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郵便不正事件で次々に覆る供述調書─大阪地検特捜は壊滅状態に【The Journal:今や「検察から身を守る」算段が必要】
http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/522.html
投稿者 一市民 日時 2010 年 3 月 02 日 11:29:37: ya1mGpcrMdyAE
 

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2010/03/post_507.html
郵便不正事件で次々に覆る供述調書 ── 大阪地検特捜は壊滅状態に

偽の障害者団体が郵便料金割引制度を悪用するのを助けたとして、厚生労働省の村木厚子局長(当時)を逮捕したいわゆる郵便不正事件は、1月27日以来、すでに第9回まで公判が開かれてきたが、回を重ねるごとに検察側主張を裏付ける供述調書の中身が次から次へと覆されるという稀に見る展開となっている。

 もちろん、検察の自白強要による冤罪のデッチ上げは稀でも何でもないが、これほどまでにずさんなケースは前代未聞と言えるだろう。東京地検による小沢一郎幹事長と鳩山由紀夫首相に対する「政治とカネ」攻撃と競い合って、何としても石井一選対委員長に一太刀浴びせようと功を焦った大阪地検が、その邪悪な意図と自らの貧弱な捜査能力との裂け目に落ち込んで墓穴を掘った形である。

 第8回公判を傍聴したジャーナリストの江川紹子が「江川紹子ジャーナル」2月25日付で「こうした事件を見ていると、そもそも特捜部を今後も存続させる意味はどこにあるのだろう、という疑問も湧いてくる」と書いているように、これで村木が無罪となれば(なるに決まっているが)、単に大阪地検の恥というだけでなく、特捜そのものの存廃論議に火を着けることになりかねない、検察にとっての重大事態である。

●検察の描いた構図

 今更繰り返すまでもないとは思うが、検察側冒頭陳述を要約すれば、事件の概要はこうである。

 年金生活で生活費に窮していた河野克史は、福祉団体向けの低料第3種郵便制度を悪用してダイレクトメールの発送請負事業で不法に収益を上げることを思い立ち、石井一参議院議員の元秘書である倉沢邦夫を会長とし、元新聞記者の木村英雄他と共に実体のない障害者団体「凜の会」を平成15年に設立した。低料郵便制度の適用を受けるには厚生労働省の公的証明書が必要であるため、河野は倉沢に石井に口添えを頼むように指示、倉沢は木村と共に平成16年2月、石井を訪ねて依頼した。石井は承諾し、その日に旧知の塩田幸雄渉外福祉部長に電話をかけ、証明書の発行を要請した。

 塩田は、有力国会議員の機嫌を損なうことなくこの案件を処理すべきであると考え、部下の村木企画課長がその件を担当する旨を石井に伝えると共に、村木に対して、証明書の発行に向け便宜を図るよう指示した。やがて倉沢が村木を訪れ、村井は塩田に倉沢を引き合わせる一方で、部下の社会参加推進室の村松義弘係長(当時)らを呼んで実務的な説明をさせた。倉林が帰った後、村木は村松に「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」と言った。

 4月1日付の異動で村松の業務を引き継いだ上村勉は、発行手続きを先送りしていたが、6月上旬に河野や倉沢から督促を受け、その団体に実体がないという問題点があるのに証明書を発行していいかと村木に指示を仰いだところ、村木は「先生からお願いされて部長からとりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配なくていいから」と告げた。上村は翌早朝までに書面を作り、企画課長の公印を押して村木に手渡し、村木は部長に発行を伝え、部長は石井に電話で報告すると共に、受け取りに来た倉沢に「なんとかご希望に添う結果にしました」と言ってこれを交付した......。

●覆る証言の数々

■石井一

 私がかつて石井一に直接聞いた限りでは、

@倉沢は、83年に当時衆議院議員だった石井の下で数カ月間、私設秘書を務めたことがあるだけで、その後どこで何をしているかもほとんど知らないという程度の仲である。

Aましてこの件で倉沢の要請を受けて厚労省の塩田に電話をすることなどありえない。

 とのことだった。石井は、報道によると、2月25日に大阪で開かれた講演会の会合の席上、「口添えなど何の覚えもない。厚生労働省なんて関係したこともない。何で私が電話をかけるのか」と語っている。石井は3月4日の第11回公判に出廷する予定なので、そのような趣旨のことを述べるだろう。

 政界の裏側では「元秘書業界」とも言うべき世界があって、何かの縁で一時期、有力政治家の私設秘書の肩書きを得たことがある人物が、「何々先生の元秘書だが」と名乗ったり、「元」さえもぼかした名刺を出したりして役所に働き掛けて許認可を受けたり小利権にありついたりするのは、よくあることで、この場合も恐らくそういう類のことだと推測される。何しろ倉沢が石井のところに身を置いたのは事件から20年も前のことである。

 塩田は、検察側冒陳によると「同国会議員とは、平成7年に発生した阪神淡路大震災に関連して,被災事業者を救済するための金融政策の陳情を受けた際に面識を持ち、以後、個人的に懇意にしていた」となっているが、本当に個人的に懇意な関係かどうかは疑わしい。だいたい「被災事業者を救済するための金融政策」をなぜ議員が厚労省に陳情するのか意味不明である。

 なお、検察の主張通りであれば、厚労省側の主犯は村木でなく石井と個人的に懇意であるはずの塩田である。が、村木が主犯、その部下の上村が共犯として起訴され、塩田が見逃されているのは異常である。そのことは弁護側の冒陳も指摘しているとおりである。

■河野克史

 河野は第1回公判に証人として出廷し、実体のない障害者団体を作って厚労省に働き掛けて不正に証明書を受けようと謀ったことを認めながらも、肝心の証明書交付当日の経緯について極めて曖昧なことを言った。

@厚労省から証明書を交付するという連絡があり、その電話を自分が受けたのか誰か他の者が受けて自分に伝えたのか分からない。ただ倉沢にお礼の電話をしたことは覚えている。

A自分は証明書を受け取りに行っておらず、それが郵送されてきたのか、誰かが受け取りに行ったのか、また事務所のどこにどう置かれていたものかについては、全く分からない。ただ、それを自分でコピーしたことだけは明確に覚えている。

 待ちに待った偽の証明書が手に入るという、このインチキ団体にとって生死に関わる大事だというのに、連絡を受けたのが誰かも、取りに行ったのが誰かも分からないなどという馬鹿な話がある訳がない。推測するに、検察としてはどうしても、村木が直接、倉沢か河野に手渡したことにしたかったのだが、後述のように上村は河野に厚労省近くの喫茶店で渡したと言っているので、河野が受け取りに行ったことにすると辻褄が合わなくなるので、河野が倉沢に電話をして取りにいかせたのだがその経緯を河野は忘れてしまったというお話にしたのではないか。どちらにしても辻褄は合わないのだが。

■倉沢邦夫

 倉沢は第3回・第4回公判に出廷し、村木との関係について次のような趣旨を述べた(複数の報道や知人である竹中ナミ=社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の公判傍聴記などから私が独自に要約。以下同じ)。

@調書では、自分が村木に証明書発行を要請し、村木が「困ったな、これは難しい」と言ったことになっているが、自分が要請し説明を受けたのは村木ではなく村松係長である。自分は村松に「凜の会会長」ではなく「石井事務所」の名刺を出して「石井事務所の者」と名乗った。「これでは認可が難しい」と言ったのは村松である。その際、村松が「村木課長に挨拶するか」と言われたので、村木の机に行って名刺も出さずに「石井事務所の者ですが」と言うと、村木は「ああそうですか」と言い、それだけで自分は退出した。

A調書では、証明書が交付される以前の5月中旬、自分が村木のところに赴いて、村木から日本郵政公社東京支社に電話をして「厚労省から近々証明書が発行される」予定であることを伝えて貰おうとし、その際に村木は「一応連絡してみますが、相手が(証明書発行以前の手続き進行について)応じてくれるかどうかは分かりませんよ」と言いながら、直接に「日本郵政公社」の「森代表」に電話をかけてその旨伝えたことになっている。が、
実際には、村木に挨拶するつもりで机の側で待っていたが、村木が電話中で3分待っても終わらなかったので、声を掛けることなく退出した。その時、村木の電話の会話の断片が聞こえ、その中に「森」という名前があったと事情聴取で話したら、検事から「それは日本郵政公社の森代表で、村木のダンナの知人であり、村木はその森に電話で(低料郵便適用の)審査を進める依頼をしたのだ」と言われ、調書もそのようになっていた。

B村木から証明書を受け取った際に、調書では、村木から「大変だったが何とか希望に添えるようにした」と言われたことになっているが、そのようなことを言われていないと何度も事情聴取で言ったが聞き入れて貰えず、最後は体調不良にもなったので投げやりになってサインした。

 倉沢は、証明書を村木の机で村木から交付されたことについては一貫して認めているが、その日付や状況については曖昧であり、またBのように調書に描かれた村木とのやりとりは否定した。それに対し、もちろん村木は否定しており、上村は自分が夜中に書類を作って翌朝に課長公印を押し、その日の内に厚労省近くの喫茶店で河野に会って渡したと述べている。

■木村英雄

 木村は第7回公判で、平成16年2月に倉沢と共に石井議員を訪ねたことになっていることについて、その事実はなく、自分が石井に会ったという調書は検事の作文だと断言した。

@私は行っていないと申し上げたが、調書には「河野の指示で行くことになった」とか、「口添えしてほしい」と要請し議員から「厚労省に知り合いがいるから電話して置いてやる」と言われたとか書かれている。その年には、岩国議員、羽田議員の事務所に行ったことは明確に覚えているが、石井事務所は全く記憶にない。石井議員のところに行って首実検してほしい、それで石井議員から「お前、来てたな」と言われれば腹を切る、とまで言った。

Aまた「身体障害者団体定期刊行物協会」に加盟するため同協会の佐藤三郎事務局長と面談した際「石井代議士からお墨付きもらっている。石井議員からも厚労省に電話してもらっている」と話したことになっているが、その事実はない。

Bではなぜ調書に署名したのかと言えば、これが事実だと始めから押し付けられて、お前が間違っていると否定される。検事が声を荒げて立ち上がったり机を叩いたりして、圧力を感じた。「いいんだ、いいんだ、これにサインすれば」と言われ、夜の8時を回っていたので仕方なく署名した。

■塩田幸雄

 塩田元部長は第5回公判で「この事件は壮大な虚構だったと思う」と言い放って法廷を凍り付かせた。

@石井議員から電話があったという記憶はなく、あったと検事から言われると、国会対策は自分が対応していたから電話に出たとすれば自分しかないだろうと思い込んだだけで、記憶とは違う。

A証明書が出来たと石井議員に電話で報告したとされている件は、密室の取調室で検事から「4分数十秒の電話交信記録がある」と言われ、あるのは本当か?本当なら見せてくれと頼んだが最後まで見せてくれなかった。私は(自分も検察官も)お互いにプロの行政官であるという信頼感を持っていたので、それが嘘だとは思わなかった。それならばきっと、自分の記憶にはないが、その電話はしたのだろうと思い込んでしまった。だから、裁判が始まってから公判検事に「交信記録はない」と聞かされた時のチョックはとても言葉では表せない。

B最後の石井への報告電話が本当なら、最初の石井議員からの電話も受けたのだろうし、受けたのであれば、通常このような対応は課長に指示するものだから当然、村木にお願いもしたのだろうと思ったのであって、自分の記憶では指示していない。

C村木さんには本当に申し訳ないことをした。

■村松義弘

 上村の前任係長である村松は、第6回公判で「村木さんは冤罪だと思う」と言明した。

@2月下旬に企画課長補佐から呼ばれていくと村木課長と北村企画課長補佐がいて、倉林が「国会議員の石井一の事務所の者だ」と自己紹介した。場所を変えて倉林に手続きについて説明し、凜の会の説明が今ひとつ要領を得ないので、大丈夫かなと疑問を持ち、しっかり書類を出してほしいと言った。

A通常の仕事で、課長から社会参加室長を飛び越えて係長である自分に直接指示があることはなく、この件についても指示はなかった。村木が後任の上村に指示したとされているが、それなら前任の自分にも指示があって当然だったろう。それがなかったので、村木は冤罪だと思う。

B村木から「ちょっと大変な案件だけどよろしくね」と言われたと調書にあるが、そのような事実はなく、自分からは検事にそのようなことを言っていない。

■上村勉

 極めつけは、証明書を実際に作成して凜の会側に渡した上村で、彼は第8回・第9回の公判を通じて、検察側主張をことごとく覆した。

@村木は企画課長だから顔は知っていたが、仕事の話をしたことはない。この件について指示を受けたこともない。検事はどうしても自分と村木をつなげたいらしく、偽の証明書を作成したことについて反省文を書かされた際、村木から指示があったことを具体的に書けと迫られ、「それは書けません。弁護士に相談したい」と言ったが、「弁護士に相談なんかしてどうするんだ」と言われ、また検事から「他の人はみな村木の関与を認めていてお前だけが嘘を言っていることになる」「村木逮捕は検事総長も了解している」などと言われて心理的圧迫を感じ、いつまでも勾留されたままになるのが嫌なので保釈という誘惑に負けて書き直した。

A前任の村松から凜の会の件について引き継ぎを受けた記憶はなく、4月中旬に河野からの電話で初めて証明書の発行を求められていることを知った。4月は係長になり立てで、予算の仕事に忙殺され、その件は先送りにしていたが、河野らから督促があったので、面倒なので独断で証明書を作って河野に渡した。

B調書では、自分が文書を作って村木に渡し村木が倉沢に交付したことになっているが、自分が河野に交付したと検事に言っても嘘だと言われどうしても訂正して貰えなかった。

C証明書を交付するため河野と会った際、河野から河野の名刺と倉沢の名刺を貰った。その倉沢の名刺に手書きで「石井一事務所」と書いてあったので、その時初めて石井先生が絡んでいるいるんだなと思った。

D全ての調書は、一般的なことを言ったり断片的に話したりしたことを検事が補った作文だ。

■村木厚子

 村木は一貫してこの件と何の関わりもないことを表明していて、第1回公判の被告人意見陳述で次のように語った。

「私は無罪です。上村さん、河野さん、倉沢さんと共謀した事実も、上村さんに内容虚偽の公文書の作成を指示したことも一切ありません。私は、公訴事実第2の内容虚偽の証明書を発行したことについては、一切関わっておりません」

「私は、これまで、公務員という自分の職業に誇りを持ち、また、公務員として国民から信頼を得ることを大切にして、仕事に従事してきました。そうした中で、与党であれ、野党であれ、有力議員といわれる方であれ、国会議員から依頼を受ければ法に反することも引き受けるなどということはありえません」

             *          *

●特捜は要らない?

 無茶苦茶である。発端は、「元秘書業界」の怪しい実態に丸っきり無知な大阪地検特捜が、本当に石井議員が厚労省に圧力をかけて不正な証明書発行を無理強いしたものと信じ切ってこの一件に飛びついたことにある。そうであるとすれば、部長〜課長〜室長及びその他中間管理職〜係長という厚労省組織ぐるみで議員先生の要請に応じようとしたという図式を仕立ててオオゴトに見せなければならず、そのためにまず塩田にありもしない石井との電話のやりとりを自供させた形にしてその代わりに起訴しないことを約束するという一種の司法取引を行ったのだろう。しかも、すでに独法に天下っている塩田よりも厚労省花形の現職局長を逮捕した方が世の中的には衝撃度が大きい。そこで主犯の役回りは村木に被せることにして、女性でもあることだし、責め立てれば泣き伏して検察の言うなりの調書に署名するだろうくらいに甘く見てシナリオを創作したのだが、案に相違して村木は毅然として否認を貫き、すっかり予定が狂って支離滅裂になってしまったということだろう。

 これは、小沢の元秘書らに対する冤罪事件と同様、いやそれ以上に粗雑かつ稚拙だという意味ではなおさらあくどい検察テロであって、こんなことがまかり通るなら国民は誰でもいきなり検察に襲われて社会的に抹殺されてしまいかねないことになる。これらのデタラメ事件を機に、江川の言うように特捜って何なんだという根本的な批判が湧き起こるのは必定で、民主党政権は「脱官僚支配」の改革の一環として真正面から検察改革に取り組むべきだろう。

 その第一歩として、こういう場合に公判検事を間に挟まずに、取調に当たって調書を作った検事を法廷に引っ張り出して証人と直接対決させて真相を明らかにすることが出来れば、それこそ可視化が大いに前進するのではないか。

●ボロボロの歴史

 そもそも戦前日本の軍国体制下で、裁判所と警察を足下に従える司法の頂点として絶大な権力を振るった検察は、戦後GHQ支配下で、警察が捜査した事件を裁判所に取り次ぐだけの単なる「刑事検察」的な存在に一気に弱体化させられそうになった。それに危機感を抱いた検察は直接GHQに働き掛けて、建前レベルでは「米国にもFBIという巨悪追及の組織があるではないか」と言い、裏取引としては、当時社会的に大問題となっていた旧日本軍や特務機関の隠匿物資の摘発を専門に扱う特別の部門を作らせてくれないかと擦り寄った。隠匿物資は、旧軍人組織や児玉誉士夫機関の生き残りや小佐野賢治のような闇商人がたちに食い物にされていたとはいえ、元はと言えば国民の財産である。それを摘発してGHQの管理に献上するという、言ってみれば"売国行為"を約束して 1947年に発足した「隠退蔵物資事件捜査部」が、後の東京地検特捜部の前身である。この発足時のGHQとの癒着から、在米日本大使館の一等書記官を経験することが特捜でエリートになる条件の1つとなったとも言われる(私は検察の恣意的捜査における米国ファクターを過大に見ることには賛成でないが)。ちなみにこの間、特高警察と並んで戦前の治安維持法体制の柱だった「思想検察」もちゃっかり生き残り、52年には「公安検察」として正式に復活している。

 この特捜検察と公安検察という特別の存在が、検察がなお戦前の天皇直下の体制の番人という異常なまでのプライド意識をそのまま維持している実体的根拠となっている。またそれをさらに裏打ちしているのが、検事総長、次長検事、8高検の検事正の何と計10人が今も形式的に天皇から任命状を受け取る「認証官」とされていることである。法務省(に限らず)事務次官は認証官でないのに、行政組織としてはその下にある検察に10人も認証官がいるというのが、検察の増長の心理的背景であり、こんなものは、裁判官のそれ(最高裁長官以下判事の15人と8高裁の長官)と併せてこの際全て剥奪したらどうなのか。

 と言うか、認証官という制度そのものを止めるべきではないか。戦前の天皇制国家では当然、むやみやたらに認証官がいた。戦後どういう経緯でこんな遺制が中途半端に続くことになったのかは知らないが、今では(総理大臣を除く:総理大臣は「国権の最高機関」たる国会によって直接に選ばれるのでその後に別の権威によって認証される必要はない?)大臣、副大臣・官房副長官、検査官3人(うち1人が会計検査院長)、人事官3人(うち1人が人事院総裁)、公正取引委員長、宮内庁長官・侍従長、外務省関係では特命全権大使・公使、それに上述の検察官と裁判官である。こういう人たちはどうしても、国民の税金で飯を食わして貰っている雇われ人だという意識を持ちにくく、お上意識むき出しで国民や国民が選んだ政治家を上から見下すような態度をとりがちである。官職に特別なものなど何もなく、お前らみんなただの雇われ人だという風にハッキリした方がいいし、そうすると天皇が無用な国事行為の形式的儀式で疲れ果てるということも軽減できる。

 ちなみに、このうち大臣と公正取引委員長は総理大臣が任命権者で、他は内閣が任命権者である。他方、「国会同意人事」というのがあって、これには検査官、人事官、公正取引委員長・委員が含まれるほか、日銀総裁、NHK経営委員会委員、主要な行政委員会や審議会の委員長・委員など36機関が該当する。このあたりは全体として整理すべきだし、その際には、やはり戦前遺制が中途半端に生きている「勲章制度」も抜本的に改めるべきである。

●検察から身を守る

 閑話休題。その東京地検がまだ隠退蔵物資事件捜査部の時代、48年に戦後最初に手掛けた大型汚職事件が「昭和電工事件」で、来栖赳夫経済安定本部長官、西尾末広前副総理、野党の大物=大野伴睦、大蔵官僚だった福田赳夫らが続々逮捕され芦田均内閣が瓦解、やがて芦田前首相自身も逮捕されたものの、裁判結果は来栖以外の政治家は全員無罪で、戦前、1934年の帝人事件での全員無罪に匹敵する検察史の汚点となった。しかしこの事件で新聞は大騒ぎして世論は沸騰し、それに乗じて隠退蔵物資事件捜査部は49年、「東京地検特別捜査部」に昇格した。昭和電工事件の裁判が最高裁で結審したのはそれから13年後の 62年のことだから、その頃になって国民が「アレッ?」と思ったところで、とっくに特捜の組織は出来上がってしまっていた(大阪地検特捜部は57年発足、名古屋は96年)。そんなふうにしてずる賢くスタートして、その後も炭鉱国管事件、造船疑獄はじめ、騒ぎを起こしては竜頭蛇尾に終わり、その度に「検察ファッショ」と批判される特捜のボロボロの歴史が続く。

 そこからようやく脱するきっかけとなったのがロッキード事件による田中角栄前首相逮捕で、ここでまた国民の検察幻想は大いに膨らんで、社会党・総評が「角栄御用」「検察頑張れ」という提灯を掲げてデモをするといった馬鹿げた事態になったが、この事件もまた、ロッキード社からのP3C対潜哨戒機 100機を政府に購入させるべく児玉誉士夫が秘密代理人として動いた重大防衛疑獄という疑惑の本体を隠すために、全日空の次期旅客機トライスターの輸入問題にすり替えて検察が架空ストーリーを仕立て上げた、一種の冤罪と言って言い過ぎならば別件逮捕事件である。さらにリクルート事件も冤罪、ライブドア事件や村上ファンド事件も冤罪......。もういい加減に国民が特捜幻想を断ち切って、この法の番人面をしたテロ組織を国民の管理下に組み敷く方策を立てなければならない。▲

----《資料》郵便不正事件・検察側冒頭陳述-------------------------

 どこでも入手可能ではあるが、検察の退廃を示す記念碑的な駄文なので、ここに再録して熟読をお勧めする。

《検察側冒頭陳述要旨》

・事案の概要

 被告は当時、厚生労働省障害保健福祉部企画課長として、障害者団体の申請に基づき低料第三種郵便に関する公的証明書の発行に従事していた。共犯の上村勉は同課社会参加推進室係長、河野克史は「凛の会」発起人、倉沢邦夫は会長だった。凛の会は障害者団体と しての実体はなかった。

・身上経歴等、低料第三種郵便の概要および厚労省による証明書の発行状況(省略)

・犯行に至る経緯

 河野は低料第三種郵便を悪用し不法に収益を上げようとしたが、正規に証明書を得る見込みはなく、平成16年2月下旬、国会議員秘書の経歴を持つ倉沢に、国会議員へ口添えを依頼するよう指示した。国会議員は承諾して当時の障害保健福祉部長に電話をかけ、証明書の発行を要請した。

 部長は国会議員と懇意で有力政党の重鎮だったことから、国会で紛糾することなく予算や法案を成立させるためには、機嫌を損なわずに依頼を処理する配慮が必要と考えて了承した。

 部長は被告に便宜を図るよう指示し、被告は企画課長補佐に「秘書の倉沢さんが団体の新聞を低料第三種郵便で発送したいみたいなの。担当者を紹介してあげてください」と指示した。2月下旬、倉沢と面談し説明を受けた被告は、凛の会が障害者団体でないと理解して困惑しながらも、倉沢を部長に会わせた。倉沢が帰った後、社会参加推進室の室長補佐と係長に「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」と告げた。以後、被告ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけた。

 上村は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。上村は発行を先送りしていたが、5月中旬、河野らから電話で催促され、時間稼ぎのために、手続きを進めるという虚偽の稟議書を作成し凛の会にファクスした。

 日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた。5月中旬、倉沢が企画課に赴くと、被告は「一応連絡してみますが、相手が応じるか分かりませんよ」と言いながら、面前で公社東京支社に電話した。

・犯行状況

 河野は6月上旬、日本橋郵便局から証明書の原本を至急提出するよう要請されたため、上村につじつまが合うよう日付をさかのぼった証明書を無審査で発行するよう要請した。

 倉沢も企画課で被告にそう求めた。被告は少し考え込んだが、部長の指示があった議員案件だったことから了承した。

 6月上旬、上村は被告に問題点を伝えた上で、それでも発行していいか指示を仰いだ。

 被告は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げた。

 上村は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、被告に手渡した。

 被告は部長に発行を伝え、部長は国会議員に電話で報告した。被告は証明書を受け取りにきた倉沢に「何とかご希望に沿う結果にしました」と言いながら証明書を交付した。

 上村は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えたが、被告は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げた。その後も凛の会は資料を提出せず、6月10日ごろ不正に入手した証明書を提出して行使した。

・その他情状 (省略)

《検察側冒頭陳述 全文》

第1 本件事案の概要等

1 被告人及び共犯者等

 被告人は、本件犯行当時、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長であり心身障害者団体の申請に基づき、内国郵便約款により、同団体が同約款料金表に規定する心身障害者用低料第三種郵便物に関する郵便料金の割引を受けることができる心身障害者団体であることなどを認定する旨の同課長作成名義に係る証明書の発行の職務に従事していたものであった。

 共犯者上村勉(以下「上村」という。)は、同課社会参加推進室社会参加係長、同河野克史(以下「河野」という。)は、自称福祉事業支援組織「凛の会」の発起人、同倉沢邦夫(以下「倉沢」という。)は、上記「凛の会」の会長であった。

 「凛の会」は心身障害者団体としての実体がなく、内国郵便約款料金表に規定する心身障害者団体ではなく、同会の発行する定期刊行物「凛」は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的とせず、郵便料金を不正に免れることを目的としたものであった。

2 本件事案の概要

 本件は、被告人が、前記共犯者3名と共謀の上、「凛の会」が内国郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、前記「凛」が心身障害者の福祉の増進を図ることを目的とするものであって、しかも、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長が平成16年5月28日に「凛の会」に対して前記証明書を発行した事実がないにもかかわらず、同日に同証明書を発行したかのように装うため、作成日付を同日とし、「凛の会」が国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、当該団体の発行する「凛」が心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としているものであると認める旨の同課長作成名義の内容虚偽の有印公文書1通を作成した上、日本橋郵便局郵便窓口課申請事務センターにおいて、同証明書の内容が真実であるかのように装って提出して行使したという虚偽有印公文書作成・同行使の事案である。

第2 被告人の身上経歴等

1 経歴

 被告人は、大学在学中の昭和52年11月に当時の国家公務員採用上級試験に合格し、昭和53年4月、いわゆるキャリア官僚として当時の労働省に人省した。

 被告人は、労働省において、主として女性労働問題に関する業務を担当し、職業安定局高齢・障害者対策部障害者雇用対策課長、女性局女性政策課長、省庁再編後の厚生労働省(以下「厚労省」という。)において、雇用均等・児童家庭局雇用均等政策課長等を経て、平成15年8月、社会・援護局障害保健福祉部企画課長になり、同課長在任中は、同年4月に施行されたばかりの障害者支援費制度を円滑に実施するための予算確保や、その後の障害者自立支援法成立に奔走した。

 被告人は、本件後、厚労省大臣官房政策評価審議官、大臣官房審議官(雇用均等・児童家庭担当)を経て、平成20年7月、雇用均等・児童家庭局長に就任した。

2 家族関係

 被告人には、厚労省大臣官房総括審議官を務める夫と2人の子どもがいる。

3 前科

前科はない。

第3 低料第三種郵便物制度の概要及び厚労省による証明書の発行状況等

1 低料第三種郵便物制度の概要

 郵便物については、郵政事業民営化の前後を問わず、第一種(通常の手紙類)、第二種(通常のはがき類)、第三種(新聞、雑誌類)等に区分され、それぞれにつき郵便料金が規定されており、第三種郵便物については、毎年4回以上、号を追って定期に発行するものであること、1回の発行部数が500部以上であること、その80パーセント以上を有償購読者に発送するといった要件を満たすことで、通常の定形外郵便物(重量50グラムまでのもの)の正規料金1通 120円が1通60円となるところ、この第三種郵便物の中には、更に低額な料金の適用を受けられる低料第三種郵便物があり、その中でも、心身障害者団体が障害者福祉を目的として月3回以上発行する新聞等の定期刊行物については、心身障害者用低料第三種郵便物として1通8円という極めて低額な料金が適用される。

2 厚労省における証明書の発行及び低料第三種郵便物の料金適用等

 心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けるためには、厚生労働省等の公共機関の発行する証明書(以下「公的証明書」という。)が必須であった。

 すなわち、心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けるためには、まず、刊行物の発行所所在地における郵便物の配達を受け持つ管轄郵便局(本件では日本橋郵便局)を介して、当該郵便局を管轄する日本郵政公社の支社(本件では東京支社)に対し、第三種郵便物の承認請求をする際、当該団体が心身障害者(児童又は知的障害者である場合は、その保護者を含む。)を主たる構成員とする団体であること及びその刊行物が心身障害者の福祉を図ることを目的として発行されるものであることをいずれも証明する公的証明書を提出する必要があった。

 そして、当該支社においては、公的証明書等に基づいて、当該団体に対し承認書を発行し、これを受けて、実際に管轄郵便局から当該刊行物を心身障害者用低料第三種郵便物として極めて低額で差し出すことができるようになっていた(なお、心身障害者団体が管轄郵便局以外の郵便局から当該刊行物を差し出そうとする場合には、公的証明書を提出した上で、別途、前記支社発行に係る証明書の交付を受け、当該刊行物の差出を希望する郵便局に対し、同証明書等を提出して差出承認を得る必要があった。)。

 そして、この公的証明書は、全国的組織団体については厚労省が、その他の団体については当該団体の主たる事務所を有する都道府県等が発行することとされており、厚労省においては社会・援護局障害保健福祉部企画課(以下「企画課」という。)がこれを所管し同課において、団体による証明書交付願、団体から提出を受けた会則や規約、過去2回程度の刊行物等の審査資料に基づき、客観的な観点から、団体の実態を的確に把握して団体の主たる構成員が心身障害者であるか否か及びその刊行物が心身障害者の福祉を図る目的のものであるか否かを審査し公的証明書の発行権者である企画課長の事前決裁を了した上で、申請団体に対し公的証明書を発行してきた。

 もっとも、心身障害者団体は都道府県や市区町村単位で草の根的に活動している団体がほとんどであり、全国的組織の心身障害者団体ということになると、厚労省に公的証明書の発行申請をした段階で既に長年の活動実績があるような団体に限られていて、その数も少なく、厚労省において、そうした心身障害者団体から申請を受けて公的証明書を発行することは、多い年でも年間2〜3件程度で、発行がない年もあった。

3 特定非営利活動法人障害者団体定期刊行物協会(以下「障定協」という。)について

 障定協は、昭和41年に「身体障害者団体定期刊行物協会」との名称で発足し昭和46年に、当時の郵政省との間で、前記第三種郵便物の要件のうち、年間の発行回数や1回の発行部数等の要件を充たせない心身障害者団体であっても、加盟団体それぞれが発行する刊行物をまとめて一種の刊行物と扱い、障定協から発行されるという形を取ることにより、低料第三種郵便物制度を利用できるようにするとの合意を獲得した団体である。

 障定協は、加盟団体に関して低料第三種郵便物制度の適用を受ける要件が整っているか否かを自ら判断しているが、厚労省も独自に同様の判断をしており、障定協への加盟は厚労省からの公的証明を得るための必要条件ではなく、心身障害者団体が障定協を介することなく独自に厚労省と折衝をして公的証明書を得ることも可能であった。

4 本件犯行前後における公的証明書の発行状況等

 被告人は、本件犯行前の平成15年11月、「東京女子医大移植者の会」に対する公的証明書の発行について、部下で企画課社会参加推進室社会参加係長であった村松義弘(以下「村松」という。)から、稟議書に添付されていた証明書交付願、同会の規約、刊行物及び会員名簿等の資料を示されて、公的証明書を発行するには、当該団体が心身障害者を主たる構成員とする団体でなければならず、かつ、刊行物が心身障害者の福祉を図る目的としているものに限られ、これらの要件は、会則や規約等のほか、過去2回程度の刊行物に基づいて客観的に判断することになっている旨口頭で説明を受けたほか、開会が設立から既に相当年数を経過した歴史のある全国的組織の障害者団体であることなどについても口頭で説明を受けた上で、その決裁を了した。

 また、被告人は、本件犯行後の平成17年9月、「全国遷延性意識障害者・家族の会」に対する公的証明書の発行についても、上記同様に、部下で企画課障害認定係長であった佐藤清和から資料を示されつつ口頭で説明を受けた上で、その決裁を了した。

 しかしながら、後記のとおり、「凛の会」については、上記のような決裁手続や資料が全くないまま、公的証明書が発行された。

第4 本件犯行に至る経緯

1 「凛の会」の発足経緯等

 河野は、平成14年ころから年金暮らしで生活費等に窮していたところ、平成15年秋ころ、福祉事業支援組織の名目を使って「凛の会」を設立し「凛の会」が発行する刊行物「凛」が心身障害者の福祉を図ることを目的とするものであるかのように装って、低料第三種郵便物制度の適用を受け、広告主を募った上、同制度を悪用し、安価な郵便料金で、いわゆるダイレクトメールを発送する業務を行い、不法に収益を上げようと考えた。

 しかし「凛の会」は、低料第三種郵便物制度を不正利用する目的で設立するもので、何ら実体のない団体であったことから、公的証明書を発行してもらう前提条件を欠いており、正規の方法で公的証明書を得られる見込みはなかった。

 そこで、河野は、知人の倉沢が国会議員の秘書の経歴を有し、その後も同国会議員の議員会館事務所に出入りするなどしていたことから、これを利用した厚労省への働きかけ等を期待し平成15年秋ころ、倉沢に対し、「凛の会」の代表者としての名義貸しを依頼しその承諾を得た。

 そして、河野は、倉沢を会長に据えて、広告業を営んでいた黒木洋一(以下「黒木」という。)や通信販売業を営んでいた山本隆のほか、元新聞記者の木村英雄(以下「木村」という。)らとともに、「凛の会」を設立し、その事務所を木村が関与していた有限会社ハードルの事務所が置かれていた東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目15番9号202に置くこととした。

 そして、河野らは、平成16年2月20日、「凛の会発行人木村英雄」名義で、日本橋郵便局を介し、日本郵政公社東京支社長に対して第三種郵便物承認申請を行った。

2 「凛の会」の国会議員に対する口添えの依頼状況等

 河野は、平成16年2月下旬ころ、厚労省から公的証明書を得るためには、自分たちが頼むよりも、倉沢が秘書をしていた前記国会議員からの口添えが効果的であると考え、倉沢に対し同国会議員に厚労省への口添えを依頼するように指示した。

 そこで、倉沢は、その後の平成16年2月下旬ころ、刊行物「凛」の発行人となっていた木村とともに、同国会議員の下を訪れ、同国会議員に対し、厚労省からの公的証明書の取得に向けた口添えを依頼した。

 同国会議員は、その依頼を承諾しその日ころ、当時の障害保健福祉部長であった塩田幸雄(以下「塩田」という。)に電話をかけ、同人に対し公的証明書を発行することを要請した。

 塩田は、同国会議員とは、平成7年に発生した阪神淡路大震災に関連して、被災事業者を救済するための金融政策の陳情を受けた際に面識を持ち、以後、個人的に懇意にしていた上、同国会議員が有力政党の重職にあったことから、国会において紛糾することなく予算や法案を成立させるなど円滑な行政運営を実現するためには、常日頃から有力国会議員の機嫌を損なうことなくその依頼案件を処理するという配慮が必要であると考え、前記要請を了承し、その際、被告人が担当する旨を伝えた。

 なお、企画課における当時の正式な公的証明書の発行手続は、企画課社会参加推進室担当者が決裁文書を起案し同室調整係長、同室補佐、同室総括補佐、同室長、同課総務係長及び同課総括補佐の決裁を経て、最終決裁権者である同課長の決裁を経た後、文書を発出するための番号を取得し、その番号を記載した証明書に、同課内に保管されていた同課長印及び契印を同担当者が押印するという取扱いになっていた。

3 前記口添え後の厚労省内における指示

 塩田は、その後、障害保健福祉部長室に被告人を呼び、前記国会議員からの依頼であることを伝えた上で、その依頼をうまく処理することの重要性を告げて、「凛の会」が低料第三種郵便物制度の適用を受けられるように公的証明書の発行に向けた便宜を図るよう指示した。

 被告人は、社会参加推進室にきちんと対応させる旨を述べて、塩田の指示を了承した。
被告人は、その後、企画課の課長補佐であった北村定義(以下「北村」という。)に対し「先生の事務所から問い合わせがあって、今度先生の秘書の倉沢さんという人が障害者団体の新聞を郵便料金が安くなる低料第三種郵便を使って発送したいみたいなの。今度うちに倉沢さんという秘書が来るらしいから担当者を紹介してあげてください。」などと、倉沢が来庁した場合の対応を指示した。

4 倉沢からの厚労省担当者に対する要請

(1) 倉沢から被告人に対する要請
 倉沢は、平成16年2月下句ころ、公的証明書の交付願や「凛の会」の規約や名簿、刊行物「凛」等の「凛の会」の実態が分かる資料を何も持たずに企画課を訪ね、被告人と面談し「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜供与を要請した。

 これに対し被告人は、塩田から事情を問いている旨告げてその要請を了承した上、「凛の会」の詳細について尋ねたところ、倉沢から、「凛の会」が平成15年秋に立ち上げたばかりの団体で、特段の活動はしておらず、「凛の会」の新聞に広告を募集して資金集めをし将来的にはその資金で障害者支援を行うことを考えていること、数名の知人と共に立ち上げたものの、発起人の中に障害者はいないことなどを告げられた。

 その説明を受けた被告人は、「凛の会]が障害者団体そのものではないと理解して困惑しながらも、その要請を了承し、倉沢を塩田にあいさつさせるべく、倉沢を塩田のいる障害保健福祉部長室に連れて行くこととした。

(2) 倉沢と塩田とのやり取り
 倉沢は、被告人の案内で障害保健福祉部長室に行き、塩田に対し、「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜供与を要請した。

 塩田は,倉沢に対し担当課長である被告人に事情を伝えてあるので、遠慮無く相談するように告げて、その要請を了承した。

(3) 倉沢と社会参加推進室のやり取り及び被告人の指示
 その後、倉沢は、企画課長席で、被告人から、担当の社会参加推進室の室長補佐であった田村一(以下「田村」という。)及び村松らの紹介を受けた上で、社会参加推進室で、田村や村松から、公的証明書の発行手続や審査に必要な書類等について説明を受けた。

 その際、倉沢は、田村や村松から「凛の会」の設立時期や活動内容を尋ねられ、平成15年秋ころに設立し障害者支援のために寄附をするなどの様々な活動をしていこうと考えている旨のあいまいな返答に終始した。

 田村や村松らは、倉沢の返答から、「凛の会」の実体に疑念を抱き、その活動内容が分かる資料を提出するように同人に要請した。

 被告人は、倉沢が帰った後、企画課長席で、田村及び村松から、「凛の会」について、平成15年秋に立ち上げたばかりで、今後障害者を支援する活動をしていく団体である旨の報告を受けた際、「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします。」と言って、心身障害者団体としての実体に疑念がある「凛の会」に対し公的証明書を発行することを指示した。

 その指示を受けた田村や村松らは、「凛の会」については、その団体の実体がどのようなものであれ、公的証明書を発行せざるを得ない案件だと認識し障定協名義の証明書交付願が提出されれば、少しでも書類の形が整うだろうと考え、「凛の会」側に対し、とりあえず障定協に行って手続等を相談してもらいたい旨要請した。

 以後、被告人や北村、田村、村松ら「凛の会」に関する案件の担当者の間では、「凛の会」の案件は、有力国会議員の要請を受けた塩田から被告人に指示がされたもので、「凛の会」の実体がいかなるものであれ、「凛の会」に対し公的証明書を発行することが決まっている「議員案件」と位置付け、その対応に当たることとなった。

5 「凛の会」と障定協との間のやり取り等

 河野及び木村は、倉沢が厚労省へ訪問した後の平成16年2月下旬ころ、障定協に電話をかけ、さらに、その後、障定協の事務所を訪ね、事務局長の佐藤三郎(以下「佐藤」という。)と面談した。

 その際、佐藤は、「凛」に政治家のインタビュー記事が大きく掲載されていたことや会員に障害者が含まれているかどうか不明であったことなどから、「凛の会」が、営利目的等で障定協に加盟し低料第三種郵便物制度を悪用しようとしているのではないかとの疑念を抱いた。

 そこで、佐藤は、平成16年2月下旬ころから同年3月上旬ころにかけて、厚労省に電話をかけて、村松に対し、「凛の会」が真摯に活動しようとしているか疑わしく、売名目的か商売目的のいずれかであると思われる旨伝え、これを聞いた村松は、田村にその旨伝えた。

 また、村松は、実体の疑わしい「凛の会」に対し公的証明書を発行するということは、虚偽の公的証明書を発行することになるため、そのようなことはしたくないと考え、「凛の会」への対応を先延ばしにすれば、近々予定されていた異動により、「凛の会」に対する公的証明書の発行事務を担当しなくて済むと考えていた。

 被告人は、その後の平成16年3月中旬ころ、田村に対し「凛の会」の案件の進ちょく状況を確認したが、同人から、公的証明書の発行申請はおろか、規約や名簿等の資料の提出すらされていない旨の報告を受けた。

 他方、障定協の佐藤は、前記のとおり、「凛の会」が売名目的か商売目的のいずれかではないかとの疑念を抱いていたため、障定協との折衝をしていた河野及び木村に対し「凛」の内容が営利目的や売名目的のものであると認められたときは、障定協からの発行を拒絶されても異議がない旨等を記載した念書を障定協に提出するよう求め、河野及び木村は、平成16年3月29日付けで、その旨等を記載した念書を障定協に提出し、また、同年4月8日には、障定協への加盟申込書を提出するなどして、障定協から、同念書の記載内容を順守することを条件に、同月14日付け証明書交付願の交付を受けるに至った。

6 平成16年4月の村松から上村に対する引継ぎ状況

 上村は、平成16年4月1日付けで、企画課社会参加推進室社会参加係長に異動となり、前任者であった村松の業務を引き継いだ。

 その引継ぎの際、上村は、村松から、「凛の会」に公的証明書を発行する案件の説明を受け、「凛の会」の心身障害者団体としての実体には疑念があるものの、国会議員から口添えのあった議員案件であり、上司である障害保健福祉部長や企画課長から直接下りてきた案件であるため、早急に対処して公的証明書を発行する必要がある旨の引継ぎを受けるとともに、田村からも、「凛の会」に対する公的証明書の発行手続を進めるように指示された。

 しかしながら、その時点で、「凛の会」からは、公的証明書の交付願はおろか、規約や名簿等の審査資料も全く提出されておらず、また、上村も、村松から公的証明書の発行期限を告げられておらず、しかも、異動当初の平成16年4月中は社会参加係長として慣れない予算要求の原案作りや大臣官房会計課予算班との折衝に忙殺されていたことから、「凛の会」の案件については手つかずのままとなった。

7 「凛の会」による上村に対する公的証明書発行の要請状況

 河野は、平成16年4月上旬ころ、自ら障定協に電話をかけて確認し「凛の会」のように月3回以上新聞を発行する場合、障定協を経由せず、直接厚労省と折衝すれば足りると知った。

 当時、「凛の会」は、柔道整復師関係の専門学校を初めての広告主として確保していたところ、同広告主との間で平成16年6月末までにその広告を心身障害者用低料第三種郵便物として差し出すことが決まっていた。河野は、同広告を掲載した「凛」を発行し、不特定多数の第三者に送付すべく、既に「凛」の製作作業を進めていたことから、同月末までに心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用が受けられる承認が下りなければ、製作に要した費用がすべて無駄となるばかりか、大事な広告主を取り逃がしてしまう事態にもなりかねない状態に陥った。

 そこで、河野は、平成16年4月中旬ころから同月下旬ころまでの間、上村に対し数回にわたって電話で公的証明書の発行を要請するとともに、面談したい旨申し入れた。

 上村は、実体に疑いのある「凛の会」に対して公的証明書を発行する件で、同会関係者の河野と面談するには後ろめたい気持ちがあったことから、あえて社会参加推進室を避けて、厚労省地下1階で待ち合わせをすることとし、同月下旬ころ、同所で待ち合わせをした後、厚労省1階の喫茶室で同人と面談した。

 その際、上村は、河野から、できる限り早く公的証明書を発行してほしいと催促され、「分かりました。」と返答するとともに、上司の指示を受けて公的証明書の発行手続を担当している旨明かした。

8 上村による厚労省が公的証明書の発行手続を進めている旨の内容虚偽の棄議書の作成に至る経緯及びその作成状況等

 上村は、心身障害者団体としての実体に疑いがある「凛の会」に内容虚偽の公的証明書を発行することにためらいがあり、また、河野から発行期限を告げられておらず、他方、予算要求の原案作りは期限が決まっていたので、これに忙殺される中で、ひとまず「凛の会」の案件を先送りにしていたところ、河野らから、平成16年5月中旬ころ、電話で、公的証明書の発行を催促された。

 また、上村は、そのころ、田村から「凛の会」の案件の進ちょく状況を確認された際、「凛の会」から、公的証明書の発行申請はおろか、規約や名簿等の審査資料の提出すらされておらず、まともに資料を出せないような実体の疑わしい団体であり、形だけであっても決裁に上げることができない旨答えた。

 そこで、田村は、被告人に対し「凛の会」の案件について、公的証明書の発行申請の書類や規約、名簿等の審査資料がきちんと提出されておらず、決裁に上げられるような状態ではない旨報告したところ、これを受けた被告人は、田村に対し「なんとかならないんですか。もう少し調整を進めてください。」などと言って、「凛の会」に対する公的証明書の発行手続を取りやめることなく、逆にこれを進めるように指示した。

 被告人の指示を受けた田村は、上村に対し被告人の指示内容を伝えた。

 このように、上村は、公的証明書の発行について「凛の会」から催促されるとともに、上司からもその旨の指示を受けたものの、「凛の会」からは、公的証明書の交付願はおろか、規約や名簿、刊行物といった審査資料の提出もなく、形だけの審査・決裁すら行えないような状態であったことから、時間稼ぎのために、厚労省が公的証明書の発行手続を進めているという内容虚偽の稟議書等を作成し、「凛の会」関係者に送付しておこうと考えた。

 そこで、上村は、平成16年5月中旬ころ、社会参加推進室において、「東京女子医大移植者の会」に対する公的証明書の発行に係る稟議書の写しを利用し、修正液で決裁印の一部を消去するなどしてコピーを取り、ゴールデンウィーク前に起案をしたかのように装うため、起案日を「平成15年11月10日」から「平成16年4月26日」に書き換え、氏名欄に「上村勉」と記載するなどして内容虚偽の稟議書を作成し、「『凛の会』に係る低料第三種郵便物の許可申請手続きについては、近日中に滞りなく進めることとなっております。」などと印字した書面とともに、「凛の会」あてにファックス送信した。

 そして、河野らは、そのころ、佐藤が「凛の会」に対して疑念を抱いていたことから、これを払しょくすべく、上村から送付を受けた稟議書等の写しを障定協に郵送して提出し電話で厚労省との折衝の進ちょく状況を報告した。

9 「凛の会」から被告人に対する要請及び被告人の対応の状況等

 河野は、日本橋郵便局を介して日本郵政公社東京支社に対し第三種郵便物承認請求書(なお、低料第三種郵便物の場合であっても、その承認請求は通常の第三種郵便物と同一の書式でなされ、その承認請求に公的証明書が添付された場合に心身障害者低料第三種郵便物の料金の適用を受けられる承認請求として取り扱われていた。)を提出し同郵便局の担当者に対しては、厚労省から近々公的証明書が発行される予定である旨伝えていたものの、厚労省がなかなか公的証明書を発行しないため、同担当者が、「凛の会」に実体がないことに気付いてしまうのではないかと危惧した。

 そこで、河野は、厚労省側から、同郵便局を管轄する日本郵政公社東京支社に対し、厚労省が、近々、「凛の会」に対し公的証明書を発行する予定であることを伝えてもらおうと考え、平成16年5月中旬ころ、倉沢に対し近々厚労省から公的証明書が発行されると日本郵政公社に伝えて欲しい旨被告人に申し入れるように指示した。

 そこで、倉沢は、同月中旬ころ、企画課に赴き、被告人に対し、急ぎの事情があるので、企画課長である被告人から直接日本郵政公社に電話をして、「凛」を低料第三種郵便物と承認しても大丈夫であると伝えて欲しい旨依頼した。

 これに対し、被告人は、「一応、郵政公社の方には連絡してみますが、相手が応じてくれるかどうかは分かりませんよ。」と言いながら、倉沢の面前で、企画課から日本郵政公社東京支社の「森」に電話をかけて、その旨伝えた。

10 日本郵政公社東京支社からの承認書の交付

 その後、日本橋郵便局を介して「凛の会」の第三種郵便物承認請求書の提出を受けていた日本郵政公社東京支社は、公的証明書の提出がなかったことから、「凛の会」の定期刊行物「凛」について、心身障害者用低料第三種郵便物の料金の適用を受けられる承認請求として扱わないまま、同支社長森隆政名義で、第三種郵便物として承認する旨の平成16年5月31日付け承詔書を発行し同年6月4日、木村が、日本橋郵便局を介して、同承認書の交付を受けた。

第5 犯行状況等

1 倉沢からの最後の要請

 河野は、前記のとおり、厚労省の企画課長である被告人から直接日本郵政公社東京支社に連絡をしてもらっていたことから、公的証明書の原本を提出しなくても、心身障害者用低料第三種郵便物として取り被われるものと考え、平成16年6月上旬ころ、日本橋郵便局に対しその差出承認請求をしたところ、同請求にも公的証明書が添付されていなかったため、同郵便局の担当者から、至急公的証明書の原本を提出するように要請された。

 河野は、黒木からその旨を伝え聞き、予想外の事態で早急かつ確実に公的証明書を人手する必要があると考え、急きょ、平成16年6月上旬ころ、厚労省に電話をかけ、上村に対し既に日本郵政公社から第三種郵便物の承認を得たこと、広告主が決まっているため心身障害者用低料第三種郵便物として発送できなければ大きな損失になることを伝えた上で、日本郵政公社東京支社長名義の同年5月31日付け承認書とつじつまの合うように、作成日付を5月中に遡らせた公的証明書を無審査で至急発行するように要請した。

 また、河野は、上村に電話するだけでなく、その上司の企画課長にも要請をしておいた方がよいとの考えから、倉沢に対して、厚労省に直接赴いて5月31日以前の作成日付の公的証明書を発行してもらってくるように指示した。

 これを受け、倉沢は、その直後ころ、急きょ企画課に行き、被告人に対し以前にしてもらった日本郵政公社への連絡だけでは足りず、書面の公的証明が必要であるとして、「凛の会」に対する公的証明書を早急に発行すること、その際日付を遡らせて5月中の目付にすることを要請した。

 これに対し被告人は、倉沢から、「凛の会」が心身障害者団体そのものではない旨聞かされていた上、田村から、「凛の会」から公的証明書の発行申請の書類や規約、名簿等の審査資料がきちんと提出されておらず、決裁に上げられるような状態ではない旨の報告も受けており、しかも、発行日付を遡らせるという要請であったため、少し考え込んだものの、「凛の会」に対する公的証明書の発行に向けた便宜を図るよう塩田から指示を受けた議員案件であったことから、倉沢に対し、その要請を了承し、公的証明書ができたら連絡をする旨告げた。

2 倉沢の要請を受けた被告人からの上村に対する指示

 倉沢の要請を了承した被告人は,平成16年6月上旬ころ、上村に対し5月中の目付で公的証明書を作成して被告人のところに持参するように指示した。

 これに対し、上村は、被告人に対しそれまでの「凛の会」の関係者との接触状況や審査資料が未提出であることから、「凛の会」に心身障害者団体としての実体があるか疑わしく、また、「凛の会」の刊行物も福祉目的とは思えない旨告げるとともに、「凛の会」からは発行申請や審査資料の提出がないため、形式的な決裁すらできないことや、日付を遡らせるのであれば発番号の問題も生じることを伝えた上で、それでも公的証明書を発行して良いか、その指示を仰いだ。

 被告人は、上村に対し、「先生からお願いされていることだし塩田部長から下りてきた話でもあるから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは、心配しなくていいから。」などと告げ、早急に公的証明書を作るように指示した。

 上村は、被告人に対し、その指示を了解し「凛の会」に対する公的証明言を作成次第被告人のところに持参する旨答えた。

3 本件公的証明書の作成及び交付状況等

 上村は、平成16年6月上旬ころ、社会参加推進室の職員が帰宅した後の深夜の社会参加推進室で、「凛の会」あての「上記団体は、国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であり、当該団体の発行する『凛』は心身障害者の福祉の増進を図ることを目的としているものであると認めます。」などと記載した書面を作成し、翌早朝ころ、同書面に企画課長名の公印を押捺し、厚労省社会・援護局障害保健福祉部企画課長作成名義で、同課長の公印を押捺した同年5月 28日付けの内容虚偽の本件公的証明書を作成し、これを被告人に手渡した。

 その後、被告人は、障害保健福祉部長室で、塩田に対し「凛の会」に対する公的証明書を発行することになった旨報告した上で、倉沢に対しては被告人から連絡するので、前記国会議員に対しては塩田から報告をしてもらうように依頼した。

 塩田は、同国会議員からの依頼案件を処理することができたと分かり、被告人をねぎらった上、同国会議員に対し、電話で、「凛の会」に対する公的証明書の発行を行うことになった旨報告した。

 そして、被告人は、「凛の会」に対して本件公的証明書ができたことを伝え、これを受け取りにきた倉沢に対し「何とか、ご希望に添う結果にしました。」などと言いながら、本件公的証明書を交付した。

 また、上村は、そのころ、田村に対し「凛の会」の案件を遂げた旨報告し、田村も、北村に対し、その旨報告した。

4 本件直後における被告人から上村に対する指示状況

 上村は、被告人の指示に従って実体のない「凛の会」に対する内容虚偽の公的証明書を発行したものの、後付けで「凛の会」から何らかの資料を出してもらい、形だけでも審査をしたかのように装って稟議書等の書面だけても残しておいた方が後々言い訳がしやすいと考えた。

 そこで、上村は、平成16年6月中旬ころ、被告人に対し、「凛の会」に対する公的証明書の発行に当たり、稟議もなく、「凛の会」から何らの資料も提出されていなかったことについて、後付けではあるが、一応審査をしたという書類を形だけでも整えておく必要があるのではないかなどと言って指示を仰いだ。

 これに対し被告人は、「今から資料を取り寄せて稟議書を作ったりする方が、かえって大事になって大変でしょうし、部長も了解してくれていることだから、上村さんは、もう気にしなくていいですよ。もうこのことは忘れてください。」などと言って、後付けで「凛の会」から審査資料を取り寄せて決裁の形を整える必要はない旨告げた。

 その結果、その後においても、企画課が「凛の会」に対して証明書交付願や規約及び名簿等の資料の提出を求めることはなく、「凛の会」がこれらの資料等を提出したこともなかった。

5 「凛の会」による本件公的証明書の行使状況等

 黒木は、平成16年6月10日ころ、日本橋郵便局郵便窓口課申請事務センターにおいて、同センター総務主任に対し厚労省から不正に人手した本件公的証明書を手渡して行使しさらに、同担当者を介して、日本郵政公社東京支社へ回付させた。

 そして、日本郵政公社東京支社長森隆政名義に係る平成16年6月21日付け証明書が発行され、「凛の会」は、同月24日ころ、日本橋郵便局担当者を通じて、同証明書の交付を受けた。

 その上で、河野らは、平成16年6月下句ころから、一般広告主から手数料を得た上で、低料第三種郵便物制度を不正に利用して、広告主の広告に「凛」を同封したダイレクトメールを日本橋郵便局から大量に送付するなどして、不法に収益を上げるようになった。

6 平成18年における「凛の会」内紛時の厚労省の対応等

 本件の約2年後である平成18年に入った後,収益の分配をめぐって「凛の会」に内紛が生じ、河野と倉沢が対立関係に至った結果、同年6月ころ、河野が厚労省に対して「凛の会」の解散届と本件公的証明書の写しを提出するなどした。

 これを受けて、担当室である企画課地域生活支援室(従前の企画課社会参加推進室が平成18年4月に名称変更等されたもの)が本件公的証明書に対応する決裁文書を探すこととなり、同決裁文書が企画課内に見当たらないことが判明した。

 そこで、同室の担当者が、その上司の指示を受けて、本件当時の担当者で他局に異勤していた上村に対し本件公的証明書発行事実の有無等を問い合わせた。

 これに対し、上村は、「『凛の会』に対する証明書は、企画課長まで了解をもらって、きちんと企画課で発行した。」などと説明した。

 その結果、厚労省においては、同室室長の判断により、公的証明取消し等の特段の措置がとられることはなかった。

第6 その他情状等

以 上

投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 日時: 2010年3月 2日 10:31 |  

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コメント
 
01. 2010年3月02日 17:06:12
これは検察の犯罪以外のなにものでもない。
法務大臣を中心に、政権は検察の犯罪に正面から取り組むべきだ。

02. 2010年3月02日 20:48:36
非常に長い投稿でありますが、大変良く説明されています。
この文章は良識あるすべての人に読んでもらいたいと思います。
The Journalすばらしいです。

03. 2010年3月03日 08:29:03
潮目だな。

今までまかり通っていたことが通らなくなる。
ごり押しでもなんでも出来た時代が過去のものとなる。
自民の没落しかり、検察の崩壊しかり、当たり前のことがやっと当たり前となり出した。
これらの連鎖は日本のすべてを変えうる兆しであろうし、それを強く望む。


04. 2010年3月03日 12:18:23
この事件を担当した検事は、如何に上司の命令と謂えども実行した責任は免れない。
虚偽の調書を作成した罪は公文書偽造に当たるのではないか。
何よりも憲法に違反している。

《日本国憲法》
第3章 国民の権利及び義務
第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
 3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。


05. 2010年3月04日 09:08:26
検察が来て’逮捕’でもしたら取調べではこちらからは一切言わずに
”お前らはいくらもらって魂を売り渡したのか?”とシツコクしつこく、逆に
ずーーーーと尋問しよう!(^^) 
”CIA"に出張で行ったんだろう?でいくら貰えることになった?どのように支払われるの?うまくCIAの言うとおり??を嵌めて失脚させたら何億やるか決まっているんだろう?
等々、ずーーとあらゆる事を尋問、質問を繰り返し、絶対にやめないことだ!

[削除理由]:2重投稿

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