「有事の際にアメリカに守ってもらいたい」という要求に応えることは、有事法制上、公共施設の使用を許可することで、基地がなくても十分に可能です。つまり、実際の戦略的有効性とは関係なしに、日本側が「日本に米軍基地がないと、怖くてたまらない」と考えており、まるで分離不安の幼児のように見える。これは米軍問題というよりも、日本問題である気がします。
大田: ヘンリー・キッシンジャー氏なども、「日本がきちんと要請すれば、代替基地など作らなくても、普天間は返還できる」と言います。政府が沖縄の実情を理解して、それに沿う政策を行えばいいだけなのです。オーストラリアの社会学者、ガバン・マコーマック氏が日本とアメリカの関係を示した『属国』という著書を出していますが、まさにこの本の通りです。
宮台: 日本が「アメリカさん、基地を置き続けてください」とお願いし、アメリカは「基地がなくても守れるから大丈夫だよ」と言う。それにも関わらず、日本は「いやいや、基地がなければ怖くてたまりません」と言うから、アメリカは「そこまで言うなら、普天間に置くけど構わないね?」と。そうした経緯を国民に知らせず、政府高官や自民党政権下の閣僚が、「安全保障上、必要不可欠なものだ」という大嘘をつき続けてきたわけです。これは、アメリカの属国になりたがっているようにしか思えない。
出演者プロフィール
大田 昌秀(おおた・まさひで)
政治家/琉球大学名誉教授/社会学者。1925年沖縄県島尻郡生まれ。早稲田大学教育学部英文学科卒業、米シラキューズ大学大学院修了。東京大学新聞研究所を経て、琉球大学教授(メディア社会学専攻)に。報道研究や沖縄戦の歴史研究にも取り組んだ後、90年に沖縄県知事就任。98年までの在職中、米軍基地問題に取り組む。著書に『沖縄戦を生きた子どもたち』、共著に『徹底討論 沖縄の未来』など。
宮台 真司(みやだい・しんじ)
首都大学東京教授/社会学者。1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。博士論文は『権力の予期理論』。著書に『民主主義が一度もなかった国・日本』、『日本の難点』、『14歳からの社会学』、『制服少女たちの選択』など。
神保 哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て93年に独立。99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』、『ビデオジャーナリズム─カメラを持って世界に飛び出そう』、『ツバル−温暖化に沈む国』、『地雷リポート』など。
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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