10. 2010年11月21日 14:58:49: N9AKGzLlBY
>>08 私は先の07の人ではありませんが、一応それぞれの理由であろうところを補足させていただきます。まず、『地球温暖化対策基本法案』ですが、これは明らかに日本外交の失策から来た問題法案です。 エコそのものに反対する趣旨はありませんが、そもそも日本は、皆さんが思う遥か前からエコ大国だったりします。 1990年を基準年にしたのは京都議定書だったかと記憶していますが、日本はこの時点で各分野で能率化の一貫であるエコが推進されていました。平たく言えば低燃費とかそこら辺です。 しかし、その頃はまだ各国はエネルギーなど気にしてもおらず、大量消費の時代でした。 つまり最初からスタートが違うわけです。 加えて、エコを推進しエネルギーに制限を掛けるというのは、企業的には厳しい運営を迫られることでもあります。対策は最先端だけにお金がかかり、しかし商品にその分を担保すれば市場で負けますから当然です。 無論、エコはするべきかと思いますが、すでにエコであった日本よりもいかにして海外に広めるかが本来ならば問題になるところであり、この法案は地球の温暖化に対して真剣に考えた物とは到底思えません。 よって、嫌う人が多くなっているという事情があるかと思います。 次に『外国人住民基本法案』ですが、これって要するにどんな国の人であれ日本で一定期間すんだら日本人だ、というものです。 当然、扱いも全て日本人と同じになるわけで、その中にはインフラや保障、参政権等も全て含まれます。 ところが、日本にはすでに生活保護を求めてのみ入国する人間が後を絶たない状況になっており、これだけで日本政府の支出は1兆円にも上ります。 当然、その対象者が一気に跳ね上がるのであれば、その分だけ予算を食うようになりますし、お金がないとなれば増税ということになります。 平たく言えば『日本に来れば日本人が衣食住全ての面倒を見てあげますよ』と外国人に訴えている、と海外から受け止められるのがこの法案です。 危険性はこれだけでも充分ですが、加えて『参政権』が問題になります。 これには当然『国政』が含まれるわけですが、すると日本はいきなり多民族国家の様相を呈します。 結構なことじゃないか、と思う人もいるでしょうが、ちょっと来ただけの人が日本の国会議員になった場合、その人が日本の為を思って政治をしてくれるとは思えないのは私だけでしょうか? この危険性については、日本人全員が奴隷同然にされる危険性を非常に大きく孕みますが、言及すると切がないためこれで納得してください。 で、3つ目の『国籍選択制度廃止、重国籍容認、複国籍容認』ですが、これが先に述べた『参政権』の問題を丸々孕むのは言うまでもありません。 それだけで充分危険法案ですが如何でしょうか。 ついでに、『他国の国籍を持つ』ということは、その国の義務を負うということでもあります。 何も知らない親は、うっかり息子に外国の兵役を課したりすることになるわけですが、ここら辺も問題は大きそうです。 ようやくラストの『夫婦・親子別姓』です。 これについては、多分に精神的・文化的な背景ですので、納得いかないという方が多数出るのも承知の上ですが、無根拠ではないので述べておきます。 一言で言えば、これは『家族』という単位の弱体化を確実に実行する法案です。 それは、互いへの親近感や責任を希薄にするという意味も孕みますが、長期的な意味合いの大きい物であり、すぐにどうこうといことでは問題が小さくなりそうですから『問題なし』と考える人も多いかと思います。 しかし、似た事例が過去にもありますので以下に示します。 基本的に結婚というのは、古くは家と家のものであり、現代は当事者2人の物となっています。 これらのどちらが良いかを判断するのは、私の役ではありませんので割愛しますが、両者には利点と不利点が当然ありました。 家と家の時代においては、家族は『大家族』が普通となります。つまり子供にとっては祖父母との同居となるわけです。 これは子育てや教育において、過去から非常に大きな意味を持ってきましたし、歴史や価値観、経験の継承においても大きな効果を見せてきました。 加えて、人間関係が複雑にならざるを得ないこの環境は、複雑な人間関係への調整能力や、いわゆる『空気を読む』という能力の発展に寄与しました。(日本国内の価値観なので、海外の公の場に行く人はそこを弁えなくてはなりませんが) 更に、負担を分担することによる相互協力や一体感の醸成など、その効果は多岐に渡ります。 一方で、結婚が当事者同士のものになった時に起きたのが、『核家族』化です。 これは、自分達の親と別居をするわけですから、当事者たちは『自由』を手に入れるという利点がありました。 何かをするときの選択の幅が広がれば、良い効果を生むこともありますし、最新の価値観を取り入れ(それが良いかは別問題ですが・・・・・・)それに沿った子育てをすることができるようになりました。 問題は当然、『大家族』の反対の事柄が出てきます。 ついでに、現在の状況は『共働き』が多いですから、子供をどうしても放っておくしかないという現実問題も非常に大きい物があります。 託児所で解消するのは『子供の安全』であって、それが教育に別段寄与する物ではないのは言うまでもありませんから、親はその分だけ(子供に能力を求めるのであれば)細心の注意を払う必要性があります。 平たく言えば、自由を得た変わりに爆弾も抱えた、というのが正しいでしょうか。 『鳥は自由に飛び続けるためには、必死に羽ばたき続けなければならない』と言ったところで、これは当然の義務なので不利点に挙げるのも変な話なのですが・・・・・・ 最大の問題は、『そういった自覚が非常に薄い親が多いこと』となります。 さて、夫婦別姓は、この核家族を更に自由奔放というか、何でもありにしたものです。 ここまで来るとルール無用という状況になってしまいますので、個人的には長期視点では非常に危険と断じざるを得ません。 例えば、子供の姓は両方を名乗るわけには行きません。 では、自分の姓を名乗ってもらえない親は、その子供にいつまでも親の自覚を持ち続けることが出来るのか、というそのレベルから問題が発生し始めます。 『今は』大丈夫な気が私にもしますが、これを次の世代にも求めるのは危険極まる行為です。何せそれが『当然』なのですから、それこそ『親としての自覚が薄い』という現代でも問題になっている事象に輪をかける危険性があります。 夫婦レベルにおいても同様の問題は発生しますが、所詮は他人という自覚が常に意識し易いところにあるというのは、夫婦においても非常に危険なことと見ることが出来ます。 一つの姓にあわせるというのは、言ってみれば目に見え易い物で自覚し易いというわけです。 目に見え易いことの重要性は、宗教が偶像崇拝を禁じても、結局はそこから離れることが出来なかった人類の歴史が雄弁に語ります。 つまり、『常に自覚を持ち続ける』ことそのものが、言ってみれば見えない義務になるわけですが、これを出来る人が大勢いるとは到底思えません。 夫婦別姓の危険性は、精神的、文化的なものですから、このほかにも挙げれば枚挙に暇がありませんが、ともあれ危険性を孕むものであることは事実かと考えます。 以上、上記4つの法案だけですが、反対意見が強いのはここら辺に起因する物があるのではないかと。 無論、ここで書いた以外ににも危険性は様々なので、他の意見から危険性を訴える人がいることとも思いますが・・・・・・ なお、推測以外に具体的なデータを求めるのであれば、外国人を受け入れを行ったオランダなどが、その後どのように乱れていったかを参照されると分かり易く思います。 今でも安定してはいますが、受入前と後では明らかに大きく悪い方へ変化しました。 ここでは、『誰が見ても明らかに悪い方に変わった』と言い切れる変化だったと判断するほどの変化だったため、あえて言い切らせて頂きたいと思います。
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