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小沢一郎には「国家論的思考」がある。僕が小沢一郎を擁護する根拠である。(文藝評論家・山崎行太郎『毒蛇山荘日記』) http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/640.html
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100304/1267635943
たとえば、僕は、「小沢一郎」という政治家を、政治家としては例外的に全面的に擁護し、日本の政治家としては、唯一、肯定できる政治家として絶賛するわけだが、それはこの言葉に関係している。 政治家・小沢一郎を批判する人たちの中には、小沢一郎が「日本改造計画」で主張したことは小泉純一郎によって先取りされ、すでに実行されたという人たちや、小沢一郎の「国連中心主義」を批判する人や、その他、小沢一郎の発言の中身の一つ一つを捕まえて、批判する人が少なくないが、それらは、僕に言わせれば、ことごとく小沢一郎の「意」にすぎない。 僕が注目するのは、小沢一郎の「意」ではなく、「姿」である。僕は、小沢一郎が「親米」であろうと「反米」であろうあろうと、あるいはまた、「親中」であろと「反中」であろうと、別にかまわないが、それは、それらが小沢一郎の「意」に過ぎないからだ。僕が、小沢一郎を評価するのは「姿」である。 小沢一郎が、民主党大会で、「小沢事件」を捏造し、「小沢潰し」を仕掛けてきた検察と「全面対決」を宣言したわけだが、その時、小沢一郎は、疑惑や犯罪の具体的な中身ではなく、検察の動きの中に、たとえ如何なる犯罪にせよ、小沢一郎という政治家を抹殺するのならば、捏造であろうとデッアゲであろうと、何でもいいのだという検察側の政治的意図を感じ取り、それならば逃げるというわけにはいかないということで、検察との「全面対決」を宣言したのだと思う。 その時、小沢一郎という政治家の振舞い方の中に「居直り」を見た人もいるかもしれないが、その時、小沢一郎が政治家としての命がけの決断をしたことは明らかで、言うなれば小沢一郎の「姿」を、その瞬間に我々はは見たといっていい。 よろしければ、応援のクリックをお願いします。
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