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ドイツの反ネオナチ市民運動から学ぶ(ブログ「エクストラレポート・ルーム」から) 〔村野瀬玲奈の秘書課広報室〕 http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/840.html
http://muranoserena.blog91.fc2.com/
asahi.com(朝日新聞社):「ネオナチ行進させない」1万人、体はって阻止 ドイツ - 国際 2010年2月15日2時24分 【ベルリン=金井和之】第2次大戦末期の空爆で街が廃虚と化したドイツ・ドレスデンの大空襲から65年となる13日、市内で追悼集会が開かれた。極右(ネオナチ)がデモ行進を計画したため、市民グループらが体をはった「人間の鎖」で対抗した。 極右は新市街にある駅周辺などに数千人が集結。エルベ川を挟んだ対岸にある、空襲後に再建されたフラウエン(聖母)教会などに向けてデモ行進を開始。これに対し、追悼のため教会周辺に集まっていた1万人以上の市民らは手をつなぐなどした。 両者の衝突を避けるため数千人の警察官が極右を阻んだため、極右の一部は市内で火をつけたり、車を倒したりして暴徒化。左派グループなどとも小競り合いが起き、警官15人を含む27人が負傷、約30人が拘束されたという。 ドレスデン大空襲では8割以上の建物ががれきとなり、3万人以上の市民が死亡したと言われる。極右は「爆弾によるホロコースト」と位置づけ、「犠牲者としてのドイツ」を強調している。 http://www.asahi.com/international/update/0215/TKY201002140323.html (引用ここまで) ドイツ・ドレスデンでつい一週間前にあった、超大型カウンターアクション。
このニュースの後、そんな声をよく耳にしました。 ただ、そこでもあくまで「外国の左翼」なんですよね。 つうか、その単語からして殆ど出て来ない。何か「知る人知る、外国の左翼」程度の扱いみたいになってて。 だけど、YouTube見てれば分かるけど、Antifa動画の再生数半端ないですよ。勿論、動画数も。 ただデモの実況するだけじゃない。(その緊迫感や仕上がり具合もいい映像が多いけど) 日本でのAntifaの注目されなさ。その分かり易い一例。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm4640558 これはYouTubeのAntifa動画でも特に有名なものの一つだけど、ニコ動には、本当にこれ一つしかなかった。 Antifa関連でなら、もっと刺激的な動画、リアルな動画はいくらでもある。そういう海外の「日本にないもの」「ハイテンションな」動画はニコ動のニーズに合わないとも考えにくい。 今回のドレスデン直接行動みたいな時に、「海外のデモ」「海外の反レイシズム」というボキャブラリーで語られるぐらい。 勿論、日本でも反レイシズム、つまり「行動する保守」だの嫌韓だのをどうにかしたいと思っている人達の多くがAntifaの事を知らない訳ではないだろう。むしろ私よりも多く知っているぐらいじゃないか。 だけど、それは「知ってる人達だけのマニアックな知識」に留まっている。 Antifaのスタイル(ファッションだけにあらず)やカルチャー、そういうものを取り入れたいという声も聞かない。実際に、Antifaの日本版を意識した様な行動も見られない。 あえてその事の是非を抜きにして(あえて問題点の数々を無視して)語れば、「あれだけカッコよくて、楽しそうだったら、多くの人が飛び付くよ」と考えてしまう。
それは、ヨーロッパでAntifaやBlackBlocのスタイルが生まれ成長して行く歴史的な連続の間、日本がそう言った歴史から切り離されていた ――多くの人が反国家主義、反ファシズム、反レイシズムから目を背ける事によって。 だから、Antifaについて今、もっと語られた方がいいと思う。 【以下、併せて読みたいページを幾つか紹介。】
こういった物事の上達に趣味性が不可欠であるという視点に立ったとき、ファッションレイシズムが持つ趣味性との強い関係は彼らの勢力を強くする原動力となります。そして、実際にファッションレイシズムは勢力を拡大し、在特会はわずか3年で約7倍の会員増加を果たしました。質的にも先述した朝鮮学校の例のようにどんどん彼らの行為は大胆化しています。私はこういった趣味の特性が与える影響を軽く見る現状に危惧感を感じます。 そして、なにより彼らの差別的な原動や行動が趣味性、つまり楽しいからということとつながっているとしたら、その本質は極めて悪質です。インターネットにありがちなその場の議論に勝つためだけに他人のマナーをけなすベタ論争を私は好まないです。しかし、ファッションレイシズムは趣味性をもととしながらも、まちがいなく趣味と呼べるものではありません。また、この趣味性にもとづくとした私が考えた物語、つまり私の考える背景、上記の議論を無視したところで、彼らがウェブの中や外でまきちらす、ヤクザ紛いの発言や行動にマナーが備わっていないことは明らかです。 私の論はそれが楽しみを求めた結果でもあるとし、それゆえに私の物語の中では彼らの倫理的な悪質性はさらに高まります。基本的には客観的に論を組み立ててきましたが、私個人としては彼らの行動や発言のほとんどすべてに楽しみたいという快楽性が感じられ、それがなににもまして腹立たしく思えるため主観に頼ったこの危惧をこの場に書かせていただきます。 とある在日コリアン大学生の自発的半強制勉強空間 (引用ここまで)
それはいつも同じようにして始まっていく――レイシストのビラやステッカーが地元の溜まり場に現れるか、人々の家に配布されるかする。有色の人々に対する脅迫行為と襲撃がニュースで報道される。地元の高校をぶらつくナチ・スキンヘッドの噂が流れる。クィアに対するバッシング事件が起こる。ヒップホップ小僧やパンクス、反レイシスト・スキンヘッドたちが街頭でナチと争いごとになったと報告する。胡散臭い奴らが反移民キャンペーンを推し進め始める。人種問題をめぐって地元の議論は紛糾し、クランとナチの連中が緊張をエスカレートさせるために集会を計画する。すぐさま、そいつは雪だるま式に膨れ上がっていく:White Powerグループ*1がコンサートを催し、レイシストが立候補し、ナチスキンどもがショーに押しかけ、喧嘩を始める。そして、連中は街頭と青少年に対して影響力を持つ左翼の政治センターに襲撃をかける。圧力が増加していく…反撃の時だ。 リベラルや権威*2どもは君に言うだろう――ファシストなど無視していれば何処かに行ってしまうし、警察がうまく対処してくれるだろう、と。糞ったれだ!問題を無視したからって消え去るわけじゃないし、オマワリがファシストを頻繁に拘束したり、あるいは少なくとも別のやり方を検討しはじめる、てなことはない――それどころか、急進的な連中の相手をさせるために、オマワリは喜んでファシストどもを呼び寄せるだろう。けれども、もしも意見と拳の両方でファシストどもを暴き、抵抗するなら、連中の組織化の努力(浸透工作?)は致命的に弱まるだろうし、打ち負かすことすらできる。 一部の人々はファシストなど取るに足らない二次的な集団であって、誰も真面目に受け取ったりはしないと考えている。もう一度、考えて直してくれ。ネオ・ファシスト運動は瀕死の状態から脱し、新たな活力を得て世界中で強力な復活を遂げている。ここ十年だけで、西ヨーロッパで連中は議席を増やし、幾つかの都市では街頭を奪い取ってきたし、東欧では民族浄化を激化させている。アメリカにおいては、組織化の資金を調達する目的で百万ドル規模のホワイトパワーミュージックとその商業化帝国を築き上げてきたし、世界規模で見れば、彼らは様々なテロ活動に関与している――付け加えれば、これらには地元でのローカルな活動――小規模な組織化や電撃的なプロパガンダ*3、肉体的な襲撃などを含む――はカウントされていない。 社会に根を張った、極右とネオナチどもによる本物の運動が存在しているだ。この運動は多様性に富み、敵対し競合し合う党派を含んでいる――合法派対ならず者たち、大衆組織対リーダーを欠いた細胞組織、白人至上主義者対民族主義者、スーツ野郎対スキンヘッドなど。普段は単にぶらついているだけで、時々、明らかに弱そうな目標に対して襲撃をしかけるような、組織化されていない構成員からなるものもあれば、他方で秘密細胞やフロント組織を使って彼らの目的を達成しようと企む、高度に組織化され本気で社会を変えようとしているものもある。公然と人種差別的な信条を謳い、民族紛争を呼びかける連中もいれば、他方で「文化的遺産」の背後に彼らの動機を覆い隠して、「同胞」への愛と誇りを行動に移すよう主張する連中もいる。彼らの支持基盤には政治家や警官、学者、軍関係者、もしかすると君の隣人すら含まれている。多くの支援者たちは非公然のままで、匿名であることを好むとはいえ情報や資金、その他の援助――銃火器を含む――を提供している。 ファシズムには、今も昔も議論の余地のないレイシストによるテロルと殺人の歴史がある。ファシストを深刻な脅威として扱うことはパラノイアではない―― それは常識的な自衛なのである。小さなファシストグループであっても、彼らの政治的見解を公的な対話の中に押し込み、公衆の意見と議論を右寄りにするのに十分な声となりうる。一度、ファシストが地域を掌握し始めれば、連中は敵対者――アナキストも含まれる――を排除するために暴力のレベルを上昇させるだろう。 肝要なのは、我々の解放的な代替案を向かい合わせることによって、ファシズムに挑戦することである。我々のゴミ屑以下の社会に対して正当にもウンザリしている人々にファシズムは訴えかける。彼らは我々の社会における諸問題――資本主義、家父長制、階級制度――の複雑な根を引き受けるよりも、ファシストの提供する単純でスケープゴート式の解決策を鵜呑みにしがちである。その意味では、ファシストとアナキストは同じ支持基盤を巡って争っているともいえる。両者ともに、既存の社会秩序を土台から掘り崩し、如何にして新しいコミュニティーを作り上げるかについての考え方を提案しようと奮闘している。このことは以下のことを示唆している。即ち、アナキストの組織化を成功させることでのみ、ファシズムは完璧に打ち負かすことができるのである。相互扶助やヒエラルヒーのない信頼関係、文化間の団結、そして草の根の直接行動といったもののメリットを実証することで、我々は人々に揺さぶりをかける必要があるのだ。 しかし、言葉だけでは足りない場合――その時には行動を起こさなければならない。さもなければ、永遠に沈黙した存在になってしまうだろう。 反ファシスト活動は危険な仕事だ。通常の警察による抑圧に対処するだけでなく、ファシストの襲撃――路上や君の家、それにコミュニティ―においても―― をも予期しなければならない。 いかにして君と友人たちはこいつをこなすか?自衛するしかない。背後に気を配れ。自己防衛の訓練をしろ。緊急事態における計画を練り、同志たちを招集できるような危機警報ネットワークを構築しろ。保釈と治療用の資金を用意しておけ。こうしたことは真剣に受け止めるべきだ。ことは生命にかかわる。 基礎的な保安措置は必須だ。この手の仕事をする時には、実名は絶対使ってはならない。電話番号を公表するな。私書箱を使え。君の個人情報が漏洩しないよう注意しろ。オンライン上では素性を明かすな。偽名、暗号、使い捨てのアカウントを使え。君のグループに参加したがっている人間たちの背後関係を洗え。公的な集会や会合に行くときは何時でも、安全を確保できるよう前もって準備しろ。ファシストが現れたり、彼らが襲撃してきた時にどうするかを知っておけ。 反ファシスト活動家であるということは時に準軍事的活動に従事することを意味する。君がもしもこうしたやり方で考える準備をしていないなら、別のプロジェクトを選んだ方がいいだろう。時には、否応なしにファシストと事を構えなければならない時もあるかもしれない。このことは暴力が常に解答であるとか、また彼らに対するギャング的なメンタリティーを我々が採用すべきだとかいったことを意味するわけではない、けれども、現実的にはこの種の活動にあたって軍事訓練は必要となる。
(引用ここまで) ネットは広大とかいう戯言があります。そして、また下層階級は反動になりやすいという戯言があります。けれども、世界はネットより広大です。物理的な空間である地球もまた、すくなくとも日本語ネット環境よりは広大です。
(引用ここまで) (転載ここまで) 「エクストラレポート・ルーム」のbaisemoi_bulletさん、ありがとうございました。 ─────────────────────────────────── 築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。 ■2010-03-17 都知事が拒否権発動してまで強行しようという、底質(ヘドロ)で埋め立てたガス工場跡地の上の生鮮市場
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