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日米密約に関する衆議院外務委員会 (Aobadai Life) http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/789.html
http://ameblo.jp/aobadai0301/
この問題については、まだ自分の中でも十分に整理しきれていないのだが、 いろいろと考えることも多いので、そこを書きたい。 ----- 密約の重要資料、半数破棄か 東郷元局長、衆院委で証言 衆院外務委員会は19日午前、日米間の密約問題を調査するための参考人質疑を行った。元外務省条約局長の東郷和彦氏は、1999年に後任者に引き継いだ核持ち込み密約に関する文書のうち、最重要資料の半数の8点が発表されていないと証言した。鈴木宗男外務委員長は委員会として、破棄の可能性などの調査を検討する意向を示した。 東郷氏によると、在任中に最重要資料16点を含む58点の関連文書を整理。文書の一覧表と対処方針メモのA4判計7枚とともに後任の谷内(やち)正太郎元外務次官に引き継いだ。また、当時北米局長だった藤崎一郎駐米大使にも、一覧表とメモを送付したという。 東郷氏によると、文書は(1)60年の日米安全保障条約改定時(2)68年の小笠原・沖縄返還交渉時(3)74年にラロック米海軍退役少将が米議会で日本への核持ち込みをめぐり証言した際の対応(4)81年のライシャワー元駐日大使の発言を受けた対応(5)90年代――の五つの赤い箱形ファイルにまとめた。発表されていない文書には、小和田恒、丹波実両元条約局長のメモなどが含まれているという。 東郷氏は、引き継いだ文書の行方については「個人的感想から言うと全部は残っていない」と言及。2001年の情報公開法施行の際、「外務省の内情をよく知っている人から関連文書が破棄されたと聞いた」とも述べた。 また、東郷氏は条約局長在任中、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港が「あり得たと思っていた」とした。密約調査の有識者委員会が「密約とは言えない」と位置づけた沖縄の核再持ち込みについては、「密約であると考えている」との見解を示した。 参考人として呼ばれたのは東郷氏のほか、大平正芳元首相の秘書官だった森田一・元運輸相、元毎日新聞記者の西山太吉氏、外務省元事務次官の斉藤邦彦氏。 大平氏の娘婿である森田氏は、大平氏が外相時代の63年にライシャワー駐日大使と会ったころから、「持ち込み」を意味する「イントロダクション」という言葉をつぶやくようになったと振り返った。急死する直前の80年4月には、首相執務室に当時の伊東正義官房長官、加藤紘一官房副長官を集め、「国民にわかってもらえるような何か良い方法はないだろうか」と尋ねるなど、密約解消を検討していた様子を証言した。 また森田氏は旧大蔵省の課長補佐時代、沖縄返還に際して米側が本来支払うはずの土地の原状回復費について「課長の指示で沖縄に出張し、400万ドルという金額を割り出した」とも証言した。 87年から2年間、条約局長を務めた斉藤氏は、核持ち込み密約は日米両国が高度な政治判断を下した結果だとの認識を示した。事務次官時代に首相に密約問題について話をしたことはないと述べ、歴代の首相や外相に説明したとする東郷文彦元北米局長によるメモについては、外務省によって公表されてから読んだと述べた。 沖縄返還時の密約に関する機密電文を特報した西山氏は、沖縄返還時の原状回復費の肩代わりについて、有識者委が「広義の密約」と報告したのに対し、「秘密取り決めのジャンルに入ると認識している」と述べた。 ◇ 【証言の骨子】 ○関連資料58点を後任に引き継いだが、有識者委員会の報告書にすべては出ていない。(東郷和彦氏) ○情報公開法施行を前に関連文書が破棄されたと聞いた。(同) ○条約局長当時、1991年以前には核持ち込みはあり得たと思っていた。(同) ○核持ち込み密約について、大平元首相から「国民にわかってもらえる良い方法はないか」と相談された。(森田一氏)
こういう重要な歴史の資料を破棄した政治家、官僚たちのおろかさである。 当時の首相は森。外務大臣は河野洋平。 そして破棄をしただろう条約局長は、 小泉、安倍政権時代の事務次官である谷内正太郎である。 それにしても、こうした当事者たちの、なんという浅はかで、愚かなことか。 密約そのものの存在もそうだが、 どういう思いで、先人たちが築いてきた歴史や、後世に対する責任感を感じていたのか。 谷内が、若い頃に師事したという国際政治学者の若泉洋である。 つまり、佐藤内閣で首相の密使として、沖縄返還交渉に携わって、 密約に応じ、そのことに、ずっと責任を感じ続けて、 「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で、密約の交渉過程を明らかにし、 毎年、沖縄の戦没者墓地に赴き、最後には、責任を感じ、予告どおり、自殺をした若泉洋。 その若泉の思いを考えただけでも、弟子にあたる谷内は、 一人の人間として、いったい何を考えて、証拠資料の破棄という愚行に手を染めたのか。 なんとも、いいしれぬ無念さが残る。 大平首相は、密約の存在の公表を急死する直前に真剣に考えていたという。 また、昨日、委員会に出席した大平首相の秘書官だった森田氏は、 --- 故大平氏に言われて付けた日記には、田中内閣で外相に就任する際の状況について「外相を兼任することとした。(非核三原則を二・五原則化する)核問題に決着をつけるためだ」、「田中(角栄)首相はこの問題を処理して退陣する決意を固めているようだ」などと書かれてあった。 ---- つまり、自民党の政治家の中でも、 国民主権の大原則の中で、こういう問題を公にすることを検討していた政治家がいたわけだ。 その角栄は、ロッキード事件でアメリカのキッシンジャーと、検察に嵌められ失脚し、 大平首相は、まさかの急死ということになる。 どうも大平首相の急死も、また暗殺ではないかと、疑ってしまう。 本当に、きちんと、戦後のアメリカによる日本の間接統治や、CIAの暗躍については、 いったい何が行われていたのか、ということを、検証しなければいけない。 そういう疑った目でみると、沖縄でサミットを実現させた小渕首相も急死し、 その後を継いだ森内閣の時に、密約文書は破棄されていたということ。 これもそういう疑いの目でみようと思えば見える。 いったい、アメリカによる日本の間接統治の根本中枢はどうなっているのだろうか。 いまだに日本は、普天間基地の問題の対応をみても、 あれだけ鳩山首相が意欲をみせて、岡田外相も真剣に検討しても、 結局、県外移設は難しいという方向性になっている。 マスコミは、もともと正力松太郎自体が、CIAのエージェントであったわけだが、 アメリカの御用報道機関としての色彩をますます強め、 政治家も官僚もマスコミも、アメリカへの売国奴だらけになっている。 90年代、冷戦が終わってから、アメリカは、 経済大国となった日本に対して、年次改革要望書をつきつけ、 イラク戦争においては傀儡政権であった小泉内閣に、 その戦費調達のための国債を買わせつづけてきたが、 なんだか、まだ佐藤内閣や、田中、大平といった時代の政治家や、官僚は、 それでも、アメリカの属国という状況の中で、日本の国益を真剣に考えていたように思うが、 90年代以降、とくに2000年代に入ってからの政治家、官僚というのは、 もう完全に売国奴と化して、自らの保身のために、 国益を売り渡すようなマネをしているようにさえ思う。 まあ、要するに、 なんだかんだ言っても、日本が、アメリカ軍の駐留を許しつづけ、 憲法にも自衛権について規定されないような半人前の国家の状態がつづいている限り、 日本は、アメリカの属国であるという基本構造は、21世紀になっても残ったままなんだろう。 自前の防衛力をきちんと持たないかぎり、日本が独立することはやはり無理だと考える。
毎日新聞の元記者の西山記者は昨日の参考人招致で、実に本質をついた見事な発言をされている。 「公平なる裁き、法の下の平等、その原則が完全に破られてしまった。 本来、裁かれてしかるべき者が全く裁かれずに今まできている」 「日本の構造や日本全体を覆っているグレードの低さが問題。 司法も政府権力もマスコミも。 そして主権者の政治意識も全部その中に入ってくる」 「密約は氷山の一角。日本は78年から米軍思いやり予算を払っているが、 実際は72年の(基地施設関連の)6500万ドルから始まった。 最も国民が知らなくてはいけない最大の密約」 この問題については、今の日本がいったいどこにいるのかを知る上で、 根本的なところにある話なので、われわれもちゃんと考えていきたい。
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