04. 2010年3月12日 14:15:01 >03 本題からずれて申し訳ないですが、 「馬鹿でもチョンでも」も諸説あるようです。以下コピペ http://kan-chan.stbbs.net/word/pc/chon.html 馬鹿でもちょんでも 朝鮮人説は根拠薄し さて、「馬鹿でもちょんでも」あるいは短縮して「バカチョン」という表現だが、この「ちょん」は朝鮮人を指すのだという人もいれば、そうでないと言う人もいる。 「ちょん」という言葉は朝鮮人とは関係ない、「馬鹿」という意味で古くから使われていたことは、どうやら事実のようである。また、「馬鹿でもちょんでも」の用例としてよく引き合いに出されるのが、日本の韓国併合のずっと以前、明治3〜9年(1870〜76)に出た「西洋道中膝栗毛」[*1]であるが、「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」という表現で出ており、「ばか」「のろま」と並列して書かれていることから考えても、この「ちょん」は元々、「馬鹿」というだけの意味であった可能性が高い。 しかし後の時代になって、朝鮮人をあざける「チョン公」や「チョン」と、「バカでもチョンでも」の「チョン」が混同されるようになったのではないだろうか。そもそも、朝鮮人の蔑称として「チョン公」とか「チョン」と呼ぶようになったのは、まだまだ歴史が浅いのでは、という疑問があるが、まだ調査不十分ゆえ仮説の域を出ない。更なる証拠を求めて現在調査中である。 「バカチョンカメラ」という言葉について言うなら、「馬鹿でもちょんでも」使えるカメラという語源が定説かと思われる。一説によると、英語で同じ意味のvacation camera(いつでもどこでも気軽に行楽に使えるカメラという意味)を和訳する時、単に「バケーションカメラ」と音訳するのではなく、「馬鹿でもちょんでも」と引っ掛けて「バカチョンカメラ」としたという。語源には様々な説があり、「バカでもチョンと押せば写せるカメラ」の略であるという説もあるが、この説は根拠が薄いかもしれない。 これは俗語なので、昔から辞書には載ってないし活字で見る事はあまりない言葉であって、私は小学時代知らなかったのを思い出す。1986,7年頃だと思うが、私が父から借りたカメラ(昔懐かしのOLYMPUS PEN)を母がバカチョンカメラと呼んでいるのを聞いて、バカチョンカメラって何?と聞いたのが、その語に初めて接した時だった。馬鹿でもちょんでも、つまり誰にでも簡単に使えるカメラの意味だということだったが、その「ちょん」は朝鮮人の意味だとは言っていなかった。しかし、当時から母は人種差別には断固反対だったから、もし本当に朝鮮人の意味が含まれていることを知っていたのなら、決して使ってなかったはずだろうと思う。 それ以降気を付けてみると、「バカチョンカメラ」という言葉はよく使われる言葉で、ただ私が知らなかっただけだと気付かされた。しかしこの言葉、言葉狩りされる以前に使っていた人のほとんどは、「チョン」の意味などほとんど気にせず使っていたのは確かだと思う。他の人に語源を聞いても、「バカ+チョン+カメラ」というより、「馬鹿でもちょんでも」という慣用句に、プラス「カメラ」という意識だった。 バカチョンカメラのチョンは朝鮮人の蔑称から来ているという話を聞いたのは、その数年後のことで、この怪しげな説をみんな鵜呑みにしたせいか、以来この言葉はあまり聞かなくなってしまったように思う。 [*1]「東海道中膝栗毛」と間違えないように(私も以前間違えて書いたことがあります)。東海道中膝栗毛のパロディで弥次さん北さんと同名の孫がロンドンの万国博覧会に行くという内容の本らしいです。 |