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「反&嫌小沢一郎」の心理学的考察・「投影性同一視」他 (日々坦々) http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/905.html
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ここまで「小沢VS反小沢」について≪小沢一郎「好き」「嫌い」投票結果でわかった「分析的・沈思黙考型」の擁護派と「激情的・無思考・短絡扇動型」の反小沢派≫、≪「対立軸」・「磁極」・「水滴」としての小沢一郎≫、≪「外圧から内圧」へ、志も理念もない「嫌小沢派」は無視すべし!≫、≪「小沢の政治理念に取って代わるものが反小沢にはない」(渡辺乾介著作より)≫などエントリーしてきた中で、ある疑問を抱き、それを一般化して考えていったら、ある結論を見い出せた。(あくまでも個人的認識レベルの話だが) それは、いつの時代でも「共通の敵」が必要なんだ、ということである。 各コミュニティーレベルでも個々に存在していて、時間軸で言えば政治家ならば、「明智光秀」であったり、「原敬」であったり、「田中角栄」であり、社会的には松本サリン事件の河野義行さんであり、覚せい剤事件の酒井法子であり、朝青龍である。また空間軸で言えば、まさに「小沢一郎」なのである。 「反小沢」の中には当然「自民党時代の小沢から嫌いというコテコテの人」や「民主党はとにかく嫌いだという左翼やウヨクなどの思想信条に立脚した人」、「田中派から受け継いだ利権政治は生理的に拒否」など、様々な自身にとっては正統的な拒否があるだろう。そういう人達を区分すると、反小沢の2割くらいいて、2割は何らかの理由で「とにかく嫌いだ」になり、後の6割は、特にこれといって理由はないが、マスコミでの報道で「たぶん小沢さんは悪いんだろう」という中間層に配分される。(独断と私見) ここでの心理分析はこの6割の「小沢嫌い」の人たちを対象としている。 「小沢嫌い」になった心理的プロセス *****政治ブログ******** 集団心理の同調現象:これは「親小沢」「反小沢」両方に言えることである。 世論調査などで、みんなが反対ならばと同調しより一層反対が増えていく。 それが進むとさらに、今度は「自薦の用心棒」が現れる。 自薦の用心棒は、異論が現れないように、外部から情報を遮断する。あるいは、異論を述べそうな人物の影響力を削ぐ。 マスコミなどの「小沢=悪」のネガティブキャンペーンにより、反小沢が多い周りの人に小沢さんを擁護する発言をしようものなら、その異論を"出る杭"として皆から叩かれることになる。 また外部からの事象で集団心理状態が発生する場合は以上のような経路をだどることになるが、外部からの情報による「刷り込み」は「暗黙知」となって、言葉に表せない、うまく説明できないが「小沢さんは悪い」ということになる。 意識的に知識を吸収しようとするものとは逆に、無意識的にもその知識が蓄積されていることだと思う。身体が覚えている、などやカリスマ的技術者で0.01ミリを機械を使わず手の感触だけで出すことができる、ような場合は「暗黙知」の一つと言えるのではないだろうか。 このような心理的プロセスで「反小沢」は量産されていくことになる。(※素人レベルの分析であくまでも私見) また、もう一つの考え方として≪「創4・5月号」の精神科医・香山リカ氏のコラム≫の中で語られていた、「投影性同一視」である。最初読んだ時は、ちょっと違うなあという感想でスルーしていたが、心理学的観点から「共通の敵 心理学」で検索して調べていくうち≪マル激トーク・オン・ディマンドの弘中惇一郎弁護士とのトークの導入文章(トークテーマは「なぜわれわれは社会の敵を求めるのか」)が引っかかり、それを読む中で香山リカ氏のコラムを思い出したて読み返してみた。一部転載させていただく。 (転載&要約開始) ≪人間には誰にでも、不安や恐怖から目を背け、葛藤を抱え込まないようにするために、「防衛」と呼ばれる無意識の作用が備わっている。この防衛のメカニズムについて詳述したのはフロイトだ。防衛そのものは病的なものではないが、行きすぎると「自分にはいっさい不安も非もない」というおかしな態度を取ることになる。また、フロイトが観察したのは自我の機能がある程度、成熟した自我による防衛だが、後の分析家メラニー・クラインは、より未分化な自我による防衛があることを発見し、それを「原始的防衛機制」と名づけた。この原始的防衛機制にはいくつかの種類があるが、そのひとつに「投影性同一視」と呼ばれるものがある。これはわかりやすく言えば、自分の中にある都合の悪い感情や考えなどを無意識的に自分の外の特定の人物に押しつけ、実際は自分がそうであるのに「○○されている」と理解しようとする、というものだ。境界性および自己愛性パーソナリティ障害で、このメカニズムが多用されることがある。そう考えれば、小沢氏や国母選手のように特定の人間に度を超えた攻撃や憎しみが集まる、というのは、彼らを投影性同一視の対象にしなければならないほどの不安あるいは何らかの衝動が私たちの中にたまっている、ということでもある。「もしかして私っていま、とても怯えているのではないだろうか」と認めたくないために、外側に安心して憎しみを向けることができる゛敵゛を見つけ、その人を集中的に攻撃することで、「危うい状態にあるのは私じゃなくて、あいつなんだ」「あの悪党さえ倒せば、私の中の不安も消え去るんだ」と自分に言い聞かせようとしているのである。(中略) (転載&要約終了) *****政治ブログ******** また、「悪いのは私じゃない、不安なのはわたしじゃない、あいつがいるからだ」と投影性同一視の対象になるような人物が、常に必要とされることになる、と香山氏は書いている。 簡単に言えば、自分のことを棚に上げて、他人を非難することにより自分の中の不安を解消させ、そうすることによって自分の中のバランスをとりつつ、嫌な自分を見つめることを避けていて、自分自身と向き合う代わりに、対象とする他人と向き合い、その対象を攻撃している、という構図だ。→まさに「政治とカネ」で追及していた自民党政治家そのものである。 「投影性同一視」について調べると精神科医による臨床的な分析記事があったが、大変わかりにくく、探している内にヒットしたのが下記の文章で、日本にはないので、英文を翻訳されたとのこと。管理人にお断りして転載させていただく。 投影性同一視 参照:患者への理解と対応:投影性同一視による操作 以上のなかで導き出されることは結局、いつも問題にしているマスメディアの責任であり偏向報道による世論誘導・情報操作である。マスコミ各社は広告・販売の低迷で軒並み赤字が続き、よりマスコミ操作をしやすくなったともいえる。とにかく、そうした既得権益を突き崩すためにも、国民が世論誘導されないためにも「小沢一郎」の改革を推し進めないことには、日本の歪みも矯正されないし、記者クラブ制度も変わらないだろう。参院選前にも普天間基地移設問題もあり、その対応いかんでは鳩山政権が窮地に陥ることも考えられる。既に民主党支持者の中で不支持を表明している方もいると聞く。 再度、政権交代の意味と主権者である国民の手に政治を取り戻す、という原点に立ち返りつつ投票したものの責任としても見守りたいと思っている。
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