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国家の三権、機能せず/「植民地状態」解消の努力を/[玉城和宏氏/琉球新報]からの転載 http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/695.html
沖縄普天間問題に関連して転載記事を考慮するならば「沖縄における米軍基地問題は日本国憲法を潜在的に毀損している」とみることができる。それゆえ、地位協定を改定せずに駐留を続ける沖縄米軍基地はあってはならないことであって普天間飛行場移設に名を借りた辺野古の新基地建設などもってのほかということができる。 憲法毀損の視点から見れば、普天間飛行場移設は外交問題以前の問題であり、
今こそ沖縄の人権宣言を/ヘリ墜落事故と沖縄の権利 8月13日沖縄国際大学に米軍機が墜落した。事故の顛末は色々論ぜられているが、 重要なことは、人権要項が日本国憲法第11条に記載してあるから人権があるのでない。 近代における基本的人権の獲得は、専制や圧制からの脱却をめざし、革命や戦争などの戦いを通して勝ち得た結果である。人権宣言などの文章化は、住民の最後の抵抗であるところの血を流す争いが二度と起こらないようにとの反省から生まれている。これらの趣旨は、日本国憲法や世界人権宣言、フランス革命における人権宣言などの前文を読めば明らかなことである。 特にフランスの人権宣言前文は、国民を代表する人たちへの戒めとしての趣旨が明確に記載されている。また内容的にも主権在民、平等、所有権の不可侵など簡潔にまとまられている。 もちろん、これらの趣旨は日本国憲法にも同等の内容として含まれるのであるが、それらの簡略版としてフランスの人権宣言を見るならば、沖縄の米軍事件を総括する場合の明確な視点を与えてくれる。
県民の記憶に深く刻まれている1995年の米兵による少女暴行事件をみてみよう。事件は米軍基地外で起こっているが、県警は日米地位協定により被告の身柄を直接拘束することができず、米軍の厚意による引渡しでしか事件に対処できなかった事実。これは、主権在民かつ法の下での平等に反する。被害者の少女は、不可侵の所有権として自己の生命や身体を第一義的に所有しているのであるが、これが米兵の暴力により明白に踏みにじられている。 一方、今回の普天間における沖縄国際大への米軍ヘリコプター墜落事故を見てみよう。 このように、これまでの米軍基地存在がもたらす事件は、基本的人権とくに、主権在民、平等、所有権の三つの権利をすべてないがしろにしているとみることができる。 現実がこのような状況であることを沖縄県民は認識し、連帯を構築し、本来の権利の奪還に努めなければならないと考える。
一方、大手のマスコミを含め本土における日本国民の関心はとみると、オリンピックやプロ野球の「重要事項」で手がふさがっており、後方支援は期待できず、致し方なし、という状況でもある。 しかしこのような状況であっても、人道的見地からすれば、日米両政府は速やかにこれら人権無視の現状撤廃に努めなければならない立場にある。また、沖縄サイドでは、実状を世界に知らしめるとともに、権利獲得の主張を続け、権利が聞き入れられなければ、国際人権規約に基づく規約人権委員会に提訴するなどの努力を続けていかなければならないだろう。なぜなら、現状は、日本における国家の三権が、ここ沖縄の米軍基地関連事件で機能していないからである。規約人権委員会への提訴も致し方なしと考えざるをえない。 沖縄の県民は、人身事故の起こるまで、あるいは、起こっても人権の回復を希求せず、党利党略や企業の利益、それに付随した個人の利益を誘導するという現実の状況を容認していくのか。あるいは、これまでの部分的利益誘導に見られる局所的視点を変え、一人一人が少しずつ利益を削りながらでも人権獲得の助け合いの連帯を組み、人権の回復を目指していくのか、という重要な分岐点にいるとみることができる。
ところで、フランスの人権宣言第16条に、「第16条:権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されていないすべての社会は、憲法をもつものではない」とある。この条項に沖縄の現状を照らしてみると、沖縄は憲法が施行されている状態とは言えないのは明白である。 つまり日本国憲法の保護下にはないとみることができる。従って、その下部の条約とみなされる日米安全保障条約、さらにその下部の協定である日米地位協定を沖縄に適用していることは、明らかに法の下での適用ではなく植民地としての適用ということになってくるのである。 したがって、これらの不合理を解消するために、イギリスにおける権利宣言やアメリカ独立宣言、フランス革命における人権宣言に類する「沖縄の人権宣言」を宣言すべきである。そのためには、すべての県民が協調し努力していかなければならない。また同時に、沖縄に関与する重要な地位にある人々は、県民の将来を担う歴史的な宿命を負っていることを真に自覚するとともに、県民の人権回復に努力する責務をも負うものと考える次第である。 県民の努力の結果としての人権の回復後には、沖縄を真の観光地として世界の人たちが訪れてくれることだろう。沖縄のすばらしい資源を有効に活用する道もおのずと生まれてくると信じる。なぜなら人々が協調を図りながら自由意志で働ける場は、活気のあるものであり、そばにいるだけで人生の豊かさすばらしさを実感し、それとはなしに触発を受け自然に発展が促されるからである。 <転載終わり>
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