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「支援」とは何か。の巻 (雨宮処凛) http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/617.html
http://www.magazine9.jp/karin/100303/ 先週末は高円寺で「ざまあみろデモ」に参加してきた。 さて、そんなデモの数日前、「大分KCIA」にインタビューを試みた。大分KCIAとは、このコーナーで連載した「韓国・徴兵制なんて嫌だ!ある若者の闘い」のキム君の友人である。19歳、男性。徴兵検査済み。「大分KCIA」はハンドルネームだ。次号あたりからまた何度かに分けて連載したいと思っている。 貧困問題、プレカリアート問題に関してもそうだ。たまたま周りで困ってる人が結構いた、とか、みんな貧乏でいろいろ大変とか。なんだか大きな社会問題に取り組んでいるように思われるのだが、結局私の視界はずーっと半径5メートルくらいで変わっていない気がするのだ。 そんなふうに「支援」ということについて考えていて、私の「支援デビュー」を思い出した。当時は「支援」だともなんとも思っていなくて「友達が困ってるから」というだけの理由でいろいろやってたのだが、今思うとあれはなかなかあり得ない支援活動でないかと思うのだ。それは私が物書きデビューする前後、20代なかばの頃の話である。 当時、そんなことを人に話すと「すごい支援活動をしてる」と言われたりしたのだが、それには違和感を感じた。いや、支援とかじゃなくて友達なんですけど・・・という感じだったのだ。しかし、「北朝鮮のよど号グループの子どもの支援をしている」ということで、バッシングを受けることもあった。当時の私は今の百倍くらい頭が悪かったので、そういう批判があることをまったく予想もしていなかった。私としては「ただ友人が困ってるから」というだけの動機だったのに、なんだかいろんな人がいろんなことを言ってくる。「友達が困ってるから」だけじゃ通用しないことが世の中にはあるのだ、と痛感したのだった。その上、警察からはガサ入れまで入った。 彼女たちと接していて、「親がハイジャック犯」の上「国際指名手配犯」だと子どもはいろいろ大変なのだ、と痛感した。その上北朝鮮生まれの北朝鮮育ちでは日本で生活していくのも大変だ。よど号グループの子ども、ということで差別もある。だけど、子どもは何も悪くない。しかし、そんなことさえも通用しない空気をあの頃、ひしひしと感じた。結局、私の「支援」はとても中途半端な形で終わってしまった。 と、ここまで書いて「支援」という言葉への違和感の正体がわかった。「支援」は「する人」と「される人」という役割分担があるからだ。なんか、そういう関係は嫌だし、違う。例えばよど号グループの子どもたちは私の家にいる時はすごい「家事」をしてくれたから物書きになりたてだった私は非常に助かってたし、最近のことで言えば、キム君は韓国社会のことを教えてくれるから勉強になる。また、ネットカフェからSOSをくれたA君は現在、生活保護の問題点などについていろいろ教えてくれるエキスパートとして私がとてもお世話になっている。 と、そんなふうに「する人」と「される人」じゃない感じの「たすけあい」って、実はみんな普通に実践してるよなー、と今さらながら思ったのだった。
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