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デフレ脱却のために政治が出来る事(経済コラムマガジン第604,605号) http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/442.html
「経済コラムマガジン10/2/22(604号) ・積極財政への雑音 ・ギリシャの財政問題 本誌は、日本の場合国債を発行してでも、積極財政を続ける必要があるとずっと主張してきた。この理由は、日本の過剰貯蓄の存在である。少なくとも過去において、民間の設備投資ではとても使いきれないくらいの貯蓄が生まれていた。 将来に備え、日本人は日々得られる所得の中からせっせと貯蓄をしてきた。それに加え地価が高い日本においては、土地の売却代金(個人)が膨大になり、この土地の売却代金がほとんど消費に回らず、金融機関に眠ってしまった。特に列島改造ブームや80年代後半からの土地バブル時代には、活発に土地の売買が行われ、国民の所得計算から漏れるこの種の貯蓄が激増した。これらに加え政府も公的年金の積立金をもの凄い勢いで増やした。 過剰貯蓄は体内に蓄積される脂肪みたいなものである。若いうちはどれだけ脂肪分を摂っても、脂肪は燃焼される。ちょうど今日の新興国の経済循環のようなものである。しかし経済が成熟し一通りの消費物資が国民の間に普及すれば、消費や設備投資はそれ以上なかなか伸びないものである。昔、本誌もこの様子を98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」http://www.adpweb.com/eco/eco62.htmlや98/4/27(第63号)「消費の限界を考えるーーその2」http://www.adpweb.com/eco/eco63.htmlで取上げたことがある。 高度成長期を過ぎても、日本ではGDPの15%程度と比較的大きい設備投資の水準が維持されてきた(投資には二面性があり、需要になると同時に生産力を増やす)。また政府が財政を赤字にして不足する有効需要を補填してきた。しかしこれらだけでは不足する需要をとても埋め合わせることができなかった。この帳尻を合わせてきたのが輸出であった。 今日、筆者はギリシャの財政問題を注目している。おそらく財政問題は他の南欧諸国(PIGSーポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)にも飛び火すると思われる。バブル経済崩壊後の経済対策に伴う財政赤字が問題になっている。筆者はユーロという共通通貨を使っているこれらの国々のバブル崩壊後の経済の推移に興味がある。 日本を除き、第二次世界大戦後、初めて世界中がバブル崩壊型の不況を経験している。バブル経済の崩壊の特徴は、債務で窮地に立っている人がいる反面、バブル経済で儲け、この儲けのほとんどを金融機関に眠らせている者がいることである。本来なら、政府が経済対策のために発行した赤字国債を発行しても市場で消化されるか、あるいはその国の中央銀行がどんどん買えば問題はない(ユーロに参加していない英国はそれを行っている)。しかしユーロ圏の国々は自由がきかない。 またバブル崩壊後の不況は、従来の景気循環型の不況と異なる。経済対策を行っても、簡単には経済はなかなか回復せず、税収も増えない。ところがどこにも財政規律や財政赤字を問題にする人々がいて(ギリシャ問題の場合は他のユーロ参加国)、そしてこれら人々の発言力は強く、さらなる財政による追加の経済対策を牽制する。このような積極財政への雑音によって、経済政策が誤った方向に進む可能性がある。 ただし筆者は、南欧諸国のケースは、日本での財政危機キャンペーン時とちょっと事情が異なると考える。これらの国の経常収支の状況が関係してくるからである。たしかに経常収支が慢性的に赤字の国の場合、案外、緊縮財政が大きなダメージにならない可能性はある。このことは慢性的な経常赤字国である米国にも言える。一方、経常収支が常に黒字である日本にとって、緊縮財政への転換は確実に大きな悪影響があった。 ・日銀の内規 財政再建への動きとは別に、筆者は南欧の今回の財政危機騒動で注目していることが三点ある。一つは各国政府が独立して経済政策を行っているのに、ユーロという統一通貨を使用していることの矛盾である。二つ目は、自国で通貨を発行していないことによって、為替変動による経済調整ができないことである。とにかく統一通貨はユーロ圏の中で輸出力のある国に有利である。 三つ目は、南欧諸国の財政問題に絡んだ投機マネーの動きである。投資銀行やヘッジファンドが、これらの国の経済危機を利用して一儲けを企んでいる。またいい加減な格付機関の格付がこれを助けている。それにしてもEUや欧州中央銀行はもたついている。 このように積極財政に対しては、財政規律や財政赤字の累積と言った観念的な雑音がある。日本の場合、これ以外の雑音は「インフレ(物価上昇)」と「金利の上昇」の危惧の二つがある。しかしこれらについては本誌では何回も取上げてきたので、ここでは簡単に触れることにする。 まず少なくとも今日、積極財政によって日本で「インフレ(物価上昇)」が起ることはない。物価上昇が起るとしても、輸入資源価格の高騰などのケースに限定される。 もし本格的に物価上昇が起るとしたなら、サービス料金の値上げ(人件費の高騰による)が広がる場合と考えている。しかし経済活動のレベルが相当高くならなければ、サービス価格が上昇する状況にない。むしろサービス価格が上昇する程度まで経済活動レベルを上げることが政策の目標になる。 「金利の上昇」はある程度考えられる。日本の過剰貯蓄は、近代日本人の貯蓄選好に加え、大きな土地の売却代金で形成された。さらに政府も公的年金の積立金をどんどん溜め込んだ(78年度から99年度の21年間に157兆円も増えた)。これだけ過剰貯蓄があったため、長期金利が上昇することはなかった。 ただ2000年頃までに、これらの過剰貯蓄の発生要因はほぼなくなった。これ以降は、企業の設備投資が低迷することによる資金需要の減少と(企業の設備投資は減価償却費の範囲で行われている)、日銀の国債の買入れ(残高は73兆円)によって長期金利は低位に推移している。しかし日銀の国債購入に関して、日銀には日銀券の発行額が限度という内規がある。今日、国債購入額がこの限度に近付いている。 日銀の内規の変更がない限り、長期金利は今後上昇する可能性がある。ただ筆者は急激な上昇はないと見ている。今日の経済状況では、民間企業の資金需要が急激に増えることは考えられない。また住宅建設が倍に増えることもない。 日本政府の動きを見ていると、急激な金利上昇がないかわりに、経済活動も低迷するという状態がずっと続くと考える。筆者は、多少上昇しても経済活動が活発化すれば良いと思っている。しかしこのような現状を打破したいという勢力がなかなか出てこないのである。 今日、政治家は日銀に対してデフレ対策に協力するよう要請している。日銀による国債購入の増額を念頭に置いたものであろう。しかし筆者は、日銀に協力を要請する前に、まず政府がデフレ克服のための総合的なビジョンを示すべきと考える。ただデフレ克服のための施策をまともに考える場合、どうしても最後には日銀の国債購入の限度額が問題になってくるものと筆者は見ている。 」 ・国債の日銀購入は限度 日本経済が、長期低迷から脱却するには、一層の積極財政を継続して行えば良いと本誌はずっと主張してきた。これに対する反論は、先週号で取上げた「インフレ(物価上昇)」と「金利の上昇」への危惧である。しかし「インフレ(物価上昇)」は起りえないことを説明した。むしろ日本にとっては緩やかな物価上昇が好ましいくらいである。 一国の経済運営として、実態にそぐわない金利の急騰は防ぐ必要がある。短期金利の変動については、日銀が責任を負っている。しかし長期金利については、責任の所在があいまいである。責任の取り方がはっきりしないまま、なし崩し的に日銀は国債の買い切りオペ額を増やしている。しかし日銀の内規により、この国債の日銀購入は限度の近くまできている。この状況において投機に対応できる態勢を整える必要があると筆者は考える。 デフレ対策に非協力的と政治家は日銀を責めている。しかし政治家は日銀を責めるだけで、自分達は何もしようとはしない。02/11/11(第273号)「セイニア−リッジ政策の推進(その2)」http://www.adpweb.com/eco/eco273.htmlで述べたように政治ができることは沢山ある。 具体的には「国会の決議の範囲内での国債の日銀引受け(財政法第5条)」や「政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動(発動とは行かなくとも準備くらいはできる)」である。たしかにいきなり政府紙幣の発行といっても難しいと筆者も思っている(もし発行できるのなら理想的)。また日銀による国債の直接引受けが困難なら、日銀にはっきりと国債購入限度の増額を要請すべきである。ただしその場合は、先週号で述べたように、財政によるデフレ脱却のビジョンを示すべきである。 多くの政治家は「デフレは貨幣的要因であり、したがって日銀による一層の金融緩和が必要」と訳のわからないことを言っている。日本の金利が世界一低いのにまだこんなことを言っているのである。彼等は幼稚な貨幣数量説が日本でも適用できると誤解している。日本のデフレは、過剰貯蓄によるものであり、少なくとも貨幣要因によるものではない。 ・何らかのセイニア−リッジ政策が必要 デフレからの脱却には、政治ができることがこれまであったのに、政治家は中途半端な景気対策でお茶を濁してきた。また不幸なことは、デフレ克服にとって大事な時期に、日本で「構造改革」という呪術(じゅじゅつ)がはやったことである。日本中が「構造改革で経済成長が実現する」というとんでもない大嘘に洗脳されてきた。 構造改革で経済が成長するのは、供給力に比べ需要が圧倒的に大きい時に限られる。この場合、無駄に使われている生産資源(生産設備と労働)を需要のある方面に適切に振り向ける必要がある。これには規制の緩和などの構造改革が有効であろうという話である。 バブル崩壊後の日本は、大きな過剰貯蓄によって、供給ではなく需要の不足にみまわれてきたのである(本誌の主張は1973年のオイルショック以降あたりから既に需要不足)。必要な政策は需要の創出である。「構造改革」なんて全く関係がない。 この他にも「ベンチャー企業育成で経済成長を実現できる」など虚言・妄言がはびこった。ベンチャー企業は、経済が成長すれば自然と現れるものである。市場が大きくなれば、そこに隙間ができ新しい企業の参入が可能になる。また経済が成長すれば、リスクを取って企業を興そうという者が出てくるのである。 今日のような需要不足のデフレ経済下では、大企業までが残された市場の小さな隙間を埋めようとしている。世界の中で、日本の企業の開業率が信じられないくらい低いのも当り前である。このような状況で「ベンチャー企業で日本経済に活力を」なんて何を言っているのかということである。出てくるのは株式公開後、後は野となれ山となれのインチキベンチャーだけである。 今日、筆者が気になるのは高名な経済学者達の「移民を受入れて日本経済に活力を」という妄言である。最近の雑誌なんかでよく目にする論調である。日本の経済学者は、ベンチャー企業や移民の「活力」といった精神に問題の解決を委ねようと言うのである。 これは戦前の日本の竹槍精神と同じであり、科学性の放棄である。これまでも経済学者はいい加減なことを言ってきたが、移民の話はこの延長線上にある。彼等は、デフレの本質を考えることがなく、思い付きでの発言が多すぎる。 マスコミや政治家は、「構造改革」路線が頓挫し、次の悪者探しを始めている。ターゲットとなっているのが日銀である。たしかに過去において日銀出身のとんでもない日銀総裁がいたが、前の福井氏や今の白川総裁は常識的な金融政策を行っている。問題は政治である。 筆者は、日本がデフレ経済から脱却するには、何らかの形でセイニア−リッジ政策を取入れる必要があると確信している。前述の通り、セイニア−リッジ政策としては、もちろん政府紙幣発行より日銀による国債の購入の方が現実的である。実際、日本がセイニア−リッジ政策を既に実行していることを、マスコミや政治家は説明すべきである(もっともこのことを理解していない可能性はあるが)。 デフレ脱却には日銀の国債購入を大胆に増やす必要がある。政府はビジョンを示し、日銀に国債の買い入れ限度額の増額を要請すべきである。しかしもしこれを日銀が絶対的に拒否するようなら、政府は次の手段を考える必要がある。 まずそれこそ政府紙幣の発行である。政府紙幣を発行し、これを日銀に入金し、財政支出の財源にする。もう一つは、長期国債を買い入れるための日銀とは別の発券銀行を創設することである。これはデフレ脱却までの時限的なものでも良い。通貨の発行機関が複数になるが(今でもお札は日銀、コインは政府が発行している)、複数の発券機関の例は他の国にあるはずである。ただこれらには法律の制定や改定といった面倒なことが必要になる。しかし永遠にデフレ経済が続き日本経済が衰退するよりずっとましである。 来週は、今週に予定していた経済活動と税収の関係を取り上げる。」 関連 菊池英博公述人:消費税抜きでの税収増を考えるべき|第174回国会予算委員会公聴会
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