投稿者 のんぽり 日時 2010 年 3 月 09 日 19:21:28: 7p9CCripgLT3w
2010.03.09 Tuesday 政党政治の危機と脱小沢という課題 Posted by 山口二郎
1 検察と小沢の権力闘争をどう見るか
先日、アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」という映画を見た。第二次世界大戦勃発時にナチスドイツとスターリンのソ連に引き裂かれたポーランドの悲劇を描いた作品である。この映画を今の日本の政治状況に重ね合わせるのは、作者に対する冒涜かもしれない。しかし、二つの、邪悪とは言わないまでも、巨大な権力の狭間で翻弄されている日本の民主政治とワイダの描くポーランドが、私には二重写しに見えた。日本の民主政治は昨年の政権交代によってようやく本格的に動き出した。その矢先に、「どっちもどっち」という二つの権力の闘争に巻き込まれて、民主政治が立ちすくんでいる。
通常国会開幕直前に、石川知裕衆議院議員など小沢一郎幹事長の関係者が逮捕されたことで、政治論議は必然的に資金問題をめぐる小沢と検察の戦いに集中することとなった。政権交代による日本政治の変革、政策の転換に期待を託していた人々にとっては、これは困ったとしか言いようのない事態である。
今回の事件に対する当惑は、民主党を陰で支配している小沢幹事長の金権腐敗ぶりが明らかになって困ったというものではない。既に昨年春、西松建設による不正献金事件が立件され、小沢は代表を退いた。国民は小沢が違法かどうかはともかく、巨額の政治資金を集めてきたことを承知の上で、民主党に政権を託した。さらに言えば、自民党竹下派の嫡子であり、企業から巨額の政治献金をかき集めてきたという小沢の来歴を承知の上で、ひ弱な民主党を束ねる必要悪として、豪腕小沢の存在を許容してきた。今頃になって、今度は水谷建設の裏金が流れたということで検察が国会議員の逮捕を含む強制捜査に乗り出したことが、困った話なのである。
当惑は、小沢と検察の両方に向けられる。まず、検察が権力悪を追及する正義の味方というイメージは、もはや過去のものとなった。佐藤優氏が広めた「国策捜査」という言葉は、メディアに定着した。国策なるものの実体があるかどうかは別として、検察はしばしば自ら描いた筋書きに沿うよう、むりやり無実の人間に罪を着せることがありうることは、むしろ常識となった。
西松建設をめぐる不正献金事件でも、大久保隆則秘書の政治資金規正法違反以外には、犯罪は立件されなかった。また、今回と同じ水谷建設から流れたとされる資金に関連して、二〇〇六年に佐藤栄佐久前福島県知事が収賄罪に問われたことがあった。二審の東京高裁では、執行猶予つきの有罪が維持されたものの、佐藤氏が受け取った賄賂の金額はゼロと認定された。検察の描いた事件の構図は、高裁判決で事実上否定された。検察は政治家を追及して手柄を上げることを焦り、しばしば冤罪を引き起こすことがあることは、事実が物語っている。
もちろん、小沢が建設会社から数千万円に上る裏金をヤミ献金として受け取っていれば、擁護の余地はない。彼の政治生命は終わりである。しかし、問題が政治資金収支報告書の不備ならば、国会議員を逮捕するほどの話ではない。世間にはそのような平衡感覚が存在する。その意味では、佐川急便事件やリクルート事件のときと現在の世論はまったく異なるように思える。
他方、小沢の対応にも当惑を覚えるしかない。小沢と検察の戦いは、司法問題ではなく、政治闘争、権力闘争である。普通の裁判であれば、検察側が犯罪事実を証明しない限り、小沢側は潔白だと言えばよい。しかし、政治闘争であればそうはいかない。検察が疑惑を持って捜査を進めるだけで、メディアはそれを大きく伝え、事実の確定以前に疑わしいというイメージは流布する。それを払拭するためには、小沢が検察との情報戦において、先手を取らなければならないはずであった。小沢がメディア政治の時代を生きる政治家ならば、自らの政治活動にかかわる資金の流れ、保管方法や、日常の政治活動における本人と秘書の関係について懇切に説明し、検察の追及が根拠のないものであることを強く訴える姿勢こそ、必要であった。
しかし、小沢は旧式の政治家であった。合法的なものとはいえ、企業から巨額の政治献金を集め、自らの軍団を養うという点でも、彼は昔の自民党の手法を今に引き継いでいる。また、メディアを味方につけ、国民の理解を得るために低姿勢をとるという発想も、存在しなかった。検察の強引な捜査には眉をひそめつつ、小沢の対応の稚拙さにも不満を持つというのが、ある程度政治に関心を持つ人々の反応だったろう。
最も不幸なことは、小沢と検察の闘争によって、本来の政治がまったく機能不全に陥った点である。政権交代以後、鳩山政権の歩みは実に多難であり、迷走気味でもあった。それにしても、民意を背景に時代遅れとなった政策の廃止と、子ども手当てなど時代を切り開くための新機軸を打ち出して、これから本格的な予算審議を始めようとする矢先である。曲がりなりにも政権交代によって実現した政策転換の意義を具体化するはずの通常国会が、小沢資金問題で一色に塗りつぶされたことは、日本の政党政治にとっての痛恨事である。
本稿執筆の時点では、事件の展開は予想できない。仮に、検察と小沢の間の膠着状態が、国会での政策論議の停止状態につながり、長期化するならば、それは鳩山政権と民主党にとっての大きな危機を意味する。
2 小沢問題をどう乗り越えるか
鳩山政権にとっては、このタイミングで検察が小沢を厳しく追及することは、天災のようなものに見えるかもしれない。しかし、天災にも適切に対処することは、権力者の仕事である。鳩山内閣にとっては偶発的な事件であっても、自分たちが体現すべき政権交代の大義を守るためには、積極的に行動を起こさなければならない。もちろん、内閣が検察を直接指揮、命令することは不適切なので、働きかけの対象はもっぱら小沢の側である。
政権交代による政治変革の実を挙げるためには、小沢資金問題について国会として、民主党としてなすべきことをすべてした上で、本来の政治課題に取り組むことが必要である。民主党は野党の時代に、この種のスキャンダルが露見すると、疑惑に蓋をして逃げ切りを図る自民党の姿勢を攻撃してきたはずである。自分たちが政権を取ったら自民党と同じだったというのでは、政権交代を起こした意味はない。野党が参考人招致によって徹底的に議論したいと要求するなら、野党が望むように議論の機会を作るべきである。もちろん、小沢はそのような国会運営を嫌がるだろう。しかし、政権交代の大義を守るためには、疑惑追及の仕方についても自民党政権下のやり方とは異なることを身をもって示すしかないと、小沢に説いて聞かせなければならない。政権交代の大義を守るためには韓信の股くぐりも必要だと、小沢を説得しなければ一国のリーダーは務まらない。
それと並んで、小沢資金問題が提起した課題について、小沢個人の問題を離れ、普遍的な視点から、制度的な対策を検討することが必要である。
まず、政治資金のあり方についてこの機会に新たなルールを作ることが必要である。昨年の西松事件を契機に、小沢本人も民主党も、企業団体献金の全面禁止を提唱したことがある。その後の選挙の中でこの話は立ち消えになったが、この際まじめに考えなければならない。実は今こそ、企業団体献金を廃止する絶好のチャンスである。自民党の下野によって、長年自民党を資金的に支えてきた各種の組織、団体には政治との付き合い方について大きな戸惑いが広がっている。各種の職能団体や専門家集団が、自分たちに関連する分野の政策について提言や要求を打ち出すことは、これからも民主政治にとって必要である。しかし、政権党に金を貢いで業界としての要求を実現してもらうという時代は、もはや終わった。当の団体もそのことを理解している。したがって、自民党政権の崩壊とともに、企業団体献金を廃止することは、社会からも歓迎されるはずである。
個人献金と政党助成金による政治活動、選挙という姿こそ、九〇年代の政治改革で目指したものである。また、民主党の中堅、若手の中には、企業献金に頼らず、個人の支援者を開拓しながら自分で選挙基盤を築いた者もいる。政治と金の関係を変えることは、小沢的なるものを乗り越えるために不可欠の一歩である。
もう一つの課題は、検察、警察による捜査に対して、人権を守るための防壁を作るということである。取調べの可視化について民主党の政治家が言及すると、野党や一部のメディアからは検察に対する圧力だという反発も出てくる。しかし、今の検察にはそのような圧力が必要だと敢えて言いたい。相次ぐ冤罪の発生や、政治家に関連した強引な見込み捜査の横行という現実から出発するならば、このような制度の実現は急務だと言わなければならない。可視化の制度を作っても、もちろん現在進行中の小沢資金問題には適用されない。それは、これからの犯罪捜査の中で被疑者の人権を守るための制度であり、直接的な党利党略ではない。
ここで、メディアの役割についても触れておかなければならない。誰が権力をとっても、権力者を監視することはメディアの役割である。しかし、今のメディアを見ていると、小沢という権力者を追及するあまり、検察というもう一つの権力についてまったくチェックしていないと言わざるを得ない。先に紹介したように、検察が功を焦って自らの描いたシナリオを守るために無実の人を訴追したという疑いはいくつもある。冤罪が確定してから検察攻撃をしても、無意味である。検察自体も、自分たちの組織利益を追求する権力だという視点から、多面的な報道や、過去の政治犯罪に関する検証を行って、世論のバランスを回復することが求められている。
3 「ポスト小沢」に向けた民主党の課題
最後に、今回の危機を乗り越えて向かうべき民主党の方向を、中期的な時間軸で考えてみたい。小沢が裏金、ヤミ献金をもらっていたかどうかは、今後の検察の捜査、さらには裁判を見なければ結論を出すことはできない。しかし、彼の政治的な責任については、夏の参議院選挙までに結論を出すことが求められるであろう。昨年の西松建設からの献金事件にしても、総選挙を前にして、世論の反発を沈静化させるために、彼は代表を退いた。
夏の参議院選挙を控えた今年、同じような展開が繰り返されることになるであろうと私は考えている。私自身は、検察に疑惑を追及された政治家はすぐに役職を退くべきだとは思わない。しかし今回の場合、民主党が小沢に頼りきる体制を作ったがゆえに、小沢周辺の疑惑が民主党そのもの、さらには政権交代の大義自体を脅かす。政権交代の大義を守るために、選挙での勝利を至上命題とする小沢は、そのために一旦撤退することが必要になる局面が訪れるであろう。
そもそも民主党という政党および政権が持続可能なものとなるためには、遅かれ早かれ小沢離れが不可避であった。小沢の政治生命には生理的な限界がある。複雑な政策課題の調整、決着をすべて小沢に頼るという現政権・与党のやり方がこれからも続くはずはない。小沢の役割は、あくまで自民党政治の墓掘り人だったはずである。今の自民党は、自分が死んだことも分かっていないゾンビの集団であり、小沢は深い墓穴を掘ってくれた。しかし、自民党がゾンビ集団であることだけによって民主党政権の命脈が保たれているという現状は、政権交代に希望を託した国民の期待を裏切るものである。この政権が再び政策転換の力量を取り戻すためには、民主党が動きを起こすしかない。政権交代において小沢が果たした大きな役割には感謝しつつ、ポスト小沢の政治システムを考えることは、民主党の宿題だった。今回の資金問題によって、その試練が前倒しになったと思えばよい。
小沢が代表に就任したことによって、民主党が同好会から体育会に変身したとよく言われる。それは民主党が政権政党に成長するために不可欠の変化であったと同時に、日本政治を変革する旗手として民主党が今までもってきたはずの特長を放棄したという側面もある。小沢の正負両面に渡る遺産を確認し、継承すべきものと転換すべきものを仕分けすることこそ、民主党がポスト小沢段階まで持続するためにどうしても必要なことである。
小沢が民主党に吹き込んだ政治家魂は、これからも拳拳服膺すべきである。小沢は選挙に出る若手の候補者に対して、辻立ちと戸別訪問を徹底するよう指示した。小沢以前の民主党では、美しい政策を訴えれば選挙にも勝てるという秀才にありがちな驕りや地べたをはいずり回る運動をドブ板選挙と馬鹿にする雰囲気が存在した。しかし、政治家にとって選挙区内を歩き回り、人々と密接な接触をすることは民主政治の原点である。小沢は、頭でっかちな民主党に対して民主政治のイロハを教えた。また、小泉構造改革以後、生身の庶民の生活実感から遊離していた自民党政治に対抗する上で、「生活第一」というスローガンの下、地域を歩き回ったことは大きな意義があった。
小沢のもう一つの貢献は、目的を達成するためにあらゆる手段を取るというリアリズムを植え付けた点である。小沢以前の民主党は、改革というスローガンを小泉自民党に奪われ、政権構想の方向性について戸惑っていた。小沢は、新自由主義と対米追随に純化した小泉政権に対抗するために、「生活第一」と国連中心主義を旗印にして、明確な対立構図を作り上げた。今取り組むべき最大の目的に向けて手段を組み合わせていくという思考は、マキャベリから毛沢東まで様々な思想家が主張してきた通り、政治家には不可欠である。このリアリズムをポスト小沢の抗争に向けて発揮すべき時である。
他方、小沢は民主党が求めてきたはずの新しい政治文化を壊した。民主党は、結党時の「市民が主役」というスローガンにある通り、上下関係を重んじる日本の権威主義やパターナリズムを排し、自立した個人による水平的なネットワークを志向していた。もちろん、政党が組織として行動する時にはリーダーの指示に従って整然と行動することも必要であるが、小沢が強力なリーダーシップを発揮するにつれて、上意下達型の「一致結束箱弁当」の組織原理が、小沢グループのみならず、民主党全体に浸潤してきた。政治文化における脱小沢は、自由で多元的な議論を土台に政策を形成するガバナンスの仕組みを作り出すことである。
もう一つの問題は、政策理念の希薄化と、政策への関心の低下である。この点は、先に評価したマキャベリズムと表裏一体である。小沢の打ち出した「生活第一」というスローガンは、新自由主義によって荒廃した日本の社会にとってきわめて時宜にかなった提案であった。しかし、それが状況的な判断であり、理念の根を欠いたものであったことこそ、予算編成をめぐる政府・与党の混乱の原因であった。
政権を獲得するために政策の基調も道具として柔軟に転換することは、政治的リアリズムである。しかし、それが理念を深め、政策体系を整備する努力につながらなければ、単なる機会主義で終わってしまう。政策理念における脱小沢は、「生活第一」を、政策体系を導く理念として鍛え直すことである。
通常国会で予算や法案を審議しながら、政権運営の仕組みや政策体系を考え直すということは容易なことではない。しかし、様々な点で今までの政権運営の欠陥が露呈している。前政権の負の遺産があり、初めての政権担当で試行錯誤も伴うだろうと、国民はかなり長い間この政権を大目に見ていた。しかし、国民はもはや寛容ではなくなっている。政権交代という初めての経験を十分検証し、政権運営と政策の軌道修正を図ることなしには、民主党政権は漂流を続けるほかないであろう。
第一の課題は、今まで民主党が追求してきた政治主導や政府・与党一元化という改革について、政策決定の現実に基づいて検証し、修正することである。政治主導という名の下に、政務三役に決定権と情報を集中した結果、かえって各省の指導部が麻痺してしまった。また、全体的な政策の統括を行うと称して国家戦略室や行政刷新会議を設置したが、後者が事業仕分けでミクロな政策の見直しに一定の結果を残しただけで、全体的な政策体系についての知的司令塔は不在のままである。
他方、民主党の側においては、政務調査会を廃止した結果、政務三役に就けなかった大量の政治家が暇を持て余すという形になった。また、社会からの要望、要求を受け容れ、精査し、政策課題につなぐという党の側の仕組みができていないために、予算編成の最終局面では幹事長室が重点要望を出すことで難問の決着を図るという形になった。
このように政府も党も、初めての政権運営に戸惑い続け、最後に小沢に頼って宿題を片づけた次第である。これから安定的な政権運営を行うためには、まず、通常国会に提出される法改正によって政治任用の増加と国家戦略局の体制を整備しなければならない。かつての小泉政権における経済財政諮問会議のように、中期的な時間の幅で追求すべき政策のアジェンダを、内閣の中枢部において政治主導で作る仕組みを整備することが急務である。
また、党の政務調査会を復活させ、党としての政策論議や調整の仕組みを作ること、政府の役職に就かない議員が政策論議に参加することで党としての政策形成能力を確保することも急務である。自民党政権時代の与党政調会が官僚支配と腐敗の温床になったのは、部会が官僚と癒着し、省益の擁護者となった見返りに、利権配分を任されたからであった。民主党政権で目指すべきは、透明度が高く、実質的な政策能力を持った政調会である。各委員会の主要メンバーが部会を主宰し、政府側の政策形成についての情報を共有しながら、要求を出すという形の政策立案手続きを開発する必要がある。こうした制度の修正によって、党と政府のガバナンスを確立できるはずである。
第二の課題は、実体的な政策面での土台となる、新たな福祉国家モデルを構築し直すことである。昨年末の予算編成では、生活支援、環境対策など民主党が華々しく打ち上げたテーマを具体的な政策として実現していく過程で、様々な混乱が起こった。これはひとえに、民主党が政策を方向付ける基本的な思想を共有していないことに起因する。なるべく多くの市民がある程度の負担を分かち合いつつ、子育て、環境対策、雇用の創造などのテーマに即して次の時代のための土台を整備するのが、民主党の政策だったはずである。参議院選挙に向けて、もう一度マニフェストを作り直すことが必要である。
実際問題として、小沢以外の民主党の主な政治家はみな閣内に入り、小沢自身は動けない。だとすると、誰がここで述べたような政権運営や政策のレビューを行えるのか。とりあえずは、ポスト小沢の幹事長人事に合わせて、党内に作業チームを作り、今まで無役だった政治家が見直しに取り組むという方法がある。民主党には衆参合わせて四〇〇人以上の議員がいるのだから、それらの政治家の知恵とエネルギーを引き出す体制を作れば、新しい局面が開けるはずである。小沢資金問題契機に、民主党の民主化を図らなければ、この党には未来はない。(『世界』2010年3月号)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
フォローアップ:
次へ 前へ
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK82掲示板
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの
引用、転載、リンクを許可します。
確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK82掲示板