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【鳩山政権六ヵ月考】れんだいこのカンテラ時評685・・・ http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/560.html
http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain れんだいこのカンテラ時評685 れんだいこ 2010/03/16 20:17 2010.3.16日、鳩山政権は発足後六か月を経過した。当初の期待感が薄れ、次第に失望が広がりつつある。マスコミは、支持率低下の要因に「政治とカネの問題」を挙げ、「小沢降ろし」のネタにし続けている。れんだいこは違うと考えている。鳩山政権は確かに人心離れを起こしつつあるが、その理由は、政権交代論の中で打ち上げた数々の公約に対する裏切りが原因だと考えている。試しに、これをネットゴングして見れば良い。どちらに軍配が上がるだろうか。 民主党内の「親小沢対反小沢、非小沢の対立」を論(あげつら)うのは良い。確かにこの問題が存在する。しかれども、反小沢にシフトして小沢パッシングを煽るマスコミ論調は凡庸の極みだと考えている。反小沢グループの筆頭は前原国交相であるが、この御仁を持ちあげ、返す刀で小沢をパッシングし続けるのは為にするもので、外資派の策略プロパガンダだと思っている。 この連中は今、憲法改正、消費税第二次値上げ、自衛隊の海外派兵、米軍基地に対する更なる思いやり予算の計上、国家枢要事業の民営化、民族資本系優良企業の乗っ取り、地検特捜部の暗躍、著作権漬け等々を策し続けている。国際金融資本帝国主義の仰せのままに御用聞きすることで、権力の甘い蜜を吸い続けている。「この連中の政治とカネの問題」が問われることはない。問われるのはいつも内資派のそれである。 鳩山政権は、この問題に対する全く無能な対応に終始している。国民の失望は、これと共に生まれており、鳩山政権支持率低下の真の要因となっている。その意味で、鳩山政権の真価が問われようとしている。鳩山首相は、政権内の「親小沢対反小沢、非小沢の対立」をどう御すのだろうか。ここが見どころとなっていると考える。 鳩山首相は、昨年11月、オバマ米大統領との首脳会談で「プリーズ・トラスト・ミー(私を信頼してほしい)」と発している。その真意を廻って様々な憶測が生まれている。直接的には、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関しての「プリーズ・トラスト・ミー」であるが、オバマ政権との蜜月的な「プリーズ・トラスト・ミー」であるように思える。この鳩山首相に、日本国民に向けて「プリーズ・トラスト・ミー」と言わさねば政権交代の意味はない。鳩山首相は、いつになったら我々に「プリーズ・トラスト・ミー」と胸を張ってくれるのだろうか。 鳩山政治は優柔不断の八方美人タイプと云うより得体の知れないヌエ的なところがある。愚昧な評論家は、鳩山に小沢を切るよう具申して悦に浸っているが、云うべきは逆であろう。れんだいこは、鳩山に前原切りを具申したい。ところが、系譜的に見て鳩山は前原に近い。その鳩山が前原を切る訳がなかろう。となると、鳩山が、前原の外資派政策をどこまでいつまで野放しにするのかというところに興味が移ることになる。その度合いに応じて鳩山政権は人心から離れ、小沢側にシフトする度合いに応じて期待値を増すことになるだろう。 早い話が、れんだいこは既に何度も発信しているが、高速道路の無料化マニュフェストの骨抜きを許してはならない。前原政策に従うと、元々経済振興策として打ち出された高速道路の無料化が最も経済効果が薄い形で施行されることになる。こういう風に捻じ曲げられ施行されると、他のマニュフェストに対する期待然りで大いなる失望を与え、政権交代の値打ちそのものを取り返しのつかない形で毀損してしまうであろう。 万人一律の育児手当が施行されそうな動きを見せている。これもオカシイ。大盤振る舞いの結果は、消費税第二次値上げの呼び水になるだろう。れんだいこは早くより、奨学資金制に準じた申請制にせよと提案している。何事も無償給付ほど高くつくものはない。必要な者に国家が貸付け、ある時払いの催促なしにすれば良い。厳として貸し付けにすべきだと思う。こうすれば予算も現行予算より大幅に節約できるだろう。 こういうことは普通に考えられることである。それなのに敢えて混乱を持ち込む鳩山政権の真意を疑惑せねばなるまい。れんだいこには、この国を破綻させるシナリオに基づく迎合政策としか映らない。これらの総決算としてまもなく米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題が期限を迎える。鳩山首相は、国家財政逼迫の折柄、米軍基地移転費用を賄う余裕はないとする立場から米軍再編を見守る政策を打ち出せるだろうか。既定方針の名護市海上案ないしは内陸案に決めて数兆円もの出費をするとしたら、そういう内閣は即刻打倒せねばならないだろう。 社民党もオカシイ。なんで反戦平和の社民党が基地移転のあちこち世話取りまでせねばならんのか。全く狂っているとしか言いようがない。恐らく何でも反対はダメ、対案を示せ要請の結果の動きと思われる。それはその通りであるが世の中には例外もある。対案を示さなくても良い場合がある。そういう場合に対案に奔走し、対案を示さねばならない時に万年野党式反対の裏取引専門に耽るのを本末転倒ずっこけと云う。 こういう関心をもって今しばらく見守ることにする。 2010.03.16日 れんだいこ拝
2010.3.11日、田中角栄の心友にして「越山会の女王」と評されていた佐藤昭子(さとう・あきこ)さんが都内の病院で心不全で逝去した(享年81歳)。告別式(喪主・長女敦子)は近親者で済ませた。長年にわたって田中角栄の政治団体「越山会」の会計責任者として金庫番を務め、金脈事件、ロッキード事件後も一貫して角栄を補佐し続け、政界の女鏡とも云える生き様を遺した。ここに、その佐藤昭女史を称賛し追悼する。 訃報(ふほう)に接して、次のような懐旧が伝えられている。小沢民主党幹事長は病院に駆けつけ、亡きがらを前に「ママ、長い間お世話になったね」と涙を流した。田中派の元参院議員山口淑子(90)は、「田中事務所に行くと、議員から『佐藤ママ』と呼ばれて慕われていた。気っぷが良く、久しぶりに声を聞きたいと思っていたのに本当に残念」と話した。かって越山会の青年部長を務めた自民党県連会長の星野伊佐夫県議(70)は、「会館に出向くと、いつも佐藤さんが手際よく仕事をこなしており、事務所の中心的人物で派閥を束ねる存在だった」と振り返った。田中元首相の地元秘書だった長岡市の丸山幸好さん(77)は、「後輩秘書にも優しかった。当時の先輩秘書が次々と亡くなり、寂しい」としみじみと語った云々。 以下、佐藤昭の角栄に纏わる伝説を確認しておく。 角栄は翌年4月の総選挙で初当選を果たした。昭は婚約者と結婚し、夫妻は角栄を頼って上京した。だが二人の結婚生活は長続きしなかった。夫の浮気と借金が原因だったという。離婚を聞きつけて「俺の秘書にならないか」と角栄が誘ったのが二人の政界行脚の始まりとなった。1952(昭和27).2月のことだった。佐藤昭はやがて越山会の会計責任者即ち金庫番となる。よほど有能にして信用され親しくもなったということであろう。 ロッキード事件での角栄の検事調書は次のように記している(佐藤昭子の「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」より)。 「越山会を始めとする私の政治団体を含め砂防会館、関係事務所の事務を取り仕切っているのが佐藤昭君です。彼女は私と同郷の柏崎の生まれで、昭和21年、私が始めて衆議院選挙に立候補した際に、その事務を手伝ってくれ、昭和36年から越山会の事務を引き受け、今日に至っております。彼女は関西財政経済研究会の会計責任者となっておりますが、事実上は砂防会館や関係事務所の総括責任者と申しても過言ではありません。彼女は法律的にも制度的にも責任があるというわけではありませんが、勤務経歴が古く、生き字引のような存在なので、自然右のような立場となっておるものです」。 1961(昭和36).7.18日、角栄は政調会長に就任した。「私の田中角栄日記」は次のように記している。「当選回数を重ねれば、誰でもいずれ大臣のイスに座れる。しかし、党三役になると話は別だ。(略)たとえ田中が大臣を1回か2回やるだけで終わる平凡な政治家であったとしても、秘書を辞めないであろう。けれど、この人は絶対に大物政治家になる。私がどこまでも一緒に走り続けなければいけないという気持ちに変わったのは、政調会長になってからだ」。「田中の頭の中は、すでに王道を歩むという気持ちが戦略的にあった。国対委員長をやらないかという話は、これまで何回も来ていて、なろうと思えばいつでもできた。しかし、田中は『党7役にはならない』といって、ずっと断り続けた。(略)政治団体を作ったのも田中の長期戦略の一つだった」。 佐藤昭は角栄の天下取りに一蓮托生し、角栄を裏から扶翼し続けた。秘書軍団と共に田中派を陰で支え束ね役を引き受けた。当時、田中派の中堅だった小沢一郎らは「ママ」と呼び慕っていた。 角栄と佐藤昭を廻る別れ話譚が次のように伝えられている。 「『日本列島改造論』を書き上げることに尽力した麓邦明と早坂茂三秘書は、その後『オヤジ、小佐野さんと佐藤昭さんを、この際切ってください』と談判している。小佐野は政商として、佐藤は金庫番として、これまで田中と奥深くまで繋がっていたが、首相となった時点で田中政権のアキレス腱になることを憂えたからであった。田中は涙を流しながら次のように語った。『もう俺についてこれないということだな。お前達の言うことは良く分かる。しかしな、この俺が長年の友人であり自分を助けてくれた人間を、これからの自分に都合が悪いというだけの理由で切ることができると思うか。自分に非情さがないのはわかっている。だが、それは俺の問題だ。自分で責任を持つ。責めは自分で負う』。早坂は了承し、麓は去った」。 この言につき、れんだいこは思う。惚れ惚れさせられる角栄の侠気ではなかろうか。角栄と小佐野、角栄と佐藤昭との余人を持って代え難い信頼関係のほどが透けて見えてこよう。感嘆すべきは、これに応える佐藤昭のロッキード事件で角栄が満身創痍になろうとも終生変わらず支え称賛し続けた侠気であろう。 その後の角栄は天下盗り階段を順調に登り詰め、1971年、ポスト佐藤の自民党総裁の座を福田、大平、三木と争い、これに勝利し首相に就任した。田中政権の履歴は別途考察するのでここでは略す。 「私の田中角栄日記」は次のように記している。「あの、総裁戦で勝利した時の田中の堂々たる姿。あんないい顔はなかった。そして稚気あふれた人間田中角栄の顔。ホールインワンをした時の子供のような笑顔。親しい人が来ると1日4ラウンドもした自分のゴルフスコアをメモにして見せる得意そうな顔。秘書相手に将棋をやっている時、相手の駒を取ってニコニコしている顔。そのすべてを、私は好きだった」。 この佐藤昭が世に知られるようになったのはルポライター児玉氏による。当時、児玉は女性週刊誌の編集長代理だったが、佐藤昭に執拗な取材を続け、文芸春秋1974.11月号に立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と並んで「淋しき越山会の女王」を発表し角栄を撃った。政治家の下半身は記事にしないと云うのがそれまでの政治記者の不文律だったが、それが政治生命を左右するまでになった嚆矢がこの児玉の記事となった趣がある。1979(昭和54)年、佐藤は、「それに対してのささやかなレジスタンスのつもり」で佐藤昭から昭子へ改名している。 佐藤は、「私の田中角栄日記』(新潮45 1994.11月号)で、次のように記した日記を公開している。「昭和49年10月10日(木)晴 『田中角栄研究〜その金脈と人脈』を掲載した『文芸春秋』11月号が発売。ゲラの段階で記事を読み、怒りがこみあげる。田中は総理という公人だ。金脈だか人脈だかを追及されても仕方ない面もある。ところが、大変なおまけがついている。『淋しき越山会の女王』という記事。なぜ私のことまで書かれなければならないのか。個人のプライバシ−も何もない。児玉隆也なるライタ−、会ったことも聞いたこともない。ただ田中を蹴落とすために私を引き合いに出すとは、マスコミの卑怯さに腹がたつ。ただ娘がかわいそう」。 その後の角栄は金脈問題に揺れ、政権を辞任、蟄居を余儀なくされた。但し、その能力を惜しむもの多く、政界に隠然とした力を保持し続けていた。そこへ、1976.2月、ロッキード事件がお見舞いされた。以降、角栄は、ロッキード事件公判にはがい締めされ、佐藤昭の献身的な精神的支えが続いた。 「私の田中角栄日記」は、角栄のロッキード事件観を次のように記している。「この裁判には日本国総理大臣の尊厳がかかっている。冤罪を晴らせなかったら俺は死んでも死にきれない。誰が何と云ってもいい。百年戦争になっても俺は闘う」。 佐藤昭のもう一つの著作「田中角栄ー私が最後に伝えないこと」は、角栄のロッキード裁判観を次のように記している。「田中は終生疑惑を否定した。『一銭も貰っていない』と。長期裁判も覚悟の上、元総理の名誉に於いて『5億円授受否認』を争ったのである。田中は誇りの高い党人政治家であり、外国のエージェントからカネを貰うことなど絶対に有り得なく、田中の言葉にこそ真実がある、と私は考えている」。 これらによると、角栄は、ロッキード事件に於ける5億円収賄は冤罪であると明瞭に語り、故に徹底的に闘うとしていたことになる。今日に於いても諸説あるところであるが、れんだいこは、本人のこの観点に立って解析することが真相に迫る道筋であると思っている。冤罪的刑事事件の場合に被疑者の側から見ることが常に正しいという保証はないが、ロッキード事件の場合には被疑者角栄の側から見るほうが正しく見えると思っている。 1985.2月、角栄が脳梗塞で倒れた。その後、角栄の跡目を相続した娘の田中真紀子は角栄政治の清算に向かい、田中派事務所を閉鎖した。佐藤昭は秘書の早坂茂三と共に解雇された。その後、政治団体「政経調査会」を主宰し、角栄派チルドレンの相談相手として隠然とした影響力を保持し続けた。 1994年、「決定版 私の田中角栄日記」(新潮社)を著す。 2005年、雑誌「経済界」に「田中角栄。今、在りせば」と題して連載している。9.27日号は、時の小泉政権の政治を次のように批判している。 「今回の小泉さんのやり方には本当に疑問を感じる。民主主義とはプロセスであり手法である。この原則は、一法案の成否などよりはるかに優先、尊重されるべきものだ。わが国は代議制民主主義をとっている。国民が直接に小泉首相を選んだのではない。国民が選んだ国会議員が小泉首相を選んだのである。独りよがりの解散は国民を愚弄するものだ」、「田中角栄の秘書として三十三年間ともに歩んできた私からすると、小泉さんはかつての「角福戦争」の延長上に存在しているとしか思えない。あの総裁選挙で福田赳夫さんが敗れ、田中が総理大臣になって以来、小泉さんは田中憎し一筋だったのではないか。総理になると、旧田中派潰しと、自身が所属する森派(旧福田派)の勢力拡大に懸命になってきた。(中略)憲政の常道から外れ、覇道を歩む小泉さんには、草葉の陰で福田さんも泣いているのではないだろうか」。 2005.12月、「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」(経済界)を著す。 佐藤昭が逝き、生の角栄を語れる者が次第に少なくなる。れんだいこ的には、関係者はもっと精力的に語っておくべきではなかろうか。現下の貧困な政治を思うにつき、角栄を語ることが滋養強壮になるのではなかろうか。 2010.3.14日 れんだいこ拝
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