投稿者 みちばたの蝶 日時 2010 年 3 月 16 日 09:51:51: JxOH7lIi5LSzQ
ある種の「悲しさ」への共感に心ふるわせられる思いです。
転載させてもらいます。
http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/0bfeaad753f9372ce973a784a398d800
小沢一郎への想恋歌
2009年03月04日 23時11分07秒 | Weblog
小沢一郎という政治家は、悲運を属性にしている男ではないか。
そう思ったのは、
今から十数年前、
細川連立内閣が突然瓦解した時だった。
政治理念よりも自分の立場や権利を重視する人たちのつまらない思惑によって、<理念の実現>という闘いの結晶が崩れていくのを眺めながら、
この男は、いま、どんなに口惜しいのだろうか、
と思った。
あの時、
世界の変革の本質にまるで無自覚だった旧社会党の代議士たちと、
我欲だけで動き回って、当時一等高級だった保守理念を泥まみれにした武村正義とかいう代議士だけは、
今思い出しても反吐が出そうになる。
公明党や欲得勘定だけの自民党離脱組などは、論外だ。
僕は、その直後から、政治などという大仰な世界とは全く無縁な男になり、
特に、歌舞伎町に身を沈めている間は、
世間の動向などに関心を持たなくなった。
馬鹿な国民だらけの日本国家なんかどうにでもなればいい。
日本国家よりも、歓楽街に潜むオーバーステイのクラブホステスの涙の方が、よっぽど重い。
本心からそう思って生きた。
ただ、
時折、日本社会のニュースに接するとき、
小沢一郎は、今、何をしているのだろうか、彼は何を考えながら政治にたずさわっているのだろうか、
と思った。
僕がこの日記を書き始めたのは、小沢民主党が参院選で勝利する直前だった。
小沢民主党が勝利した後からでは、何でも適当なことが書ける。
まだ勝利が見えていない時期にきちんと公言おくべきだ、
と考え、
2007年7月29日の日記に、
「彼が政治を見る眼は曇っていない」
「小沢一郎がいなくなったら、日本の保守政治はおしまいだな、と思ってきた」
と書いた。
今もそう思っている。
印象批評のような、あるいは芸能人へのファン投票のような浅い認識で政治が議論されるこの国において、
悪党面の小沢一郎たった一人が、不器用きわまりない表現で、<保守政治理念>を語り続けてきた。
しかし、
彼の言葉はいつも、マスコミや旧左翼、あるいは天敵自民党によって、曲解報道され、彼の真意が国民に伝わることはなかった。
つまり、
彼は孤独を生きてきた。
最近の世論調査で、「首相にふさわしい人」で、小沢一郎が一位になったと聞いた時、
一番苦笑しているのは当の小沢一郎ではないか、
と笑った。
僕が、小沢一郎のどこを一番評価するのか、と言えば、
それは、
彼が、「政治家に下りていった人間」だからだ。
多くの政治家たちは、「政治家に昇っていこう」とする。
吉田茂だって、田中角栄だって、小泉純一郎だって、結局は、政治家に上昇していこうとした人間ばかりだ。
戦後、そういう上昇志向を棄てて、政治家に<下降>していこうとしたのは、小沢一郎ただ一人だった、と僕は理解している。
この点について、きちんと書こうとするとかなりの注釈が必要となるんので、省略する。
彼と同質の匂いを放っている人物を探すとしたら、
おそらく、明治期の西郷隆盛だろう。
西郷もまた、政治的リアリストの立場から、国家理想を語る場所に<下降>しようとした人間だった。
それがわかるから、江藤淳は、小沢一郎を高く評価し、孤立無援になっていた小沢一郎に、
産経新聞の一面を使ってまで、
「一度水沢に帰って隠遁しろ」
と書いた。
江藤淳は、その卓越した文学的嗅覚で、小沢から離れることのない悲運の匂いをも嗅ぎ取っていたのではないか。
僕には、そう思えてならない。
東京都知事石原慎太郎が、
自分は、盟友江藤淳がなぜあんなに小沢一郎を高く評価するのかがわからない、
と書いていたのを読んだ時、
上昇志向を生きてきたお前にはわからないだろうな、
と思った。
政治家を、<下りていく職業>と規定する生き方は、そんな発想を持ったこともない多くの日本人から理解されようもない。
しかし、
小沢一郎は、
それを自分に課し、愚痴もこぼさずに、一歩一歩着実に歩いてきた、ように思う。
そして、今回の事件だ。
これまで日本国家を支配してきた<自民党的>なるものが、最後の力を結集して、小沢一郎を撃ちに向かったのだ。
生死をかけた政治闘争は熾烈なものだから、法を手中にした側の力によって、小沢一郎は無傷では済まなくなるかもしれない。
ただ、
今日、NHKニュースを見ていて、
この最後決戦は、<自民党的>なるものが望むような結果には、すんなりとならないのではないか、
という印象を受けた。
小沢の反論に納得賛成する声があり、唐突な逮捕・強制捜査に、政治的策略の匂いを嗅ぎ取った国民も大勢いる。
つまり、
あっさり潰すには、小沢一郎という存在は、大きすぎる存在になっている。
しかし、
今回無傷で終わったとしても、小沢一郎なる政治家は、政治家という畳の上で大往生できる男ではなく、非業の末路を迎えるのではないか、という気がしてならない。
ただ、
僕たちには、
それが彼の悲運に見えるのだが、
おそらく、
それこそが、
彼が夢見てきた「政治家の生き様」であり、最大の勲章であるのかもしれない。
だから、
もし、
まだ、
僕がこの世にいたならば、
彼が政治から退く最後の場面で、僕なりの大拍手を捧げたい、と思っている。
今はまだ負けるな。小沢一郎。
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